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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県稲沢市:下津コースORIDU

2018年1月探訪。2018年1月8日作成

【コース】 距離:約9.9km
 市北東部の旧鎌倉街道周辺をめぐります。古代寺院があったという下津地区は貴重な文化財を持つ寺院が多く,稲沢操車場跡地の施設も訪ねます。

≪コース≫ 名鉄・島氏永駅〜亀京寺〜大日寺〜川曲神社〜慈眼寺〜八剱社〜金龍寺〜諏訪社〜福仙寺〜海禅寺〜(陸田)神明社〜リーフウォーク稲沢〜頓乗寺〜下津城跡〜住吉神社〜廣幢寺〜円光寺〜円通寺〜阿弥陀寺〜妙長寺〜JR・稲沢駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄名古屋本線・島氏永駅



 スタート駅は名鉄名古屋本線の島氏永駅です。稲沢市の中心駅である国府宮駅からは一宮方面に向かって次の駅になります。普通列車のみの停車ですので,特急・急行などに乗車した場合は国府宮駅で普通に乗り換えましょう。名鉄名古屋駅からは乗り換えも含めて20〜25分の時間をみておけばいいでしょう。島氏永駅は稲沢市の島と一宮市の氏永の2つを合わせた合成駅名で,駅はちょうど市境に位置しています。開業当時は島駅と氏永駅がそれぞれ設けられていましたが,駅間が短かったために昭和3年(1928年)に高速化のために両駅は統合されました。

亀京寺
島町北浦217





 島氏永駅を出て左手に進み,東へ100m弱進むと右手に二之宮社の裏手入り口があります。往古は大明神社と称し,中世に二之宮と改称されたといいます。熊野社,日吉社,神明社の3社が合祀されています。





 二之宮社の境内を通り抜けて正面鳥居を出た右手に亀京寺(曹洞宗)があります。蓬来山と号し,創建は不詳ですが僧機山の開山と伝わります。言い伝えによるとかつてこの地が島だった時に唐人が漂着して一宇を建てたことから蓬来山という山号になったといいます。長らく観音堂といいましたが明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊して,寺として再建されたといいます。

大日寺
島町東ノ郷1469



 亀京寺を左手へ出て橋を渡り,右折して川沿いを100mほど南下すると左手に大日寺(曹洞宗)があります。天道山と号し,かつてこの地にあった大日如来の堂宇を,幕末に2人姉妹の尼が私財を投げうって私庵を設け,大日堂と称したのが始まりといいます。昭和4年(1929年)の寺として認可され,昭和20年(1945年)に大日寺と改めて曹洞宗になったといいます。

川曲(こうわ)神社
子生和町北屋敷1406





 大日寺から北に戻ってすぐに右折し,250mほど進んだ5本目の橋を渡った次の筋を左折します。そのまま100m強進むと川曲神社があります。平安時代の延喜式神名帳にある従三位川曲神社と考えられる古社で,江戸末期は従三位が間違えられて十三権現と称したといいます。明治初期までは境内に磐境(いわくら)があったといいますが,石垣を設けた際に離散して神殿両側に鏡石と烏帽子石のみが残るといいます。戦前までは正月11日に御歩射神事が行われ,釜にて湯を沸かして献じ射的によって吉凶を占ったといいます。境内には躍動感あふれる大きな神馬像があり,稲沢市の景観地にも指定されています。

慈眼寺
子生和町子安賀93





 川曲神社の右側の筋を北上して150mほど進むと右手に寺が見えますので,その手前を右折して続く筋を左折すると慈眼寺(臨済宗妙心寺派)の入り口があります。無量山と号し,永徳元年(1381年)に円光大照による草創といいます。かつては村の中央にあったといいますが,寛文11年(1671年)に現在地に移され,元禄4年(1691年)に慈眼庵から現寺号に改めたといい,天保14年(1843年)に火災のために本堂を焼失したといいます。寺宝に像高132.5cmの平安末〜鎌倉初期作という木造阿弥陀如来坐像[県文化]があります。各所に補修が見られるものの穏やかな顔立ちをして定印を結んでいる御像です。また円空作の合唱形立像や小栗判官の室の照手姫がこの地で安産したことから授けられたといい,子生和の地名の由来にもなっていると伝わる子安観音があるといいます。

