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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:明治北コースMEIJI NORTH

2018年3月探訪。2018年5月31日作成

【コース】 距離:約10.0km
 市中央部,アピタタウン稲沢から明治地区北部をめぐります。新幹線と田園風景,尾張水道みちや社寺など,ゆっくりとした雰囲気を楽しめます。

≪コース≫ 名鉄バス・アピタ稲沢店バス停〜アピタタウン稲沢〜徳正寺〜大願寺〜(天池)天神社〜八剣社〜宝林寺〜法閑寺〜恵日寺〜神明社〜光円寺〜(西島)天神社〜一色城址〜善勝寺〜通明寺〜明蔵寺〜浅井神社〜名鉄バス・アピタ稲沢店バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・アピタ稲沢店バス停



 スタートとなるのは名鉄バス(稲沢市コミュニティバス)のアピタ稲沢店バス停です。名鉄国府宮駅から約16分で来ることができます。本数は1時間に1本程度なので時刻に注意して利用しましょう。JR稲沢駅からの便もありますが,本数はさらに少なくなります。

アピタタウン稲沢
天池五反田町1 [公式HP(外部リンク→)]







 バス停の南側にはアピタタウン稲沢の巨大なショッピングセンターが広がっています。平成8年(1996年)にアピタ稲沢店として開業し,その後大規模な増床を実施して平成12年(2000年)に現在の姿に生まれ変わりました。アピタ稲沢店を中心に101の専門店からなる本格的なショッピングモールで,映画館などの娯楽施設や飲食店も併設されてじっくりと楽しむことができる施設です。店舗に隣接して,アピタを経営するユニーグループの本社が併設されており,この地区のアピタの基幹店の立場になっていると考えられています。ユニーは、衣料系スーパーの「ほていや」と「西川屋」などを前身としており,現在は中部地方を中心に数多くのショッピングモールやスーパーを展開しています。平成5年(1993年)に名古屋市から現在地に本社が移転してユニーの中心となっています。平成29年(2017年)にはドン・キホーテと資本提携を結ぶなど話題になっています。

徳正寺
天池東町56





 アピタタウン稲沢の北東側の十字路から水路沿いを300m北上し,4本目の筋を左折したところに(天池)八幡社があります。文永5年(1268年)に創建されたと伝わり,天池地区の総氏神というこの地域の中心の神社です。境内に神明社が奉祀され,これはこの地域の多くの村で神明社が祀られた際に設けられたものといいます。





 八幡社から200m弱進んだ3本目の筋を左折し,続く突当りを右折して,さらに次の筋を右折した先に徳正寺(真宗大谷派)があります。野田山と号し,元々は天台宗の寺院として古い歴史を持つといいます。文永元年(1264年)にこの地域にて浄土真宗が盛んになった際に改宗し,大野(現,一宮市)光明寺の末寺になったといいます。創建時からのものとも考えられる古くからの聖徳太子像が安置されており,天池のお太子といって多くの善男善女が参詣に訪れるといいます。

大願寺
天池西町62



 徳正寺から南下して突当りを右折し,100mほど道なりに進んだ2つ目のT字路の交差点を左折し,続いて右折,左折,左折と進むと大願寺(真言宗智山派)があります。天白山と号し,天平年間(729年頃),行基がこの地を訪れて自ら薬師如来を彫刻し,堂宇を建立したと伝わります。その後荒廃しますが,永禄年間(1558〜70)頃に良宥僧都によって伽藍が建てられ,如来をこの地に移したといいます。この地で多くの寺が改宗される中,真言宗を持続する寺院といいます。

(天池)天神社
天池西町67



 大願寺の正面から南下して,突当りを左折した先に(天池)天神社があります。言い伝えではこの南にある浅井天神が荒廃した際に移して祀られた神社といいます。祭神は菅原道真ですが,これは近世になってからで,それまではこの地を支配した尾張氏や野見氏の祖が祀られていたと考えられています。境内には鎮守社があり,これは村内から大願寺に移され,さらに本社の末社として移されたものといます。

八剣社
竹腰中町60



 (天池)天神社から西に100m弱戻り,2本目の筋を左折して、続く筋を右折します。田園地帯の奥に新幹線の線路が横切る雄大な景色を楽しめます。





 300mほど進んで新幹線の線路をくぐった先の右手に八剣社があります。創建は室町初期と考えられ,伝承によると竹腰は当初,櫛田・平松・沢田・杉山の4氏が一団で美濃から水運に恵まれた移り住み,別の場所に八剣社,白山社,八幡社,熊野社が設けられたといいます。それぞれ氏神として祀られていましたが,大正7年(1918年)に3社が八剣社に合併されました。その後,昭和39年(1964年)の東海道新幹線の開通で境内地が分断され,社務所は新幹線の高架をはさんだ反対側に設けられています。
 神社の北西、竹腰西町の北の付近にはかつて竹腰城が設けられていました。関ヶ原の戦いにて福島正則に従って戦功を挙げた祖父江大膳信勝がこの地を与えられ,慶長10年(1605年)頃に築城したといいます。しかし慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の際に大坂方に通じた疑いによりお家断絶となり、その後廃城になりました。一町(約110m)四方の規模といい、礎石なども出土して市内でも保存状態のよい城跡といいます。

