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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:山崎コースYAMAZAKI

2018年6月探訪。2018年7月3日作成

【コース】 距離:約10.9km
 祖父江地区東部・山崎地区周辺をめぐります。日本一の銀杏の郷にふさわしく秋は一面の黄葉を楽しめ,広口池・領内川の自然も味わえます。

≪コース≫ 名鉄・森上駅〜正琳寺〜布智神社〜通順寺〜祖父江の森〜永龍寺〜祖父江支所〜佐藤牧山碑〜円徳寺〜祖父江神明社〜永張寺〜広口池〜山崎神社〜市瀬明神社(神明社)〜安養寺〜久治イチョウ〜祐専寺〜王塚地蔵寺〜名鉄・山崎駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄尾西線・森上駅





 スタートの名鉄尾西線・森上駅へは,尾西線の電車を利用して津島駅から13分,名鉄一宮駅から約18分で行くことができます。名鉄名古屋駅からは名鉄一宮駅からでも津島駅からでも約45分の所要時間となります。森上駅は祖父江地区の中心駅で,かつては特急も停車する主要駅で,尾西線の駅では珍しく終日有人駅になっています。





 森上駅の駅前広場には,平成27年(2015年)に設けられた「日本一 銀杏の郷」の碑があり,日本一のイチョウの町である祖父江に来たことを実感させられます。祖父江は全国有数のギンナンの産地として知られ,11月頃には約1万本ものイチョウの木が黄金色に色づき,その姿は圧巻です。このコースもイチョウの黄葉の時期がおすすめでしょう。駅前には祖父江の和菓子を販売するお店も設けられています。

正琳寺
祖父江町森上本郷七7-5





 森上駅から駅前広場を線路に沿って南下し,続く筋を左折して踏切を渡ります。その先の筋を左に入ったところに正琳寺(真宗大谷派)があります。野田山と号し,大和国宇知郡の観寂寺が現在の稲沢市千代田地区に移り,兵火によって寺を焼かれたため正保3年(1646年)に現在地に移転したといいます。尾張六坊の1つで,かつては72もの塔頭を有し,「尾張志」によると6つの末寺(丹羽郡2・中島郡4)をもったといいます。尾張北部地方で親鸞の教化により真宗に入信したという寺が多く,そのうち牛坊野門徒と呼ばれる人々がこの寺を取次として勢力を広げたといいます。寺宝として,文禄4年(1595年)に教如上人から下賜されたという絹本著色顕如上人像[市文化],慶長6年(1601年)に教如上人が関東からの帰路に当地に滞在した時の礼状である紙本墨書教如上人消息[市文化]があります。

布智神社
祖父江町本甲宮東4







 正琳寺から南の筋に戻って東へ200mほど進み,次の十字路を右折して100mほど南下すると左手に布智神社の西入り口があります。平安時代の延喜式神名帳に記載されている式内社といい,古代はこの付近の総社として国司の参拝も受け,尚武・防火の神として厚い信仰を受けたといいます。京都の大火の際は防火の祈祷を任され,織田信長が武運長久のための祈願を行ったとも伝わっています。江戸時代は淵森天神と称し,慶長年間(1596〜1605)に鎮火祭の祈祷をしたことから火神社とも称したといいます。西門側にある墳丘は前方後円墳と考えられており,「尾張名所図会」には元宮山と図示されているといいます。約2000坪にも及ぶという境内には,シイノキの群生[市天然]を構成する8本の木が現存しています。平安時代から群生し,尾張名所図会にも描かれている古くからの群生で,大木がこれだけ群生するのは大変貴重といいます。伊勢湾台風で大きな被害を受けましたが,一部の神木がかつての名残をとどめています。境内西側には末社の淵森稲荷社が祀られています。

通順寺
祖父江町二俣寺瀬古534





 布智神社の南側から出て西側の筋を南下し,300mほど進んだ「森下」交差点を右折します。交差点から600mほど西に進んだ,尾西線の踏切を渡ってから2つ目の信号の手前のデイサービスの手前の筋を右折し,300mほど北上すると左手に通順寺(真宗大谷派)があります。天文山と号し,天文4年(1535年)に祐誓が奥州伊達家から当地に来て開基したといいます。本堂は寛永16年(1639年)の建立といい,江戸初期〜中期の真宗本堂の特徴を残すものとして貴重な建物といいます。大谷派の講師として名高い本法院義譲の手紙などの寺宝が残されているといいます。

