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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県海部郡大治町:大治中央コースO-HARU CENTRAL

2015年5月探訪。2017年1月30日作成

【コース】 距離:約7.2km
町中心部の馬島・堀之内・長牧・花常・中島地区とあま市坂牧地区の社寺をめぐります。大治町の古くからの信仰を感じながら歩いていきます。

名鉄バス・大治役場前バス停〜明眼院〜松林寺〜東光寺〜龍源寺〜本覚寺〜大治町スポーツセンター〜西宮神社〜円光寺〜前田社〜延命寺〜浄水場公園〜宝昌寺〜本覚寺〜建宗寺〜大治町役場〜馬島社〜名鉄バス・大治役場前バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス/名古屋市バス・大治役場前バス停



 スタート地点となる大治役場前バス停へは,名古屋地下鉄東山線の中村公園駅から名古屋市バスの名駅24および中村14系統が1時間に2本,名鉄バスが1時間に6本程度日中は運転されています。所要は中村公園駅から約15分です。名鉄バスは,名鉄バスセンターから1時間に4本,栄から1時間に2本程度運転されているので,名古屋中心部からの利用も可能です。

明眼院
馬島北割117





 大治役場前バス停付近の「馬島」交差点から参道を北に進みます。参道の入り口には明眼院の標柱と地蔵堂があります。



 100m強進むと,明眼院(天台宗)があります。五大山と号し,延暦21年(802年)に最澄の弟子である聖円上人が,行基作という薬師如来を本尊に迎えて五太山安養寺として開基したのが始まりといいます。大伽藍を誇りましたが南北朝の戦乱などで荒廃しますが,清眼僧都が延文2年(1357年)に再建し,薬師如来の夢のお告げにより眼病治療を行って多くの人を助けたといいます。寛永9年(1632年)に当時の住職円慶が後水尾天皇の三女の眼病を治癒した功績により明眼院の寺号を授けられ,明和3年(1766年)には桃園天皇の二女の眼病を治癒したことで勅願寺となり,尾張藩からも36石の寺領が与えられました。その結果,明眼院の名前が全国に広まり,多くの眼病患者が訪れ,門前町のように商家が立ち並びました。明治維新により僧侶の医療行為が禁止されたために明治8年(1875年)に廃業しましたが,境内に診療所跡の碑があり当時の様子を伝えます。
 入り口には左右の屋根付き格子があり,仁王像[町文化]が立っています。鎌倉時代の造立といい,2体とも片腕の先が欠損していますが,慶派作と考えられています。なお,旧仁王門は明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊したといいます。



 入った先には本堂があります。江戸時代に患者だった著名人から寄贈された文物が多数文化財となっており,中国明時代の花鳥図,狩野常信筆の風神雷神図,桃山時代の雲谷派系統の筆と推定される円画山水図[いずれも県文化]の絵画や,江戸初期の蒔絵が施された茶箱,室町時代の呂宋茶壺,中国唐時代の作という金剛鈴杵[いずれも県文化],室町中期の現在の仏飯器にあたる飯食器[町文化]の工芸品,明眼院で治療を受けたという小堀遠州の書状[町文化],歴史資料では馬嶋村の田畑の持ち主などが記載されている尾州海東郡馬嶋村薬師領御縄打帳[町文化]などが所蔵されています。



 本堂左手には,大日如来が収められていることから大日堂と呼ばれる旧多宝塔[国登録]があり,室町時代の創建といいます。かつては二重塔でしたが,現在は初塔だけが残っています。内部におさめられている大日如来坐像[町文化]は像高110cmの寄木造で,鎌倉時代の作であるが平安時代の仏像が意識され,町内の古仏として貴重です。裏庭には竿に特色のある織部灯籠があり,貴重なものといいます。

松林寺
堀之内郷中252



 明眼院の出口から左へ,東方向に100m強道なりに進むと,松林寺(曹洞宗)があります。月照山と号し,伊勢国社寺大工の平松氏が正徳3年(1713年)に建宗寺の本堂を建立した際に,同宗派の寺院として建立されたと推定されています。昭和12年(1937年)に寺院として許可されました。





 松林寺から先の筋を右折し,続く筋を右折,左折として進むと左手に天満宮があります。本堂は最近になって新しくなったといいます。

東光寺
堀之内郷中289





 天満宮の裏手から出て左に進むと,次の交差点の先に東光寺(曹洞宗)があります。島陰山と号し,熱田法持寺の末寺として弘治3年(1557年)に創建され,『尾張徇行記』によると日輪山と号したといいます。現在の建物は明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊したのち,明治26年(1893年)に再建されたものといいます。



 東方向に戻って150m強進んでいくと,田園地帯のところに堀之内の神明社があります。この付近の堀之内村にて古くから信仰されてきたと考えられます。堀之内村は低地で沼田が多かったと記録され,多くの人が苦労して耕作してきた様子がうかがえます。

