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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県清須市:美濃路南コースMINOJI SOUTH

2015年5月探訪。2016年6月5日作成

【コース】 距離:約2.4km
 旧西枇杷島町南部の美濃路周辺をめぐります。美濃路周辺の社寺や下小田井の市の史跡,西枇杷島まつりの山車蔵,庄内川の眺望が見どころです。

名鉄・西枇杷島駅〜にしび夢だいこん〜橋詰神社〜高照寺〜六軒神社〜西枇杷島問屋記念館〜庄内川水防センター(みずとぴぁ庄内)〜正念寺〜松原神社〜柴田家住宅〜慈光寺〜観音寺〜二ツ杁神明社〜名鉄・二ツ杁駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・西枇杷島駅





 今回のスタート駅は,名鉄名古屋本線の西枇杷島駅です。普通列車のみの停車で,名鉄名古屋駅から約6分の所要時間です。本数は30分に1本程度しかありませんので,電車の時刻は調べておくといいでしょう。駅はJRの高架と犬山線の分岐のデルタ分岐にはさまれて,小さな島式ホームが特徴的な駅になっています。JR東海道線の枇杷島駅の東口を出て県道を南下すると,約10分で来ることもできますので,ちょうどよい電車がなければ利用しましょう。

橋詰神社
西枇杷島町橋詰57



 西枇杷島駅を出て南に進み,次の筋を左折して県道の高架をくぐり,そのまま200m弱進むと,庄内川の堤防に突当り,この左側に橋詰町王義之車[市民俗]の山車蔵があります。毎年6月第1土日に行われる,橋詰神社および六軒神社の天王社祭礼の尾張西枇杷島まつりの際には,王義之車を含めた5台の山車が美濃路を行き交い,多くの露店が出て花火もあがり,多くの参加者で賑わいます。享和2年(1802年)に始まったといわれ,古くからの名古屋東照宮の祭礼の形態を引き継ぐ祭として貴重なものです。王義之車は享和2年の作といい,中国の書家・王義之の人形と大小唐子,および若侍の前人形を配し,西枇杷島の山車の中で唯一,差し金をつかった離れからくりになっています。



 西に戻って,右側の堤防の下の道を50mほど進むと,右手ににしび夢だいこんのモニュメントがあります。この付近には,かつて江戸時代の三大青物市場として知られた枇杷島市場があり,「尾張名所図会」にも賑わいの様子が描かれました。昭和30年(1955年)に市場が移されるまで約300年に渡り,尾張地方の流通経済の中心となっていました。このモニュメントはそれに描かれた大根を担ぐ裸男をイメージして作られたもので,もとは旧国道22号沿いにありましたが,平成20年(2008年)に現在地に移されました。モニュメントの前には美濃路道標[市文化]があります。美濃路は名古屋から中山道の垂井宿を結ぶ脇往還で,熱田から桑名までの七里の渡しを避けて東西を行き来する人々で大いに賑わったといいます。この道標は文政10年(1827年)に,旧枇杷島小橋のたもとの北に伸びる岩倉街道の分岐点に建てられたものです。かつて枇杷島橋はこの付近にかけられており,昭和10年(1935年)に現在の位置にかけかえられました。





 さらに100m弱進んだ右手に橋詰神社があります。棟札によると承応3年(1654年)に神明社と天王社の2社が創建され,明治中頃以降に橋詰神社と称されるようになったといいます。道路工事のため,昭和9年(1934年)に境内が約半分になり,現在のような姿になったといいます。祭神は天照大神と須佐之男命で,元天王社の大祭として行われているのが6月の尾張西枇杷島まつりになります。寛永12年(1780年)の常夜灯や嘉永元年(1848年)の手洗いなど,古い石造物が境内にあります。境内には秋葉社,金刀比羅社の末社があります。境内には問屋町頼朝車[市民俗]の山車蔵があります。享和2年(1802年)の製作といい,宵祭で振陽車と書かれた提灯が灯されることから元は振陽車と呼ばれていたと考えられます。弘化4年(1847年)の修理の際に源頼朝のからくり人形が設けられ,静御前が頼朝の前で愛する義経を偲んで舞い踊ったという故事にちなんだからくりが披露されます。また,問屋町には弘化4年(1847年)から安政4年(1857年)の間の問屋町の年中行事がまとめられた年中行事弐冊目[市文化]や,尾張第10代藩主で祭好きとして知られる斎朝(なりとも)が枇杷島祭りを上覧した際に拝領したという拝領太鼓[市文化]などの文化財が保存されています。

