本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:大里西コースOSATO WEST

2018年1月探訪。2018年3月16日作成

【コース】 距離:約10.2km
 市南東部の大里西地区をめぐるコースです。かつて大寺院が立ち並んだという地域は文化財豊富な古刹も多く,古代の尾張に思いをはせられます。

≪コース≫ 名鉄・奥田駅〜白山社(奥田大門)〜康勝寺〜正本寺〜素戔嗚社〜土之社〜(北島)白山社〜定福寺〜陽春院〜宗形社〜青宮社〜桂昌寺〜専西寺〜桂林寺〜(中之庄)八幡社〜満蔵院〜無量光院〜安楽寺〜白山社(奥田寺切)〜名鉄・大里駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄名古屋本線・奥田駅



 スタート駅は名鉄奥田駅です。普通列車のみの停車ですので,名鉄名古屋駅から来る場合は急行に乗車して,須ヶ口または新清洲で乗り換えましょう。名鉄名古屋駅からの所要時間は約18分,本数は1時間に4本程度です。名古屋方面から来たときの出口となる奥田駅の西側に出てスタートしましょう。

白山社(奥田大門)
奥田大門町2015



 奥田駅の西側から出て左手に進んで南下し,続く筋を左折して150mほど進むと右手に奥田大門町の白山社があります。創建は不詳ですが,『寛文村々覚書』に見える白山社2社のうちの1社といい,境内社に津島社があります。



 白山社の先を左折し,100mほど道なりに南下して突当りを左折し,さらに100mほど進んだ突当りを右折して100m強進むと堀畑神社があります。

康勝寺
奥田中切町58 [公式HP(外部リンク→)]





 堀畑神社から南下して突当りを左折し,50m先の突当りを右折して100m強先の4本目の細い筋を左折すると,突当りを左に進んだ先に康勝寺(曹洞宗)があります。雲澤山と号し,寺伝によると永正15年(1518年)に(大永7年(1525年)創建説もある)もと奥田城主の織田左馬助(信長のおじに当たる)を開基とし,正眼寺(現,小牧市)8世曇周を草創開山として創建されたといいます。本尊は無量寿阿弥陀如来で,脇仏の『うんたくさん地蔵』は代々おろそかにすると恐ろしいと伝わり,常に感謝を礼拝をするようにと教えられてきた。他にも中国より伝わったという絵像など,多くの寺宝があるといいます。

正本寺
奥田町中切前4457 [公式HP(外部リンク→)]





 康勝寺から戻って南に100mほど進むと右手に正本寺(真宗大谷派)があります。松平山と号し,創建は建武元年(1334年)といい,当初は天台宗でしたが室町後期に蓮如上人の帰依を受けて三河松平藩の流れで転派したといいます。本尊は阿弥陀如来で,応永元年(1394年)に授与されたものという記録がっているといいます。お寺では音楽の演奏会なども行われ,積極的に地域に開放されている様子が伝わります。

素盞嗚社(奥田馬場町)
奥田馬場町4411



 正本寺から北に戻り,水路沿いの道を左折して150mほど先の2つ目の十字路を右折すると奥田馬場町の素盞嗚社があります。創建は不詳ですが元村社といい馬場町公民館が併設されています。この付近はかつて奥田城があった場所といいます。清洲織田家の織田敏定の孫に当たる飯田定宗の居城だったといい,永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで鷲津城にて定宗が戦死したのちは子の重宗が引き継ぎました。しかし,のちに重宗が出家したため廃城になったといいます。



 素盞嗚社から先の筋を左折して200mほど進むと左手に観蓮寺(曹洞宗)があります。恵日山と号し,往古は慧日山観蓮寺と称しましたが延宝7年(1679年)に観音堂と称しました。明治6年(1873年)に廃堂となりますが,明治17年(1884年)に現在の寺号で再興されたといいます。



 観蓮寺から100mほど進んだ2つ目の水路沿いの筋を左折して250mほど進むと左手に天神社があります。この北島地区には2つの天神社があり,ここは北天神と呼ばれて菅原道真が祀られています。現在は南の土之社の境内飛地になっています。

