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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県蟹江町:蟹江新田コースKANIE SHINDEN

2015年6月探訪。2016年11月16日作成

【コース】 距離:約8.5km
 町南部の蟹江新田を中心とした新田地帯をめぐります。新田開墾時に設けられた神社などと,水郷風景を詠んだ文学に触れることができます。

近鉄・蟹江駅〜親鸞聖人腰掛石〜アソビックスかにえ〜佛光寺〜鹿島神社〜正因寺〜舟入中部神明社〜蟹江漁協組合記念碑〜吉川英治句碑〜文学散歩道〜小酒井不木生家跡〜諦聴寺〜(新千秋)神明社〜蟹江希望の丘広場〜近鉄・富吉駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:近鉄・蟹江駅



 近鉄名古屋線の蟹江駅がスタート駅です。近鉄名古屋駅から急行または準急を利用すると,ノンストップで約9分で到着することができ,アクセスは便利です。

親鸞聖人腰掛石
宝2-482



 蟹江駅から出て,すぐ左手にある線路わきの地下道をくぐって進み,踏切のところを左折して南下します。この付近は近鉄蟹江駅南に伸びる商店街になっています。



 約300m進んだ3本目の筋を右折し,100m強先の突当りを左折すると,少し先の左手に忠霊苑があります。中には親鸞聖人腰掛石があり,これは天福元年(1233年)に親鸞が知多から蟹江に渡ってきた際に,周辺に住む漁師たちを集めて野天説法した後にこの石に腰かけて休憩したという伝説があり,信仰の対象になっているものです。野口雨情作曲の蟹江音頭にも「聖親鸞 腰掛石も 今は幾年 経たのやら」と唄われ,蟹江の人々にとって親鸞聖人が精神的支柱となっているといいます。



 腰掛石に隣接して忠魂塔があります。戦没者慰霊のために昭和17年(1942年)に建てられたもので,当時は約440柱の御霊が祀られたといいます。

佛光寺
蟹江新田上芝切230



 忠霊苑から150m強進むと「舟入一丁目」交差点で国道1号線に突き当たるので,ここを右折して600mほど酷道1号線を進み,蟹江大橋を渡ります。佐屋川を渡った先の右手にはアソビックスかにえ[公式HP(外部リンク→)]があります。ボウリング場,バッティング場,パターゴルフ場,卓球場などの施設を持つ総合アミューズメント施設になっています。



 アソビックスかにえの先の「芝切高架東」交差点を右折すると,佛光寺(西山浄土宗)があります。行者山と号し,江戸時代の末期に海東郡森山村(現あま市美和)に居住した吉野大峯山講の源右衛門の講員がこの付近に多くできるようになり,天保元年(1830年)に大峯山から役行者の分身と阿弥陀如来を勧請して設立され,当初は行者堂といいました。安政元年(1854年)地震で倒壊しましたが再建され,昭和17年(1942年)に現在の寺号に改号されました。

鹿島神社
蟹江新田鹿島185



 「芝切高架東」交差点で国道1号線を渡り,200mほど東に戻って佐屋川を渡った先を右手に進みます。そのまま300mほど進むと左手に鹿島神社が見えてきます。この付近の蟹江新田が開墾されたのが寛永13年(1636年)といい,その後の寛永18年(1641年)に常陸国鹿島神宮から勧請して創建されたといいます。鹿島神宮が勧請されたのは,海上交通で関東との関連を持っていたことがうかがえます。延宝8年(1680年)以降の12枚の棟札が残され,文化3年(1806年)の棟札によると大きな規模を持った神社だったということがわかっています。





 境内には鹿島神宮文学苑があり,蟹江の風景を描いた俳句が刻まれた碑が26基も設けられています。これは近代化で失われていく蟹江の水郷風景を後世に伝えるために,小酒井不木が設立した「ねんげ句会」の同人であった黒川巳喜氏が私財を投じて昭和43年(1968年)から18年の歳月をかけて設けたもので,蟹江の水郷風景を感じながら散策することができます。26基の俳句の内容などについては,蟹江町観光協会のホームページでも調べることができます。

舟入中部神明社
舟入3-275



 鹿島神社から200mほど進んだ県道66号線を右折し,300m強進んだ月見橋を渡った先を右折します。ここから4本目の筋を左折した先に正因寺(真宗大谷派)があります。昭和3年(1928年)に名古屋市丸田町の建昌寺本堂を移して建設されたといい,文久2年(1862年)に現在の富山県上市町にあった寺号を移したといいます。





 蟹江川沿いに戻ってさらに50mほど進むと左手に舟入中部神明社があります。舟入地区の氏神として勧請されたと考えられ,境内には樹齢400年以上の神木として信仰されているイチョウ[町天然]があります。台風の被害で枝を失ってしまいましたが,太い幹が古樹であることを想起させます。この付近の舟入地区は元々は蟹江本町村の枝郷として取り扱われ,蟹江の港に多くの船が出入りし伊勢湾漁業の中核となる場所だったことから地名がついたといいます。



