本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県あま市:七宝北コースSHIPPO NORTH

2015年5月探訪。2017年3月31日作成

【コース】 距離:約9.6km
 七宝地区北部の沖之島・遠島・安松・秋竹・下田地区をめぐります。前田利家の正室として有名な芳春院の生誕地と七宝焼原産地を訪ねます。

名鉄・七宝駅〜(沖之島)神明社〜瑞円寺〜覚了寺〜七宝焼アートヴィレッジ〜安了寺〜(遠島)八幡神社〜福寿泉寺〜直心寺〜教泉寺〜藤島神社〜七宝焼原産地道標〜(下田)春日神社〜恩沢寺〜弓掛の松〜名鉄バス・七宝病院前バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄津島線・七宝駅



 名鉄津島線七宝駅がスタート駅です。普通列車のみが停車し,津島線の分岐駅である須ヶ口駅からは2駅5分で来ることができます。本数は1時間に4本程度運転されています。名鉄名古屋駅からは20分程度の所要時間をみておけばいいでしょう。

(沖之島)神明社
七宝町沖之島宮前11



 七宝駅を出たら線路沿いに進み,突当りを右折して踏切を渡ります。そのまま100mほど進むと尾張すいどうみちと交差します。木曽川から取水した水をこの南東にある大治浄水場まで運ぶための水道管の上に設けられた遊歩道です。





 さらに100m弱進むと左手に(沖之島)神明社があります。天正・文禄年間(1573〜96)にこの地の郷主だった林常信によって勧請され,その後,家臣であった犬飼義久らによって天照大神および白髪大明神が祀られたと伝わっています。明治期に拡張された神苑は伊勢湾台風で被害を受け,大木が倒れてしまったといいますが,境内は木におおわれて神秘的な雰囲気を漂わせます。



 神明社から100m強進んだ4本目の筋を右折した先には薀徳寺(おんとくじ)(真言宗智山派)があります。この北西にある蓮華寺の末寺で,大永8年(1528年)に再興されたといいます。薬師如来が本尊といい,別堂には秋葉大権現も祀られています。

瑞円寺
七宝町沖之島北屋敷7



 右折する前に戻り,さらに50mほど南下した次の筋を右折します。この筋を入ったところにはお地蔵さまが設けられていて,昔ながらの信仰を感じさせます。さらに道なりに100mほど進むと右手に瑞円寺(日蓮宗)があります。七宝山と号し,文禄年間(1592〜96)にこの地の郷主であった犬飼義久が堂宇を設けて祖先を祀ったのが寺の始まりといいます。正保2年(1646年)には開眼の日秀上人の大黒天像を安置し,元禄8年(1695年)には法華経の守護神の三十番神を勧請し,番神堂と呼ばれるようになりました。七宝焼きの香爐や釈迦涅槃絵図などが寺宝であるといいます。



 瑞円寺から先に進んで県道に出て左折したところには芳春院(まつ)の顕彰札(案内板)があります。この地は武将前田利家の正室である芳春院(まつ)の生誕地と推定されています。芳春院は篠原主計(かずえ)の娘とも,沖之島郷主の林常信の子で篠原主計の養女になったともいわれ,この地で生まれたと伝わっています。彼女は前田利家との間に2男9女を設け,生涯にわたって利家を支え,その出世に大きく貢献したことはドラマでも取り上げられて有名です。顕彰札には芳春院の生涯が書かれています。

覚了寺
七宝町沖之島中屋敷12





 芳春院顕彰札から県道を50m強南下した2本目の筋を左折し,さらに100m強進んだ突当りを右折するとすぐ先の右手に覚了寺(真宗大谷派)があります。松雲山と号し,創建は不詳ですが僧月光が中興の開祖と伝わり,重厚な造りの山門と本堂が特徴的です。伝説によると僧月光は大力無双の大食漢で,竹藪から竹を引き抜き指で割って旅僧を追い返したといいます。また,天皇から菊の御紋入りの御袈裟を賜ったともいいます。



