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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:国府宮コースKONOMIYA SHRINE

2018年1月探訪。2018年1月16日作成

【コース】 距離:約9.3km
 市中心部,稲沢駅と国府宮駅にはさまれた小正地区をめぐります。国府宮神社や萬徳寺など主要社寺や美濃路周辺の史跡などをめぐります。

≪コース≫ JR・稲沢駅〜宮浦公園〜地蔵寺〜臨江寺〜小池神社〜大光寺〜長束正家邸址〜長束梅公園〜名古屋文理大学文化フォーラム〜光明寺〜正明神社〜中高記念館〜尾張大国霊神社(国府宮神社)〜(治郎丸)天神社〜萬徳寺〜JR・稲沢駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:JR東海道線・稲沢駅



 スタート駅はJR東海道線の稲沢駅です。基本的に普通列車のみの停車で,名古屋駅から東海道線の岐阜方面に行きに乗車して約11分で行くことができるのでアクセスは便利です。本数は1時間に4本程度運転されています。稲沢駅の西口から出てスタートしましょう。
 稲沢駅は明治37年(1904年)の開業で,かつては日本の三大操車場と呼ばれた稲沢操車場があり,貨物列車の拠点としての性格が強い駅でした。現在は操車場のあった場所は大規模な再開発が行われましたが,現在も貨物駅が併設されてかつての大操車場の名残をとどめています。現在の駅舎は平成12年(2000年)に完成し,ギリシャ・オリンピアにある「クロノスの丘」をイメージしたという雄大なデザインになっています。

宮浦公園
長野1-13-18



 稲沢駅西口から信号のある筋の1本北の筋に入って50mほど進むと右手に稲沢神明社があります。大正3年(1914年)に地元住民によって天照皇大神と秋葉大明神を勧請して設けられた神社です。





 稲沢神明社から300mほど西に進み,広い筋を越えた先,次の十字路を右折すると左手に宮浦公園があります。公園北にはD51蒸気機関車が静態保存されています。昭和18年(1943年)に製造されて北陸本線などで活躍し,戦時中にはボイラー貫という傷を負いながらも昭和45年(1970年)まで活躍したといいます。普段は上屋で覆われていますが,毎年2日程度内部が公開されています。

地蔵寺
小池2-4



 宮浦公園の西側から出て突当りを左に進み,100mほど進んで広い筋に突き当たったら横断歩道を渡ってから右折し,200mほど進んだ2本目の筋を左折して100m強道なりに進むと,地蔵寺(真言宗豊山派)があります。重輪山と号し,創建は不詳ですが大永4年(1524年)に玄誉法師によって中興開山され,付近にあったという善福寺の本尊であった永正3年(1506年)の銘のある阿弥陀如来坐像を寺に移して本尊にしたといいます。



 地蔵寺から50m強南下した2本目の筋を右折し,続く筋を左折した先には臨江寺(臨済宗妙心寺派)があります。元々は渥美郡老津町(現,豊橋市)にあって文政3年(1820年)に再興されましたが,荒廃して明治33年(1900年)に当地に移されて再興されたといいます。



 臨江寺から北側の交差点に戻って左折し,西へ50mほど進むと西光寺(真宗大谷派)があります。創建は不詳ですが立派な本堂を持ち,小正保育園が併設されています。

小池神社
小池2-21-27



 西光寺の先を左折して先の「小池二丁目」交差点を横断歩道を渡ってから左折します。続く筋を右折し,さらにその先の筋を左折した先に小池神社があります。元々葉栗郡黒田村(現,一宮市)にありましたが神水に流されて現在地に漂着したと伝わり,別名黒田神社とも新宮とも呼ばれたといいます。祭神は豊受大神で,小池地区にあった縣社,天白社,十二社,天神社が合祀されています。





 小池神社の先の筋を右折し,続く筋を左折して300mほど進み,福田川の橋の手前の筋を右折して福田川沿いを進みます。川を南下して進むと左手に三菱電機のエレベーター試験棟のSORAEが見えてきます。「いなざわ」にちなんで高さは173.0mだといい,平成19年(2007年)に竣工した際にはエレベーター試験棟としては世界一の高さを誇ったといいます(現在は第3位)。夜にはライトアップも行われ,稲沢のランドマークとして親しまれています。

