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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:平和北コースHEIWA NORTH

2018年6月探訪。2018年6月19日作成

【コース】 距離:約10.7km
 市南西部の平和地区北部をめぐります。日光川と三宅川流域の社寺と下水道科学館を昔ながらの農村の雰囲気も感じながらめぐっていきます。

≪コース≫ 名鉄・上丸渕駅〜本立寺〜明喜寺〜蓮心寺〜経蔵寺〜メタウォーター下水道科学館あいち〜薬師寺〜永福寺〜大日堂〜観音堂〜延命寺〜聖順寺〜(中三宅)八剣社〜(上三宅)熱田社〜内荒神社〜了正寺〜誓玄寺〜本源寺〜名鉄・丸渕駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄尾西線・上丸渕駅



 スタート駅は名鉄尾西線の上丸渕駅になります。名鉄尾西線を利用して,名鉄一宮駅から約21分,津島駅から約10分になります。名鉄名古屋駅から利用する場合は,名鉄一宮駅で乗り換えても,津島駅で乗り換えても40〜50分の所要となります。本数は1時間に4本になります。上丸渕駅からそのまま北側の道路に出て出発しましょう。

本立寺
祖父江町三丸渕郷前63





 上丸渕駅の北側に出て東方向に進み,100mほど進んだ2本目の筋を右折したところに本立寺(真宗大谷派)があります。鈴木山と号し,創建は寛文5年(1665年)とも伝わっています。将軍の上洛や朝鮮使の通行の際には人馬役を勤めたとも伝わっています。





 本立寺から来た筋に戻り,さらに東へ100mほど進んだ左手には(上丸渕)神明社があります。

明喜寺
平和町丸渕上72



 (上丸渕)神明社からさらに東へ200mほど進んで日光川にかかる橋を渡ります。ここから先は旧平和町に当たります。





 さらに150mほど進んだ「丸渕」交差点を左折したところに明喜寺(真宗大谷派)があります。信長山と号し,文明3年(1471年)の創建といい,京都仏光寺の了善が当初天台宗の学僧だったのを蓮如上人の弟子になって改宗し,文明3年(1471年)にこの地に一宇を設けて法蔵坊と称したのが始まりといいます。その後5代の了念が織田信長の弟であったことから信長により田園の寄進を受けて発展したことから信長山の山号を賞するようになったといいます。

蓮心寺
平和町鷲尾209



 「丸渕」交差点からさらに東へ600mほど進み,2つ目の信号の1つ手前の筋を左折した先には(鷲尾)神明社があります。江戸時代中期には記録がなく,棟札は文化10年(1813年)が最古のものであることから,そこまで歴史はないと考えられています。



 神明社の東側には蓮心寺(真宗大谷派)があります。光明山と号し,創建は不詳ですが武家屋敷風の門には八藤だきぼたんの紋があることから由緒の深さを物語っているといいます。

経蔵寺
平和町須ケ谷郷510





 蓮心寺から東側の信号に出て,さらに300m弱進み,4本目の筋を経蔵寺の案内板にしたがって右折すると,50mほど先の右手に経蔵寺(真宗大谷派)があります。往時は天台宗だったといいますが,天正10年(1582年)に信長の家臣がこの寺に入り,浄土真宗に改宗したといいます。本堂は拡張工事が行われているものの古い様式が残っているといい,創建時からのものという阿弥陀如来絵像など文化財も豊富といいます。境内にはこれも創建当時からのものという高さ約6mのナギ[市天然]があります。古木ですが樹勢は良好といいます。





 経蔵寺の南側には(須ケ谷)八幡社があります。創建は不詳ですが古くからの神社といい,延宝5年(1677年)以降の棟札が残るといいます。昔ながらの社叢も残り,雰囲気の感じられる神社となっています。

メタウォーター下水道科学館あいち
平和町須ケ谷長田295-3 [公式HP(外部リンク→)]