 覚了寺の先の筋を道なりに右折し,続く筋を左折して少し進むと,お地蔵さんが祀られています。この付近は昔ながらの農村の雰囲気が残っています。



 左折したT字路に戻り,さらに西に進んで県道の横断歩道を渡ります。さらに200m強田園地帯を進み,2つ目の筋を右折して,続く筋を左折して川沿いを進みます。ここから200mほど進んだ右手にはサトザクラの緑地が整備され,春には花も咲かせます。

あま市七宝焼アートヴィレッジ [一部有料施設]
七宝町遠島十三割2000 [公式HP(外部リンク→)]





 水路沿いの道を進むと砂利道になり,ここを進んで道なりに左折し,川沿いに南下して500mほど進むと県道に突き当たります。ここを右折して100m弱進むと右手にあま市七宝産業会館があります。この東側には七宝郷土資料館がありますが,現在は休館となっています。









 東に戻って消防署の前の横断歩道で県道を渡り,さらに東へ100mほど進むとあま市七宝焼アートヴィレッジがあります。平成7年(1995年)に「尾張七宝」の名で伝統工芸品の指定を受けた七宝焼に関する総合施設で,七宝焼に関する様々な情報を発信しています。七宝焼は金属の表面に色―とりどりのガラスの釉薬を載せて焼きつけたもので,古代オリエントにその起源を見つけることができるといい,その後中国を経て日本に伝わったといわれます。日本では七宝は古墳でも発見され,寺院や城の装飾にも使われましたが,広く作られるきっかけになったのは名古屋の梶常吉が天保4年(1833年)頃にオランダからもたらされた七宝を研究して尾張七宝を創始したことにより,ここから尾張での七宝焼の生産が本格的に始まります。その後,慶応3年(1867年)に行われたパリ万博で七宝焼が紹介されるに至り,世界へと知られるようになり,以後の万博では多くの七宝焼が出品されました。戦後,生産は下火になりますが,その技術は受け継がれて現代に至ります。現在でも七宝地区では七宝焼を生産するいくつかの工房があります。
 七宝焼アートヴィレッジの中心施設である七宝焼ふれあい伝承館は,七宝焼を購入できるショップやカフェ,ホールなどが設けられた導入ゾーン,七宝焼の生産道具や間取り花鳥文大花瓶[市文化]などの製品を体系的に展示してある作品展示ゾーン(有料),七宝焼の製作を体験できる七宝焼体験ゾーン,職人による七宝焼の製作工程を見学できる動態展示ゾーンの4つのエリアに区切られ,七宝焼の購入・展示・製作などを含めて総合的に七宝焼に触れることができるように工夫されています。また,施設にはふれあい広場が設けられ,敷地内では毎週日曜日に朝市も行われて賑わいます。

安了寺
七宝町遠島八幡島722





 七宝焼アートヴィレッジから県道を東に進み,次の筋を右折します。100mほど進んだ2つ目の筋を右折し,300mほど進んだ左からの道が合流した次の交差点を右折し,100m強進んだ突当りを左折し,そのまま道なりに進むと安了寺(真宗大谷派)があります。一向山と号し,創建は不詳ですが往古は南の安松村にあって,天文年間(1532〜55)に清元法師を開基としてこの地に移転して,真宗に改宗したといいます。蓮如上人筆の六字名号や聖徳太子木像,インド伝来という金仏の釈迦如来坐像や狩野探幽筆の観音菩薩画など多数の寺宝を有するといいます。大正期には夏季学校が寺にて行われたといいます。この付近には,明治35年(1902年)に建立した七宝焼を万国博覧会などで紹介し,世界へと広めたという林小傳治翁の善行碑があるといいます。