高照寺
西枇杷島町東六軒20-1



 橋詰神社の先の県道を左折し,先の「問屋町」交差点で右折して横断歩道を渡ってそのまま美濃路を進みます。この付近は,現在は空き地も目立つ場所になっていますが,平成12年(2000年)の東海豪雨の前は古い民家がびっしりと建っていたといいます。現在は民家が撤去され,堤防改修工事がすすんでいます。200m弱進んだJRの高架をくぐった先の左手には,東六軒町泰亨(たいこう)車[市民俗]の山車蔵があります。文化2年(1805年)の建造といい,何度かの改修を経て現在の豪華な姿になったといいます。京都鞍馬の僧正ヶ谷で牛若丸が修行する様子を演じたからくり人形があり,木の葉天狗に打ち勝って薙刀を振り回す姿が見事です。屋根の上下に伴って歯車で風車が回る惜車(おしみぐるま)が取り付けられ,現存する唯一のものとして貴重です。また,この東六軒町には林和靖車(りんなせいしゃ)という山車の前人形が保存されており,享保18年(1733年)作と最古の歴史を持ち,現在は使われていませんが現在も良好に保存された秀作といいます。





 山車蔵の少し先の右手に高照寺(曹洞宗)があります。万松山と号し,東六軒町に住む伊藤たか・てる姉妹が明治33年(1900年)に大雄寺(宮城県南三陸町)の大雄寺の末寺の明照寺をこの地に移し,2人の名前を漢字にして寺号に当てはめ,高照寺と改称したといいます。境内には昭和12年(1937年)建立の毘沙門堂,昭和30年(1955年)に祀られた子安地蔵があります。

六軒神社
西枇杷島町東六軒10





 高照寺から50mほど先の右手に六軒神社があります。明暦2年(1656年)の創建と伝わり,祭神は須佐之命で,摂社に津島社と秋葉社があります。また明治44年(1911年)合祀の洲原社と大正3年(1914年)合祀の金刀比羅社があります。このうち金刀比羅社は枇杷島市が盛んな頃に運輸業者が往来の安全と商売繁盛を祈願して建立させたと伝わっています。文政5年(1822年)の水洗いと文政8年(1825年)の石燈籠があり,古い歴史を物語っています。



 六軒神社の先50mほど行った右手に入っていったところに西六軒町紅塵車[市民俗]の山車蔵があります。享和2年(1802年)に建造されたといい,橋詰町の王義之車と同じ人物が作者として記され兄弟山車といわれています。中国の三国志演義で,名医であった華陀が傷を受けた関羽を治療中,飛んできた鳥や孔雀の舞を見て痛みが和らいだという故事にちなんだからくり人形の舞が演じられます。太鼓唐子の太鼓に合わせて,冠をつけた孔雀に扮した鳥舞唐子が「華陀(かだ)の舞」を演じるのが見どころになっています。



 美濃路に戻ってさらに少し進んだ左手には,美濃路まちづくり推進協議会が運営する「みのじの館」があります。古くから残る町屋を改装して平成14年(2002年)に開業したといい,美濃路を活用したまちづくりについての展示があります。