 八幡社の正面からそのまま東へ進み,突当りを左折して500mほど北上し,さらに突当りを右折するとメタウォーター下水道科学館あいちの西入口があります。愛知県の下水処理場である日光川上流浄化センターと平和処理場に隣接して平成12年(2000年)に開館した下水道の仕組みや役割などを紹介する施設です。平成29年(2017年)にメタウォーターが命名権を獲得したことにより,愛知県下水道科学館から現在の名前となりました。





 下水道に関する展示施設のほか,水に関する3D映像が楽しめる「水のシアター」や3000冊以上の蔵書を誇る図書コーナーなどの充実した設備があり,土曜・休日を中心に様々なワークショップも行われます。エッピーというイメージキャラクターが館のいたるところでお出迎えしてくれます。



 館の外には巨大な芝生広場があって,遊具などもあって子供などの憩いの場所になっています。館の北側にはビオトープが設けられ,魚や昆虫などにとって住みよい環境が設けられており,毎月第2・4土曜日に一般に開放されています。

薬師寺
井堀北出町1116



 下水道科学館の東側出口から出て左手の水路沿いの道を200mほど進むと左手に稲荷社があります。



 その稲荷社のある筋を左折して北上し,続く筋を右折した先の左手には四社大神宮があります。神明社2社と八幡社,熊野社が祀られていることからこの名前があり,このうち八幡社には延享5年(1748年)の棟札が残されているといいます。



 四社大神宮の先の突当りを右折すると,続く十字路の左手に薬師寺(西山浄土宗)があります。宝暦8年(1758年)に天空甚教和尚が創設したといい,文化8年(1811年)に公認されて昭和17年(1942年)に薬師堂から薬師寺へと称するようになったといいます。

浄念寺
井堀中郷町88





 薬師寺の十字路を直進して,150mほど進んだ広い筋を左折します。さらに2本目の筋を右折した先には古天神社があります。創建は不詳ですが寛文12年(1672年)の棟札が残るといい,祭神は菅原道真です。





 古天神社からさらに100mほど南下すると右手に浄念寺(真宗大谷派)があります。井清山と号し,創建は不詳ですが13代目の住職が現在は守っているといいます。蓮如上人や聖徳太子の木像などを有しているといいます。

永福寺
井堀中郷町162





 浄念寺から南下してすぐ左手に永福寺(真言宗智山派)があります。珠玉山と号し,創建は不詳ですが西春日井市味鋺(現,名古屋市北区楠味鋺)の護国院の末寺といい,元禄9年(1696年)に井堀地区に移され,その後現在地に移されたといいます。この付近は上人による教化が進んで真宗の寺院が多い中,珍しい真言宗寺院になっており,本尊は大日如来です。



 永福寺の先の筋を右折して道なりに150mほど西に進んだ右手には(井堀)天神社があります。貞治2年(1363年)勧請の事実のみがわかっており,井堀地区に2つの天神社が残る理由なども含めて詳しいことはわかっていいます。元禄13年(1701年)の棟札が残されているといいます。

大日堂
井堀下郷町39



 永福寺から南下した地点まで戻り,右折してさらに100mほど南下すると(井堀)白山社があります。勧請年月などは不詳ですが,元禄2年(1690年)の棟札が残されているといいます。



 白山社からさらに100mほど南下すると大日堂(真言宗智山派)があります。南にある平和町下三宅の長福寺の境外仏堂にあたり,大日如来がまつられています。

十一面観音堂
平和町観音堂屋敷46





 大日堂からさらに南下して道なりに三宅川沿いに進み,さらに川沿いを150mほど南下した右手には観音堂(浄土宗)があります。弘安3年(1280年)の創立といい,堂内には十一面観音菩薩が祀られ,江戸時代は尾張33か所霊場の24番札所として多くの参詣を集める名刹だったといいます。境内には古くからの石仏が祀られ,昔ながらの雰囲気を伝えています。



