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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県あま市:萱津コースKAYATSU

2015年5月探訪。2017年2月27日作成

【コース】 距離:約7.1km
 甚目寺地区東部の栄,西今宿,上萱津,中萱津,下萱津地区をめぐります。旧鎌倉街道に沿った歴史ある特徴的な寺社をめぐることができます。

名鉄・丸ノ内駅〜唯願寺〜宝満寺〜金山神社〜萱津神社〜正法寺〜善慶寺〜妙教寺〜妙勝寺〜光明寺〜三嶋神社〜實成寺〜妙浄寺〜八王子神社〜月之宮神社〜下萱津のフジ〜宝泉寺〜山伏公園〜禅昌寺〜名鉄バス・大正橋西バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・丸ノ内駅



 名鉄名古屋本線の丸ノ内駅がスタート駅になります。普通列車のみの停車で,1時間に4本程度の運転です。名古屋駅方面から乗車する場合は,急行に乗って須ヶ口駅で乗り換えましょう。名鉄名古屋駅からの所要時間は,およそ15分です。

唯願寺
栄東郷内98





 丸ノ内駅から出て左折し,150m弱進んだ突当りを右折して,先の「巡礼橋東」交差点を左折して150mほど進み五条川を渡って進みます。川を渡ったらすぐ左折して200mほど進んだ堤防下の右手に唯願寺(真宗高田派)があります。天正12年(1584年)に僧祐仙によって海西郡葛木村(現,愛西市)に創建され,当初は善正坊と称したといいますが,木曽川堤防の改修のために明治27年(1894年)に現在地に移されたといいます。



 唯願寺の先の筋を右手に進んだところに須佐之男神社があります。寛政・享和年間(1789〜1804)頃に勧請したといい,明治17年(1884年)に今宿地区が分離してから,東今宿(栄)地区の氏神として信仰されています。

宝満寺
西今宿郷内一33 [公式HP(外部リンク→]



 須佐之男神社からさらに50mほど南下した2本目の筋を右折し,250mほど進んだ左手に宝満寺(日蓮宗)があります。寺を越えて次の十字路を左折したところに入り口があります。善通山と号し,享保9年(1724年)に萱津妙勝寺の宝満院日繁によって創建されました。



 前の道路が旧鎌倉街道に当たり,日蓮聖人が比叡山に向かう際に,この地で休憩した可能性があるとも伝えられています。本堂は明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊し,大正3年(1914年)に建立されたもので,正門突当りには大正14年(1925年)に設けられた福寿稲荷堂があります。

金山神社
西今宿郷内一32



 宝満寺の先には金山神社があります。斯波氏が清洲城を建立した15世紀頃に,斯波氏の武器を製作する鍛冶屋が移住した際に勧請されたと考えられ,祭神は金山彦命です。境内には尾張藩士で西今宿に帰田し,隷書の研究家として知られる天野景福(三松庵)の表忠碑があります。
 この付近にはかつて説教源氏節碑があったといいます。甚目寺の説教源氏節は江戸浄瑠璃に説教節が加わってできた西今宿に伝わる郷土芸能で,庄屋であった中村伝吉を初代家元として広められました。一時期断絶しましたが,現在は地元有志が受け継いで上演されています。この碑は全盛期の大正3年(1914年)に建てられました。



 金山神社から南に進んだ先には,竹生島社があります。今宿地区で最も古い神社ともいわれ,市杵島姫命をまつり,弁天様と呼ばれています。

萱津神社
上萱津車屋19 [公式HP(外部リンク→]



 竹生島社から300mほど進み,突当りを右折して200mほど名鉄津島線の線路を渡ると,左手に法界門橋があります。法界門橋は,甚目寺観音の東門である法界門があった場所で,旧鎌倉街道と津島街道の要衝でした。なお,この西200mのところには薬師寺(曹洞宗)があります。