(赤池)八剱社
赤池町松山2273





 慈眼寺から東に進んで突当りを右折し,その先のコンビニを越えた先の筋を左折します。400m強進んでJRをくぐる道を注意して進み,越えた先の突当りで右の道に合流して先の「赤池居道」交差点を左折します。なお,県道を250mほど北上した右手には赤池古蹟の碑と赤池地蔵があります。碑にはこの地域の歴史などが記載されているようです。



 「赤池居道」から北に1筋目の道を右折し200mほど進んだ3本目の筋を左折すると森に覆われた浅間社があります。





 浅間社へと左折するところから200mほど直進して東に進むと左手に(赤池)八剱社があります。創建は不詳ですが天正年間(1573〜93)以前の創建といい,この地域の氏神として信仰されたと考えられます。



 境内東側にはかつてあった西岸寺跡の碑があります。浄土宗で名古屋高岳院の末寺で,延宝9年(1681年)の創建だったといいます。

金龍寺
赤池北町66



 八剱社の東側の御行幸碑のところを右折します。この筋は,かつて京と鎌倉を結んだという鎌倉街道にあたる道です。150mほど進んだ信号を横断歩道を渡って左折します。





 続く筋を右折し,さらに150mほど進んだ4本目の筋を左奥方向に進むと,金龍寺(曹洞宗)があります。白雲山と号し,創建は不詳ですが元文4年(1736年)に正眼寺28世和尚によって再興されたといい,当初は道場山金久寺と称したといいます。その後,度重なる木曽川の氾濫で寺宝を失ったため,享保18年(1733年)に郷社の境内に移動して現在の寺号に改称したといいます。鎮守の天王社庚申堂や秋葉神社,遠州の奥山半僧坊も併置され,歴史を感じさせる境内といいます。



 金龍寺から100mほど南下した左手には薬師堂があります。文政8年(1825年)の創建といいますが詳細はわからないといいます。





 薬師堂のところを右折して,さらに2本目の筋を右折して道なりに150mほど進むと諏訪社があります。

福仙寺
陸田(くがた)本町83-1





 諏訪社から西へ400m弱田園地帯を進み,県道に突き当たったら左手の砲弾歩道を渡って案内板にしたがって筋に入ると,進んだ先に福仙寺(真宗大谷派)があります。佐々木山と号し,明応元年(1492年)の創建で当初は天台宗で福仙坊と称したといいます。貞享2年(1684年)に本山より福仙寺の寺号と本尊の阿弥陀如来が授与され,真宗に改宗したといいます。寺宝に永正4年(1507年)制作という絹本著色阿弥陀如来像[市文化]があます。本願寺9世の実如上人から大和国葛下郡庄別所に下賜したものといい,福仙寺への伝来経路は不明ですが,当地に残るものとしては最古という貴重な尊像であるといいます。

海禅寺
陸田本町102



 福仙寺から西に進んで突当りを左折して少し進むと海禅寺(臨済宗妙心寺派)があります。元和年間(1615〜24)に策峰和尚による開山とも伝わり,往古は清円寺といいましたが烈風にて廃寺となったといいます。その後,一宇が建立されて本尊の薬師如来が安置され,寛文元年(1661年)に禅源寺(稲沢市稲葉)の支配となります。延享元年(1744年)に熱田海禅院の号を受けて薬師堂の寺号になったといい,のちに寺の名前になったといいます。



 海禅寺から南下して次の筋を左折すると,次の交差点を越えた先の左手に妙晃寺(日蓮宗)があります。明治21年(1888年)に日蓮宗の説教所として創建され,大正15年(1926年)に国鉄の線路拡張で現在地に移転したといいます。昭和21年(1946年)に現在の寺号になりました。

(陸田)神明社
陸田本町163



 妙晃寺の先の県道に突き当たる手前の筋を右折し,150mほど進んだ突当りを左折して道なりに進むと(陸田)神明社があります。創建は不詳ですが天正年間以前の古社といい,陸田(くがた)村の氏神として信仰されたと考えられています。なお,この西の陸田丸之内町にはかつて織田信雄の家臣である陸田市左衛門が居城したという陸田城跡があり,田園地帯に碑が設けられています。
 神明社の先で県道に突き当たったら左折して,県道を進みます。この県道はかつて岐阜と名古屋を結ぶ岐阜街道に当たり,かつての国道25号線です。江戸時代には岐阜は尾張藩の直轄地となり,長良川の鵜飼いでとれた鮎を御鮨にして運ぶ街道であったことから御鮨(おすし)街道とも呼ばれたといいます。

リーフウォーク稲沢
長野7-1-2 [公式HP(外部リンク→)]