 観音堂の前のT字路を右折し,続く筋を左折して100m弱進むと山王社が祀られています。元々あった山王社が大正9年(1920年)に後で訪れる熱田社に合祀されましたが,昭和26年(1951年)に境内が整備されて山王社として祀られてできた神社といいます。

延命寺
平和町上三宅上屋敷180



 山王社の先の筋を左折して三宅川まで戻り,川の手前の筋を右折して300m強進んだ「上三宅」交差点を右折します。さらに100mほど進んだ右側に延命寺(浄土宗)があります。瑞雲山と号し,元亀元年(1570年)に善阿和尚によって創立したといい,その後元禄16年(1703年)と明和7年(1770年)に再興されたといい,寛政年間(1790年頃)に寺門の繁栄に力がそそがれ財政の基礎が築かれたといいます。本尊は阿弥陀如来で,念持仏の延命地蔵菩薩は三宅御守役の橋本伊賀守道一が1600年頃に祀ったものといい,霊験あらたかで多くの人々から参詣を受けたといいます。

聖順寺
平和町上三宅上屋敷203







 延命寺から東に戻って,次の聖順寺の標柱がある筋を右折して50mほど進むと聖順寺(真宗大谷派)があります。創建時は満願寺と称する天台宗の寺院で,上三宅地区の西部にあったといいます。元亀年間(1570年)からの石山合戦に参加し,その功績から聖順寺として浄土真宗に改宗したといいます。

(中三宅)八剣社
平和町中三宅中屋敷70





 聖順寺の先の突当りを右折して道なりに進み,続く筋を右折し,さらのその先の筋を左折して100mほど南下したところに八剣社があります。創建は不詳ですが,伝承によれば慶長年間(1596〜1615)に三宅城主の橋本道正が深く当社を崇敬し,様々な神具や領地を寄進したと伝わり,それ以降中三宅の産土神として人々に厚い崇敬を受けているといいます。境内には北の町道が拡張された際に移された秋葉社と稲荷社も鎮座しています。境内入り口にある灯籠は文久2年(1862年)の銘がある貴重なものといいます。
 神社に寄進した橋本伊賀守が居住した三宅城はこの北西の東レテキスタイル工場の敷地付近にあったといいますが,残念ながら現在遺構などは残されていません。

(上三宅)熱田社
平和町上三宅上屋敷148





 八剣社から北に戻って200mほど進み,県道に突き当たったら左折して50mほど進むと右手に熱田社があります。古くから上三宅の産土神として地域の人々から信仰を受けてきた神社と考えられています。大正8年(1919年)に神明社を合祀しますが,この社は洪水のたびに上流の須ヶ谷から流れ着いたことから,流れ着いた先に祀ったものといい,流れ宮とも呼ばれているといいます。毎年9月には「流れ宮祭」が行われているといいます。かつては橿の宮と呼ばれ,境内は鬱蒼と木が生い茂っていたといいますが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で大きな被害を受け,社叢が小さくなったといいます。昭和41年(1966年)には社務所が新しく設けられ,村の会合や祭典を行う際などに用いられているといいます。
 熱田社の先のコンビニエンスストアがある信号のある交差点を越えて300mほど進むとバローメガストア稲沢平和店があります。ホームセンターですが,飲食店なども併設されており場合によってはウォーキングの休憩地点として活用できます。

内荒神社
平和町法立国道東137





 バローメガストア稲沢平和店からさらに500mほど西に進んだ右手に内荒神社があります。創建は不詳ですが一説には平安時代の延喜式神名帳に記載されている大口神社に当たるともいわれています。昔から法立地区の産土神として信仰を受け,地域でもコウジンと呼ばれています。社殿の周辺には立派な社叢を持ち,静かな雰囲気を感じられる神社です。隣接して神明社も設けられています。
 なお,ここ法立地区の個人宅には尾州中島郡法立村検地帳[市文化]が保存されています。慶長13年(1608年)に伊奈備前守が徳川家康の命により作成した検地帳といい,尾張藩草創期の石高などの基礎資料となっているものといいます。当時のものが数多くなくなっている中,一部欠損を除いて良好に保存されている大変貴重な検地帳といいます。また,この地区に伝わっている木遣音頭[市民俗]は,元々加藤清正が名古屋城を築城した際に唱えたという音頭を法立の近藤甚七が習い覚えて広めたものと伝わっています。この地区では保存会が結成されて後継者の育成につとめているといいます。