 法界門橋の西の信号から川沿いに南下して200m強進むと右手に萱津神社があります。創建は不詳ですが,尾張国神明帳にも従三位萱津天神と記載のある古社で,阿波手(あはで)の森と呼ばれた場所に設けられたものです。この森の由来として,日本武尊が伊吹山で負傷してこの地に戻る途中,熱田の宮簀媛に会いたかったが,会えないまま伊勢に旅出つことになり,その寂しさを榊に託して植えてできた森という伝承から「会わでの森」と呼ばれるようになったといいます。尾張国司がこの森の「連理の榊」という枝のつながった榊を妃のいなかった陽成天皇に献上したところ,皇后を迎えて皇子を授かることができたことから評判が広がり,尾張八景の1つとして紫式部の「かきたえて人も梢のなげきこそ 果はあはでの杜となりけれ」の和歌をはじめ多くの文化人がこの森を舞台として作品を残しました。現在も恋愛スポットとしても知られています。





 祭神は鹿屋野比売神で珍しい漬物の神様としても知られます。傷を負った日本武尊が訪れた際,地域の農民が塩漬けにした野菜を差し出したところ,「藪に香の物」といって食したと伝わり,それが香の物(漬物)の始まりといいます。毎年8月21日には香の物祭[市民俗]が行われ,全国の漬物業者が集まり,境内に復元された香の物殿で古式にのっとった漬物づくりが行われます。また全国の漬物の即売会も行われ,多くの観光客が訪れます。

正法寺
上萱津車屋1





 萱津神社から旧鎌倉街道の案内に沿って進みます。この付近は鎌倉・室町時代に京都からの道が来た要衝で,この付近には萱津宿が設けられて大いに栄え,仁治3年(1242年)の「東関紀行」をはじめ定期市の混雑ぶりなどが多く描かれています。左手の五条川の流れも相まって古代の道に思いをはせて進みましょう。



 先の分岐のところには農家龍神という神様が祀られています。





 さらに右に進み100m弱進むと,左手に正法寺(曹洞宗)があります。日東山と号し,天平勝宝8年(756年)に唐僧の東巌によって創建されたといい,阿波手の森の社僧をつとめて繁栄したといいます。その後,衰退しますが元和元年(1615年)に熱田法持寺の慶呑によって再興されて曹洞宗となりました。本尊の十一面観音は室町期の作といい,元和2年(1616年)の補修した記録があります。境内には文殊菩薩を本尊とする禅堂,寛政10年(1799年)の銘がある石仏三十三観音を本尊とする観音堂などがあります。またかつては五条川堤にあったという反魂香塚という塚が移されています。これは,かつてこの地に亡くなった藤姫という女性を,再びこの世に秘法で招いたという伝説があり,その跡とされるものです。



 正法寺の前のT字路を西に進み,続く交差点を右折した先には善慶寺(真宗大谷派)があります。腰痛の際の駆け込み寺として地域では知られているそうです。

妙教寺
上萱津上野18



 正法寺からさらに100m弱南下すると右手に妙教寺(日蓮宗)があります。長永山と号し,現在の名古屋市中村区米野町の観音堂を移して創建され,当初は妙見堂と呼ばれました。昭和17年(1942年)に現在の寺名となりました。かつては境内に妙見堂の三本松と呼ばれる名松があり,街道を行き交う人々の目を楽しませていましたが,現在は1本のみが残されています。

妙勝寺
上萱津上野62







 妙教寺の少し先には萱津地区で一番の伽藍を誇るという妙勝寺(日蓮宗)があります。長正山と号し,当初は持正山密勝寺と称する真言宗の寺院であったが,弘長元年(1261年)頃に日蓮がこの地を訪れ,当時住職であった日妙上人が帰依して改宗したといいます。その後,戦乱で伽藍は荒廃しますが,清洲城主となった福島正則によって城の長屋一棟の一部を寄進して庫裡が設けられ,徳川氏も寺領三十石の朱印地を与え保護されました。江戸時代の記録では,日蓮が説法を行った旧地として大伽藍を誇ったといいます。山門は鎌倉〜室町期に建立されたものといい,中心となる建物は明治24年(1891年)の濃尾地震後に復興されたものです。寺宝には,日蓮筆という大曼荼羅や福島正則,松平忠吉の書状など多くのものがあるそうです。



 妙勝寺から100mほど進んだ左手には八坂神社があります。京都祇園から勧請され,祭神は素戔男命です。萱津宿が賑わっていたころに勧請されたと考えられています。

光明寺
中萱津道場114



 八坂神社から約300m進むと左手にコミュニティプラザ萱津があります。この地域の交流施設で,ウォーキングの際の拠点としても活用できます。隣接する五条川工場で発生した熱を利用する浴場があることで知られます。





