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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛西市:八開北コースHACHIKAI NORTH

2017年6月探訪。2017年6月3日作成

【コース】 距離:約8.4km
 八開地区北部の江西・給父・藤ケ瀬・川北・鵜多須・二子地区をめぐります。横井也有をはじめ郷土の偉人の史跡と田園地帯の社寺をめぐります。

八開庁舎〜西導寺〜給父神明社〜三輪市太郎頌徳碑〜西音寺・横井也有墓所〜長念寺〜西光寺〜藤ケ瀬神社〜川北神社〜(鵜多須上)神明社・鵜多須代官所跡〜鵜多須薬師堂〜宇太志神社〜了慶寺〜長楽寺〜山神社〜八開庁舎


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:愛西市巡回バス・八開庁舎バス停

 スタートは愛西市役所八開庁舎です。公共交通機関を利用する場合は,月〜土曜日のみ運行の愛西市巡回バスの八開ルートに乗車して,名鉄の渕高駅から約10分,町方駅から約25分,藤浪駅から約35分です。本数はいずれも1日3本なので,時刻はきちんと調べておきましょう。バスがない日曜日に来る場合は,名鉄渕高駅または六輪駅から徒歩またはタクシーになります。距離はおよそ3.5kmで徒歩の場合は約45分かかります。

愛西市役所八開庁舎
江西町大縄場151-1



 愛西市役所八開庁舎は,元八開村庁舎に当たります。八開村は明治39年(1906年)に成立しましたが,合併した八輪村,開治村の頭文字をとって名づけられた合成地名です。平成17年(2005年)に合併して愛西市になる直前の人口はおよそ4800人で,田園が広がるのどかな場所になります。



 庁舎付近には,八開村の木が「マキ」に,花が「蓮の花」に選ばれたことを記念する記念碑が建てられ,旧村の名残を感じることができます。かつてこの西にあった八開郷土資料室が庁舎内に移されており,川北村免定[市文化]などの旧八開村に関する資料を保存しています。

西導寺
江西町寺北102-1







 八開庁舎前の県道を西に700mほど進むと,右手に西導寺(真宗大谷派)があります。水精山立田坊西導寺と号し,当初は美濃大須村(現在の羽島市寺町)にて文和元年(1352年)に建立されたといい,天台宗とも真言宗ともいいます。後に川北地区に移って西林寺と号し,真宗大谷派に改宗したといい,寛文年間(1661〜72)に現在地に移ったといいます。正徳3年(1713年)に小幡村済度寺と合併して西導寺と称するようになったといいます。



 西導寺から150mほど進むと三叉路に到着します。ここで合流する道は旧高須街道に当たり,尾張藩の分家であった高須藩(現在の岐阜県海津市高須)と名古屋とを結ぶ街道でした。





 ここから南に100mほど進んだ右手には給父神明社があります。寛永17年(1640年)の棟札が残り,以降20年ごとに遷宮されたといいます。この東に100mほどのところには慶応4年(1868年)に建てられたという道標が残されています。

三輪市太郎顕彰碑
給父町北部13付近



 三叉路から300mほど堤防をあがって進むと東海大橋の東側に出てきます。東海大橋は昭和44年(1969年)に開通して,当初は有料道路でしたが昭和62年(1987年)に無料化されました。江戸時代は高須街道で往来する人々のために秋江の渡しがこの少し南に設けられ,明治の改修で木曽川と長良川が分流されてからは,この上流の神明津(現,稲沢市祖父江町)に移動し,中堤防で仕切られたために途中で船を乗り継いで渡ったといいます。旧高須街道に当たる渡し船は,周辺のものと比べても利用者が多かったといいます。



 東海大橋の東側に三輪市太郎碑があります。三輪市太郎(1867〜1930)は明治から大正時代に活躍した政治家で,最初は家の酒造業を継ぎましたが,濃尾地震(1891年)で被害を受けて酒造業を断念して土木業へ転換し,村会議員にもなりました。後に衆議院議員にもなり,永和駅の開設や日光川の改修などの地域の振興に取り組んだといい,名古屋旭遊郭の中村移転問題にも関与したといいます。碑が三輪市太郎を顕彰するために旧宅跡に大正元年(1912年)に建てられたものといいます。

西音寺
藤ヶ瀬町西藤25





 東海大橋東詰から堤防の道を北上し,次の八開水防センターの奥の筋を右折します。200m弱進んだ2本目のブルーのフェンスが並ぶ筋を左折して少し進むと西音寺(浄土宗西山派)があります。霊松山と号し,慶長8年(1603年)に藤ヶ瀬を支配していた横井時孝(尾張徇行記によると,その父の時朝)が創建したといい,藤ヶ瀬の横井家の菩提寺となっています。天和2年(1682年)に京都西山の本山光明寺の直末寺となりました。木村探元による中国の故事を画題に横井也有があとがきした横井也有俳句軸装[市文化]を所有しています。『うしのころ やなぎにそえば つのもなし 半掃庵』と記され,也有170年忌(昭和27年)に寄進されたものといいます。



