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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県蟹江町:須成・西之森コースSUNARI & NISHINOMORI

2015年6月探訪。2016年11月14日作成

【コース】 距離:約8.9km
 町北部に位置する須成,西之森地区をめぐります。史跡が多い須成地区の寺社をめぐり,西之森の田園・水郷風景も楽しむことができます。

JR・蟹江駅〜善敬寺〜山田酒造〜信長街道〜冨吉建速神社・八剱社〜龍照院〜佐野七五三之助墓所〜御葭橋〜八幡社〜松秀寺〜保健センター〜北新田神明社〜フラワーガーデン戸谷〜西之森神社〜蓮行寺〜JR・永和駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:JR・蟹江駅





 今回のスタートはJR関西線の蟹江駅です。名古屋駅から関西線の普通列車を利用して3駅約15分です。本数は30分に1本程度の運転ですので,時刻を調べて利用しましょう。近鉄にも蟹江駅がありますが,JRの駅とは離れており,今回のコースではJRの蟹江駅が便利です。蟹江駅は明治28年(1895年)に関西鉄道が開業した時からの歴史を持ち,かつては名古屋大阪間を国鉄と競争していたといいます。



 駅の南側の広場には,昔ながらの社があり,庶民信仰を感じさせる雰囲気です。

善敬寺
須成下ノ割南1225





 蟹江駅を出て右手に道なりに100mほど進み,次の筋を右折して線路沿いに200m弱進みます。突当りを右折して踏切を渡り,次の分岐を左に進んでさらに次の筋を左に入って道なりに300mほど進むと蟹江川に突き当たります。ここを右に進んで次の分岐を右に進むと,善敬寺(真宗大谷派)があります。江閣山と号するといい,野寺村(現,安城市)の本証寺の末寺といい,天文10年(1541年)に僧了祐が真宗に帰依して創建されたといい,慶安4年(1651年)に没したという慶祐が中興したといいます。



 境内には明治の金融界の風雲児と言われ,東京証券取引所の設立にも尽力したという神田(金雷)蔵(らいぞう)の家系碑があり,渋沢栄一の筆といいます。倉庫,土地,保険などの多角的な経営を行い,流出を防ぐために神田(金雷)蔵コレクションと呼ばれる浮世絵コレクションを設けたことでも知られます。しかし,昭和2年(1927年)の金融恐慌で破産し,自身は昭和9年(1934年)に63歳でなくなりました。

山田酒造
須成下ノ割南1245 [公式HP(外部リンク→)]





 善敬寺から100m弱進んだ2本目の筋を左折すると,山田酒造があります。明治4年(1871年)に創業し,当初は「大江山」「最愛」などのブランドでお酒を製造していましたが,休業後の昭和30年(1955年)からは現在の「醉泉」のブランドで酒の製造・販売を行っています。この付近は木曽川や庄内川の分流があって酒造りに適した伏流水があり,蟹江川などの水運も発達していたため,明治期は稲作とともに酒づくりが発達し,川筋には十数軒もの造り酒屋があったといいます。多くの蔵も立ち並んでいましたが,現在はこの山田酒造と,ここの下流にある甘強酒造のみとなってしまいました。

信長街道





 山田酒造から左折する前に戻って再び北上していきます。この北上していく道は信長街道と呼ばれ,信長が19歳のときに清洲城を攻め込むために通った道と伝わっており,ここから七宝町,大治町西條,甚目寺を通って清洲に伸びていたといいます。蟹江城に通じる道であったことから,多くの武士・足軽が行き交ったというロマンあふれる道で,現在も街道の趣が感じられる場所になっています。100m強進んだ途中には御嶽神社があります。

冨吉建速(とみよしたけはや)神社・八剱社(須成神社)
須成門屋敷上1363



 信長街道をさらに300mほど進んだ5本目の県道139号線との交差点を左折して100mほど進むと右手に冨吉建速神社・八剱社(通称,須成神社とも)があります。社伝によると奈良時代の天平5年(733年)に行基によって創建されたという古社で,寿永元年(1182年)に木曽義仲が平家追討を祈願して再興され,天文17年(1548年)に織田信長によって修理されたといいます。江戸時代は牛頭天王社といい,地域の名前をとって須成神社ともいい,これは木曽川などによって運ばれた砂が堆積した場所を表す砂成が転じて須成という地名になったといいます。



 入った先の拝殿内には,右側に冨吉建速神社本殿,左側に八剱社本殿[ともに国重文]が並び,ともに室町時代後期の建築といいます。冨吉建速神社本殿は一間社流造の檜皮葺,八剱社本殿は三間社流見世棚造という貴重な様式で,蟇股は桃山時代への推移を示すものとして稀有な例になっています。棟札[町文化]も多数保存され,神社の歴史や尾張藩との関係などを示す資料になっています。他にも慶長17年(1612年)の銘のある鋳鉄造釣灯籠,江戸初期作という高さ11mの石造狛犬,慶長18年(1613年)銘の神前鏡,明和6年(1769年)銘の宮大工の技術がしのばれる木造狛犬,須成祭で用いる山車人形,民間信仰があらわれている彩色陶製狛犬[いずれも町文化]などの社宝があります。



