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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:千代田コースCHIYODA

2018年6月探訪。2018年6月15日作成

【コース】 距離:約12.0km
 市南部の千代田地区をめぐります。広大な田園地帯に点在する昔ながらの農村をめぐり,多様な自然や文化を感じる社寺をめぐっていきます。

≪コース≫ 千代田市民センター〜徳円寺〜(福島)神明社〜長暦寺〜常楽寺〜崇願寺〜千代神社〜妙福寺〜教円寺〜阿弥陀寺〜(南麻績)八剣社〜善福寺〜浄賢寺〜裳咋神社〜恩楽寺〜(坂田)日吉社〜栄楽寺〜覚応寺〜千代田市民センター


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:稲沢市コミュニティバス・千代田市民センターバス停



 スタート地点の千代田市民センターへは,稲沢市のコミュニティバスの千代田線を利用していきます。本数は非常に少なく,名鉄国府宮駅からは1日5本,名鉄津島線の勝幡駅から1日6本しかありませんので,時刻をあらかじめ確認してから利用するようにしましょう。なお休日は運休となります。徒歩で向かう場合は,名鉄バスの矢合観音バス停から約2.5kmで徒歩30分ほど,名鉄津島線の青塚駅から3km強で徒歩約40分となります。
 千代田市民センターは公民館なども併設され,学校やプールなども集まるこの地域の中心的な場所ですが,この付近も田園地帯が広がっています。

徳円寺
福島町屋敷41





 千代田市民センターの北側の筋を千代田小・中学校を左手に見ながら東へ進み,200mほど先の突当りを右折すると左手に徳円寺(真宗大谷派)があります。七島山と号し,寛保2年(1742年)の創建といい,かつては蟹江町にあったのを秀善が中興して現在地に移したといいます。寺宝として天正10年(1582年)に大谷本願寺の教如から賜ったという絹本著色證如上人像[市文化]があり,市内最古の證如上人像として貴重といいます。證如上人(1516〜1554)は10歳で本願寺の第10世宗主となり,混乱の時代の中活躍したといいます。天文元年(1532年)に山科本願寺を追われて,大坂本願寺を立てたといいます。

(福島)神明社
福島町屋敷61





 徳円寺から北に戻って,続く筋を右折して東150mほど進むと(福島)神明社があります。創建は不詳ですが天正年間(1573〜93)以前の創建といい,慶安5年(1652年)再建の棟札が残ります。境内には2樹のモッコク[市天然]があり,南側のものは樹高約9.8m,北側のものは樹高約14.6mに及ぶ立派なものです。秋になると赤色の果実が熟すといいます。かつては境内に樹齢350年におよぶ老松があったものの,枯死してしまったといいます。



 神明社の先の筋を左折して100mほど進むと「尾張水道みち」に突き当たるのでここを左折します。木曽川から名古屋市へ水を運ぶために設けられた水道管の上に設けられた遊歩道になっています。

長暦寺
福島町比舎田52





 神明社から尾張水道みちに入って200mほど進んだ2つ目の自動車屋がある筋を左折し西に150mほど進むと右手に長暦寺(真言宗智山派)があります。前野山と号し,天平年間(729年頃)に尾張国分寺が設けられた際に周囲に設けられた四楽寺のうちの1つの長楽寺がその前身といいます。往時は塔頭7か寺が建立され,東西2.5km,南北1.4kmに及ぶ境内を誇ったといいますが,その後衰微します。永正10年(1513年)に真長阿闍梨が中興開山となって再建され,長暦寺と改められたといいます。本尊として安置されている木像阿弥陀如来坐像[県文化]はヒノキの寄木造で鎌倉時代末の作品といい,永正14年(1517年)と天文23年(1554年)の墨書銘が残ります。両脇には同時期の作品と考えられる不動明王と毘沙門天も祀られています。同じく鎌倉末〜南北朝期の作品と考えられる木造大日如来坐像[県文化]は高さ11.5cmの小さい像で,カヤの一木造で檀像形式と言われる貴重なものといいます。