 神明社から200mほど進んだ左手には蟹江町漁業協同組合記念碑があります。かつては漁業が盛んなこの地区でしたが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風以降は防波堤の建設や干拓事業により湾内の漁場を失うことになり,昭和37年(1962年)には漁業組合が解散することとなりました。過去,蟹江の漁業が繁栄したことを後世に伝えるために,この記念碑が建てられました。



 この先の右手には蟹江川の水辺スポットが広がります。蟹江川沿いに遊具や花菖蒲園,バーベキュー場などが整備され,川の自然にふれながらゆっくりとした時間を過ごすことができます。



 ここにある筋を左手前方向に200m弱進むと,左手に秋葉神社と西福寺(真宗大谷派)があります。西福寺は明治28年(1895年)に設立され,昭和14年(1939年)に船入教会となり,昭和21年(1946年)に現在の寺号に改称されました。

吉川英治句碑
蟹江新田下西野



 南に戻って,次の二ツ屋橋のところで右折して橋を渡り,続いて左折して蟹江川沿いを南下していきます。400m強進んだ突当りを右手前方向に進むと,すぐ先の左手に吉川英治句碑があります。明治25年(1892年)に現在の横浜市で生まれた吉川英治は,『宮本武蔵』『三国志』『新・水滸伝』に代表される歴史小説を数多く執筆し昭和の国民文学作家と言われています。昭和17,18年(1942,43年)頃に蟹江の地に訪れた吉川英治は,河川や水路が織り成す佐屋川周辺の景色を「東海の潮来(茨城県潮来市)」と呼んで愛したといいます。句碑は,この地で詠んだという「佐屋川の 土手もみちかし 月こよひ」の句が刻まれており,昭和39年(1964年)に有志によって建立されたものです。現在の句碑は2代目で,平成24年(2012年)に現在地の佐屋川尻に移設されました。





 句碑の先の筋を左折して佐屋川沿いに進んでいきます。この佐屋川沿いの道は文学散歩道として整備され,町民による俳句や短歌などの作品を記した板碑が建てられ,散歩しながら文学に親しむことができます。約1km続く桜並木も整備され,春には花を楽しみながら散策することができ,水郷風景と相まって写真撮影などの人々も多く訪れるといいます。

小酒井不木生家跡
蟹江新田宮ノ割38





 文学散歩道を800mほど進んで,先の県道66号線を左折し,佐屋川にかかる夜寒橋を渡って400mほど進み,西尾張中央道と交差する「新蟹江小東」交差点を越えた次の筋を右折し,100mほど先の次の筋を左折して100m強道なりに進むと,左手に成福寺(西山浄土宗)が,その先の右手には仲川原の神明社があります。神明社は江戸時代には創建されていた記録がありますが,創建はわかっていません。





 新蟹江小学校の手前の右折したところまで戻り,ここから西へ400m弱,日光川にかかる大海用橋を越えて進むと,右手に宮ノ割の神明社があります。蟹江新田が開墾されたのちに勧請された神社で,江戸後期には存在が確認されていますが,創建時期などは不詳です。



 境内には小酒井不木生家の案内板が建てられています。探偵小説の先駆けとして知られる小酒井不木は,明治23年(1890年)に当時は新蟹江村と呼ばれたこの地で,地主だった小酒井半兵衛の長男として生まれ,17歳までここで過ごしたといいます。



 神明社の参道の西側には諦聴寺(真宗大谷派)があります。昭和17年(1942年)に山田教会となり,昭和21年(1946年)に現在の寺号に改められました。

希望の丘広場
新千秋後西50



 諦聴寺から200m強進んだ右側に,新千秋の神明社があります。善太新田は万治元年(1658年)に開墾され,当初は前田新田と称していましたが,同じ郡に同名の新田があったため,読み方はそのままに善太新田と改称したといいます。この付近は明治に入って千秋村に,明治39年(1906年)に永和村になりましたが,その後昭和31年(1956年)に善太新田だった地区の一部が蟹江町と合併し,地名は新千秋となりました。





 戻って先の信号を左折すると,少し先にはみづほ園芸があります。蟹江町は花き栽培も盛んなところですが,ここでもポインセチア,アロマム,ブーレンビレアなどを東日本から西日本にかけて出荷しているといいます。お花を楽しみながら歩きましょう。



 この付近は,蟹江町内でも田園風景が広がっています。みづほ園芸から200mほど進んで広い道なりに右折した次の交差点のところには中部電力の高さ100mに及ぶ鉄塔が立っています。



 ここを左折して100mほど進むと左手に希望の丘広場があります。県立蟹江高等学校の跡地を利用して平成27年(2015年)に完成した広場で,津波避難用の地表4.5mの丘が設けられ鈴鹿・養老山系が一望できるほか,約500人が一時避難できる場所になっています。広場には無料の休憩室が設けられ,広い芝生広場もあるため子供連れでも楽しめる場所になっています。

ゴール:近鉄・富吉駅



 希望の丘広場の前の筋を右折して400m北上し,国道1号線に突き当たったら左折して200mほど進んだ「富吉駅南」交差点を右折すると,100m弱で近鉄名古屋線の富吉駅の南口に到着します。準急・普通が停車し,近鉄名古屋駅まで準急で約12分,普通で約20分です。普通列車の場合は,蟹江駅で急行に乗り換えるといいでしょう。


写真使用数:30

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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