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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛西市:佐屋東コースSAYA EAST

2017年9月探訪。2017年9月26日作成

【コース】 距離:約11.7km
 佐屋地区南東部の東條,本部田,落合,大井,鰯江,善太新田の各地区をめぐります。旧市江川に沿って名鉄と近鉄の駅を結ぶコースです。

名鉄・佐屋駅〜青樹英二翁記念碑〜成満寺〜西照寺〜青木酒造〜聖覚寺〜源空寺〜西善太新田記念碑〜随念寺〜愛西市親水公園〜随行寺〜蓮徳寺〜大井神社・善福寺〜宝寿院〜西光寺〜静久寺〜富士浅間神社〜遊行院〜近鉄・富吉駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄尾西線・佐屋駅



 前コースと同様に名鉄尾西線の佐屋駅がスタート駅です。須ヶ口駅から約22分,名鉄名古屋駅からは約35分の所要時間です。本数は1時間に4〜6本程度ありますので,アクセスは便利です。佐屋行きの電車もありますが,弥富行の電車に乗っても到着できます。

青樹英二翁記念碑
東條町嘉江口250付近



 佐屋駅の前から県道125号線を東に約1.2km進み,「東善太」交差点を右折し200mほど進んだ「東條」交差点を左折したら,左手に青樹英二翁記念碑[市史跡]があります。天保14年(1843年)に美濃国安八郡で生まれ,飛島新田などの新田開発に成功して政界に進出します。愛知県議会の議長を経て明治23年(1890年)には衆議院議員も務め,日本初の蒸気機関を利用した孫宝排水機場の建設に尽力し,尾西鉄道(現在の名鉄尾西線)の開設,津島紡績会社(後の東洋紡佐織分工場)などの設立にも貢献しました。彼の功績を称えて大正2年(1913年)に設けられた記念碑になります。



 さらに少し東に進んだところには,大きな忠魂碑が設けられています。

成満寺
東條町井桁57



 「東條」交差点の1つ東の筋のところを右折して南下し,続く筋を左折し,さらにその先の筋を左折した先には成満寺(真宗大谷派)があります。青樹山と号し,寺の縁起によると天文17年(1548年)に青木土佐守道顕なるものが摂津尼崎からこの地に移り,その子の青木道宣が永禄6年(1563年)に天台宗の宝積院をこの地に建立したという。後に徳川家康の尽力で浄土真宗に改宗され,寺号も現在のものに改められたといいます。



 寺の南には東條八幡社があります。天正2年(1574年)に東條と西條が2つの村に分かれた際に創建されたといい,祭神は応神天皇です。

西照寺
東條町高田481



 成満寺から道なりに100mほど北上して,県道に出たところに西照寺(真言宗智山派)があります。鳳凰山と号し,元々この地には遍照院という真言宗の大寺がありましたが,織田信長の長島一向一揆討伐の際に出火して廃寺となったといい,残された薬師如来を薬師堂と呼ばれる小堂にまつっていたといいます。昭和9年(1934年)に甚目寺(現あま市)東門から西綱之坊がこの地に移転して薬師堂と合併し,昭和11年(1936年)に薬師堂と改称して現在に至るといいます。

青木酒造
本部田町本西60 [公式HP(外部リンク→]





 西照寺の前を右折して東に進み,続く分岐を左に進んで道なりに400mほど進むと左手に青木酒造があります。江戸時代後期の文化2年(1805年)の創業という老舗の造り酒屋で,「米宗(こめそう)」のブランドで,昔ながらの伝統と技術が必要な山廃仕込みにこだわり,特徴的な酒造りを行っているといいます。予約をすれば酒蔵の見学も行うことができるといい,ハイキングのイベントなどでも酒蔵を開放しており試飲などを楽しむことができます。



 青木酒造から100mほど進んだ次の筋を右折し,さらに100mほど進んだ突当りを右折して,続く筋を左折します。するとすぐ左手に本部田八幡社があります。天和2年(1682年)に創建という棟札があり,祭神は応神天皇です。毎月の月次祭りで神楽太鼓や獅子舞が奉納されていたといいます。



