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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛西市:八開南コースHACHIKAI SOUTH

2017年6月探訪。2017年6月4日作成

【コース】 距離:約9.7km
 八開地区南部の江西・元赤目・二子・鷹場・赤目・塩田・下大牧・高畑・立石の各地区をめぐります。木曽川と蓮池の風景を楽しめます。

八開総合福祉センター〜八開郷土資料室〜(江西)神明社〜(元赤目)八幡社〜白山神社〜水谷酒造〜須佐之男社〜光耀寺〜赤城神社〜一心寺〜塩田神社〜引接寺〜(下大牧)神明社〜明光寺〜長久寺〜(立石)八幡社〜八開総合福祉センター


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:愛西市巡回バス・八開総合福祉センターバス停

 スタートは八開総合福祉センターになります。月〜土曜日のみ運行の愛西市コミュニティバスの八開ルートに乗車して,名鉄の渕高駅から約10分,町方駅から約25分,藤浪駅から約35分です。本数はいずれも1日3本なので,時刻はきちんと調べておきましょう。バスがない日曜日に来る場合は,名鉄渕高駅または六輪駅から徒歩またはタクシーになります。距離はおよそ5kmで徒歩の場合は約1時間かかります。

八開総合福祉センター
江西町宮西38



 バス停の目の前の八開総合福祉センターは,地域のウォーキングコースの起点になっているなど散策の基地になる場所です。まずはここでしっかりと準備をするとよいでしょう。



 総合福祉センターの北には旧八開診療所があります。昭和5年(1930年)に江西出身の神野金之助に関連した医療法人による康済医院のもので,昭和27年(1952年)に病院が譲渡されて八開診療所となりました。新しい診療所が開所して移転し,のちに歴史資料を管理する郷土資料室となりましたが,現在は八開庁舎へ郷土資料室は移されています。神野金之助は嘉永2年(1849年)生まれの明治時代の実業家で,明治29年(1896年)には豊橋にある神野新田を開発したことで知られます。名古屋電気鉄道の社長を務めて津島線の開通に尽力し,ここ江西村に土地を贈与したことでも知られるそうです。





 南に戻って,総合福祉センターの南には現在の八開診療所があります。ここには八開地区が出身地である江戸時代の俳人横井也有の歌碑と案内板が立てられています。



 その西側には(江西)神明社があります。慶長9年(1604年)の創建と伝わり,洪水により社殿が流出したため寛文3年(1663年)に再建され,境内に秋葉神社を祀るといいます。

(元赤目)八幡社
元赤目町上切89



 神明社から少し南下してその次の筋を左折し,200mほど進んだ3本目の筋を右折して少し進むと右手に(元赤目)八幡社があります。明応2年(1493年)に創建といい,延宝3年(1675年)に現在地に遷座したといい,境内に秋葉神社も祀っているといいます。



 八幡社から田園地帯を南下して進みます。次のT字路のところにはお地蔵さんも祀られています。さらに200mほど進んだ次の街路灯のある交差点を左折します。この道は名古屋と美濃高須を結ぶ高須街道にあたります。この付近は現在は廃川となった佐屋川が流れていた地域で,旧河川の地形が現在も残されています。

白山神社
二子町松原9



 街路灯のある交差点から東へ200mほど進んで海部幹線水路を渡り,さらに200mほど進んだ登り坂の先の交差点を右折します。ここから400mほど旧佐屋川の堤防の高台を進んでいきます。かつてはこの付近には佐屋川を渡る定納の渡しがあり,道標も残されています。高台からの見晴らしのよい田園風景を楽しんで進みましょう。





 進んだ先の右手に白山神社の入り口があります。元禄12年(1699年)に定納の六右衛門が加賀白山神社から勧請して創建されたといいますが,それ以前から氏神として信仰されていたといいます。毎年2月11日に行われるという春の大祭である定納元服・オビシャ[市民俗]が知られています。これは江戸時代中期に始まった満15歳を迎える若者の元服を祝う祭りで,オビシャは御武者,御歩射などと表記されますが,その意味や由来についてはよくわかっていません。祭りでは白山社の境内に高さ約5mもの櫓を組み,神事のあとに若者が櫓に上がって餅投げをします。高い所に立つという恐怖に打ち勝って,この日から一人前の男子と認められるようになるといいます。下にいる若い衆が餅投げに殺到する群衆に,集めておいた落ち葉や砂を浴びせかけて五月雨を願うという意味があり,別名「ゴミカケ祭り」ともいわれるそうです。