了正寺
平和町法立東瀬古下638





 内荒神社から西へ200mほど進んだ「法立東」交差点で国道155号線を渡り,さらに150mほど西に進んだ3本目の筋を右折した先に了正寺(真宗大谷派)があります。藤房山と号し,文明4年(1473年)に藤原藤房の子孫という雲正が開山したといいます。尾張徇行記には草創は不詳ですが,三河本証寺(現,安城市)の末寺だと記載されているといいます。



 了正寺から北に進んで続く筋を左折し,道なりに西に進んで県道に突き当たったら右折すると,ここに稲荷大神が祀られています。

(法立)神明社
平和町法立北瀬古310





 稲荷大神の先の分岐を右奥に入り道なりに300m弱進むと(法立)神明社があります。寛文5年(1665年)創建と伝わり,伝説によると南朝の家臣が官職を捨ててこの地に移り住み,守護神を奉賛したともいいます。社殿には「祝部(はかりべ)神明」の神額が掲げられており,法立という地名との関連や昔の神官を指す祝部がこの地に住んでいたことを示すものとも考えられています。昭和34年(1959年)の伊勢湾台風でも被害を受けましたが,昔ながらの社叢を持つ神社に戻ったといいます。

誓玄寺
祖父江町三丸渕二段割38





 (法立)神明社の左手の筋を北上し,そのまま県道に出て県道を300mほど北上します。続く十字路を左折し,その先の日光川を渡って,橋の先の筋を左折し川沿いに進みます。





 川沿いの道を300mほど進み,次の筋を右折して,その次の筋を右に入ったところに誓玄寺(真宗大谷派)があります。寛文3年(1663年)頃の創建とも伝わっています。





 誓玄寺から西の県道に出て左折し,100mほど進んだ2本目の筋を左折します。その先には(三丸渕三段割)神明社があります。

本源寺
祖父江町三丸渕宮裏45







 (三丸渕三段割)神明社から県道に戻り,さらに250mほど南下します。3本目の筋を本源寺の案内に従って左折して50mほど東に進むと本源寺(真宗大谷派)があります。護国山と号し,康正3年(1457年)の創建とも伝わります。山門は第3代尾張藩主の徳川綱誠の霊廟に建てられていた門を建中寺から移したものといいます。寺宝としては中国宋時代のもので,本源寺第11世泰霊が彦根市の覚証寺から購入したという一切経993帖[県文化]があります。これには損傷の激しい1236帖があり,合計2229帖を数えるといいます。また,寺に代々伝わっている本源寺文書[市文化]は検地帳や宗門改帳などこの地域の歴史を物語る貴重なものといいます。当時の村の様子を伝える下丸渕村天保村絵図なども所蔵しており,愛知県図書館のものと比較すると少し違いがみられるといいます。



 本源寺から西に戻り,150mほど進むと右手に(三丸渕上屋敷)神明社があります。

ゴール:名鉄尾西線・丸渕駅





 (三丸渕上屋敷)神明社から南の突当りまで進み,右折して200m弱進み名鉄の踏切を渡ります。踏切を渡ったら左折して線路沿いを200m強進むとゴールの名鉄丸渕駅に到着します。尾西線の電車を利用して,津島駅まで約9分,名鉄一宮駅まで約24分です。名鉄名古屋駅へは津島駅の方が近く約45分,一宮経由の方が乗り換えは少なく約50分で行くことができます。本数は1時間に4本程度の運転です。




写真使用数:61

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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