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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:性海寺コースSHOKAIJI TEMPLE

2018年1月探訪。2018年5月28日作成

【コース】 距離:約9.1km
 市中央部の稲沢地区南側,稲沢公園と性海寺公園の周辺を訪ねていきます。公園と田園地帯で自然を感じ,社寺や美術館など名所をめぐります。

≪コース≫ 名鉄バス稲沢公園バス停〜稲沢公園〜荻須記念美術館〜(大塚北)八幡社〜徳善寺〜三宮社〜性海寺〜西福院(せんき薬師)〜観音寺〜教西寺〜平楽寺〜浄泉寺〜福寿寺〜西林寺〜稲沢市役所〜崇清寺〜TGアリーナ〜名鉄バス・朝府バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・稲沢公園バス停



 スタート地点は,名鉄バス(稲沢市コミュニティバス)の稲沢公園バス停です。名鉄バスを利用して,国府宮駅からの約7分,JR稲沢駅西口から約15分で来ることができます。本数はおおむね30分に一本ですが,時刻はあらかじめ確認しておくと安心です。国府宮駅から来たバスの下車地点である南側のバス停からスタートしましょう。

稲沢公園
稲沢町下田150-8





 稲沢公園バス停から東に50mほど進むと,稲沢公園の入り口があります。広さ4.1haに及び,荻須記念美術館などを含んだ「文化の杜」構想の核として設けられた稲沢のシンボル的公園であり,広大な芝生広場などを備えた市民の憩いの場となっています。公園の西側にはバラ園が設けられて季節には色とりどりの花を咲かせ,散策にはもってこいの公園です。芝生広場の横を通って公園を南に進んでいきましょう。

稲沢市荻須記念美術館 [一部有料施設]
稲沢町前田365-8 [公式HP(外部リンク→)]



 稲沢公園を南に進んで,駐車場の右側の筋を東方向に進んでいくと稲沢市荻須記念美術館があります。稲沢市出身で,フランス・パリを中心に活躍した画家の荻須高徳(おぎすたかのり:1901〜1986)の業績を称えるために昭和58年(1983年)に設けられた美術館です。荻須高徳は現在の稲沢市井堀高見町の地主の子として生まれ,大正11年(1923年)より東京美術学校(現,東京芸術大学)にて西洋画を学び,卒業後の昭和2年(1927年)にフランスに渡り,数々の賞を得るなど才能を開花させました。第2次世界大戦で一時帰国を余儀なくさせられますが,昭和23年(1948年)に日本人としていち早くパリでの滞在を許され,以降も熱心な活躍をし,レジオン・ド・ヌール,文化勲章など多彩な賞も受賞しました。この美術館では荻須の各時代の作品が238点(2017年末現在)収蔵され,常設展示でそれらのいくつかを見ることができるほか,彼がパリで使用していたというアトリエが復元されています。また,彼にちなんだ特別展や企画展が毎年行われており,郷土の画家の偉業に触れることができます。一般展示室は無料で見学できるので,この地に立ち寄ったらその偉業について学ぶのがいいでしょう。



 荻須高徳記念美術館から東に向かい,保健センターの先の交差点を直進していくと,左手には名古屋文理大学のキャンパスがあります。「食と情報」をテーマに実践的な教育が行われているといいます。

(大塚北)八幡社
大塚北1-4-1





 保健センターの先の交差点から150mほど進み,続く筋で右手の筋に直進していくと左手に(大塚北)八幡社があります。創建は不詳ですが神明社,熊野社などが合祀されています。境内は木々におおわれており,その西側には樹高16mに及ぶムクノキ[市天然]がそびえています。黒く熟した実が甘く,昔の人々はそれを食べたといいます。

徳善寺
大塚北3-60-1





 (大塚北)八幡社から50mほど進んで川を渡り,さらに50mほど進んだ突当りの1つ手前の筋を右折し,100mほど先の突当りを左折すると,50mほど先の左手に徳善寺(真宗大谷派)があります。大塚(だいちょう)山と号し,久安5年(1149年)に空賢により創建され
たといい,往古は真言宗だったといます。その後衰退して無住となりますが,加賀前田家の家臣だったという宇佐美徳右エ門がこの地に来て再興して浄土真宗の教えを広めたといい,石山合戦に参加して顕如上人から六字名号を賜ったといいます。