(遠島)八幡神社
七宝町遠島宮西425



 安了寺から道なりに南下した次の交差点のところには立派な遠島公会堂が立っています。







 ここを左折し,川沿いに出たら右折した先に(遠島)八幡神社があります。創建は不詳ですが品陀和気尊をまつり,天正12年(1584年)には蟹江合戦の際にこの地に訪れた滝川一益が勝利を祈願して名剣を奉納したと伝えられています。八幡造りの鳥居や神殿が特徴の神社といいます。拝殿前には,昭和30年(1955年)に県の天然記念物に指定されているラカンマキ[県天然]があります。樹齢350年に及ぶ巨木で,下回りも3mに及び,2mほどの高さで3枝に分かれて樹高は13mに及びます。



 またこの東の民家の敷地には明治20年(1887年)にこの付近の七宝焼製造業者が団結の証として建立したという七宝焼起源碑と,七宝焼の方法を会得してこの地域に七宝焼を広めた先駆者である林庄五郎の顕彰碑(昭和37年(1962年)建立)があります。

福寿泉寺
七宝町安松8-92



 (遠島)八幡神社から西へ200m弱進んだところの七宝幼稚園のところには,福寿泉寺(真宗大谷派)があります。市江山と号し,往古は西保村(現在の愛西市)にあって福専坊と呼びましたが,慶長年間(1595〜1615)にこの地に移って福泉寺とし,11代の開善が福寿泉寺と改めたといいます。現在も市江村の佐屋川東岸には老大松が立ち,この寺の旧跡と伝わっています。



 福寿泉寺の先の筋を左折して300m強進み,安松集会所の先の交差点を左折した先には(安松)八剱社があります。創建は不詳ですが文禄元年(1593年)に村人が修復したといい,古社であることがうかがえます。祭神は日本武尊などその他イザナギ命などを祀り,熊野社が境内に末社として置かれています。



 ちょうど神社の反対側には秋葉社も祀られており,安松地区の信仰の場を感じさせます。
 八剱社から50mほど進んで,次の筋を右折して橋を渡ると左手に佐藤醸造[公式HP(外部リンク→)]の工場があります。明治7年(1874年)創業という老舗で,七宝みそ・しょうゆのブランドでこの地でみそやしょうゆの生産を続けています。

直心寺
七宝町秋竹四町田828







 佐藤醸造のところを左折して東に進み,200mほど進んだ突当りを右折してすぐに左折します。さらに200m弱進んだ橋を渡る手前の筋を右折すると,少し先に直心寺(曹洞宗)があります。小林山と号し,瀬戸赤津の雲興寺の末寺といいます。境内に設けられている観音堂には鎌倉時代の名工春日の作という秘仏の十一面観世音が安置されており,18年ごとに御開帳されるといいます。御脇立仏に阿弥陀仏と勢至菩薩が祀られています。境内には秋竹の棒の手記念碑があります。棒の手は武術の一種で,江戸時代末期に愛知郡野田村(現,名古屋市中川区)の梅村氏によってこの地に伝えられたといい,記念碑の横には梅村先生遺愛碑も設けられています。かつては寺の境内やこの東の藤島神社で競技が奉納されたといいます。

教泉寺
七宝町秋竹杁先729



 直心寺から北に戻って,次の筋を右折して橋を渡り東へ200mほど進み,水路の手前の筋を右折するとすぐに教泉寺(真宗大谷派)があります。創建は不詳ですが,古い記録には南昌寺とあり,いつの間にか現在の寺名になったといいます。万治3年(1660年)に一度廃絶しますが,明治39年(1096年)に名古屋から移住再興して現在の姿になったといいます。寺宝には弘化4年(1827年)の銘のある真影や絵像,蓮如上人直筆という六字名号など多くのものを有するといいます。

藤島(とうしま)神社
七宝町秋竹柏田509





 教泉寺から南下して続く筋を左折し,150mほど進んだ先の県道を渡ってすぐ左に進んだ先に藤島神社があります。天武天皇4年(675年)に創建と伝わる古社で,平安時代の延喜式にも藤嶋神社として記載のある由緒ある神社であり,古来より安産の神として多くの人々からの信仰を集めていました。古来はこの付近は海であり,藤島という島があったことから神社の名前がついたといい,祭神は市杵島姫命です。明治初期には明治天皇が東京に遷都する際には金幣若干が奉納され,その後は区内15社の総鎮守に指定されました。神社の前には桜並木があり,春には彩りを加えるそうです。