大光寺
長束町座守37





 福田川沿いの道を500mほど進み,大きな鉄塔がある手前の橋のある交差点を右折します。そのまま200mほど進んだところには八幡社があります。秋葉社と尾張五社が境内にまつられています。



 八幡社に隣接して大光寺(臨済宗妙心寺派)があります。恵日山と号し,創建時期は不詳ですが寛文7年(1667年)以前といい,禅源寺(稲沢市稲葉)の虎巌和尚の開山といいます。元禄3年(1690年)の再建といい,文政8年(1825年)に瓦屋根に吹き替えたという記録があるといいます。

長束正家邸址
長束町沙弥90付近



 大光寺の正面から400mほど南下した左手に長束正家邸址の碑があります。長束正家は永禄5年(1562年)頃に尾張国または近江国で生まれたといい,初めは信長の重臣である丹羽長秀に仕えますが,天正13年(1585年)からは豊臣秀吉に仕えて,九州平定や小田原攻めで兵糧奉行を務め,太閤検地にも関わるなど豊臣家の財政を一手に引き受けました。文禄4年(1595年)には近江水口城5万石を拝領し,五奉行の1人として秀吉を支える中心人物の1人となりました。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは石田三成率いる西軍につき,敗れて敗走してのちに切腹させられました。

長束梅公園
長束町座守



 長束正家邸址の碑から手前の交差点に戻って左折して,続く西の筋を右折し北上します。この道は東海道の熱田から中山道の垂井までを結ぶ重要な街道となっていた美濃路に当たります。この付近は美濃路のウォーキングコースとして整備されています。





 300mほど北上した右手には長束梅公園があります。この地が原産の長束梅がシンボルとなっている公園で,長束梅が公園内に植えられています。長束梅は肉厚で味の良い梅の実が取れることで知られ,かつては広大な長束梅林があったといい,多くの梅の実がこの地で取れて人々に親しまれていたといいます。しかし,黒斑ができやすかったために,やがて栽培されなくなりました。長束梅はこの地に住むキュウベエによって,伊勢参りの帰りにこの地に伝えたという昔話も伝わっています。

名古屋文理大学文化フォーラム(旧・稲沢市民会館)
正明寺3-114 [公式HP(外部リンク→)]



 長束梅公園の先の十字路を左折し,県道に出たところの左手には平成26年(2014年)に移転したばかりの稲沢市民病院[公式HP(外部リンク→)]があります。







 ここを右折して北上し,続く信号のある交差点を左折すると,100mほど先に名古屋文理大学文化フォーラムがあります。かつての稲沢市民会館で,市の木である松の緑と稲のベージュを基調とした落ち着いた建物といい,各種の音楽会やイベントなどが行われています。レストランなども設けられているのでウォーキングの休憩地点としても活用でき,夜にはライトアップも行われ幻想的な雰囲気になります。会館の南側には図書館があり,稲沢について調べることもできます。





 文化フォーラムから西側に出て右折し,名鉄の線路に沿って300mほど進むと国府宮神社の一の鳥居があります。ここから参道が北に伸び,約1km北には国府宮神社があります。

光明寺
正明寺2-19-12



 国府宮神社一の鳥居のところを右折して東に200mほど進み,3本目の筋を左折して100mほど進むと左手に光明寺(臨済宗妙心寺派)があります。大悲山と号し,創建は不詳ですが元々は海東郡大治村西条(現,大治町)にあり,天明2年(1782年)に大和村(現,一宮市)妙興寺の末寺となって光明寺に改めたといいます。明治28年(1895年)に現在地に移されました。本尊は十一面観音といいます。

正明寺
正明寺1-3-25



 光明寺から300m弱北上した左手に正明神社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前の創立といい,昭和37年(1962年)に西神明社,日吉社,白山社の3社が合祀され,正明神社と改称されました。





 正明神社のところを左折して進むと,正明寺(臨済宗妙心寺派)があります。創建は不詳ですが禅源寺開基の隠居寺だったと伝わります。当時の本尊は胎ごもりの阿弥陀仏で,日吉社内の池から掘り出されたものという口碑があるといいます。



