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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県海部郡飛島村:飛島西コースTOBISHIMA WEST

2015年5月探訪。2016年11月30日作成

【コース】 距離:約7.6km
 村北西部の大宝・元起地区周辺をめぐります。広大な田園地帯を開拓の歴史を感じさせる寺社・史跡などをめぐりながら歩いていきます。

飛島バス・上用水バス停〜誓願寺〜服岡神社〜大宝寺〜六角れんが蔵〜大宝神社〜伊能忠敬測量碑〜大宝排水機場保存館〜一切経蔵〜長昌院〜元松地蔵〜無量寺〜元松神明社〜渚神社〜正念寺〜飛島バス・上用水バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:飛島バス(三重交通バス)・上用水バス停



 今回のスタートは,三重交通バスが委託運行している飛島バス蟹江線の上用水バス停です。近鉄蟹江駅から平日は1時間に1〜2本,土曜休日は1時間に1本程度の運転で,所要時間は約15分,料金は200円です。バスの時刻を調べて利用しましょう。

誓願寺
服岡4-84



 上用水バス停から北に戻り,用水の北側の道を右折して200m強進んだ2本目の筋を左折し,さらに150mほど進むと左手に誓願寺(真宗大谷派)があります。服岡山と号し,服岡新田が開発された享和元年(1801年)以降に,住民が信仰の場を求めたことから安政年間(1854〜60)に現愛西市立田地区の玉泉寺出身の香巌が建立したといい,明治初年に正式な寺院として認可されました。本尊は木造阿弥陀如来立像で,鎌倉時代の浄慶作と伝わり柔和な尊容には定評があるといいます。



 100m弱進んだ次の筋を右折し,その先の筋を左折し,さらに100mほど先の筋を右折して50mほど進むと服岡神社があります。文化9年(1812年)に勧請されて祭神は天照大神です。境内の入り口には大正6年(1917年)建立の大きな常夜灯があり,本社殿や拝殿は伊勢湾台風で被害を受けた後に昭和48年(1973年)に整備されたものです。

大宝寺
大宝2-15



 神明社から2回曲がる手前のカフェのところに戻り,ここを右折して西へ300mほど進むと,県道103号線に突き当たります。ここを渡ってさらに道なりに西へ800m強,「大宝」交差点を越えて広大な田園風景の中を進みます。進んだ先左手に進んだところに大宝寺(真宗大谷派)があります。宝地山と号し,昭和8年(1933年)に大宝教会として創建され,昭和21年(1946年)に現在の寺号となりました。かつてこの地に清浄寺という寺があったが,台風に何度も被害を受けたため名古屋矢場町に移り,これが現在の矢場地蔵清浄寺であるといいます。現在の本堂は矢場町にあった法光寺のものが昭和41年(1966年)に移されたといい,平成11年(1999年)に庫裡が再建新築されました。境内南西には孝女「和喜」之碑[村史跡]が建っています。和喜は享保18年(1733年)に大宝新田で生まれ,幼い時から病弱な両親の介護をしながら働き続けた大変な親孝行娘だったといいます。わずかな農地だけでは生計が立てられず,16歳のときには現在の弥富市に奉公に出,10年後に戻った後も昼夜の区別なく働き続けました。縁談も両親の面倒を見るためにと応じなかったといわれます。安永9年(1780年)には大宝新田の地主であった長尾治右衛門が和喜の孝行ぶりを尾張藩に上奏し,報奨金が与えられました。近隣の人々は,その姿に感動して彼女を「孝女」と呼びほめたたえました。寛政12年(1800年)に和喜はなくなりますが,その孝行ぶりを後世に残そうと嘉永7年(1854年)にこの碑が建てられました。元々は大宝新田内にありましたが,昭和42年(1967年)に現在の大宝寺内に移されました。

六角れんが蔵
大宝2-39



 大宝寺から北に戻った交差点を左折して西に300mほど進み,「大宝西」交差点を左折して100mほど進むと左手に六角れんが蔵[村文化]があります。六角形のイギリス積というれんが造りに,れんが造りのドームをのせて,さらに瓦葺き屋根を持つというユニークな建物で,明治41年(1908年)頃に建てられたと考えられています。建設したのは大宝家10代目の大宝陣で,自身が経営する会社の書類倉庫となっていました。明治期のれんが造りが風雪に耐えて現在まで残された貴重な建物で,平成8年(1996年)から大規模な修復工事が行われ,平成11年(1999年)にはフェンスの設置などもされて見学者の利便が図られています。