水谷酒造
鷹場町久田山12 [公式HP(外部リンク→]



 白山神社の先の交差点を左折して400mほど道なりに進むと,右手に鷹場川を渡る橋が見えます。江戸時代まで,この東を流れる領内川はこの付近で佐屋川に流れていましたが,佐屋川が廃川になったことで河川跡となって残されたのが鷹場川です。かつては冬には伝統漁法のガモジ漁が行われていたといい,これは川に沈めた舟に冬眠するために魚が入るのを待ち,冬に舟を引き上げて魚を捕る漁法です。現在は川にソーラーパネルが立ち並んで,風景は一変してしまいました。



 橋を渡って200mほど細い路地を道なりに進み,お地蔵さんのある交差点を右折した先に,水谷酒造があります。江戸時代末期創業という老舗の酒蔵で,清酒「千瓢」などを製造しています。愛知県内で発生した生ごみを堆肥にして,生産された米を原材料にして生まれたお酒「めぐる」を生産しており,循環型社会を生み出す取り組みを行っていることで知られています。





 水谷酒造の先の右手には須佐之男社があります。創建は不詳ですが,承応2年(1653年)にこの付近が鷹場新田として開発されてから氏神として祀られているといいます。天保8年(1837年)の棟札も残されています。

光耀寺
赤目町下堤畦2571





 須佐之男社の先の筋を左折し,道なりに350mほど進むと佐織総合運動場に突き当たります。ここを右折して300mほど進み海部幹線水路を渡り,道なりに100mほど進んで突当りを右折して道なりに左折すると左手に光耀寺(真宗大谷派)があります。宝樹山と号し,尾張徇行記によれば,明応3年(1494年)に光正坊によって,中島郡桜方村(現,稲沢市祖父江町)に開基されたといいます。元和8年(1622年)にこの地を支配した横井伊織助が父時泰の菩提寺にするためにこの地に移し,寺領30石を寄進したといいます。

赤城神社
赤目町杉土居77







 光耀寺の先の県道を右折し,続く筋を左折すると赤城神社があります。かつては神明宮,八幡宮,山ノ神社があったといいます。八幡宮は延宝3年(1675年)に元赤目から遷座しましたが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊したといいます。昭和43年(1968年)に赤目城にあったという津島神社がこの地に移され,その際に赤目城の最後の城主であった横井時定を祭神として合祀し,赤城神社と改称されたといいます。赤目城は,当時海西郡と海東郡を支配していた横井時永によって創建されたといいます。隣接して秋葉神社も設けられています。

一心寺
赤目町中屋敷154







 赤城神社から県道に戻ってさらに西に進み,次の交差点の左奥方向に入る道を300m弱進むと,右手に一心寺(曹洞宗)があります。国音山と号し,明応9年(1500年)に横井時永による創建といい,当初は万福寺と称し天台宗だったといいます。衰微した寺を寛永17年(1640年)に横井伊織助時安が再興し,50石の寺領を寄進したといいます。その際に曹洞宗に改宗し,時安が一心飛華居士と称することになったため,寺名も一心寺にしたといいます。山門は赤目城の門を移築して再建したものといいます。

引接寺
塩田町砂山19





 一心寺から400mほど進んで,橋を渡った先の「止まれ」標識のある交差点を左折し,300mほど進んだ3本目の中央に水路のある筋を右折すると塩田神社があります。元々慶長12年(1607年)に創建したという八幡宮と神明宮の2社があったところに,大正14年(1925年)に神明宮を合祀し,その後社名を塩田神社にしたといい,明治20年代に木曽川下に水没した丁野村の春日大明神も合祀されたといいます。