宝林寺
清水町鎮守836





 八剣社から100mほど進んだ突当りを右折し、続く筋を左折して道なりに西に250mほど進むと右手に宝林寺(浄土宗鎮西派)があります。清水山と号し,1000年余り経過したと伝わる地蔵尊の木像を有することから,かつては天台宗または真言宗に属した古い寺と考えられています。元禄12年(1699年)以後の記録のみが保存され,開基などの詳細はわからないといいます。





 宝林寺の先の十字路を右折して200mほど進むと(清水町)天神社があります。土御門天皇の頃(1492年頃)の創建といいますが,詳しくはわかっていません。標札は清水神社になっています。

法閑寺
横野町東郷764-1





 (清水町)天神社から北上して次の筋を左折し,100mほど先の「清水」交差点を横断歩道を渡ってから左折します。100mほど進んだ2本目の筋を右折し,300mほど進んだ突当りを右折した先に法閑寺(真宗大谷派)があります。国泰山と号し,往古は天台宗でしたが延宝年中(1673年頃)に西運が濃尾地方の勧化に訪れた親鸞の弟子によって真宗に帰依したといい、誓伝のときに真如上人から寺号と阿弥陀如来を賜ったといいます。寺宝に絹本著色教如上人像と教如上人消息[市文化]があります。前者は慶長10年(1605年)の作といい、後者は天正8年(1580年)のものと推定されています。消息は織田信長と抗戦を続けている最中に書かれたものといい,教如とこの地方の関係を知るうえで貴重な史料といいます。





 法閑寺の入り口から南に戻り、2本目の突当りの筋を右折して200m弱進み,県道に突き当たって左折した先には(横野町)神明社があります。大正時代に八剣社と熊野神社が合祀されて現在の姿になったといいます。

恵日寺
西島1-52







 (横野町)神明社から500mほど南下して信号のある交差点を右折し,200mほど進んだ2本目の筋を左折して100mほど進むと右手に恵日寺(曹洞宗)があります。霊鳥山と号し,創建は永享年間(1429〜41),文安元年(1444年),明応9年(1500年)と諸説あります。祖父江五郎左衛門による開基といい,元々は正眼寺(現、小牧市)の天聖和尚の隠居所といい有名な梅があったといいます。元文年間(1736年頃)に少し南東から現在地に移されました。境内には運慶作とも伝える腹こもりの薬師という薬師如来があり,明応9年(1500年)の再建,安永8年(1779年)に再興されたといいます。これはこの地を訪れた老僧が二寸(約6cm)の如来を寺に託したものの、あまりに小さいことから拝みづらいので、檀徒が大きな仏像を彫刻して小さな如来を胸の中におさめたことから名がついたと伝わっています。





 恵日寺から100mほど進み,続く筋を右折して100m弱進んだ右手には(西島)神明社があります。その奥には西島農村公園があります。



 (西島)神明社からは南東に伸びる「尾張水道みち」を南東に向かって進みます。この道は一宮市の木曽川から取水する朝日取水場から大治町の大治浄水場まで,約15kmの直線状に名古屋市上下水道の幹線水道上に設けられた遊歩道です。元々はサイクリングロードとして整備されたものといい,現在も歩行者と自転車が通れるようになっています。

神明社(片原一色町吹上)
片原一色町吹上26





 (中島)神明社から100mほど進んだ2本目の筋を右折し,200mほど道なりに進んだ突当りを右折した先には神明社(片原一色町吹上)があります。創建は不詳ですが,寛文2年(1662年)に古川新田開墾の名簿に記されている鵜飼十左エ門の棟札があります。鵜飼氏はこの付近の領主として名がみえるといいます。俗に「片原の清介宮」と呼ばれているといいます。

光円寺
西島本町27





 (片原一色町吹上)神明社から東に戻って200mほど進み,県道に突き当たったら左折して100mほど進んだ先の尾張水道みちを右折します。水道みちを100mほど進んだ次の筋を左折し,続く筋を右折して250mほど進みます。その先の突当りを左折した先には光円寺(真宗大谷派)があります。如雪山と号し,文禄3年(1594年)に祐珍が創建したとも,元亀年中(1570〜73)に祐西が創建したとも伝えています。創建当初は海西郡鯏浦村(現,弥富市)にありましたが,高潮のために寛文5年(1665年)に現在地に移されたといいます。特徴的な入り口の鐘楼門は明治24年(1891年)の濃尾地震の後に美濃から移されたものといい,18世紀前半のものといいます。

(西島)天神社
西島本町52





 光円寺の入り口から戻って50mほど南下した右手には(西島)天神社があります。言い伝えによると,この神社はかつて北にあって木曽川の堤防鎮護の神が祀られていましたが,木曽川の氾濫によってこの地に押し流されたため,現在地に祀られるようになったといいます。このことから,この神社は堤治神社とも呼ばれるといいます。祭神は菅原道真で,犬山城の城主だった成瀬氏が祭神を改めたと伝わっています。