祖父江の森
祖父江町桜方六町17







 通順寺から100mほど北上して突当りを左折し,続く筋を右折して200mほど北上すると左手に祖父江の森があります。祖父江地区の文化・体育施設が集まっており,図書館のほかにも温水プール・多目的運動場・テニスコートなどが備わっています。平成7年(1995年)の祖父江町の文化ゾーンとして開館しました。図書館は上空から見ると祖父江の名物であるイチョウの葉をあしらった形になり,内装のじゅうたんにもイチョウの葉がデザインされています。ウォーキングの拠点としても利用できます。



 なお祖父江の森の東,桜方地域の個人宅には金兵衛イチョウ[市天然]の原木があります。所有者の先祖である徳右衛門が植えたという雌株で,明治初期に孫の金兵衛がこの木のギンナンを初めて「金兵衛」のブランドで出荷したといいます。金兵衛は早生種として主に7〜8月に出荷され,原木からも多数のギンナンが収穫できるといいます。

永龍寺
祖父江町桜方上切1408



 祖父江の森の西側から出て右折し,100mほど北上した「桜方」交差点を左折します。そのまま100m強西に進むと(桜方)神明社があります。





 神明社の左側の筋を北上し,2つ目の筋を左折します。さらに続く筋を右折した先には永龍寺(真宗大谷派)があります。澁谷山と号し,加賀野井城(現,岐阜県羽島市)の城主が檀那となって創建されたといい,慶長3年(1598年)に木曽川の洪水によって現在地に移されたといいます。東加賀野井には永龍寺跡の古址があるといいます。



 永龍寺から北上して突き当たる県道を左折し,続く横断歩道を渡って右折します。この県道は廃線跡を道路に転用したもので,森上駅から元三興製紙祖父江工場(現,王子マテリア)までの専用鉄道がかつてここには走っていました。昭和53年(1978年)に営業が停止するまで,ここを貨物列車が運転していましたが,現在は全くおもかげがありません。





 県道から100m弱北上した先には,右手に稲沢市祖父江支所と保健センター,左手に祖父江町体育館があり,その北には商工会もあって祖父江の行政・文化施設などが集まっている区画になります。

佐藤牧山碑
祖父江町山崎下枇2付近



 祖父江支所から200mほど北上して県道に突き当たったら県道を左折します。そのまま西へ200mほど進むと右手に佐藤牧山碑があります。祖父江が誇る文化人の1人である佐藤牧山は享和元年(1801年)にこの地で生まれ,幼少より学問を好んで儒学などに造詣を深め,江戸で塾を開いて「老子」などを講義し評判を呼んだといいます。その後尾張藩に招かれて明治3年(1870年)には藩校明倫堂(現,明和高校の前身)の校長を務め,ここで儒学者の細井平洲らと交流を深めたといい,当代随一の学者として褒め称されたといいます。



 佐藤牧山碑の南には(宮附)神明社があります。祭神は国土の守護神という国常立命といいます。

円徳寺
祖父江町祖父江南方75



 佐藤牧山碑から県道を西へ100m弱進み,領内川を渡った先を右折し,しばらくの間領内川沿いの道を進んでいきます。





 250mほど進んだ次の橋のところを左折し,2本目の県道を右折して100mほど北上すると左手に円徳寺(真宗大谷派)があります。海運山と号し,永正15年(1518年)に海部郡生桑村(現,稲沢市平和町)に建立され,寛永16年(1639年)に現在地に移転したといいます。

祖父江神明社
祖父江町祖父江中屋敷139





 円徳寺から県道を300mほど北上した「北方」交差点を右折します。100mほど進んだ2本目の筋を左折し,100mほど進むと左手に祖父江神明社があります。中島氏に代わって祖父江を領土とし,祖父江城を築城したという祖父江五郎左衛門久豊が文正元年(1466年)に勧請したと伝えています。その後荒廃しますが,祖父江氏の跡を継いでこの地を支配した横井氏によって寛永2年(1625年)に再建されたと棟札が伝えています。祭神は豊受大神と厳島比売命といいます。神社に保管されている11冊の神明社文書[市文化]は,氏子の記録など当地に残る数少ない歴史資料として貴重なものといいます。