常楽寺
堀之内町西郷849







 長暦寺の先の筋を右折し,先の突当りを左折してさらに右折し,400mほど北上した左手に常楽寺(真宗大谷派)があります。松東山と号し,創建は不詳ですが元々は矢合国分寺の隠居寺だったといい,僧宗満が慶長8年(1603年)に本願寺の教如上人から絵像本尊と寺号の常楽寺を賜ったといいます。東側の公園には観音やお地蔵様をまつるお堂が設けられて,昔ながらの雰囲気が伝わります。



 常楽寺の正面に続く東へ進む筋を150mほど進み,突当りを左折して100mほど進むと右手に(堀之内)八幡社があります。堀之内の地名は,国分寺が建立された際に設けられた堀から来ているといい,この神社は元々国分寺の鎮守として設けられたものが,その後堀之内の産土神になったといいます。大正12年(1923年)に近くの須佐之男社を合祀したといいます。

崇願寺
千代町社宮地109





 (堀之内)八幡社の先を右折して200mほど進んだ「堀之内町」交差点を横断歩道を渡ってから右折し,200mほど進んだ次の筋を左に入ったところに(千代)白山社があります。





 白山社から道なりに200mほど東へ進んで,突当りを右折すると崇願寺(真宗高田派)があります。大沢山と号し,宝治2年(1248年)に誓閑大法師による創建といいます。元々福島町にありましたが天和年中(1681年頃)に現在地に移り,幾度かの変遷があって現在に至るといいます。南側に隣接して(千代)八幡社があります。

千代神社
千代町社宮地109



 崇願寺から300mほど南下すると右手に稲沢陸上競技場の北東側の門があります。





 ここにあるT字路を左折して100m強進んだ左手には千代神社があります。尾張国神名帳にも正一位の神社として掲載されているという由緒ある神社で,かつてこの付近にあったという伊勢神宮領の千与氏御薗に関連する神社とも考えられます。祭神はこの地に鎮座するという土地の神といい,旧郷社に当たる神社です。

妙福寺
千代町東郷37 [公式HP(外部リンク→)]





 千代神社の入口からさらに東へ進み,突当りを左折して続く筋を右折し,その先の突当りを左折した先に妙福寺(日蓮宗)があります。延寿山と号し,桃山時代に日基上人により開基され450年余りの歴史を有するといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震で被害を受けましたがその後再建され,平成26年(2014年)に現在の新本堂が完成したといいます。

教円寺
附島町屋敷57





 千代神社から東に進んで突き当たった地点に戻り,さらに300mほど南下した千代田郵便局の先を右に入ったところに(附島)八幡社があります。





 八幡社から南に進んだところに教円寺(真宗大谷派)があります。慶長9年(1604年)に稲沢市木全に建立されたといい、創立者の慶宗は徳川家康のお供をしたもので関ケ原出陣の際に教如上人に帰依したといいます。享保11年(1726年)に現在地に土地などを寄附されて移転したといいます。



 教円寺の北側の筋に戻って左折して西に進んで100mほど先の十字路を左折し,100mほど先の県道に突き当たったら道を渡って尾張水道みちの右側の筋を南下します。150mほど進んだ水路の手前を左に入ったところには(牛踏)神明社があります。

阿弥陀寺
北麻績町祢宜田2



 (牛踏)神明社から西側の筋をさらに200mほど南下して田園地帯を進んでいきます。





 4本目の筋を右折して,200m強進むと右手に(北麻績)神明社があります。元和2年(1616年)の棟札があるといいます。この付近からは伊勢神宮に麻を奉っていたといい,麻績という地名との関連もうかがえます。