土之社
北島町大門東38





 天神社からさらに南下して新幹線の高架をくぐり,200mほど先の突当りを左折して,続く県道に合流した先の筋を右折すると土之社があります。棟札によると神亀元年(724年)の勧請と伝えられる古社で,かつては土宮大明神,土之宮大神宮などと呼ばれましたが,明治8年(1875年)に改称されました。昭和27年(1952年)に周辺の5社と合併して同一の宗教法人になったといいます。



 土之社から西に進んで,県道に出たら左手から伸びる道を入って100mほど西に進むと開山堂と呼ばれる建物があります。

(北島)白山社
北島町市場前



 開山堂から道なりに西に50mほど進み,水路のある筋を右折すると50m強先に(北島)白山社があります。土之社の飛び地境内社に当たり,創建は不詳ですが,境内には樹齢数百年ともいわれる楠の大木があるため「くすのきさま」とも呼ばれています。木には龍神が宿っているから伐採するとたたりがあると畏れられているため,県道を改修したさいもこの木を避けるように作られ,道幅が狭くなっています。

定福寺
北島町中切81







 (北島)白山社の西側の交差点を右折して,続く突当りを左折します。100mほど先の十字路を右折して50mほど進むと左手に定福寺(浄土宗)があります。貞経山と号し,文保元年(1317年)にこの北にあったという北島城の城主だった平経貞が,自身の父の菩提をとむらうために建立したといい,当時の書状が寺宝として残されているといいます。後に知恩院の末寺になったといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震で本堂が倒壊しますが翌年に再建され,明治44年(1911年)には観音像をまつるお堂が建立されたといいます。

陽春院
北島町中切25





 定福寺の正面から東に進んで,2本目の筋を左折します。100m強先の突当りを左折した先に陽春院(曹洞宗)があります。鼎声山と号し,創建は不詳ですが小牧正眼寺16世天山用益和尚による開山といいます。文久元年(1861年)に正眼寺40世を法地開山として法地寺院に昇格したといいます。



 陽春院の前から西に進み,先の交差点を右折して続く筋を右に進んだ先には金刀比羅宮があります。

宗形社
北島5-149



 金刀比羅社から右に進む前に戻って,そのまま50m強北上した先には宗形社があります。創建は不詳ですが,文和年中(1352年〜)には北島城主であった平経貞の守護神と称したといいます。古来は弁財天社として記録に残り,俗に城の宮と呼ばれていたといい,北島城を築城したという平経貞もまつっているといいます。北島城は文保年間(1317〜19)の築城といい,その後戦国時代には織田信長の家臣の飯尾尚清の居城になったといいます。近くに土塁や古井戸などが発見されたという記録もありますが,見たところの城の遺構はありません。

青宮寺
北島町上中110







 宗形社の先の筋を左折して200m強進み,4本目の「止まれ」標識の手前の筋を左に入っていくと青宮寺(真宗大谷派)があります。上皇山と号し,元々は矢合村にあって西の坊青宮殿寺といい,天台宗で聖徳太子像を祀っていたといいます。明応9年(1500年)に僧祐海が真宗に改宗して青宮寺の寺号を賜り,永正元年(1504年)に現地に移されたと伝わっています。本尊は阿弥陀如来で,室町初期作という木造聖徳太子立像[県文化]を有します。これは聖徳太子孝養像と呼ばれる太子が十六歳の姿を現したものといいます。



 青宮寺の南側から出て南下し,突当りを右折してその先の県道を左折します。そのまま「北島皿屋敷」の交差点を越えて400mほど進んだ右手には稲沢ぽかぽか温泉[公式HP(外部リンク→)]があります。入浴施設でレストランも併設されており,ウォーキングの休憩地点とても利用できるでしょう。