龍源寺
北間島屋敷3





 堀之内の神明社の先の筋を左折し,100mほど進んだ次の筋を右折すると,100m弱で龍源寺(曹洞宗)があります。玉峰山と号し,創建は16世紀初頭といい,当初は無人の堂宇であったといいます。その後,名古屋城御園御門付近に住む学者であった吉田不説によって中興され,元和7年(1621年)に初代住職が迎えられました。参道西側にはひろく茶華道の教えを受けた門弟によって建てられた,21代住職の指月庵得心の碑があるといいます。

本覚寺
北間島屋敷92





 龍源寺の先150mほどの2本目の筋を右折して少し進むと,右手に本覚寺(真宗大谷派)があります。瑞耀山と号し,明応8年(1499年)に木材の寄進を受けて瑞耀光山本願寺と称して創建されたといい,その後荒廃したので円教によって再建され,現在の寺号に改称されたといいます。この寺も濃尾地震で寺の建物が倒壊し,その後再建されて,昭和43年(1968年)に本堂の修理が行われたといいます。現在はこの北にあるずいよう幼稚園を経営しています。



 なお本覚寺の南,バス通りに出たところの東条バス停のそばには,東条神明社があります。





 本覚寺から北に200m弱進むと,左手に八王子社があります。天之忍穂耳命など8柱の神が祭神となっているのでこの名前があるといい,北間島村の人々の信仰を受けてきたと考えられ,村内のいくつかの社を合祀したとも考えられます。

大治町スポーツセンター
北間島藤田33-1



 八王子社から北へ200mほど進むと右手に大治町スポーツセンターがあります。平成8年(1996年)に設けられた施設で,名古屋市内のスポーツセンターと同様に2・3階のメインアリーナと,1階の武道場・サブアリーナなど体育施設が整っており,3階にはランニングコースも設けられています。ウォーキングの際の休憩ポイントとして利用しましょう。





 スポーツセンターの手前,南側の道路へ右折し,突当りを左折して続く筋を右折します。さらに次の筋を右折して,2本目の筋を左折して300m弱進むと左手に八幡社があります。応神天皇を祭神とし,境内には海部地方には珍しいというユズリハの木があります。



 八幡社の左手の道に入って突当りを右折し,さらにその先の突当りを左折し,続いて突当りを右折します。続いて次の筋を左折して,その次の交差点を右折すると少し先の右手に西宮神社があります。古くは石神,三狐社とも呼ばれ,おしゃもじという石をご神体として祀った古い民間信仰から生まれた神社といいます。

円光寺
長牧前田16



 西宮神社から北上した交差点を右折し,さらに2本目の筋を左折して150mほど北上した4本目の筋を右折すると,左手に円光寺(浄土宗)があります。崇敬山と号し,創建は天和2年(1682年)といい,元禄17年(1704年)に中興されたといいます。堂宇は明治24年(1891年)の濃尾地震の倒壊を受けた後に再建されましたが,その後昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で庫裡の一部を残して倒壊したといいます。





 円光寺の少し先の右手に前田社があります。本殿などの建物が西向きになっている珍しいとされる神社で,地域の人々の信仰の場になっています。この付近にはお地蔵様も設けられ,庶民信仰が感じられます。



 前田社から進んで先の筋を左折し,その先の県道の横断歩道を渡って左折します。200m先のコメダ珈琲の手前の筋を右折し,続く筋を左折すると坂牧大塚の日吉神社があります。

日吉神社(坂牧郷)
あま市坂牧郷33





 日吉神社の先を道なりに右折してあま市に入り,続く筋を左折して100m先の広い筋を左折し,続く「坂牧東」交差点で右折して,県道を100m強進んだ「坂牧」交差点を左折して,100m強進むと左手に坂牧郷の日吉神社があります。天和3年(1683年)の創立といい,かつては現在境内社になっている白山社が主神だったと考えられています。その後,延命寺が社僧となって日吉社を主神にしたといいます。



 この東にも昔ながらのお地蔵さまが祀られており庶民信仰を感じます。

延命寺
あま市坂牧郷30





 日吉神社に隣接して延命寺(曹洞宗)があります。青林山と号し,貞観14年(872年)に前身となる清林寺が創建されたという古刹で,当初は天台宗で,のちに真言宗の大伽藍になったといいます。しかし長い時間で荒廃して12坊あった伽藍も延命寺のみが残り,天文15年(1584年)に熱田法持寺4世の仙英和尚が開山して,清林寺から山号を青林山として曹洞宗に改めたといいます。寺伝によると久寿年間(1154〜55)に源頼政公が関東に下向した際に,病を患って苦しんでいたところ,清林寺の本尊仏に祈願して回復したために,それに感謝して本郷,長牧の2村を寄進したといいます。また,本尊の将軍地蔵菩薩は,鎌倉将軍の惟康親王の御作と伝わります。



 境内北側の薬師堂には,源頼政が寄進したという薬師如来があり,俗に寿命仏と呼ばれて昔から人々に信仰されているといい,安置している厨子は簡素ながらも製作年代も古い貴重なものといいます。また,本堂前には俗にキリシタン灯籠と呼ばれる織部灯籠があり,灯籠の模様にマリア像や十字架が刻まれて人知れず礼拝された様子が伝わります。尾張は全国でも有数のキリスト教信者が多かった地域と伝わっています。