 六角れんが蔵の西側には,大宝神社があります。正式には縣神社といい,享保19年(1734年)に海東郡砂子村(現在の大治町)から勧請されました。大宝家が安永8年(1779年)に奉納したという常夜灯や,村内最古の安永3年(1774年)の常夜灯,同じく大宝家から奉納されたという脇差が宝物としてあります。境内には御鍬社と秋葉社があり,御鍬社は天保11年(1840年)に地底を探って見つかった平鍬の先を奉納して建てられたといいます。境内には他に大宝新田の農地改良碑,開拓300年記念碑などが建てられています。



 なお,北の交差点から西へ400mほど進んだところには八鳥稲荷神社があります。天保2年(1831年)に京都伏見稲荷から勧請して創建され,明治26年(1893年)に現在地に移されました。伊勢湾台風で被害を受け,現在のものは昭和48年(1973年)に本殿が,平成10年(1998年)に拝殿が再建されたものになります。



 大宝神社から500m強南下した「鍋田大橋北」の交差点を右折すると,少し先に伊能忠敬測量之跡の碑が立っています。全国を測量したことで知られる伊能忠敬は,享和3年(1803年)の第4次測量で愛知県下の測量を行い,その際に5月8〜11日の4日間にかけて雨のため大宝新田の長尾治右衛門家で宿泊し,地図を作製したことが記録されています。碑には御嶽山,恵那山,本宮山から大宝新田まで線が引かれています。これは,これらの山を目標にして大宝新田を測量したことを表しています。

大宝排水機場保存館
大宝6-85





 「鍋田大橋北」交差点から今度は東方向に600m弱進んだ「重宝」交差点の北東側に行くと,大宝排水機場保存館があります。現存する日本最古の大型渦巻きポンプを持つ大宝排水機場[村文化]を保存・紹介するための施設です。大宝新田は元禄6年(1693年)に干拓されましたが,地震などの地盤沈下により海抜が下がったため自然排水ができず,長い間悪水被害に苦しみました。そこで明治39年(1906年)に大宝の地主である大宝陣によって,最新鋭のドイツ式ポンプ2台を使った排水設備を設けられました。この設備により重宝川から筏川に排水が行われ,米の収穫量が増加するなど大きな成果を上げたといいます。設置当時は蒸気機関を利用しましたが,のちに電動機に取り換えられ,昭和45年(1970年)まで新田の排水に活躍しました。現在のところ日本最古の大型渦巻きポンプです。平成6年(1994年)からの調査で,ポンプの学術調査が行われ,その成果が保存館にて展示されています。なお,見学の際は飛島村教育委員会生涯学習課まで連絡する必要があります。

一切経蔵
元起2-20付近



 大宝排水機場から東へ水路を左に見ながら300mほど進んで1つ目の筋を右折します。ここから150mほど進んだ突当りを左折して100mほど進むと,右手に一切経蔵[村文化]があります。文化7年(1810年)に海が埋め立てられて多くの魚介類が死んだことを哀れに思い,木村忠座衛門(現弥富市鎌島の地主)がその供養をするために建てたといわれ,通称「お経堂」と呼ばれています。堂内には黄檗版の一切経本をおさめ,蓮如上人真筆の六字名号を安置したと伝わっていますが,それらは散逸して現存していません。筏川が近くにあることから敷地を高くしてさらに角石で基礎を築いた上に建てられていたため,伊勢湾台風でも水没せずに現在まで昔ながらの貴重な建物が残っています。昭和57年(1982年)には大掛かりな修復工事も行われ,簡素な建物ながら美しく流れるような線が優美な雰囲気を醸し出しています。