 徳善寺から南に進んで250mほどの突き当たるところを右折して100mほど進むと,川の手前のところに白髭社があります。由緒は不詳ですが,水の神様である塩土老翁命がまつられています。

三宮社
大塚南1-27



 白髭社の先の川沿いの道を左折して南下し,100mほど先の信号を横断歩道で渡り,さらに川沿いを100mほど南下します。この途中の左手の墓地のところには高さ13.2mに及ぶ風格ある高野菩提樹[市天然]があります。





 さらに続く橋のある筋を左折すると,100mほど先の左手に三宮社があります。弘仁9年(818年)に弘法大師が八剣社を勧請し,境内社として秋葉社と熊野社を持つため三宮社と呼ばれたといい,性海寺境内と接続し鎮守社として設けられたといいます。棟札により元禄4年(1691年)の再建と伝わる本殿[市文化]は同時期のものという萬徳寺の鎮守堂と似た形式をもつといい,平成19年には保存修理が行われました。寺宝として15世紀中ごろ作という陶製狛犬[市文化]があり,市内では国府宮神社のものに続いて古いものといいます。毎年旧暦正月12日に行われる御武射[市民俗]は,的を魔に見立てて矢を射る神事で,尾張地方の残る数少ない射的神事として貴重なものといいます。

性海寺
大塚南1-33







 三宮社の境内に接続して性海寺(真言宗智山派)があります。大塚山と号し,弘仁9年(818年)に弘法大師が熱田神宮に詣でた際にこの地でお告げを受け,愛染明王を本尊として創建したと伝わる古刹です。平安時代には当地の豪族の長谷部氏により庇護を受けたといい,その後衰退しますが,承久3年(1221年)に浄蓮源延が信州善光寺の阿弥陀三尊を移して本尊にしたといいます。その後,建長年間(1249〜56)に熱田大宮司の子である良敏により再興され,その後,北条時頼,足利尊氏,浅野長政,徳川義直から庇護を受けて発展したと伝わります。三宮社から入ったところにある本堂[国重文]は慶安元年(1648年)の再建といいますが,内部に鎌倉時代の部材や様式が残された貴重なものといいます。内部中央には須弥壇があり,その上に本尊の善光寺如来をまつる宝塔[国重文]が安置されています。年代が古く裳階がつかない宝塔の残存例が少ないなか,貴重な作品といいます。境内で一番印象的な建造物である多宝塔[国重文]は室町時代中期の再建といい,禅宗様と和様の建築様式で,円柱風の上層や?葺き風銅版葺きの屋根,上に着く青銅の相輪とそこから下がる風鐸などが印象的で,繊細さも感じる塔になっています。内部には愛染明王がまつられており,形式から萬徳寺多宝塔はこの塔を参考に建てられたと考えられています。他に寺宝として弘安5年(1282年)から1か年かけて造立したという木製漆塗彩色金銅種子装五輪塔[国重文]をはじめ,平安時代作で光背と台座が鎌倉時代のものという木造阿弥陀如来坐像[県文化],可憐な童形が特徴的な木造南無仏大師像[県文化]など,県の文化財が9件,市の文化財が16件あり,毎年6月のあじさいまつりの時などに公開されています。



 寺の東側には延宝7年(1679年)建立という山門[市文化]があり,当時を反映した華やかな絵様が特徴といいます。





 性海寺の周辺は大塚性海寺歴史公園として整備され,ガクアジサイなど90種約1万株ものあじさいが咲き乱れる名所として知られています。6月上旬〜中旬の花の見ごろにはあじさいまつりも行われ,多くの人で賑わいます。



 公園の西側に大塚の名前の由来となった大塚古墳[市史跡]があります。6世紀頃の建立という高さ約5m,直径約40mの円墳で,円筒埴輪や形象埴輪の破片などが出土しています。市内最大の大きさを誇り,三宅川の灌漑権や水運交通権を掌握した豪族のものと考えられています。



 公園の北側には樹高13.9mのムクロジ[市天然]と樹高16.8mのイブキ[市天然]が並んでいます。





 性海寺の東側から出て,そのまま東に進む筋を100mほど進むと左手に日吉神社があります。さらに100m弱進んだ左手には恵明寺(真言宗智山派)があります。

西福院(せんき薬師)
大塚南3-28 [公式HP(外部リンク→)]







