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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県海部郡大治町:大治東コースO-HARU EAST

2015年5月探訪。2017年1月23日作成

【コース】 距離:約6.8km
 町東部の砂子・三本木・鎌須賀・八ツ屋の各地域をめぐります。佐屋街道と新川周辺の社寺・史跡を,歴史を感じながら訪ねていきましょう。

名鉄バス・吉津一丁目バス停〜十二所神社〜自性院〜砂子白山社〜三本木白山社〜七面堂〜すこやかおおはる〜(佐屋街道)〜玉泉寺〜浅間神社〜鎌須賀白山社〜鎌須賀神明社〜浄国寺〜八屋孝女塚〜名鉄バス・大正橋西バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋市バス/名鉄バス・吉津一丁目バス停



 スタート地点となる吉津一丁目バス停へは,名古屋市バスと名鉄バスの両方が利用できます。便利なのが東山線岩塚駅からのバスで,幹中村1,金山23,中村12系統および名鉄バスが利用可能で,本数も合計で1時間に7〜8本あるので便利です。その他,中村公園駅,金山駅からのバス便や名鉄バスセンターから名鉄バスも利用可能ですが,これらについては時刻を調べて利用するといいでしょう。

十二所神社
砂子千手堂703





 「吉津一丁目」交差点の北東側に出て東に進み,高架左横の道を進み階段手前の筋を左折します。そのまま200m強,川の横の細い筋を進み,次の県道117号線に突き当たったら左折し,続く筋を右折すると十二所神社の参道になります。



 参道を250mほど進むと突当りに十二所神社があります。「尾張徇行記」によると大宝3年(703年)の創建で,寛永3年(1626年)の再建といい,七所神社が合祀されているようです。かつては佐屋街道沿いの神社として栄えた様子を思わせますが,現在は背景にマンションが建ち,情緒がなくなってしまいました。



 すぐそばの民家の脇には栗田直政紀念碑があります。この地で文化4年(1807年)に神官の家に生まれた栗田直政は,鈴木朖(あきら)に学んで尾張で名高い国学者となりました。名高い源氏物語の注釈書である『源氏物語遠鏡』を著したことで知られています。

自性院
砂子千手堂710





 十二所神社の西側すぐのところに自性院(真言宗智山派)があります。北野山と号し,寺伝によると大宝2年(702年)に行基によって創建されたという古刹であり,享保10年(1725年)に火災で焼失したのち,現在地に移されたといいます。その際に周辺の成願寺,楊柳寺,新善光寺の三カ寺にあった遺品が統合されたといい,寺門の額が「成願寺」となっているのはそのためといいます。成願寺は北条時政が建久2年(1194年)に上洛した際に宿願成就を祈願して堂宇を建立したといい,嘉暦2年(1327年)頃の『富田庄図』にも見られます。江戸時代には大須観音(真福寺宝生院)の末寺となりました。本尊の木造薬師如来坐像[町文化]は行基作の伝承がありますが,藤原時代中期の作と考えられ,江戸後期に光背や台座が作られたといいます。普段は秘仏で本堂奥の厨子内に納められています。本堂内は他にも平安後期の作という大威徳明王像,十二神将や日光・月光菩薩などが所狭しと並び,圧巻の姿といいます。他にも文明18年(1486年)と成願寺の銘のある鰐口[町文化],花鳥・天女の模様をすかしたうちわ状の華鬘,仏画や経典など多くの文化財を保有しています。また,境内はアジサイの名所としても知られているそうです。



 自性院の先,次の交差点の手前には地蔵堂があり,その奥には高札場跡の案内があります。地蔵堂は佐屋街道を行き来する人々によって信仰されたと考えられ,高札場は街道を行き交う人に伝達するために高札が掲げられた場所です。

砂子白山社
砂子山ノ前764



 高札場跡の手前の交差点を右折して100mほど北上すると,右手に聖観世音菩薩が祀られています。





 さらに100mほど進むと左手に砂子白山社の入り口があります。加賀の国白山から勧請されたもので,この付近は馬島の白山社を中心として多くの白山社があります。かつてこの付近は富田荘と呼ばれ,それらの集落の中には白山社が勧請されているものが多いことから,その関係が注目されます。

三本木白山社
三本木屋形75



 砂子白山社の入り口の北の交差点を左折し,200m強進んだ次の十字路を右折します。その先の大治南小学校の東門の前には「従是馬嶋明眼院道」と記された道標があります。佐屋街道から明眼院へと続く分岐点におかれたもので,往時は南の稲荷社の南西角にありました。



 150mほど北上すると正面に三本木白山社があります。創建は不詳ですが,文献によると江戸時代初期の寛文年間の記録に記載され,その頃には鎮座していたといいます。平成12年(2000年)に改築が行われました。



 三本木神明社の右奥には光雲寺(真宗大谷派)があります。放光山と号し,文政6年(1823年)に名古屋桜の浄念寺の境内に創建され,明治12年(1879年)に分離されて現在地に移りました。





 光雲寺の入り口の右手にも,多くの石仏が祀られています。西に進んで突当りのところにも地蔵堂が見られます。





 ここを右折して50m強進んだ左手には七面堂があります。この付近にある公園は春にはしだれ桜と藤の花が咲き,憩いの場となります。





 南に戻って次の筋を右折し,その先の突当りを左折してさらに100mほど南下すると右手に保健センター健康館すこやかおおはると福祉センター希望の郷があります。町の健康関連の業務が行われており,ウォーキングの際の休憩スポットになるほか,町内のウォーキングマップも配布されています。