 毎年6月から10月にかけて行われる例祭の須成祭[国民俗]は船も出る川祭として知られ,かつて信長や秀吉がこの地に訪れた際に祭りを後世に残すように命じたとされる伝統を誇ります。本祭りである朝祭の14日前には祭舟に乗船する役者衆が決定する稚児定めが行われ,7日前には蟹江川を下ってご神体の葭(よし)を刈る葭刈が行われます。毎年8月第1土曜日に行われる宵祭では,宿囃子が演奏されたあと蟹江川を下る巻藁船に役者衆が乗り,提灯を灯しながら下流の飾橋を出発し,幻想的な風景を醸し出します。翌日の朝祭では,船に乗車して神社に参拝し,天王囃子が奉納されます。朝祭の77日後の棚下しまで約100日間行事が続くため,別名「100日祭」とも呼ばれています。(写真は2016年8月7日撮影のもの)

龍照院
須成門屋敷上1364



 冨吉建速神社・八剱社に隣接して龍照院(真言宗智山派)があります。正式には蟹江山常楽寺龍照院といい,同様に天平5年(733年)に常楽寺が行基によって創建,寿永元年(1182年)に木曽義仲が伽藍を整備したといい,当時は18坊を数える大寺院だったといいます。安貞年間(1227〜29)に明恵上人により再興されますが,天正12年(1583年)の蟹江合戦の兵火で17坊が焼失し,龍照院と本堂のみが残りました。その後,明治24年(1891年)の濃尾地震でも被害にあい,再建されています。





 庫裡の奥の墓地には樹齢400年に及ぶイチョウ[町天然]があり,豊臣秀吉の御手植えのイチョウといいます。枝は乳が垂れたようになっていて,銀杏の実を食べると母乳の出がよくなって信仰の対象になっています。本尊の十一面観世音菩薩立像[国重文]は高さ173cmの桧の一木造りで,昭和8年(1933年)の修理の際に見つかった胎内の墨書銘から寿永元年(1182年)に造られたことが知られます。穏やかな刀法で優しい印象をもつ藤原時代の典型的な像として貴重で,毎月18日には公開されています。





 他にも巴御前が木曽義仲亡き後,弔うために奉納したと伝わる木造大日如来坐像[町文化],本寺である蟹江山常楽寺と明応9年(1500年)の銘がある鰐口[町文化]などの寺宝があります。庫裡庭園前には,力比べをした際に用いたという重さ100kg近い力石が残されています。



 龍照院の右側の道を進み,突当りを右折して続く筋を左折した先には,東お宮と呼ばれる神明社があります。須成市場,門屋敷の人々が伊勢神宮を勧請したもので,江戸初期からその名前が見え,祭神は国常立尊です。



 なお,ここから700mほど東には市神社があります。市場の神様として,宝永4年(1707年)に創建されたといい,当時は六斎市が開催されていたといいます。

佐野七五三之助墓所
須成川西上349付近



 冨吉建速神社・八剱社の前から西に少し進むと,蟹江川を渡る天王橋があります。かつて神社が冨吉天王社と呼ばれたことからこの名があり,須成祭の際は船の終点となり,江戸時代には佐屋代官が橋の上を警護したといいます。橋の欄干の擬宝珠は歴史あるものといいます。



 天王橋を渡ってすぐ右折してさらに次の筋を左折し,2本目の筋を右折すると先に佐野七五三之助(しめのすけ)墓所があります。佐野七五三之助は,天保7年(1836年)に須成村に神職の嫡子として生まれ,嘉永3年(1850年)に父が亡くなると18歳で尊王攘夷を志し,佐野七五三之助と名を改めて江戸に向かいました。元治元年(1864年)に新選組に入隊して京都で活動しましたが,慶応3年(1867年)に新選組隊員の幕臣取り立てに抗議した末に,仲間3人で自刃しました。遺体を運ぼうとした際にも,生き返って切りかかったという伝説も残されています。京都光縁寺に埋葬されましたが,明治2年(1869年)に死が伝えられてこの墓碑が建てられ,現在は家族とともに眠っています。案内板にも辞世の句も書かれています。



 墓所の先の突当りを右折し,次の筋を左折して100mほど進んだ突当りを右折すると50mほど先に西お宮と呼ばれる神明社があります。祭神は天照大神で,江戸初期にこの川西上,川西下地区の人々が伊勢神宮を勧請したものになります。



 戻って東に200mほど進むと蟹江川に突当り,ここを右折して50m強進むと左手に赤い御葭橋があります。須成祭の巻藁船や車楽船が通るときのみ上に跳ね上がる珍しい巻き上げ橋になります。