 正明寺から西に進んで突当りを右折し,続く筋を左折します。その先の大江川には大江橋がかけられています。昭和30年(1955年)に稲沢市の前進に当たる稲沢町が誕生した際に記念に設けられた橋で,稲沢市の景観地に指定されています。

中高記念館
国府宮2-7-17



 大江橋から少し先には国府宮神社の参道の入り口があります。春は桜の名所としても知られ,4月の植木まつり,10月の稲沢まつりの会場にもなっており,市民の憩いの場になっています。



 参道の入り口の右手には稲沢総合文化センターがあります。会議室などが設けられ,この付近の住民の集会の場となっています。





 稲沢総合文化センターの北側を左折すると,参道を越えた先の右手に中高記念館[市文化]があります。明治13年(1880年)に建立されたと記録されていますが,当初は何に使用されたかは記録されていません。明治20年(1887年)からは中島郡高等小学校の建物として利用され,その後稲沢町役場,稲沢高等小学校,稲沢町農会などを経て,昭和15年(1940年)に中高記念館として竣工したといいます。桟瓦葺2階建てで,明治期から残る学校建築としては尾張地方で唯一の貴重な建物といいます。館内は市内で出土した弥生時代の出土品などが展示され,稲沢まつりの期間に公開されています。



 中高記念館から西に100mほど進んだところには名鉄国府宮駅の東口があります。稲沢市の中心駅で特急も停車する主要駅です。場合によってはウォーキングの中継拠点としても利用しましょう。名鉄名古屋駅まで特急で約12分,急行で約16分で行くことができ,特急・急行ともに1時間に4本程度運転されています。



 国府宮駅東口から線路沿いに北上して3本目の筋を右折し,50mほど進むと大国霊神社があります。尾張大国霊神社の別宮に当たる神社です。

尾張大国霊神社(国府宮神社)
国府宮1-1-1 [公式HP(外部リンク→)]



 大国霊神社から東に進んで国府宮参道を左折して北上すると尾張大国霊神社があります。崇神天皇の時代に建立されたといわれる古社で,尾張に移住し開拓した先人が,国土の神である尾張大国霊神をまつったものです。奈良時代には尾張国衙に隣接して設けられていたことから尾張国の総社と定められ,国司自ら祭祀を行う神社となったことから「国府宮」として広く知られるようになりました。以降も厄除けの神として多くの信仰を受け,遠隔地からの参拝や祈祷も多いといいます。建物の配置は尾張式と呼ばれ,楼門から拝殿,本殿までの配置がくの字型になった特徴的なものです。入口の楼門[国重文]は入母屋造・桧皮葺きで室町初期の建立といい,正保3年(1646年)の大修理の際に上層を改装しているといいます。





 楼門をくぐると江戸時代初期の切妻造・桧皮葺きの拝殿[国重文]があり,内側に柱が並立しているのが特徴といいます。本殿に接して磐境(いわくら)と呼ばれる5つの自然石が円形に並ぶ場所があり,社殿を建てて神様を祀る以前の古い祭場が残され,神社が古くからこの場で祭祀の場所になっていたものを示すものといいます。境内にある茶室の半庄庵[市文化]は,由緒書によると元禄末年頃の建立といい,名古屋市の土井国丸邸にあったものが道路拡張で昭和42年(1967年)に当地に移されたものといいます。他にも社宝には南北朝から室町初期作といい昔ながらの形式を伝えるものとして貴重な木造獅子頭[市文化],室町後期作という木造獅子狛犬[市文化],足利尊氏が奉納したと伝える室町初期の陶製狛犬[市文化],室町初期作といい追儺祭に用いる鉄製大鳴鈴[市文化]などがあります。旧正月13日に行われている追儺祭[県民俗]は,俗に国府宮のはだか祭と呼ばれて天下の奇祭として有名です。奈良時代に尾張国司が厄払いに行った追儺神事に,裸での寒参りの風習が一緒になり,江戸末期に現在の形になったといいます。神事は旧暦正月2日にくじで神男が選ばれるところから始まり,祭り当日は神男にふれて厄を払おうと「なおい笹」と呼ばれる願いを書いた布が結びつけられた笹を奉納した数千人ものはだかの男たちが参道に集合し,午後3時ごろにおこもりからとけた神男に触れようと怒涛の勢いで地響きと掛け声がうずまくなか激しいぶつかり合いをするものです。