 コミュニティプラザ萱津の前のT字路を右折した先には光明寺(時宗)があります。横笛山と号し,弘安5年(1282年)に一遍上人の弟子である他阿真教による開基で,萱津道場と呼ばれる大寺で室町将軍からも保護を受けましたが,その後秀吉に没収され,寛永12年(1635年)には火災にもあって衰退します。その後,寛永20年(1643年)に再建されました。入口の二階建ての鐘楼門は特徴的な建物で,歴史書などにも描かれているといいます。寺宝には享保4年(1719年)銘の涅槃像などがあります。



 T字路の戻って少し南下すると,右手に三嶋神社があります。創建は不詳ですが里人が伊豆三島から大山祇命を勧請したといい,鎌倉時代の創建と考えられています。

實成(じつじょう)寺
中萱津南宿254 [公式HP(外部リンク→]



 三嶋神社から約150m進むと,右手に實成寺(日蓮宗)があります。長久山と号し,元応元年(1319年)に,日妙上人が元々あったという真言宗寺院を改宗して創建したといいます。その後,信長の曽祖父に当たる清洲城主の織田敏定が寺領を寄進して堂宇を再興し.現在の名前に改めたといいます。続く清洲城主の松平忠吉も寺領を寄進し,歴代藩主による保護も受けて繁栄しました。入口の山門[国登録]は文禄年間(1592〜96)に当時清洲城主だった福島正則が寄進したものと伝わり,現在のものは江戸中期に古式にならって修復されたと考えられています。本格的な禅宗様の立派な四脚門で見ごたえがあります。









 境内の本堂[国登録]は明応年間(1491〜1501)に織田敏定が造営したものといい,江戸時代に大きな改修がされたと考えられています。旧真言宗の様式が多く残された珍しいもので,当時の日蓮宗の様式も取り入れて日蓮宗本堂の古例としても貴重です。他に庫裡,客殿,開山堂などの建物が立ち,大きな釈迦涅槃像や古くからの宝篋印塔など歴史を感じさせる遺物が並びます。日蓮聖人筆の御本尊や織田俊定公の書状などの寺宝を有し,これらは名古屋市博物館にて保管されています。







 境内には旧塔頭である圓行寺,泉龍寺,正善寺があります。圓行寺は玄中山と号し,寛永年中(1624〜44)の開山で元々は円乗寺と称したといいます。天明年中(1781〜89)に現在地に移されたといいます。泉龍寺は寶久山と号し,永享元年(1429年)に日本坊と称する僧によって建立されたと伝わり,当初は塔頭でしたが,明治初年に實成寺の末寺となりました。正善寺は正法山と号し,創建時期は不詳ですが江戸以前といい,正善坊日秀の開基と伝わっています。当初は西隣にありましたが,江戸末期にここにあった学泉院が廃寺になって,跡地であった現在地に移されました。古くは高僧の隠居所として使われていたといいます。



 實成寺から100mほど南下した次の筋を右折し,さらに100mほど進んだ突当りを右折した先には八幡社があります。天文2年(1533年)の創建と伝わっていますが,室町時代にさかのぼるとも言われ、萱津の西宿に近かったことから鎌倉街道を行き交う人々にも信仰されたのではないかと考えられます。

妙浄寺
下萱津池端18



 八幡社から南に戻り,次の筋を右折して100mほど進んだ2本目の筋を左折して少し進んだ右手に妙浄寺(日蓮宗)があります。元文年間(1736〜41)頃に實成寺住職の日照が隠居して設けた鬼子母神堂が始まりで,阿弥陀堂と称したといいますが,安永6年(1777年)に鬼子母神堂となり,昭和17年(1942年)に現在の寺号となりました。境内には明応8年(1499年)の銘のある宝篋印塔基礎など遺物が残されており,古くからあった堂の場所に草庵を設けたものと考えられています。



 妙浄寺のところのT字路を右折して東に進み,150mほど進んだ2本目の筋を右折するとすぐに八王子神社があります。創建は不詳ですが下萱津池端地区の氏神で,八つの神が祀られています。