 塩田神社の南側から出て西に進み,100m強進んだ坂を上った先の突当りを右折し,100m先の筋を左折したらすぐ右手に引接寺(真宗大谷派)があります。大永4年(1524年)に祐西によって美濃石津郡下一色村(現,海津市)に建立され,延宝7年(1679年)にここより南の現在木曽川中央部になっている場所に移転しました。明治20年代に濃尾地震や木曽川の改修工事で現在地に移転したといいます。





 引接寺から西に進むと木曽川の堤防に出ます。目の前には木曽川と養老山地の雄大な眺めを楽しむことができます。目の前の木曽川の川床には,かつての改修工事で水没したいくつかの集落があり,集落跡から井戸遺構が発見されたり,大量の古銭が見つかったりと話題になっています。干潮時や渇水時には現在も遺構が見られるといいます。

(下大牧)神明社
下大牧町寺前57



 木曽川沿いを堤防沿いに北上し,その先の筋を右に進んで堤防を下ります。100mほど先の水路沿いの道を左折して,水路沿いに400mほど進み,右に曲がった先の筋を左折して橋を渡り,さらに少し進んだ先を左折するとハスの池に囲まれた白鬚社があります。



 その奥には(下大牧)神明社があります。創建は不詳ですが,『寛文村々覚書』に記載のある古社で,安永2年(1773年)に堤防上に遷座し,明治22年(1889年)に現在地に移されたといいます。御神体は円空仏で,江戸時代の吹雪の日に一軒の宿を求めた坊主に対して,求めに応じたところ,一晩で仏像を彫刻し,これはあらたかなものだから祀ってくれと言われて祀ったところ,村の人々は裕福になり災難からも逃れられるようになったと伝わっています。

明光寺
下大牧町中島85





 神明社から橋を渡って北上した道に戻り,200m弱進んだ2本目の筋を右折すると明光寺(真宗大谷派)があります。明応6年(1497年)に伊賀の住人であった服部山之丞が,蓮如上人に帰依して創建したといいます。当初は松山中島村(現,海津市)にありましたが,度重なる洪水のために下大牧村の現在より少し南の場所に移転し,享保3年(1718年)に現在地に移されたといいます。

長久寺
高畑町村中10





 明光寺から手前で右折した地点に戻って,さらに600mほど北上します。途中は蓮池が両側に広がり,夏には花も咲かせて見事な景色が広がります。左右に道なりに曲がった先のカーブミラーのあるT字路を左折すると,少し先に長久寺(真宗大谷派)があります。東松山と号し,天正年間(1573〜92)に本田長久という人物が,西杉山大和寺と東松山長久寺という2寺を創建したといい,当初は天台宗だったといいます。衰微したのちに寛永13年(1636年)に善明によって再興され改宗したといい,このころ木曽川の掘割が行われたのと合わせて現在地に移されたといいます。

(立石)八幡社
立石町上105





 長久寺から手前の左折した地点に戻り,さらに北上して次の筋を右に曲がって200mほど進むと,県道8号線に合流します。ここを右折して,150mほど進んだ歩道橋を越えた先を左折して,100m弱進んだら(立石)八幡社があります。創建は不詳ですが,少なくとも江戸時代から立石地区の信仰の中心となっていたと考えられ,境内に秋葉神社も祀っています。この付近は中世に伊勢神宮の荘園であった立石御厨と呼ばれる地域だったといい,伊勢神宮の外宮・内宮へ絹や糸を納めていたと記録されています。そのため,江戸時代まで伊勢神宮の直轄領がこの付近に残されていたといいます。

ゴール:愛西市巡回バス・八開総合福祉センターバス停

 八幡社の左側の道を進んで,そのまま合流した車道を北に300mほど進むと,スタート地点である八開総合福祉センターに到着します。ここから月〜土曜日は町方駅・藤浪駅方面へ1日3本,渕高駅方面に1日3本の巡回バスが走っていますので,それらを利用して戻りましょう。日曜日およびちょうどよいバスがない場合は,タクシーを利用するか,名鉄尾西線の渕高駅または六輪駅までの徒歩になります。距離は約5kmありますので,時間をかけて戻るつもりでいきましょう。


写真使用数:36

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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