 さらに300mほど蟹江川沿いに進むと飾橋があります。須成祭の際はここから役者衆が祭船に乗って天王橋に向かいます。祭船を飾ったことから飾橋と名づけられたといわれています。

松秀寺
須成西7-66-1





 飾橋のところを右折して,さらにすぐ左折し,約200m進んだ最初の左に入る筋を進んで道なりに右に曲がって進むと,200mほどで八幡社があります。須成村の西地区の氏神として祀られ,海の神様として知られる応神天皇が祭神になっています。





 八幡社から少し進むと松秀寺(曹洞宗)があります。八幡(やはた)山と号し,七宝町桂の広済寺の末寺で,天文23年(1554年)に広済寺4世の春暁の創建といいます。天正12年(1584年)の蟹江合戦で焼失し,その後暴風雨や地震などで移転を繰り返しましたが,平成15年(2003年)に約430年ぶりに草創の地である現在地に移されました。蟹江では唯一の禅宗寺院で,本尊は聖観世音菩薩像です。

北新田神明社
北新田1-53



 松秀寺から500mほど進むと,西尾張中央道に突き当たります。道路下の歩行者道を進んでから右折して北上します。途中には丸信製粉の大きな工場が見えてきます。現在はプレジィールというブランドで洋菓子の製造も行っているといいます。



 丸信製粉の先の筋を左折し,150mほど進んだ3つ目の筋を右折すると,少し先に蟹江町の保健センターがあります。



 さらにそのまま700mほど北上すると,突当りに北新田の公民館があり,その横に朽ち果てた明治26年(1893年)建立という地蔵堂と,聖徳太子塚があります。この地区出身の戸谷氏によって設けられたといいます。



 ここを右折して100mほど進むと左手に北新田の神明社が見えてきます。創建は不詳ですが江戸期にはその存在が確認されています。新田が設けられた際に,伊勢神宮から勧請したものと考えられます。この付近は蟹江町でも田園地帯が広がる地域で,のんびりと田んぼが広がる中のウォーキングを楽しめます。

フラワーガーデン戸谷
西之森3-1 [公式HP(外部リンク→)]





 戻って公民館から300mほど進んで,広い道に突き当たったら左折して500mほど進むと右手にフラワーガーデン戸谷があります。昭和39年(1964年)に鉢花生産を始め,季節に応じた様々な鉢花を栽培しています。直売所も設けられており,外からでも農場の様子がわかるようにもなっています。ウォーキングの休憩スポットとしてもよい場所です。



 先にある「上川田」交差点に進んで,左折して高速道路をくぐって200mほど進むと,左手に秋葉神社があります。



 さらに進んだ先には,西之森地区や蟹江町の発展に寄与したという戸谷静雄氏の銅像が立てられています

西之森神社
西之森1-121



 銅像からさらに100mほど進んだ信号のある交差点の右側に西之森神社があります。創建は不詳ですが,西之森にかつて江戸期は八剱社と稲荷があり,それがこの神社に当たるといい,西之森の北部の中心的な神社です。西之森の地名は,蟹江町の西,あるいは須成神社の西の地域で,森が広がっていたころからこの名前がついたといいます。

蓮行寺
西之森1-107





 西之森神社の南側に回って,さらに少し南下すると右手に蓮行寺(真宗本願寺派)があります。慶長2年(1597年)に創建し,当初は順正寺という真宗大谷派の寺院でしたが,寛文8年(1668年)に本願寺派になり,現在の寺号を賜ったといいますが諸説あり,さらに以前の光林房という寺院から起源を求めるものもあります。西之森地区に多くの檀家を持っていたといいます。



 さらに南下して次の筋を西に150mほど進んだところには戸谷徳一氏顕彰碑があります。尾張万歳から派生して生まれたという伊六万歳の役員を務めたという人物です。



 蓮行寺から南下して100mほど進んだ突当りを右折し,そのまま200mほど進んで佐屋川の橋を渡った先を左折します。さらに先の突当りを右折し,その先の突当りを左折すると,JR関西線の線路をくぐって進む道になります。この佐屋川や日光川を渡る橋梁は,明治26年(1895年)に関西線が開通当初からのものといい,昔ながらの風情が残る絶好の眺望スポットになります。



 橋を渡った先には,佐屋川を利用した釣り堀である佐屋川西之森寄せ場があります。水郷の街らしい風景となっており,貸し釣り竿もあることから,子どもの姿を見かけることもあるようです。

ゴール:JR・永和駅



 釣り堀の先にある県道28号線を右折して,そのまま日光川を渡る観音寺橋を渡り,愛西市に入ります。そのまま500mほど進んだ「大野」交差点を右折し,さらに次の筋を右折した先にJR関西線の永和駅があります。JR関西線を利用して,名古屋駅まで20分ほどで戻ることができます。普通列車のみの停車で,本数は30分に1本程度となっていますので,電車の時刻には注意しましょう。


写真使用数:44

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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