 神明社の先から県道を400mほど進むと右手にリーフウォーク稲沢があります。かつての稲沢操車場の跡地を利用して平成21年(2009年)に開業し,アピタ稲沢東店を中心に145もの専門店がそろう大型のショッピングセンターです。稲沢が植栽の町として有名であることからリーフを冠した名前になりました。かつての稲沢操車場だったことに関連して鉄道模型コーナーがあったり,かつての鉄道車両が展示されたりと様々な見どころがあります。周辺にはウォーキングコースも整備されており,単なる休憩地点だけではなく,じっくり施設をめぐっても楽しい場所です。

頓乗寺
下津片町211







 リーフウォーク稲沢の先のガソリンスタンドのある交差点を左折し,100m弱進んだ2本目の水路沿いの道を右折します。さらに200mほど進んだ4本目の筋を左折し,150mほど進んだ突当りを右折すると頓乗寺(曹洞宗)があります。保堂山と号し,貞和3年(1347年)に僧明貞による創建といい,当初は時宗だったといいます。元中5年(1388年)には足利義満が富士遊覧した際に当寺に宿泊したとも伝わります。その後荒廃しますが寛永7年(1630年)にかつて付近にあったという曹洞宗の大本山であった正眼寺(現,小牧市)16世天山和尚が再興して曹洞宗となりました。享保元年(1716年)に火災に遭って焼失したために,翌年に現在の住吉神社の東にあったものが現在地に移されました。

下津(おりづ)城跡
下津高戸町



 頓乗寺の正面から東に続く筋に入り,すぐに左折して水路沿いの道を250mほど進みます。突当りを右折し,100mほど進んで下津小学校に突き当たったら右折すると,すぐ右手に下津城跡の碑があります。鎌倉街道の宿場町で市もあったという下津の地に尾張の守護所が設けられたのが始まりといい,永享4年(1432年)には将軍の足利義教が宿泊したとも伝わっています。文正元年(1466年)頃には尾張守護代の織田敏広が居城してこの地域を支配しますが,文明8年(1476年)に織田家の分家に当たり犬山を居城とした織田敏定に攻められ,下津城は廃城になったといいます。これにより尾張の守護所は清須へと移され,織田敏広は岩倉城を築いて居城とすることになります。碑のある付近が本丸跡ともいい,約100m四方におよぶ高台がありましたが,昭和34年(1959年)以降の土地改良事業で平地となり,わずかに土塁が残るのみです。



 下津城跡の碑の東に下津小学校があります。校内南東には昭和50年(1975年)に校内に移されたムクノキ[市天然]があります。この木は元々東の青木川の堤防上にあり,富士山信仰の塚である富士塚が設けられていたといいます。木の幹にはヒナノハイゴケが生え,これは尾張平野部では珍しいものといいます。







 下津城跡から100mほど南下した3本目の筋を左折した先には住吉神社があります。元和年中(1615〜24)に浅野紀伊守源幸が長病平癒を祈願し,回復したので神殿と祭文殿を改造したと伝わっているといいます。境内西側には旧鎌倉街道跡の碑があります。この付近は鎌倉街道にまつわる史跡がいくつかあります。毎年10月には湯の花神事が行われるといいます。

廣幢(こうどう)寺
下津二本杉町66







 住吉神社の参道を南下して突当りの社標のところを左折し,続く十字路を右折します。100m弱進んだ2つ目の筋を廣幢寺の案内にしたがって左折すると廣幢寺(曹洞宗)があります。堅照山と号し,享禄2年(1528年)に正眼寺(現,小牧市)8世宣叟曇周和尚により建立されたといいます。当初は袋松院と称し,代々正眼寺住職になるための準備のためのお寺という寺格だったといいます。元禄2年(1689年)に現在の寺号になったといい,安永3年(1774年)に火災に遭ったので宝暦5年(1755年)に再興されたといいます。寺宝に室町後期の絹本著色薬師三尊十二神将像[市文化]と,寛永20年(1643年)に狩野了之が制作したという紙本墨画釈迦寒山拾得図[市文化]3幅などを有しています。境内墓地には織田家代々の墓があり,下津城を支配した織田家に関連するともいわれています。





 廣幢寺の南側から出て右手に進み,続く交差点を左折して南へ200mほど進むと左手に(下津)神明社があります。創建は不詳ですが,天正年間(1573〜93)以前の創建と伝わっています。