永張寺
祖父江町祖父江中屋敷135





 祖父江神明社の北に隣接して永張寺(曹洞宗)があります。一弓山と号し,永禄元年(1558年)に下津正張寺の周泰和尚の創建といい,鳳洲寺と号したといいます。寛永8年(1631年)に尾張藩の鷹匠頭という横江氏の祖時久(一弓永張居士)が現地に再興して菩提寺にしたといいます。横井家に濠を挟んで隣接していたといい,館の防御のために再興と考えられています。本尊として馬頭観音を,尾張七福神の1つして布袋尊を祀っており,御朱印などを求める人も多く参拝者で賑わうといいます。



 永張寺から50mほど北上した十字路を左折し,続く筋を右折して100mほど進むと妙用寺(真宗大谷派)があります。元々木曽川そばの祖父江上沼にあった天台宗正泉寺を永正11年(1514年)に真宗大谷派に改宗して現在地に移転したもので,寛永年中(1624〜45)に祖父江横井家の娘妙玄を追悼して妙用寺に改めたといいます。この寺も横井家の館の防衛のために移転したとも考えられています。

広口池
祖父江町祖父江広口



 妙用寺の先の十字路を右折して200mほど進むと領内川に突き当たります。この川沿いは並木なども整備され,初夏にはあじさいも楽しめるなど景色の良い場所になっています。





 領内川を渡る手前の筋を左折して300mほど進むと右手に広口池が見えてきます。広口池は一宮市と稲沢市にまたがる池で,野鳥も訪れるなど風光明媚な場所として知られ,稲沢市の50景の1つにも選ばれています。玉野放水路を通じて日光川と,祖父江放水路を通じて木曽川とつながり,日光川や領内川の水を木曽川へ放水する際の中継点ともなっています。池の傍らには,「尾張名所図会」に描かれた池の絵の案内板と,横井千秋および本居宣長の句碑が設けられています。尾張藩の重臣で側用人を務め,国学者として知られる横井千秋は,天明5年(1785年)に本居宣長の門人となりました。国学によって政体を論じたという『白真弓考』を藩主に献上して国学の教育機関の建設を訴えたり,本居宣長が著した『古事記伝』の出版に尽力したりしました。ここに設けられた句は,千秋が横井家の屋敷は池の西側一帯に設けられ,馬場も備えた広大な構えであったことが「尾張名所図会」に描かれています。横井千秋も広口池周辺で鷹狩を楽しんだと伝えられています。



 本居宣長と横井千秋の句碑のところから道なりに北上し,祖父江放水路への排水口のところのT字路を左折し,続く十字路を右折して100mほど進むと(祖父江)八幡宮があります。



 八幡宮の入り口から東方向に進み,池に突き当たったら左折して先にある橋を渡ります。橋を渡った先は一宮市になり,右手には広大な広口池緑地が広がっています。奥にはトイレの設備もありますので,ウォーキングの休憩地点としても活用しましょう。

山崎神社
祖父江町山崎白山西6





 広口池緑地からそのまま池沿いに進んで,尾西排水機場を越えた先を右手に進んで稲沢市に戻ります。続く筋を左折して,さらに150mほど進んだ次の筋を右折すると,突当りの右手に山崎神社があります。勧請は不詳ですが,菊理姫命など4柱が祀られているといいます。神社付近から東の山崎城屋敷までのいずれかの場所には,かつて山崎城があったといいます。山崎城の城主だったという徳永法印寿昌は,出身地は近江,美濃,尾張など諸説ありますが,戦国時代にはこの地を支配したといいます。後に賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に仕え,文禄3年(1594年)には木曽川に築堤をした際の総奉行を務めたといいます。関ヶ原の戦いでは東軍につき,徳川家康から戦功を認められて美濃高須(現,岐阜県羽島市)6万石の城主となりました。

安養寺
祖父江町山崎本中28





 山崎神社の東側のところに戻り,さらに東へ道なりに150mほど進んで突当りを右折すると市瀬明神社(神明社)があります。祭神は天照大神といいます。この地に起こった地主と小作の間の年貢問題を円満解決したという代官の市瀬東七郎をたたえて天保11年(1840年)に建立されたと伝わっています。





 市瀬明神社から南に進んで鳥居の手前の筋を左に入ったところに安養寺(真宗大谷派)があります。田中山と号し,天正3年(1575年)の創建と伝わっています。立派な鐘楼門が印象的なお寺です。