桂昌寺
大矢町村内上9





 稲沢ぽかぽか温泉から300mほど南下した三好植木センターの手前の筋を右折し,100m先の2本目の筋を左折し,さらに続く筋を右折します。その先の左手には稲荷社があります。創建は不詳ですが天保8年(1837年)修造の棟札が残り,大正12年(1923年)に隣の八幡社を合祀したといいます。



 稲荷社の先を左折し,続く県道を右折した先には桂昌寺(曹洞宗)があります。桃岳山と号し,名古屋大須萬松寺の末寺といい,江戸時代初期の創建といいます。

専西寺
大矢町村内下95





 桂昌寺から東の筋を右折して南下し,突当りを左折して続く筋を右折すると専西寺(真宗大谷派)があります。高輪山と号し,延享5年(1748年)の創建といいます。その後荒廃しますが,祖父江町森上の正琳寺から本尊と住職が遣わされ,再興されたといいます。本堂は濃尾地震で倒壊し,大正4年(1915年)に再建されました。

桂林寺
七ツ寺町屋敷9





 専西寺から北に戻り,県道に突き当たったら右折して500mほど東に進むと左手に桂林寺(真言宗智山派)があります。稲園山と号し,天平7年(735年)に行基菩薩による創建と伝わる古刹です。延暦6年(787年)には七区の仏閣を備えた大伽藍が整備されましたが,水害や兵火にあって衰退しました。その後,仁安2年(1167年)に長福寺として再建され七区の伽藍を再興し,七ツ寺と呼ばれました。天正19年(1591年)に鬼頭孫左衛門が願い出て長福寺は清須に移され,その後慶長16年(1611年)には清須越で名古屋に移されたといいます。この寺は大塚性海寺の良円が旧地に建立したもので,本尊は不動明王です。



 桂林寺の北にはもともと寺の鎮守だったという十五所社があります。



 桂林寺から東に150mほど進んだ変電所の先の水路沿いの道を右折し,150mほど先の2本目の筋を左折して100mほど進むと左手に(堀田)天神社があります。創建は不詳ですが,天文5年(1740年)と天保4年(1833年)の棟札が残されているといいます。

(中之庄)八幡社
中之庄町辻畑154



 天神社の横を北上して突当りを右折し,続く水路沿いの道を左折して200mほど北上します。県道に突き当たったら右折し,100mほど先のT字路を左折します。50mほど北上すると左手に(中之庄)天神社があります。



 天神社から150mほど北上した突当りを右折すると(中之庄)八幡社があります。創建は不詳ですが,かつては東の松山と呼ばれる木立にあったといいます。村人の信仰が篤く,ここにあるものに手をつけるとたたりがあると畏れられていることから,区画整理の際も手をつけずに残されているといいます。



 八幡社から西に戻って50mほどの場所には(中之庄)神明社があります。

満蔵院
中之庄町辻畑108 [公式HP(外部リンク→)]



 八幡社のところのT字路を北上して150mほど進むと右手に満蔵院(真言宗豊山派)があります。建仁2年(1202年)に北の無量光院が再建された際に創建され,満願寺一山十二坊の一つで安楽坊と称したといい,元禄14年(1701年)に奥田村の安楽寺との混同を避けるために元寺号に改称したといいます。本尊は子授け地蔵菩薩で,楽器の演奏教室も行われているなど地域に根差した寺院を目指しているといいます。