 神明社に隣接して阿弥陀寺(高野山真言宗)があります。真言宗の八事山興正寺の末庵で,元和2年(1616年)に長暦寺(福島町)の僧の良秀阿闍梨の開基といいます。明治24年(1891年)の濃尾地震で堂宇が被害を受けますが翌年に再建され,昭和17年(1942年)に寺号を阿弥陀堂から阿弥陀寺に改称したといいます。

(南麻績)八剣社
南麻績町郷内159





 阿弥陀寺から600m強南方向に進んで,南麻績町の集落に入ってから最初の十字路を左折すると,少し先に(南麻績)八剣社があります。創建・由緒などは不詳ですが,片原一色より遷座したと伝わっています。境内には樹高12.5mのシイノキ[市天然]がそびえています。この付近が住宅や田園開発される前は一面のシイ林に覆われていたといい,その名残になっている木だといいます。



 八剣社の東に隣接して真福寺(浄土宗鎮西派)があります。元久2年(1205年)の再興といい,本尊の阿弥陀如来坐像は天暦9年(955年)の恵心僧都の作と伝わります。明治24年(1891年)の濃尾地震で堂宇が倒壊しましたが再興されたといいます。

善福寺(南麻績町)
南麻績町郷内17





 真福寺からさらに東に進むと善福寺(真宗高田派)があります。天久山と号し,かつては東溝口および西溝口地区やあま市中橋の付近まで境内だったといい,中橋はそこに寺院の大きな橋があったこと,東溝口および西溝口には境界となる溝があったことから地名がついたといいます。織田信長がこの地にやってきて軍用金の拠出を命じたが,出さなかったために寺が焼かれてしまったと言い伝えられています。山門を入ったところには樹齢500年と言われるイブキ[市天然]の老樹がそびえています。寺が火災にあった際に本尊の阿弥陀如来がこの木に避難されと伝わります。この阿弥陀如来は源信和尚作と伝わります。



 善福寺から西に戻って,200mほど進んだ2本目の筋を北上したところに(南麻績)天神社があります。
 なお,ここから南に300mほど行ったあま市との境界付近には富士社があります。また,北東700mほどの込野町には,蓮華寺(あま市)の末寺で応永25年(1418年)創建という開連寺(真言宗智山派)があります。

浄賢寺
目比町土井1419





 善福寺から西に進んだ道に戻り,右折して200mほど西に進み「南麻績町」交差点を渡ります。さらに600mほど田園地帯を抜け,目比川を渡った先の筋を左折して続く筋を右折し,100m強進んで左折した先に浄賢寺(真宗大谷派)があります。摩尼宝山と号し,上皇を警護する北面の武士である友松清十郎信隆が開基したといい,応仁年間(1467年頃)に教化を受けて後に浄賢寺の寺号を授かったといいます。永正元年(1504年)に一族を引き連れて石山合戦に赴いたといいます。



 浄賢寺の道をはさんで西側には八龍社があります。創建は不詳ですが慶長18年(1613年)以降の棟札が残されていたといいます。

裳咋神社
目比町天神東1244



 浄賢寺から北方向に進んで200mほどの右手の屋敷の隅には樹高14.6mの立派なイチイガシ[市天然]があります。ブナ科の常緑高木で良い樹勢を誇っています。





 イチイガシから100mほど北上すると右手に裳咋神社があります。古くは天慶元年(938年)の記録にも記載があり,同年代の棟札も残されています。延喜式神名帳にも記載があり,尾張志によると裳咋臣得麿の創建と伝え彼らの先祖を祀ったものといいます。江戸時代には南の安養寺の境内に移されて八龍権現とよばれ,この地は天神森と呼ばれましたが,江戸末期に津田正生によって再興されたといいます。天保11年(1840年)に境内の樫の木の大樹が倒れたために伐採しようとしたが,一夜で元に戻ったために神木としてあがめられたといいます。