西枇杷島問屋記念館
西枇杷島町西六軒20







 みのじの館から50mほど先の右手に西枇杷島問屋記念館の入り口があります。建物は枇杷島の下小田井の市の創始者の1人ともいわれる山田九左衛門旧住居[市文化]で,元々は橋詰町にありましたが,平成4年(1992年)に現在地に移築,復元されました。住居部分と商用部分を持った併用住宅で,間口がせまく通り庭に沿って部屋が並ぶ中二階建てで,明治初期に建てられ,濃尾地震にも耐え江戸時代の様式を今に伝える貴重な建物です。記念館の内部には,昭和初期の下小田井の市の様子がジオラマで再現されています。下小田井の市は徳川家康の命により,江戸時代の初期に始められたといい,江戸の神田,大阪の天満と並んで日本三大市場と呼ばれて繁栄し,約350年に渡って名古屋の台所を支え,物流の拠点となっていました。内部は青果問屋の帳場なども再現され,昔ながらの問屋の様子を今に伝えます。また,宝暦6年(1756年)の「市場定法」が記され江戸時代の株仲間が持つ特権の一端を物語っている問屋制札[市文化]や,市場の取引の決まりを記した枇杷島市場規定[市文化]なども展示されています。また,天保13年(1842年)の株仲間解散による問屋閉鎖から,安政5年(1858年)の再開までの16年間の下小田井の市の激動時代の記録である小川伝七家文書[市文化]も教育委員会に保管され,貴重な資料になっています。

庄内川水防センター(みずとぴぁ庄内)
西枇杷島町北枇杷池15-1



 問屋記念館から美濃路をさらに50m弱進んだ細い筋を左折して,50m強先の突当りを左折すると,すぐに金比羅神社があります。祭神は大物主命で,江戸末期の創建といわれ,熱心な金比羅信仰によって妻の失明が治ったという佐藤定蔵によってはじめられたといいます。



 神社の西側には六松地蔵があります。以前は「南ウラのお地蔵さま」と愛称されていたといい,創建は江戸時代にさかのぼるといいます。







 戻って庄内川の堤防を100mほど進むと,左手に庄内川水防センター(みずとぴぁ庄内)があります。平常時には地域の活動場所として利用され,周辺にはチューリップやユリなどの季節の花が植えられているほか,庄内川沿いに遊歩道も設けられ,豊かな自然を楽しむことができ,また対岸の名古屋駅のビル群などの眺望も楽しむことができます。ウォーキング大会や朝市などもイベントも盛んに行われています。ヘリポートも設けられ,緊急時には災害復旧の拠点となります。

正念寺
西枇杷島町西六軒5-1



 庄内川水防センターの東側の筋を進んで美濃路に戻り,右折して美濃路に入って次の細い筋を左折すると,少し先の右手に正念寺(真宗大谷派)があります。六松山と号し,文久年間(1861〜63)に創建され,当初は庄内川の傍らに阿原御殿と称して小屋を建てて法話を聞いたことに始まります。その後現在地に移り,昭和16年(1944年)に六軒と松原という地名の頭文字を取って六松説教所となり,昭和25年(1950年)に寺号を得て現在の姿になりました。本尊は木造の阿弥陀如来です。

松原神社
西枇杷島町辰新田39





 正念寺から美濃路に戻って西に100mほど進むと右手に松原神社があります。寛文8年(1668年)の創建といい,現存する棟札には天明7年(1687年)に天王社を勧請したことが記されています。江戸時代は天王社と呼ばれていましたが,明治9年(1876年)頃から松原神社と呼ばれるようになったといいます。摂社に津島社,秋葉社,末社に出雲社,金刀比羅社があり,境内には樹齢400年以上という神木のイチョウがあります。拝殿は享和元年(1801年)に造営され,昭和37年(1962年)に瓦葺きされたものです。また,安政4年(1857年)の銘の常夜灯があります。



 美濃路をさらに100mほど進むと右手に柴田家住宅[国登録]があります。明治29年(1896年)に,飴の製造・販売を行っていた柴田屋清兵衛によって建設されたといいます。尾張地方によくみられる防火のための塗籠の壁を持ち,内部は店舗のミセ土間を備えているといいます。この付近は,かつて西枇杷島の役所や警察署が置かれた中心部でしたが,昭和初期に移転しました。