 八王子神社から南下して先の突当りを左折し,さらにその先の突当りを右折して100m強先には,むしば地蔵と呼ばれる地蔵が祀られています。

月之宮神社
下萱津59



 むしば地蔵の先の筋を左折すると,萱津橋の西側に出てきます。旧鎌倉街道の渡しが設けられていたこの付近ですが,名古屋市の近くながら,橋がなく大廻りして名古屋に行っていました。昭和10年(1935年)に木橋が架けられ,昭和47年(1972年)に永久橋になって,現在は多くの車が行き交う交通の要衝になっています。



 「萱津橋西」交差点から南下して100mほど進むと左手に月之宮神社があります。大水が出たときにこの地に神様が漂着したことから「着きの宮」が訛って月之宮になったという伝承がありますが,新川堤防に設けられた「堤(つつみ)の宮」が訛ったものとも考えられています。新川開削の際は,五条川と新川が合流するこの付近に庄内川も合流していたのが,東方向に庄内川が流れるように流路を変更し,この付近が一番の大工事になった場所といいます。神の加護を願ってこの地に社が設けられたと考えられます。



 月之宮神社から県道を進んで,その先の左の筋を進んだ先の新川堤防には,下萱津のフジ[県天然]が生育しています。樹齢300年を誇る大藤で,新川が開削された天明5年(1785年)以前からこの地を見守っていたと考えられます。4〜5月には見事な花を咲かせ,平成15年(2003年)から長らく非公開でしたが近年になって年2日程度公開されているそうです。

宝泉寺
下萱津銀杏木20





 下萱津のフジから戻って横断歩道のある筋を左折して西に進み,続く筋を右折してその先の突当りを右折し,道なりに左折して進んでいくと,左手に宝泉寺(真言宗豊山派)があります。長福山と号し,弘仁年間(801〜24)の創建という古寺で,往時は妙玉院,観正寺,常楽坊の3つの塔頭を持ち,巨大な伽藍を誇ったといいます。永和年中(1375〜79)に兵火で伽藍が大きく焼失し,永正年間(1504〜21)に水害で被害を受けたため,元文4年(1739年)に薬師堂があったという現在地に移転しました。別名,獏の寺と呼ばれ,正月に寺から恒例で宝船の絵が出され,それを正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると,獏が悪い夢を食べてよい夢に変えてくれるという信仰があるといいます。

三社宮神社
下萱津蓮池11



 宝泉寺から道なりに戻って次の筋を左折し,その先の突当りを右折して100mほど進み,2本目の筋を左折した先に三社宮神社があります。かつては熱田社,津島社,真清田社の三社が祀られていたことからこの社名になったといいますが,現在は日本武尊のみが祭神となっています。創建は貞享3年(1636年)と伝わっていますが,戦国時代以前の創建と考えられており,かつては萱津川(庄内川)の堤防だったと言われています。境内には御杖銀杏と呼ばれる大イチョウがあり,一遍上人がこの地を行脚した際に持っていた杖をこの地に挿したところ,大木の芽が吹いたといいます。元々あった木は枯れてしまいましたが,その後2世が再び芽をふき現在の姿になっています。



 三社宮神社から北に戻り,次の十字路を左折して100m強進んだ2本目の筋を右折すると,少し先には山伏公園があります。かつて萱津宿が栄えていた時期にこの地に住んでいた山伏を葬った塚がこの付近にあり公園の名前に残されています。多くの塚が残されたこの付近も,昔ながらの塚が開発で取り壊されてしまったといいます。

禅昌寺
下萱津蓮池58





 山伏塚から南に戻って300mほど進んだ県道への突当りの手前右手に禅昌寺(曹洞宗)があります。迦羅山と号し,弘治3年(1557年)に興禅寺(現津島市)の6世和尚により佐屋村日置(現愛西市)に創建され,当初は善昌庵と称しました。安政4年(1857年)に再興して禅昌寺と改称したといい,大正10年(1921年)に現在地に移されました。

ゴール:名鉄バス/名古屋市バス・大正橋西バス停



 禅昌寺の先の県道を右折して,800mほど進むと「大治橋」交差点に至ります。ここを左折して橋を渡り,200m強進むとゴールの大正橋西バス停に到着します。名鉄バスが地下鉄中村公園駅,名鉄バスセンター,栄方面に約10分間隔で出ています。また名古屋市バスも中村公園駅方面へ約30分間隔で運転されています。中村公園駅まで約15分,名鉄バスセンターまで約25分,栄まで約35分で行けます。


写真使用数:49

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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