七宝焼原産地道標
七宝町安松南辻田2540付近



 藤島神社から南下して150mほど進んだ「秋竹」交差点を右折します。この筋は熱田宿から佐屋までを結び,東海道の七里の渡しを避けて移動する人々で賑わった佐屋街道に当たります。



 この街道を500mほど進んだ「あま市七宝庁舎北」交差点を越えた先右手に七宝焼原産地道標[市史跡]があります。この碑は明治28年(1895年)に建てられ,「七宝焼原産地・遠島」と刻まれ七宝焼の産地であった遠島地区への道標となっています。ローマ字でも「Shippoyaki Toshima」とあり,輸出の花形であった七宝焼を直接買い付けにきた外国人にもわかるようにローマ字の道標が建てられたといいます。



 道標からさらに佐屋街道を200mほど西に進み,「安松」交差点の先の七宝中学校の手前の筋を左折します。左折してすぐのところには七宝公民館があります。



 ここから100m強進むと右手に七宝神社があります。この地の戦没者をまつった神社といいます。



 さらに100mほど進んだ2本目の筋を右折し,その先2本目の筋を左折し,さらに2本目の筋を右折して100mほど進むと山王神社があります。

(下田)春日神社
七宝町下田堂中621





 山王神社の先の突当りを左折し,100mほど進んだ次の筋を右折し,50m強進んだ右手に(下田)春日神社があります。祭神は天児屋根命で,境内には秋葉社もあります。大正6年(1917年)には流着したご神体を蟹江川から担ぎ上げて行事を行う下田の御みよし祭が行われたという記録が残されています。

恩沢寺
七宝町下田堂中618





 春日神社から川沿いを南下して道なりに右折すると,少し先の右手に恩沢寺(真宗大谷派)の入り口があります。青竜山と号し,『尾張徇行記』によると,かつて大阪天王寺の心慶坊という僧が,自作の聖徳太子像を寺に安置していましたが,元亀元年(1570年)に大阪が不穏な状態になったとしてこの像をはるばる背負ってこの地を訪れ,有縁の地と感じてこの地に一宇を建立して安置したのが始まりといいます。寺号は慶長年間(1595〜1615)頃には太子堂竜春庵と称しましたが,寛文年間(1661〜72)には浄泉坊と称したといい,その後天和3年(1683年)には恩沢寺と改称されたといいます。





 恩沢寺から400mほど田園地帯を進んでいきます。この付近は土地が低く冠水が続き,明治37年(1904年)にはいち早く排水機を使って排水をしたなど水には苦しめられた地域といいます。その先,蟹江川に突き当たったら右折し蟹江川沿いを進んでいきます。

源義経弓掛の松
七宝町下田山



 蟹江川沿いの道を400mほど進み,県道に突き当たったところを左折して蟹江川を渡ります。その少し先の左手に源義経弓掛の松があります。源義経が兄頼朝の命令で京都に向かう途中,ここで軍勢を休ませて,自身の弓を掛けたと伝わる松で,この地域で大切にされ現在の松は5代目といいます。伝説ではここから義経が弓を放ち,その矢は百町(約10km)飛び,矢が落ちた場所は百町(現在の津島市)と呼ばれるようになったといいます。

ゴール:名鉄バス・七宝病院前バス停



 弓掛の松から200mほど西に進み,「下田橋西」交差点を越えた先にゴールの七宝病院前バス停があります。地下鉄東山線の中村公園駅まで約20分で,本数は1時間に6本程度運転されているので便利です。名鉄バスセンターまたは栄まで直接行くこともできます。


写真使用数:46

←前:森・新居屋コース / 愛知県あま市 / 次:七宝南コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>