恩楽寺
坂田町屋敷53-1





 裳咋神社の先のT字路を左折し,続く筋を左側の筋に入って直進し西に600mほど進みます。止まれ標識を越えた先の十字路を左折し,100m強先の突当りを右折した先に恩楽寺(真宗大谷派)があります。天正年間(1573〜93),織田信雄の家臣陸田市左衛門がこの地を支配し,戦功があがらず去ることになり,その後,その長子が僧となって教如上人に帰依してこの地に居住し,国分寺の周囲にあったという四楽寺の1つを再興する形でこの寺を設けたといいます。

(坂田)日吉社
坂田町宮浦86





 恩楽寺の前から北側の筋に出て左折し,100m弱先の突当りを左折し続く筋を右折し50mほど進むと右手に(坂田)日吉社があります。尾張名所図会によると平安時代の延喜式に記載されている坂手神社がこの神社に当たるといいます。宝暦年間(1751〜64)には大明神・山王・貴船の3社があり,その後山王と貴船社が現在地に移されたといい,現在も貴船社を末社に持ちます。大明神は南隣の氷室地区に移されたと伝わり,南南東600mほどのところには現在も貴船社という神社が祀られています。なお,同じく氷室地区には清水山と号する浄福寺(真宗大谷派)があります。

栄楽寺
坂田町宮浦90





 日吉社の境内から東に出たところに栄楽寺(浄土宗鎮西派)があります。往時の沿革は不詳ですが,寛文年間(1661年頃)の建立で阿弥陀仏を本尊とし,安産の地蔵として厚く信仰された地蔵菩薩を安置していたといいます。元禄年間(1688年頃)に村の富豪だった庄屋五右衛門が田畑を寄附して堂宇を建立し,慶応2年(1866年)に栄瑞尼によって堂宇と庫裡が設けられたといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊しますが,住民などの寄付を得て再建されたといいます。



 栄楽寺から200mほど北上して広い筋に出たら右折し,150mほど進んだ2本目の筋を左折して100mほど進むと右手に西春日社があります。





 また西春日社から300mほど北上すると左手に善福寺(真宗大谷派)があります。

成願寺
西溝口町北郷15



 善福寺から100mほど北上した突当りを右折し,200mほど進んだ次の十字路を左折します。100mほど先の分岐を左に進んだ先には(西溝口)八幡社があります。創建は不詳ですが元禄14年(1701年)の棟札が残るといいます。



 八幡社から右側の筋に出て北上し,先の「西溝口」交差点を横断歩道を渡ってから右折して200m弱進むと成願寺(真宗高田派)があります。開山は高田顕智坊上人といいますが,寺の歴史などは不詳といいます。





 成願寺の先の筋を右折して150m弱進むと右手に(西溝口)熱田社があります。こちらも由緒などは不詳といいます。

覚応寺
野崎町本郷64-1



 熱田社のところを右折して東方向に進んでいくと200mほど先に十二社があります。由緒は不詳ですが,12柱の祭神が祀られていることから社名になっているといいます。





 十二社からさらに東に進んで突当りを左折し,続く筋を右折して続く分岐を左に道なりに進むと,右手に立派な門が特徴の覚応寺(真宗大谷派)があります。延宝5年(1677年)に南朝の重臣結城宗弘の末裔が牛踏町に一宇を建立し,元禄2年(1689年)に現在地に移転したといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震のため全壊しましたが,明治29年に再建されて現在に至るといいます。

ゴール:稲沢市コミュニティバス・千代田市民センターバス停



 覚応寺から200mほど進んで市営千代田プールに突き当たったら左折します。その先の突当りを右折して150mほど先の千代田中学校の前を右折するとスタートした千代田市民センターに戻ってきます。稲沢市コミュニティバスで戻ることになりますが,名鉄国府宮駅および名鉄勝幡駅までバスは1日6本となりますので,時刻に注意して利用しましょう。また休日は運休となります。徒歩で戻る場合は,名鉄バスの矢合観音バス停まで約2.5km,徒歩30分。名鉄青塚駅まで3km強,徒歩約40分です。




写真使用数:60

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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