 恵明寺の前を左折して北上したところに西福院(真言宗智山派)があります。日出山と号し,戦国時代から江戸時代初期の間に建立されたという古刹で,地元からはせんき薬師の名前で知られています。当時,この地域に「せんき(せん病)」と呼ばれる下腹部などが腫れる病気の村人がおり,そこへ全国をめぐっていた修行僧が立ち寄り,村人の病気がよくなるようにと念持仏の薬師如来を祀って祈願したところ,病気がよくなったといいます。それ以来,病気平癒やがん封じの薬師如来として厚い信仰を受けるようになり,遠方からも参拝者が訪れるようになったといいます。入り口前には大きな香炉堂があり,信仰の篤い霊場としての雰囲気があります。また境内には聖観世音菩薩がまつられている観音堂があります。

観音寺
梅須賀中切1644



 西福院から東方向に進んで県道に突き当たったら右折します。県道を300mほど南下した信号のところを右折し,さらに500m弱進んで三宅川を渡ってさらに先の水路のある筋を左折します。300mほど先の新幹線の線路をくぐり,さらに100mほど進んで新幹線を越えてから2本目の筋を左折し,100mほど進んだ突当りを右折したところに(梅須賀)神明社が祀られています。



 (梅須賀)神明社の西に隣接して観音寺(浄土宗鎮西派)があります。寛永年間(1624〜45)に智順上人によって創建されたといい,念仏道場として大いに繁栄したといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震で被災しますが,再建されて地域の人々によって守られています。本尊の聖観世音菩薩立像[市文化]は平安時代後期の作といい,当時の通形の菩薩像ですが,地方作的な古風さが目立つといいます。頭光には阿弥陀三尊を表す梵字があらわされているといいます。

教西寺
梅須賀中切1692



 観音寺から南方向に進んで,2本目の筋を右折して50m強進んだ先に教西寺(真宗大谷派)があります。梅棗山と号し,往古は弘法大師の旧蹟だったといい,永正年間(1504〜21)に主人の菩提を弔うために家老の山田甚之右エ門なるものが創建し本願寺に帰依したといいます。明和年間(1764年)に京都本山から山号を賜って現在に至るといいます。

(平野町)八幡社
平野町3





 教西寺の西側の道路に出て北上し400mほど進んで新幹線の高架をくぐります。さらに200m強進んだ右手には(平野町)八幡社があります。平野町内にあった天神社,大明社,白山社,神明社が大正6年(1917年)に合祀されて現在の姿になったといい,境内社に秋葉社があります。このうち天神社は,延喜式神明帳に記載された中島郡見努(みぬ)神社に当たる式内社という説があり,かつては三宅川沿いにあって水沼天神が転じたものとも考えられています。

平楽寺
平野町3-23



 (平野町)八幡社の東に隣接して平楽寺(臨済宗)があります。満東山と号し,奈良時代に尾張国分寺がおかれた際に,国分寺に設けられた四楽寺の一寺として創建されたといいます。しかし長年の災害などで寺宝などは残されていないといいます。元々は村の南東にあったといいますが,湿地だったため元禄4年(1691年)に現在地に移されたといいます。境内を整理した際,康応元年(1389年)の銘のある宝篋印塔基礎が発見されており,年代のわかるものでは市内最古のもの(現在は所在不明)といいます。



 八幡社の入り口のところからさらに100mほど北上して次の筋を左折し,250mほど進んだ5本目の筋を右折すると(小寺町)神明社があります。

(池部)神明社
池部町2-3





 (小寺町)神明社から150mほど北上して広い筋に突き当たったら右折して300mほど進みます。「横地東」交差点を越えた先の左手には(池部)神明社があります。この地域の中心的神社で,寛保2年(1742年)に創建されて神明社,白山社,山王社,八幡社,天神社の五社が境内に鎮座していたといい,尾張徇行記にも記載されているといいます。安政6年(1859年)に八幡社と山王社が,大正6年(1917年)に天神社と白山社が合祀されて現在に至ります。広々とした境内で,入り口には公園もあり,地域の人々の憩いの場にもなっているようです。