 境内には横井也有の墓があります。江戸中期の俳人として知られる横井也有は,元禄15年(1702年)に藤ケ瀬横井家の6代として生まれ,本名は時般(ときつら)といって尾張藩の重臣でした。武芸にすぐれ,俳句をはじめ漢詩や和歌,茶道など多彩な能力を発揮しました。俳文集の『鶉衣』が有名です。

長念寺
給父町北部39



 西音寺から南に戻って,続く筋を左折して,次の交差点を右折します。ここには昔ながらの社や道標などが残されています。





 右折して100mほど進んだ右手に長念寺(真宗大谷派)があります。高木山と号し,文明元年(1469年)に釈浄了による開基といい,奈良県宇陀郡にあったといいます。1550年頃に北東の川北地区に移され,1700年頃に現在地に移されたといいます。

西光寺
藤ケ瀬町東藤32



 長念寺の先の県道を左折して500mほど進み,2つ目の信号を越えた次の水路のある筋を左折し,次の筋を右折すると左手に西光寺(真宗大谷派)があります。壽門山と号し,明応年間(1492〜1501)に蓮如の名により伊勢長島にて藤原持基の子の正圓が開基したといいます。その後,信長によって滅ぼされたため,永禄年間(1558〜70)に川北地区に移転し,寛永年間(1624〜45)に現在地に移されました。残念ながら現在は無住となり,寺も荒れ果てて崩壊しそうになっています。

藤ケ瀬神社
藤ヶ瀬町東藤99



 西光寺から東へ200mほど進んだところにはお地蔵さまがあり,旧藤ケ瀬橋の欄干が残されています。かつてこの付近を佐屋川が流れていた名残を示すものです。





 その先の突当りを右折してさらに左折すると藤ケ瀬神社があります。創建は不詳ですが藤ケ瀬村の領主の比叡氏が守護神として山神と秋葉権現を奉祀したのが始まりといい,明暦元年(1655年)に領主の横井時元が白髭大明神と春日大明神を祀ったといいます。貞享元年(1684年)に富士社を境内社として奉祀し,明治45年(1911年)に各社が春日大明神に合祀されて,大正元年(1912年)に藤ケ瀬神社と改称されました。藤ケ瀬地区の歴史を感じられる神社です。

川北神社
川北町下136





 藤ケ瀬神社の東側に流れている海部幹線水路の手前を左折して,水路に沿って北上します。600mほど進むと左手に川北神社があります。明治43年(1910年)に元々あった恵比寿社に,日吉社,神明社,秋葉社が合祀されてできた神社です。恵比寿社は天正年間(1573〜1593)以前から鎮座していたという古社で,元々は恵比寿ヶ森と呼ばれた場所にありましたが,慶安年間(1648〜51)に大水に流されて現在地に遷座したといいます。平安時代の「延喜式神名帳」に見られる漆部神社は,通常甚目寺横の漆部神社に当たるとされますが,この恵比寿神社だったという説もあります。この川北地区の名前の由来は,江戸時代以前に木曽川と佐屋川を結んで流れていたという相之川の北側の地区からきています。文政7年(1824年)に木曽川から締め切りがなされ,文政9年(1826年)に廃川となりました。また,この川北地区は200年以上の免定が残っていることでも知られます。免定は代官から出された年貢割り付け状のことで,これらは市の文化財に指定されています。



 川北神社の先には,川北地区の土地改良碑が建てられ,地区の歴史が刻まれています。

(鵜多須上)神明社・鵜多須代官所跡
鵜多須町大山西122-1







 川北の土地改良碑の交差点を右折して水路をこえる橋を渡り,200mほど進んだ広い筋との交差点を越えた先の右に入る筋を進みます。600mほど進んだ下り坂が始まる手前の「止まれ」標識のある交差点を右折すると,少し先の右手に(鵜多須上)神明社があります。創建は不詳ですが,寛文7年(1667年)再建と記録があり,天明元年(1781年)の棟札があるといいます。
境内前には鵜多須代官所跡の案内板があります。安永10年(1781年)の尾張藩の改革で領内の各所に駐在する代官制がひかれることとなり,天明2年(1782年)にこの地にも代官所が設けられることとなりました。代官は地方行政一般をつかさどり,税の取り立てから土木工事,治安維持など広範囲に及ぶものだったといいます。明治維新後の明治4年(1871年)にこの代官所は廃止され,その後建物はそのまま残されましたが,明治24年(1891年)の水害で壊滅し,現在は跡も確認できないほどになったといいます。