円光寺
下津土山町55





 神明社から100mほど南下した3本目の筋を左折した先に円光寺(天台宗)があります。寂光山と号し,養老3年(723年)に伊勢安濃津(現,津市)の城守志摩益信によって建立されたと伝わり,七堂伽藍や塔頭23カ寺,末寺48カ寺を有する大寺院であったといいます。文明3年(1471年),大永4年(1524年),天正年間(1573〜92)と三度の火災で堂塔宝物などがすべて焼失し,荒廃しましたが,江戸時代初期に龍海法印により再興されたといいます。山門[市文化]は嘉永7年(1854年)の建立といいます。本尊の平安末期の作という木造聖観音菩薩立像[市文化]や室町時代作という阿吽一対の木造仁王像[市文化]など貴重な仏像を所蔵しています。

円通寺
下津寺前町12





 円光寺の右側の筋を進み,次の筋を右折して南下し,さらに続く筋を左折した先には円通寺(真宗大谷派)があります。真証山と号し,延元2年(1337年)に比叡山法職の定宗法印が創建したといい,当初は天台宗で自身の故郷の丹羽郡川井村(現,岩倉市)にあって霊照院と称したといいます。定宗法印は長らく御醍醐天皇を擁護し,足利尊氏と争った人物と伝わっています。天文9年(1540年)9代唯念が浄土真宗に改宗し,本願寺証如上人から画像阿弥陀如来を賜ったといい,それが現在寺に伝わる絹本著色阿弥陀如来像[市文化]といいます。その翌年に寺が現在地に移されたと伝わります。他に寺宝として元和4年(1618年)に東本願寺から下賜されたという絹本著色顕如上人像[市文化]があります。保存状態も良好な貴重な文化財といいます。

阿弥陀寺
下津寺東下町65 [公式HP(外部リンク→)]





 円通寺から西に戻り,150mほど先の2本目の筋を左折すると,少し先に神社が設けられています。さらに50mほど道なりに進むと阿弥陀寺(真宗大谷派)があります。国府山と号し,延応元年(1239年)に伊勢国安濃津(現,津市)の大宝院祐範が霊尊を受けて創建したといい,当初は真言宗で納謨寺と称したといいます。文明年間(1469〜87)に良僧が蓮如上人に教化されて真宗に改め,寺号を阿弥陀寺に改めたといいます。天正初期(1573〜)の長島一向一揆で織田信長に対抗したために寺は焼き払われますが,文禄2年(1593年)頃まで復興し,その後教如上人などの門跡の末寺として親鸞聖人二十四輩地になったといいます。寺宝には,文明年間に蓮如上人から賜ったという紙本墨書六字名号[市文化],室町時代に本願寺10世の證如上人から賜ったという絹本著色阿弥陀如来像[市文化],慶長11年(1606年)に賜ったという絹本著色蓮如上人像[市文化]などがあります。

妙長寺
下津寺東下町3



 阿弥陀寺から西側の旧鎌倉街道に出て左折し,南下して300mほど進むと左手に妙長寺(日蓮宗)があります。瑞雲山と号し,応仁元年(1467年)に下津の山田明長が京都で戦死したため,その子長親が父の菩提を弔うために文明10年(1478年)に,現在の阿弥陀堂の東付近に創建し,法華堂または題目堂と号したといいます。享禄4年(1531年)に御堂や仏堂などが再建されて明長にちなんで青遠山妙長寺と改称し,天正11年(1583年)には織田信雄が一宮参詣の帰路に立ち寄って妙長父寺とし,同14年(1586年)に清須に移され,慶長15年(1610年)には名古屋に移されて妙長山照遠寺と号しました。清須に移されたのちに旧地には三十番神をまつった番神堂が設けられましたが火災で焼失したため現在地に移され,昭和16年(1941年)に現在の寺号となりました。



 妙長寺から北に戻って「下津下町」交差点を左折し,さらに2本目の筋を右折して600mほど進んだ池を越えた先の分岐を右に進むと山神社があります。由来は不詳ですが天正以前の創建と伝わります。

ゴール:JR東海道線・稲沢駅





 山神社から道なりに西方向に進んで,「稲沢駅東」交差点を越えて西に進むと右手に稲沢駅東広場が広がります。かつて稲沢操車場があった場所に設けられた広大な公園で,市民の憩いの場になっています。





 その先に稲沢駅東口があります。普通列車のみの停車ですが,東海道線で名古屋駅まで約11分で行くことができアクセスは便利です。本数は1時間に4本程度です。




写真使用数:56

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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