無量光院
中之庄町辻畑101







 満蔵院の北に無量光院(真言宗豊山派)があります。中荘山と号し,寺伝によると天平7年(735年)に行基が七堂伽藍を有する満願寺を建立したのがはじまりといいます。天慶4年(941年)に平将門の残党による兵火により本堂と護摩堂のみを残して焼失したため,建仁2年(1202年)に実盛律師により再興され,藤原清広,安綱が寺領4000石を賜って一山十二ヶ寺の大刹を再興し,その学頭が無量光院だったといいます。永禄年間(1558〜)に兵火に遭い,天正年間(1573〜)には大地震にあって無量光院と安楽坊(現,満蔵院)以外は廃寺にあり,満願寺の本尊などが無量光院に移されて現在まで守られてきたといいます。明治24年(1891年)の濃尾地震後にも再建されました。
 本尊の木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像[国重文]で,墨書銘によると建仁2年(1202年)に仏師僧寛慶による造立といい,北の奥田安楽寺の三尊にならって制作されたと考えられています。この三尊が木の中間部で作られたことから,中荘(中之庄)という地名や山号の由来になったと伝わっています。他にも鎌倉時代作という木造毘沙門天立像[市文化]木造不動明王立像[市文化],市内最古という木造不動明王立像[市文化]などの仏像を有します。また絵画の絹本著色仏涅槃図[県文化]は貞治7年(1368年)に萱津村(現,あま市)の尼の発願といい,甚目寺本の副本として制作されたと想定されています。桃山時代作の絹本著色伊東盛次像[県文化]はこの村の土豪の肖像画で,この時期になると地方の土豪や大名も肖像画を残すようになり,その典型的なものといいます。鎌倉時代作の絹本著色弘法大師像[市文化],室町初期作の絹本著色釈迦十六善神像[市文化],工芸では寛永7年(1630年)制作という鉄造護摩炉[市文化]などを所有しています。境内には文化財の収蔵庫のほかに阿弥陀堂や白山天神もまつられ,長い歴史を感じさせます。



 無量光院から東へ100m強い進んで県道を左折し,300mほど進んだ「高重」交差点の2つ手前の筋を右折すると,少し先の右手に(高重)神明社があります。



 県道に戻ってさらに200mほど北上した左手には,JA愛知稲沢の大里店があります。地元の野菜の直売などが行われています。

安楽寺
奥田寺切町5584





 JA愛知稲沢大里店から県道を200m強北上し,新幹線の高架をくぐった先2つ目の筋を右折して100mほど進むと左手に安楽寺(真言宗豊山派)があります。奥田山と号し,天平勝宝元年(749年)に行基菩薩によって創建されたという古刹です。永仁年中(1293〜99)勝円を中興開山として再建されますが,天正年間(1573〜92)には荒廃して一院のみが残されたといいます。永享5年(1748年)に秀栄が円蔵坊と呼ばれた場所(現在の大里中学校の敷地内)から現在地に移し,その記念に寛延元年(1748年)に建立された宝篋印塔が現在に伝わっているといいます。
 現在は収蔵庫に納められている本尊の阿弥陀如来及び両脇侍坐像[国重文]は平安時代末の作といい,七寺(現在は名古屋市大須に移転)で仁安2年(1167年)に製作された阿弥陀三尊を参考にしたと考えられ,定朝様という形式の代表といいます。客殿に安置されている木造阿弥陀如来坐像[県文化]は鎌倉期の作といい,バランスの取れたはっきりとした顔立ちが特徴といいます。他に南北朝期の絹本著色三千仏図,絹本著色釈迦十六善神像[ともに県文化],室町時代の市指定文化財の絵画4点5幅など多くの文化財を所有しています。

白山社(奥田寺切)
奥田寺切町5582





 安楽寺から東に進んだところに奥田寺切町の白山社があります。創建は不詳ですが,安楽寺のかつての鎮守社といいます。安楽寺住職が正和元年(1312年)に加賀白山へと御酒器を献上したと伝わり,それが昭和8年(1933年)に郡上市白鳥町の旧長滝寺の坊中から発掘され,白山長滝神社に所蔵されて国の重要文化財に指定されています。境内には子安社があり,安産虫封じの祈祷が定期的に行われてきたといいます。

ゴール:名鉄名古屋本線・大里駅



 白山社の先の筋を右折して150mほど南下し,新幹線の高架の手前の筋を左折して県道を500mほど東に進むと,ゴールの名鉄大里駅があります。おおむね普通列車のみの停車ですが,新清洲駅か須ヶ口駅で急行に乗り換えると名鉄名古屋駅まで約16分で行くことができます。本数は1時間に4本程度です。




写真使用数:48

←前:大里東コース / 愛知県稲沢市 / 次:性海寺コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>