鵜多須薬師堂
鵜多須町上中山82付近



 神明社から南に200m弱進むと左手に鵜多須薬師堂があり,堂内には円空作木造薬師如来坐像[市文化]が祀られています。伝承によると佐屋川の堤防が決壊した際にこの地に流れ着き,のちに薬師堂に祀られるようになったといい,年1回10月に開帳が行われています。この鵜多須町には,他に個人蔵(非公開)の円空作木造観音像[市文化]など文化財の円空仏が存在しています。

宇太志神社
鵜多須町下中山27





 鵜多須薬師堂から200m強南下すると,左手に宇太志神社があります。社伝によると白鳳元年(672年)の創建と伝わる古社で,平安時代の延喜式神名帳にも記載がある式内社で,白髭大明神とも称したといいます。関ヶ原の戦いののちに美濃の杉原一党が当地に訪れ,神社の再興に力を尽くしたと伝わり,『尾張名所図会』にも神社が記載されているといいます。境内には金比羅社がまつられ,これは『尾張名所図会』が刊行された弘化元年(1844年)以前の創建といいますが,明治45年(1912年)に鳥居脇に合祀されました。社宝として安政3年(1856年)に鵜多須の若者組が奉納した鵜多須金刀比羅社太刀[市文化]があり,堀田近江守藤原兼光の作といいます。現在は名古屋市博物館にて保管されています。

了慶寺
鵜多須町中道212





 宇太志神社から200mほど進んだ「鵜多須」交差点を左折し,300mほど進んだ4本目の筋を右折して100m強進むと右手に了慶寺(真宗大谷派)があります。天正山と号し,元は天台宗で龍宝山徳香院といい,近江志賀郡(現在の大津市北部)に創建されたといいます。天正年間(1573〜92)に蓮如上人に帰依して改宗したといい,後の石山合戦のときに了敬寺と称し,その後寛永年間(1624〜45)に現在の寺号になったといいます。
 了慶寺の先を右折し,250mほど進んだ突当りを左折し,200mほど進んだ右手に(鵜多須下)神明社があります。貞享3年(1686年)に佐屋川から出水した際に神霊が漂着し,この地に奉祀して創建されたといいます。

長楽寺
二子町小判山304



 神明社の先の筋を左折し,続く筋を右折して300mほど進むと右手に長楽寺(真宗大谷派)があります。永正山と号し,文禄元年(1592年)に西保村(佐屋地区)に了然により創建されたといいます。第2世の祐玄は教如上人の側近で苦難時代をともに過ごしたといい,関連も深いといいます。宝暦3年(1753年)に二子村の要請で現在地に移転しました。弥富にある蓮如堂を佐屋地区の善定坊と交代で管理しています。

山神社
二子町小判山207





 長楽寺の先の突当りを右折し,100m強進んだ突当りを左折し,先の「小判山」交差点を右折した先に山神社があります。寛永21年(1644年)に小判山新田を開発した際に伊予国大三島から勧請して創建されたといい,安永6年(1777年)に現在地に移転したといいます。境内社に津島神社をまつります。佐屋川堤防である御囲堤の上に鎮座しており,御囲堤の案内板が境内にあります。御囲堤は慶長13年(1608年)に徳川家康の命で行われた治水事業により設けられ,木曽川の氾濫を防いで尾張地区の灌漑を進めるために設けられました。築堤の距離は現在の犬山市から弥富市にかけての48kmに及び,場所によっては二重・三重に築堤を設けるなど大規模なものでした。現在,この付近でその形跡を残しています。

マルジマ・コロンブスの碑
元赤目町東川並100



 山神社から200mほど進んだ左手にマルジマ・コロンブスの碑があります。明治初期にこの地域から北米移民となったマルジマ・コロンブスこと山田芳男(1856〜1948)を称えた碑です。彼は明治14年(1881年)にラッコ捕獲船の船員となったときに,遭難してサンフランシスコに上陸,その後オークランドに移りました。大正元年(1912年)にこの地に戻って,アメリカで学んだ桃の栽培に着手し,この地域の農業発展に寄与しました。その功績を称えて大正12年(1923年)にこの碑が二子町丸島に建立され,道路拡張に伴う工事で現在地に移されました。



 さらに水路を渡った先の右手には忠魂碑があります。この地から戦争に赴いて亡くなった人々をまつっています。



 忠魂碑の先にスタートした八開庁舎があります。庁舎入り口のところには,八開村の基準値となる道路元標の碑が建てられています。

ゴール:愛西市巡回バス・八開庁舎バス停

 庁舎前のバス停がゴールです。バスは1日3本なので注意して利用しましょう。歩くと名鉄六輪駅または渕高駅まで約45分かかります。


写真使用数:37

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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