佐屋街道





 すこやかおおはるの所から道なりに200mほど南下すると,やがて佐屋街道に突き当たりますのでここを左折して進みます。佐屋街道は熱田(宮)宿から桑名宿までの東海道の七里の渡しを避ける街道として,寛永11年(1634年)に整備されたといい,熱田から岩塚,万場,神守(津島市)を経由して佐屋まで結び,佐屋から桑名までは川を下る三里の渡しが就航していました。船酔いしやすい人や女子供などに盛んに利用され,江戸末期には将軍徳川家茂の上洛にも利用されたといいます。



 佐屋街道を150mほど進むと左手に稲荷社があります。この付近は佐屋街道から馬嶋の明眼寺に分岐する場所といい,そこに設けられた稲荷社と考えられます。

玉泉寺
砂子高越1712





 稲荷社から佐屋街道をさらに200mほど進み,高札場跡のある交差点を右折します。さらに100mほど進んだ右手に玉泉寺(真宗大谷派)があります。冨田山と号し,永享6年(1434年)に天台宗の僧の道善が浄土真宗の巧如上人に帰依してこの地に移り住み,一宇を建立したのが始まりといい,当初は玉泉坊と称しましたが,寛文元年(1661年)に玉泉寺となりました。当初は新川西堤付近にあったといいます。寺宝には蓮如上人が授与されたという念珠があり,これは砂子の住民から天保8年(1837年)に寄贈されたものといいます。

浅間神社
砂子村東2344



 玉泉寺から佐屋街道を300m弱進むと,新川を渡る砂子橋に至ります。橋を渡って坂を下った先の分岐を右に進んで250mほど進むと,左手に浅間神社があります。富士山浅間大社から木花開夜姫命を勧請して創建され,隣接して秋葉社もあって,佐屋街道を行き交う人々の安全を見守り,また火除けの念も込められたと考えられます。

鎌須賀白山社
鎌須賀郷前27



 戻って浅間神社の左側の道に入り,100mほど先の突当りを右折して300mほど住宅地の中を進みます。3本目の筋を左折して,続く筋を右折し,さらに次を左折して300mほど進むと鎌須賀白山社があります。先に訪れた砂子や二本木の白山社と同様に加賀の白山神社から勧請されたもので,旧富田庄に多く見られる白山社の1つです。春は桜の名所としても知られ,きれいな花が彩ります。鎌須賀地区は新川と庄内川に挟まれ,砂地のために良質の大根特産地であったといいますが,現在はしその名産地であり,名古屋に近いということもあってか住宅地になってきました。歩いているとしそが栽培されている様子を見ることができます。



 鎌須賀白山社の左側の道を少し進んだ左手には秋葉社があります。火防のためにまつられていますが,しっかりとした林叢もある堂々としたものです。

鎌須賀神明社
鎌須賀茶屋121





 秋葉社から400m弱進んだ先にある分岐を右側に進んで100mほどで,鎌須賀神明社があります。尾張西部のこの地域は伊勢神宮の影響が大きく,大治町でも天照大神をまつる神明社が6つの字にあります。神社には林に覆われ,鎌須賀の集会所もあって住民の集いの場になっているようです。




 神社の境内をぬけて東に進み,2つ目の筋を左折すると,八ツ屋コミュニティセンターがあります。ここの左手には名古屋市バスの新大正橋西バスターミナルがあります。



 その先の筋を右折し,さらに2本目の筋を左折して200m進み,県道の高架をくぐった先を右に進んだところには旧大正橋の標柱が展示されています。昭和19年(1944年)に大正橋が架け替えられた際,戦時の資材不足のため橋脚の底に竹筋のコンクリートが用いられ,その珍しい橋脚が展示されています。

浄国寺
鎌須賀茶屋121



 旧大正橋の橋脚から戻って,北上してきた道をさらに100mほど北上し,2つ目の筋を右折して200mほど進むと右手に浄国寺(真宗大谷派)があります。春日山と号し,明治8年(1875年)に説教所として設けられ,昭和21年(1946年)に浄国寺となりました。「見真大師」と書かれた金箔の真筆や八ツ屋村の古い文書などが寺宝として残されているといいます。



 浄国寺から少し先の左手には常夜灯が設けられています。

八屋孝女塚
八ツ屋郷内27付近



 常夜灯の先の筋を左折した少し先の右手に八屋孝女塚があります。八ツ屋地区には,曽与と久米の姉妹の孝女の話が伝わります。これは2人の姉妹が病気になった父親をかいがいしく世話し,薬を買うお金がないために名古屋に出かけて物乞いなどをして薬代をまかない,ついには病気で亡くなってしまうというお話です。この塚は村人たちによってその善行を伝えるために,天明3年に建立されました。その後,『愛知県偉人伝』などに2人の話が収録され,広く知られるようになったといいます。



 戻って,次の筋を左折して北上し,さらに次の筋を左折すると少し先に春日社があります。奈良の春日大社から勧請されて天児屋根命をまつっています。

ゴール:名鉄バス/名古屋市バス・大正橋西バス停



 浄国寺の南に戻ったところにある大正橋西バス停がゴールになります。名古屋市バスか名鉄バスを利用して,地下鉄東山線の中村公園駅まで約15分です。名鉄バスが1時間に6本,市バスが1時間に2本程度の運転です。名鉄バスを利用すれば,名鉄バスセンターまで約25分,栄まで約35分で行くこともできます。バスしかありませんが,比較的アクセスは良好です。


写真使用数:38

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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