一色城址
片原一色町如来





 (中島)天神社の入り口からさらに250mほど南下して突当りを右折し,200mほど進んだ先に神明社(片原一色町如来)があります。創建は不詳ですが善応寺の縁起によると建仁年中(1201年頃)に四神をまつったうちの1つといいます。元禄9年(1696年)の書上には大日社とあり,明治5年(1872年)以降に神明に改められたといいます。



 神明社から「尾張水道みち」に戻って右折し,南東方向に進んだ右手には一色城址の碑があります。応永年間(1394頃)に橋本伊賀守による築城といいます。橋本氏は南北朝時代には南朝方の武将として戦い,矢合城,三宅城,井堀城など周辺の城の城主ともなって8代続いたといいます。一族の橋本一巴は織田信長の火縄銃の師匠であり,永禄元年(1558年)の浮野の戦い(現、一宮市)では、弓の名手の林弥太郎と争ったといいます。またその子の橋本道一は織田信長、信雄に仕え、その後豊臣秀吉に仕えましたが,慶長元年(1596年)に肥前国で没したといいます。

善勝寺
中野宮町65





 一色城址から「尾張水道みち」をさらに南東方向に400mほど進みます。2つ目の横断歩道のある筋を左折して400mほど進んだ2つ目の横断歩道の奥の分岐を,右側の細い路地の方に入って道なりに100mほど進むと善勝寺(真宗大谷派)があります。奥谷山と号し,天仁2年(1109年)の創建といい,16世紀頃までは天台宗だったといいますが,教如上人がこの付近を巡った際に真宗に転じたといいます。この付近,中野町には桜木与太郎が居城したという中野城があったが,江戸時代には田畑になったといいます。



 善勝寺からさらに東に進んだところに大興院(曹洞宗)があります。龍雲山と号し,寛永11年(1634年)に尼僧周見の創建といい,正眼寺(現,小牧市)の末寺といいます。善勝寺と隣り合っているものの所在地は隣の山口本町に当たります。

通明寺
平細工蔵町68





 大興院から東に進んで先の筋を左折し,続く筋を右折してさらに2本目の筋を左折した先に通明寺(真宗大谷派)があります。立光山と号し,享保年間(1716〜36)に僧浄賢による創建といいます。浄賢は遠祖が楠正光といい,その妻がこの地の出身だったといいます。正光が戦死した際に三河の本證寺に移って仏道に帰依し,その数代のちが浄賢だったといいます。元々は正光山と号していましたが,しばらくのちに立光山と改められたといいます。徳川家から土地を下賜されたため,尾張歴代の位牌を安置しているといいます。





 通明寺の入り口から西方向に進み,突当りを右折してそのまま広い道に出ます。この道を50mほど進んだ右手に(平)神明社があります。元々はこの地を支配した加藤氏の氏神だったといい,家の衰亡により村の氏神になったといいます。

明蔵寺
浅井町宮西330





 (平)神明社から道をさらに300mほど進み,「平金森町」を越えて2本目の北方向に向かう筋を左奥方向に進みます。さらに200mほど進んだ3つ目の筋を左折すると正面に明蔵寺(真宗大谷派)があります。寛永年間(1624年頃)の創建で,然恵上人の開基といいます。檀徒を四方に広く持ち,立派な三重塔を有する伽藍など由緒の多さを感じられる寺院ですが,過去の震災などで書類がなくなったため,詳しいことはわからないといいます。

浅井神社
浅井町宮西305



 明蔵寺から東に戻って100m強進むと左手に浅井神社があります。平安時代の延喜式神明帳に浅井神社とあることからそれ以前の建立といい,壬申の乱の際に大海人皇子(天武天皇)方で活躍した尾張の国司である小子部連*鉤(きびち・*は金に且)が祭神になっています。戦国時代には荒廃して,社頭を天池村に移して祀った(現在の天神社と考えられる)ので,旧地が不明になったといいます。その後,村の中央に祀られていた白山・神明・八幡の三社を合祀して浅井神社とし,天保11年(1840年)に正式に浅井神社となりました。明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進神社に指定されたたといいます。

ゴール:名鉄バス・アピタ稲沢店バス停



 浅井神社から新幹線の高架をくぐってそのまま東へ約200m進み,広い道に合流したらすぐに右折して、続くアピタの駐車場の案内がある筋を左折します。さらに続く筋を左折して300mほど進むとゴールの名鉄バス(稲沢市コミュニティバス)のアピタ稲沢店バス停があります。バスを利用すると,名鉄国府宮駅まで約18分,JR稲沢駅まで約35分で戻ることができます。本数は1時間に1本程度なので、あらかじめ時刻を調べておくといいでしょう。ちょうどよい時間でなければ、アピタタウンで時間調整をするのもよいでしょう。




写真使用数:47

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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