浄泉寺
池部町2-67-2





 (池部)神明社の社殿の東側のスロープから出て,続く左手の筋を奥に進み,100mほど先の3本目の筋を左折すると,次の交差点のところに浄泉寺(真宗大谷派)があります。五郷山と号し,延宝8年(1680年)の開基といい,寛保2年(1742年)に現在地に移転したといいます。本堂は昭和39年(1964年)に焼失し,その後再建されたものといいます。山門の前には池部地蔵堂があり,5体の円空仏[市民俗]が祀られています。元々阿弥陀三尊と地蔵三尊の6体が祀られていましたが,阿弥陀三尊の中尊が失われ,地蔵・未来・人道・観音・勢至の各菩薩が祀られています。このうち現在を表す地蔵菩薩,過去を表す人道菩薩,未来を表す未来菩薩の地蔵三尊は非常に珍しく,当時の地蔵信仰を知るうえで貴重なものといいます。

福寿寺
横地2-27





 浄泉寺の北側の筋に出て左折し,300mほど進んだ和菓子屋を越えて2本目の筋を右折し,続く筋を左折すると右手に福寿寺(臨済宗)があります。慈眼山と号し,創建は不詳ですが天和元年(1681年)に暴風で堂宇が倒壊し,再建もままならなかったため天和3年(1683年)に白山社の境内であった現在地に移されたといいます。西側には隣接して白山社が設けられています。

西林寺
重本3-5





 福寿寺の先,白山社の標柱を越えたところを右折して北上し,突当りを左折して続く筋を右折します。続く突当りを右折して,さらにその先を左折し,狭い路地を抜けて進んだ次の筋を左手の直進する道に入って道なりに進むと左手に西林寺(日蓮宗)があります。妙光山と号し,文明2年(1460年)に日義上人によって開山したと伝わっていますが,他は詳しくわかっていないといいます。



 西林寺の東側の出口から出て左折して北上し,続く筋を右折して50m強進んだ突当りを左折した先には(重本)神明社があります。この神社も詳しいことは知られていないといいます。

稲沢市役所
稲府町1 [公式HP(外部リンク→)]



 (重本)神明社から北上して県道に出て左折し,400mほど進むと左手に稲沢市役所があります。稲沢市の行政の中心で,様々な情報が手に入れるのに活用できます。2階の商工観光課では稲沢の観光ガイドマップなどが、3階の生涯学習課では稲沢の文化財に関する資料が手に入ります。市役所内の教育委員会では,濃尾震災美談図,紙本淡彩中島郡図[いずれも市文化]の絵画・書跡や,灰釉陶器蓋付短頸壺[市文化]の工芸品などが保管されているといいます。

崇清寺
桜木1-4-25





 稲沢市役所の先の「市役所前」交差点を右折して北上し,400m弱進んだ2つ目の信号を越えた次の筋を右折して50mほど先を右折すると崇清寺(真宗大谷派)があります。金剛山と号し,往古は天台宗で東光坊と称したといい,いつのころからか真宗に改宗したといい,寛永8年(1631年)に現在の寺号になったといいます。



 西尾張中央道に戻って南の信号で横断歩道を渡って北上し、続く筋を左折して150mほど進んだ先には八坂社があります。



 八坂社から西に進んだ次の筋を左折し,続く筋を右折すると目の前にヨシヅヤ新稲沢店があります。フードコートなども併設した大型のスーパーになっていますので,ウォーキングの休憩地点に活用できます。

稲沢市勤労福祉会館・豊田合成(TG)アリーナ
朝府町5-1



 ヨシヅヤ新稲沢店から西に進んだ先に稲沢市勤労福祉会館と豊田合成アリーナ(TGアリーナ)があります。会議室や研修室を備えた福祉会館と体育設備を備えたアリーナが一体になった施設で,市民の文化・体育の交流行事などに用いられています。会館内にはレストランなども設けられています。毎年秋に行われる稲沢福祉まつりはここが会場になっており,イベントが行われる当日は多くの模擬店などが出店して賑わいます。

ゴール:名鉄バス・朝府バス停



 勤労福祉会館の入口にある名鉄バス(稲沢市コミュニティバス)の朝府バス停がゴールになります。バスを利用すると、名鉄国府宮駅まで20分強,JR稲沢駅まで約40分で行くことができます。本数は1時間に1本程度なので,あらかじめ時刻を確認して利用するとよいでしょう。ちょうどよいバスがない場合は,ヨシヅヤや勤労福祉会館のレストランなどで時間調整をするといいでしょう。




写真使用数:52

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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