 八幡社から道なりに50m強北上すると聖覚寺(真宗大谷派)があります。慶長13年(1608年)の創建といい,元々は名古屋の聖徳寺だったと伝わり,寛永20年(1643年)に現在の寺号に改められたといいます。

源空寺
本部田町本西84



 聖覚寺から南に戻って,続く筋を右折し,その先の交差点を右折して続く筋を左折すると,少し先に源空寺(浄土宗鎮西派)があります。称名山と号し,津島市西方寺の末寺で,名古屋性高院(現,名古屋市千種区)とも関連があるといいます。創建は元和3年(1617年)で,佐古木新田を開発した早川金右衛門が念仏に帰依し,この地に堂宇を建立したのが始まりといいます。元々は村の西境にありましたが,享保15年(1730年)に出水のために現在地に移ったといい,その後濃尾地震や戦災でも被害にあいましたが,その都度再建されて現在に至るといいます。

西善太新田記念碑
東條町八江口





 源空寺の先の交差点を右折し,200m弱進んだ先の県道を左折し,300mほど進んだ次の筋を右折すると,左手に西善太新田記念碑[市史跡]があります。善太新田は万治元年(1658年)に豪農の服部茂左衛門によって開墾されましたが,市江川を締め切って設けられたために東西に帯状に広がる新田でした。そのため不便をきたすことがあったため,明治期になって青樹英二らによって再開発され,東西の新田に分けられました。その功績を称えて設けられた碑が立てられています。



 記念碑から100mほど北上した突当りを左折し,続く筋を右折して100mほど進むと随念寺(真宗大谷派)があります。松樹山と号し,明応6年(1497年)の創建です。



 随念寺からさらに北上して,県道に突き当たったら右折して200mほど進みます。2本目の神社の参道を左折して参道を進むと,突当りに(落合)八幡社があります。祭神は応神天皇ですが,創建には諸説があり,詳しいことはわかっていません。

愛西市親水公園
落合町上通21





 (落合)八幡社の前を右折して東に進み,続く筋を左折して300mほど進むと左手に愛西市親水公園があります。平成15年(2003年)に完成し,総合体育館と総合運動場からなる総合運動施設になっています。特徴的な体育館の外観は,水辺に舞い降りた白鷺をイメージしたものといいます。ウォーキングの休憩地点として活用しましょう。





 親水公園から東方向に進むと,善太川に突き当たります。江戸時代末期の『尾張名所図会』にも海西・海東の境の川としてその様子が記録されているといいます。

随行寺
大井町樫ノ木315





 善太川に沿って進み,先の橋を渡ってさらに川沿いの道を400mほど進み,道に合流したら次の筋を左手に進むと随行寺(真宗大谷派)があります。松林山と号し,創建は不詳ですが,嘉禎年中(1235〜38)に親鸞聖人がこの地を通った際に,開祖となる僧祐正が聖人に帰依して寺を建立したといい,寛永14年(1637年)に祐善が本尊の阿弥陀如来を本願寺から迎えて中興したといいます。



 川沿いの道に戻って,100mほど進んだお地蔵さんのお堂のある十字路を左折します。



 道なりに100mほど進むと蓮徳寺(真宗大谷派)があります。舎利山と号し,創建は不詳ですが随行寺と同様に親鸞聖人がこの地を通った際に建立されたといいます。舎利山という山号は,インドの天親菩薩の舎利塔を奉安しているのが由来といいます。昭和40年(1965年)に火災にあったのちに再建されました。

大井神社
大井町浦田面530





 蓮徳寺から道なりに東に100m強進むと,左手に大井神社があります。『永和村誌』によると,大正3年(1914年)に熊野社,春日社,大井神社,八剣社,白山社を合祀したといい,大井地区の産土神で古くからの大社だったと伝わっていますが,創建については詳しくわかっていません。慶長2年(1607年)以降の棟札が多数残されており,それによると,かつてはこの付近は乾(犬井:いぬい)村と呼ばれていたといいます。