 延命寺の先を右折して,続く筋を左折し,200mほど進んだ突当りを右折して,続く筋を左折してピアゴ大治店の横を通り,150mほど進むと花常の神明社があります。ここから大治町に戻ります。



 神明社から1本戻って,やや広い通りを南下します。400mほど進んだ左手には大治浄水場が広がります。名古屋市へ水道を供給するための設備になります。脇には浄水場公園も設けられているので,ウォーキングの休憩地点としても活用できます。

宝昌寺
花常東屋敷3





 浄水場公園から4本目の筋を右折すると,100mほど先に八幡社があります。祭神は応神天皇で,花常村の信仰の場所です。この付近は湿地帯で,かつては耕作に苦労があった記録があるそうです。





 八幡社の先には宝昌寺(曹洞宗)があります。秋葉山と号し,慶長3年(1598年)に熱田法持寺の末寺として入江夢庵によって創建されたといいます。5代良音和尚が遠州秋葉寺の役僧となり,この寺が秋葉寺の尾張総本部となったことから,明治25年(1892年)に現在の山号に改称されました。寺宝として円空作の2体の観音菩薩があり,県内の最初期の像として貴重といい,他にも豊臣秀吉の朱印状などがあるといいます。境内には花常稲荷大明神が祀られ,旧初午に大祭が行われているといいます。



 宝昌寺の先を突当りまで進みます。この右手には地蔵堂が設けられています。

正覚寺
花常東屋敷41





 宝昌寺の先の突当りを左折して南下し,100mほど先の突当りを左折すると,少し先の左手に正覚寺(真宗高田派)の入り口があります。菩提山と号し,創建は不詳ですがかつては天台宗で,現在のあま市古道にあったといいます。永禄6年(1563年)にこの地にあったという聖徳太子像を管理していたことから,住民が土地を寄進して寺が現在地に移され,その後真宗高田派に改称されたといいます。寺宝には寛延2年(1749年)に寺内の古井戸から発見されたという阿弥陀如来の金仏があり,井戸仏と称して本堂に安置されています。濃尾地震などの被害にあったため,昭和33年(1958年)に現在の堂宇が設けられたといいます。

建宗寺
中島大門先139





 正覚寺の先の筋を右折し,100m弱先の突当りを右折したら,少し先に建宗寺(曹洞宗)があります。広獄山と号し,寺伝によると平安時代には天台宗で,鎌倉中期に曹洞宗に転派したといい,文明3年(1471年)に松葉城主だった安井将監秀勝が,安井家の菩提寺として常安寺(豊山町)の禅師を招いて法地開山したといいます。境内には松葉城主の子孫という安井将監秀久之墓があります。



 建宗寺の先,左手には中島の神明社があります。境内には尾張南部には珍しいアキニレの木が8本あり,8本もまとまって同じ場所にあるのは大変珍しいといいます。

大治町役場
馬島大門西1-1 [公式HP(外部リンク→)]



 神明社から東に戻り,2本目の筋を左に進んだところに大治町公民館があります。ここには江戸時代中期頃の明眼院境内の図である版木明眼院境内之図や,馬島村にかつてあった正保2年(1646年)の銘がある神輿などの文化財を保有しているといいます。



 さらに北に進んだ左手には,大治護国神社があります。戦没者を追悼するために昭和30年(1955年)頃に設けられました。



 護国神社の道路向かいには明眼院の宝篋印塔[町文化]があります。草に覆われていますが尾張地方では珍しい南北朝時代から残る宝篋印塔といい,刻まれた文字などは薄くなっていますが,欠損も少なく品格のあるたたずまいを今に伝えています。



 宝篋印塔の先の筋を右折した先には大治町役場があります。大治町の行政情報や観光情報などを手に入れる場合には活用しましょう。



 役場の北東にある大治小学校の校庭には町の木に指定されているセンダンがあります。

馬島社
馬島大門西102



 大治町役場の南側に出て,そのまま南の細い道を道なりに進み,突当りを左折すると,その先に馬島社があります。明眼院に隣接し,かつては白山神社と呼ばれて,この付近の富田荘の総合的な守護神として崇拝されたといい,明眼院と並んで古くからの歴史のある神社です。明治になって神仏分離が求められた際,馬島地区の氏神神社となり,現在まで崇拝されています。境内は立派な林叢に覆われ,古社としてのたたずまいを見せています。

ゴール:名鉄バス/名古屋市バス・大治町役場バス停

 馬島社からそのまま東へ直進すると明眼院の前に戻ってきます。ここを右折して150mほど進み,バス通りに出たら右手に進むとすぐにスタートした大治町役場バス停に到着します。名古屋市バスと名鉄バスを利用して地下鉄東山線の中村公園駅までおよそ15分で,1時間に合計8本程度運転されています。名鉄バスを利用すれば,名鉄バスセンターや栄に戻ることもできます。


写真使用数:52

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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