 尾張大国霊神社を出て東に進み,続く筋を左折して50mほど進んだところには宗形神社があります。尾張大国霊神社の別宮にあたり,海神として名高い宗像三女神の田心姫命が祀られていることから,三宅川を利用して伊勢湾に至る水路の安全を守る神様だったとも考えられています。





 宗形神社の北の交差点を右折して200m強進むと大江川に突き当たるので,ここを左折して川沿いを進みます。さらに100m強進むと国府宮神明社があります。

(治郎丸)天神社
治郎丸天神町14



 国府宮神明社から裏手の道路に出て右折し,大江川を渡ってすぐに左折して100m強北上すると(治郎丸)天神社があります。創建は不詳ですが,昔より学問の神様として信仰されているといい,かつて尾張国衙があった際に大江匡衡が赤染衛門を引き連れて崇敬したといい,室町時代はこの地を支配した斯波氏に崇敬されたといいます。また慶長年間(1595〜1615)には福島正則の参詣があったとも伝わっているといいます。

(長野)神明社
長野3-1-28



 (治郎丸)天神社の先を右折し,続く筋を右折します。150mほど先の信号を左折して,東へ400mほど進んだ「夢逢橋西」交差点を越えた次の筋を右折し,100mほど進むと右手に(長野)神明社があります。承和元年(834年)に弘法大師が諸国を遍歴した際にこの地に立ち寄り,国家鎮護を祈って勧請したと伝わります。

萬徳寺
長野3-2-57





 (長野)神明社から100m弱南下して続く筋を左折した先に,稲沢市の真言宗の大本山である萬徳寺(真言宗豊山派)があります。長沼山と号し,寺伝によると神護景雲2年(768年)に慈眼上人が弥陀三尊を祀って創建したといいます。承和元年(834年)には弘法大師が寺を訪れ再興したともいいます。その後,洪水や火災などで荒廃しますが建長6年(1254年)に常円上人が再興し,弘長3年(1264年)には亀山天皇の綸旨により国家鎮護のための勅願寺になったといいます。江戸時代には尾張国の真言宗の大本山として53もの末寺を持ち,53石の寺領を有していたといいます。現在は尾張のぼたん寺として4月末に多くの花が楽しめることでも知られています。



 入口から進むと正面には室町時代建立という多宝塔[国重文]があります。初層は方形,2層は中心部が円筒形で屋根は方形であり,両層とも桧皮葺きで素朴で簡素な印象があります。南西にある性海寺の多宝塔を参考に作られたといいます。



 多宝塔の北隣には鎮守堂[国重文]があり,棟札によると享禄3年(1530年)の建立といいます。一間社流造・桧皮葺きの神社建築で,小規模ながら創建当時の姿をよく伝え,創建年代が明らかな室町末期の神社建築として貴重といいます。寺宝は多く,鎌倉時代の輪宝羯磨獅子蒔絵戒体箱,金銅宝相華唐草文透彫経筒付紺紙金字法華経巻一,紙胎漆塗彩絵華籠[ともに国重文]をはじめ,稲沢を代表する仏像の1つである鎌倉時代の木造大日如来坐像[県文化]など県の指定文化財が8件,市の指定文化財が絵画を中心に23件あります。



 萬徳寺から出て150mほど東に進み,2本目の筋を左折して100m弱北上すると左手に養源院があります。萬徳寺に所属する院で馬頭観音を本尊とし,建武年間(1249〜)に萬徳寺を再興した常円上人によって創建されたといいます。当初は東の坊と称しましたが,元禄6年(1693年)に現在の院号に改めたといいます。



 養源院から少し進んだ右手には江崎社があります。日本武尊を祀りますが由緒など詳しいことは不明といいます。

ゴール:JR東海道線・稲沢駅



 江崎社から右手に進み,JRの線路に突き当たったら右折して,線路沿いを400m強進むと,スタートした稲沢駅に戻ってきます。東海道線の普通列車を利用して約11分で名古屋駅に戻ることができます。本数は1時間に4本程度ありますので,アクセスは便利でしょう。




写真使用数:49

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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