 少し先に進んだ右手には,明治24年(1891年)に建てられた木造3階建て住宅があります。戦前から残る木造3階建て住宅としては唯一のもので,かつては開口部はすべて格子戸だったといいます。かつてはお好み焼き店でしたが,現在は閉店しています。

一休庵
西枇杷島町北二ツ杁



 美濃路をさらに100m弱進むと,左手に一休庵があります。古くから残る町屋を改修して平成19年(2007年)にオープンした施設で,美濃路散策の休憩所,清須市の観光案内所になっており,おみやげも販売されています。屋根には,この地方に多い屋根神がまつられており,津島・秋葉・熱田の3社があって,それぞれ疫病除け,火難除け,武運長久祈願の意味がこめられているといいます。かつては美濃路沿いだけでも多くの屋根神が見られましたが,近年はめっきり減ってきてしまいました。



 美濃路をさらに50mほど進んだ杁西町の集会所の先に,杁西町頼光車[市民俗]の山車蔵があります。西枇杷島祭りは元々は現在の橋詰神社,六軒神社に当たる天王社の祭礼でしたが,のちに二ツ杁神明社を氏神とする杁西町も祭りに加わることになりました。そして,他の山車から遅れて明治7年(1874年)に頼光車が完成しました。からくり人形は,源頼光が足柄山で坂田金時(金太郎)に出会い,彼の力自慢を見て家来の四天王に加わったという故事にちなむもので,坂田金時が岩を外に豪快に投げ飛ばす所作が見どころになっています。投げられた岩に触れると病気せず,元気に育つといわれています。



 杁西町集会所のところに戻り,北に50mほど進んで次の筋を右に入ったところに慈光寺(真宗大谷派)があります。嘉永3年(1848年)に創建され,明治11年(1878年)に二ツ杁説教所になったといい,濃尾地震で被害を受けて現在地に移転したといいます。その後昭和25年(1950年)に慈光寺となりました。



 右に入り前に戻り再び北に進むと,次の筋を越えた右手に観音寺(曹洞宗)があります。創建は文政2年(1819年)といい,元々本尊の如意輪観音の石仏が露仏としてありましたが,流行り病があった際にこの仏に願かけしたところたちどころに病が下火になったので,人々が堂を作って安置したといいます。入り口から見て左手には地蔵堂が設けられています。

二ツ杁神明社
西枇杷島町北二ツ杁81





 観音寺の少し先に二ツ杁神明社があります。祭神は伊勢外宮と同じ豊受比女命です。創建については,慶安4年(1651年)と大永年中(1521〜27年)の2つの説があり,大永年中説によると小田井城主2代目の織田寛故が下小田井の神明社を内宮と見立て,西南の方向に外宮と見立てて豊受比女命をまつったのが始まりと言われています。境内末社に津島社,洲原社,御嶽社があります。現存する棟札には慶安4年のものがあり,文化年間の複数の常夜灯や安政5年(1858年)の銘の手洗鉢などがあるといいます。

ゴール:名鉄・二ツ杁駅





 二ツ杁神明社から出て左手に進んで東へ100m進み,2つ目の筋を左に進み,次の筋を右に曲がって名鉄の線路沿いに50mほど進むと,ゴールの名鉄二ツ杁駅があります。なお,このルートで来ると南側に来るので,名鉄名古屋方面の電車に乗る場合は地下道を通って北側に出てください。準急と普通列車が停車し,名鉄名古屋駅まで準急で6分,普通で8分で行くことができます。本数は準急と普通で1時間に4本程度あります。




【後日訪問】西枇杷島まつりのときに行ったもの



 橋詰町の王義之車です。



 問屋町の頼朝車を横から撮影しました。



 泰亨車です。



 西六軒町の紅塵車です。



 頼光車です。後ろからしかとれませんでした。・・・



 露店もたくさん出て賑わっていました。


写真使用数:40

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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