 大井神社の西に隣接して善福寺(浄土宗鎮西派)があります。青応山と号し,草創については不詳ですが,往古は大井神社の宮寺だったといいます。元和5年(1619年)に俊甫和尚により中興されたといい,河原佐太夫によって堂宇が再建されたと伝わります。寺に安置されている薬師如来は,伊奈備前守が検地に出張中に眼病を患い,平癒を祈願したら全治したという由来を持っています。

宝寿院
大井町前田面221



 大井神社から正面の道を150mほど南下し,信号の1筋手前の交差点を左折して400m強進むと,左手に宝寿院(真言宗智山派)があります。天林山と号し,寺伝によると天平8年(736年)の創建という歴史を持ち,延長8年(930年)に兼平中将により再建されたといい,以後幾多の変遷を経て大正13年(1924年)に現在地に移されたといい,笠寺にあった当時は現在の笠覆寺(名古屋市南区)の塔頭だったと考えられています。本尊は不動明王で,内仏には大日如来をまつっているといいます。

西光寺
鰯江町郷中21





 宝寿院から道なりに400m強進み,東名阪自動車道を歩道橋を渡りながら越えてさらに400mほど越えてJR関西線の踏切を渡ります。この線路を見ながら200mほど進むとJR永和駅があり,ウォーキングの中継地点としても活用できます。永和駅は明治21年(1888年)に関西鉄道として関西線が開通した当時は駅がありませんでしたが,三輪市太郎の尽力もあって昭和2年(1927年)に新しく開設されました。



 線路を越えて2本目の筋を右折して400mほど進むと左手に西光寺(浄土宗鎮西派)があります。口島山と号し,明治19年(1886年)に説教所として設けられ,明治27年(1894年)に京都から西光寺(江戸時代宝永年中(1704〜11)の創建という)を現在地に移したといいます。別名,一名称名院とも呼ばれ,本尊は木造阿弥陀如来立像です。

静久寺
善太新田町十一下2-1



 西光寺から600mほど進んで近鉄名古屋線の踏切を渡り,さらに100mほど進んで「善太新田」交差点で国道1号線を左折すると,100m弱先の左手に静久寺(浄土宗鎮西派)があります。寂興山と号し,天和元年(1681年)にこの善太新田を開発した服部安久が鎮護のために仏殿を創建し,その後享保4年(1719年)に施主の法名から静久寺と改号されました。本尊は阿弥陀如来で,その左手には昭和38年(1963年)頃廃寺となった瑞華院の阿弥陀如来が安置されているといいます。この北東の線路を渡った先には青龍山と号する法林寺があり,静久寺11世和尚の隠居寺だったといいます。

富士浅間神社
善太新田町十一上37





 静久寺から100mほど進んだ次のレストランのある筋を左折し,続く交差点を右折すると200mほど先の左手に富士浅間神社があります。善太新田を開発した服部安久が名古屋納屋裏広井町(現,名古屋市中村区)にあった富士浅間社に開墾成就を祈願し,万治元年(1658年)にその分霊を移して創建されたといい,以降善太新田の産土神となっています。本殿北側には服部安久の功績を称えた記念碑があります。服部安久(1602〜83)は加賀国出身で徳川家康に仕え,その後尾張藩家老の成瀬家の家臣となりました。その後,この地に成瀬公に伴って鷹狩りに訪れた際に,この地の新田開発を決心して生涯をかけて事業を行ったといいます。



 富士浅間神社の先の突当りを左折して,そのまま道なりに200mほど進み,県道に突き当たったら左折すると観音山遊行院[公式HP(外部リンク→)]があります。境内には弁財尊天がまつられているといいます。

ゴール:近鉄名古屋線・富吉駅

 遊行院から近鉄の踏切を渡り,続く筋を右折して150mほど進むとゴールの近鉄富吉駅に到着します。近鉄の準急を利用して名古屋駅まで約15分です。本数は1時間に3~4本程度ですので,アクセスは便利です。普通列車の場合は,次の蟹江駅で急行に乗り換えると早く着くことができます。


写真使用数:36

←前:佐屋中央コース / 愛知県愛西市 / 次:立田北コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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