 ここから一切経蔵の裏手にある元起公園を通り抜けて進んでいきます。広い敷地にきれいなトイレが完備した公園で,休憩地点としても利用できます。

長昌院
元起2-46





 元起公園をぬけて左手に200m弱進むと,左手に長昌院(曹洞宗)があります。金峰山と号し,昔飛島新田干拓の際にこの地に佐野周平,津金文左衛門,木村忠左衛門らが会所を建てたといい,工事の竣工後に佐野周平の要望によりその妻がここに住んで夫の菩提を弔い,それが明治10年(1877年)に長昌院という寺院になったといいます。境内には津金君遺愛碑[村史跡]があります。熱田奉行を務め熱田前新田や飛島新田などの開発に携わった津金文左衛門(1727〜1802)の偉業を顕彰するもので,彼の墓所のあった名古屋市中区大須の大光院の境内から墓石の代わりに移されたもので,辞世の歌ともいわれる「住やたれ霞のこのめ春ふかみ もも咲山の水上のさと」という和歌が刻まれています。

元松地蔵
元起2-72付近



 長昌院から200m強進んだ水路の手前の交差点の南西角に元松地蔵[村民俗]があります。文政6年(1823年)頃に厳しい暮らしが続く中,寺院も当時はなく,祈りをささげるために百姓惣代の金左衛門の嘆願によって設けられた地蔵菩薩で,江戸期の地蔵で由来がわかっているものとして貴重です。頭部は僧形で,ふっくらとした頬の慈悲深い温容で,救いを求める人々の願いを受け止める頼もしさが出ているといいます。



 元松地蔵のところを左折して50mほど進むと無量寺(真宗大谷派)があります。光明山と号し,飛島新田が開発されたのち村民の信仰道場として発展し,天保年間(1830〜44)に創建され,明治初年に寺院として正式に認可されたといいます。先に訪れた一切経蔵は,この無量寺の境外地にあたります。

元松神明社
元起1-119





 無量寺から200mほど北上した左手に元松神明社があります。飛島新田が開拓された享和元年(1801年)頃に設けられたと考えられる祠が,文化15年(1818年)に神社として許可されたといい,境内社として秋葉神社と水神社が設けられています。境内には津金文左衛門胤臣像[村史跡]があり,3mにも及ぶ台座の上で飛島新田を見下ろしています。飛島新田を開発した津金文左衛門の遺徳をしのぶために昭和28年(1953年)に設けられたもので,現在もこの付近では彼の功績を振り返る「津金講」が組織され,供養が行われているといいます。境内には明治33年(1900年)に建立された飛島新田墾闢(こんぺき)碑があり,飛島新田の歴史が刻まれています。



 神社の北側の水路は,とびしま夢広場として花壇や水路が整備され,憩いの場となっています。

渚神社
渚1-107-1





 元松神明社が東方向に進み,「元松神社東」交差点を越えて水路を右手にみながら約300m進みます。さらに道なりに北に200mほど進むと左手に渚神社があります。棟札によると文政元年(1818年)の創立といい,当初は神明宮といいました。祭神は天照皇大神のほかに天満宮があり,これは天保2年(1831年)に大宝(長尾)家の屋敷から移されたものといいます。境内南西側には昭和14年(1939年)に建立されたという信用組合記念碑があり,金融機関を設置するために大宝陣氏が苦心して明治41年(1908年)に信用組合を設立したことを伝えています。その他にも昭和48年(1973年)に建立された土地改良之碑や,社殿横に夜泣き石と呼ばれる石があり,中央のくぼみにたまった水を泣く子に飲ませると霊験があったといいます。



 渚神社の先の十字路を左折し,300m進んだ県道を越えた次の筋を左折した先には正念寺(真宗大谷派)があります。三郷山と号し,明治12年(1879年)に奈良県志都美村(現在の香芝市北部)に創建され,明治34年(1901年)に現在地に移されました。

ゴール:飛島バス(三重交通バス)・上用水バス停

 正念寺から県道に戻り,100mほど北上するとスタートとした飛島バス蟹江線の上用水バス停が見えてきます。ここから近鉄蟹江駅まで約15分で戻ることができます。本数は平日は1時間に1〜2本,土曜休日は1時間に1本程度の運転です。あらかじめバスの時間を調べておきましょう。


写真使用数:23

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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