 安養寺から南の鳥居の先の筋を左折し,200mほど東に進んだ先には(山崎)熱田社があります。

久治イチョウ
祖父江町山崎上屋敷96付近



 熱田社から南に進んだ交差点を左折し,100m強進んだ止まれ標識のある筋を右折します。400mほど進んだ「上屋敷」交差点を越えて進みます。この付近はイチョウの並木などが集まっているところになっています。祖父江地区には樹齢100年を越えるイチョウが数多く存在し,秋になると黄色く染まったイチョウが町内を埋め尽くして圧巻の景色となります。この地域には伊吹おろしと呼ばれる強い風が吹きつけるため,古くから屋敷や神社・仏閣などに防風林としてイチョウが植えられました。その後,100年ほど前にギンナンの生産を目的としたイチョウの栽培が始まり,現在の姿になったといいます。





 「上屋敷」交差点を越えた次の細い筋を左折してイチョウのトンネルを抜けて進みます。途中の民家のところでは,見事な乳根を持つ樹齢200年以上のイチョウも見られます。



 その先の突当りを右折し,2本目の筋を左折します。100mほど先を右折し線路を見ながら南下し,次の筋を右折して50mほど進むと久治イチョウ[市天然]の原木があります。約170年前に現在の5代前の当主が黄葉を楽しむために庭に植えたイチョウと伝えられ,その息子がギンナンを収穫して「久治」のブランドで売り出したところ,高値で売れたためにこの地区で評判になり,木が周辺に植えられるようになったといいます。この地区で「久寿」または「久治」のブランドで生産させるギンナンの原木と考えられている木で,大きく傾いているものの良い樹勢を保っています。

祐専寺
祖父江町山崎柳野11







 久治イチョウのところから分岐を左に進み,そのまま2本目の筋を右折して続く筋を左折すると,少し先の右手には祐専寺(真宗大谷派)があります。太子山と号し,元々は旧長岡村(現,稲沢市祖父江町の西部)にあったものが現在地に移転し,天文22年(1566年)に創建されたと伝わっています。境内の本堂前には樹齢300年を越えるという祐専寺イチョウ[市天然]がそびえています。これは天文22年の移転時に植えられたものといい,この地域のイチョウの原木ともいわれています。毎年11月下旬〜12月上旬に行われる祖父江イチョウ黄葉まつりはここを中心に行われ,黄葉の時期には祖父江名産のギンナンの直売をはじめ,ギンナンを用いたグルメなどを提供する多くの模擬店が出店して大いに賑わいます。この時期にはイチョウのライトアップも行われ,昼とは違った姿を楽しむことができるといいます。

王塚地蔵寺
祖父江町山崎塚西90



 祐専寺の前の十字路から200m強進んだ5本目の筋を左折し,続く突当りを右折してその先の筋を左折し尾西線の線路を渡ります。



 線路を渡った先を右折し,続く筋を左折した先には王塚地蔵寺(浄土宗鎮西派)があります。嘉永元年(1848年)の再興と伝わっていますが,祀られている地蔵は病気などに霊験があり遠くから参拝に訪れたと伝わっています。この地にある王塚は,元々は王塚古墳と呼ばれる古墳だったと推定されており,壬申の乱の際の天武天皇の旧跡とも後醍醐天皇の子の墓といわれていますが,伝説の域を出ないといいます。毎年8月24日には祀られている石造地蔵菩薩の地蔵盆のお祭である山崎地蔵まつり[市民俗]が行われます。山崎地区をあげて行われ,この地域の風習を今に伝えるものとして貴重なものといいます。まつり当日は各地区で朝から集まって準備が行われ,夜になると太鼓を鳴らしながら集まり,参道南側に地区の高張提灯が立てられます。近年は地蔵寺太鼓として太鼓の演奏も復活して盛り上がるといいます。

ゴール:名鉄尾西線・山崎駅



 王塚地蔵寺の先の突当りを左折して400m弱進み,左手の踏切を渡った先にゴールの名鉄山崎駅があります。尾西線の電車を利用して,名鉄一宮駅まで約18分,津島駅まで約20分です。名鉄名古屋駅までは一宮経由が便利で,約50分で行くことができます。本数は1時間に4本程度です。両方向とも同じホームから発車しますので,乗り間違いに注意しましょう。




写真使用数:53

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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