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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛西市:八開東コースHACHIKAI EAST

2017年6月探訪。2017年6月4日作成

【コース】 距離:約10.2km
 八開地区北部の上東川,下東川地区,および佐織地区北部の西川端,渕高,大野山地区をめぐります。領内川・日光川の周辺の史跡をめぐります。

名鉄・上丸渕駅〜真友寺〜金峯社〜星大明神社〜円通寺〜(下東川)八幡社〜(西川端)神明社〜兼中寺〜西源寺〜(東西野遺跡)〜(渕高)神明社〜明円寺〜八幡神社〜須佐之男社〜石原種女碑〜太子寺〜ヨシヅヤ平和店〜名鉄・六輪駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄尾西線・上丸渕駅



 スタート駅は名鉄尾西線の上丸渕駅です。尾西線に乗車して,津島駅から5駅10分で来ることができます。名鉄名古屋駅からは津島駅乗り換えで,約45分の所要時間を見ておくといいでしょう。本数も1時間に4本程度運転されています。

真友寺
上東川町宮東116



 上丸渕駅から出て,前の通りを左方向へ西に進みます。200m強進んだ2つ目の十字路を左折すると,約100m先に微笑山と号する聯芳寺(真宗大谷派)があります。



 聯芳寺の先の突当りを右折し,そのまま400m強進んで,突当りを左折し,続く筋を右折します。約100m進んで,領内川を渡って3本目の筋を左折すると約100m先の右手に真友寺(真宗大谷派)があります。法輪山と号し,天正2年(1533年)に海西郡市江村(現,佐屋地区)に誓順が建立したといい,元禄2年(1689年)に現在地に移転したといいます。門柱は,かつてこの付近から発掘された巨大石を転用したものといいます。

金峯社
上東川町宮東51





 真友寺の先の筋を右折して200mほど進むと,金峯社があります。文禄2年(1593年)に大和国金峯山の蔵王権現から勧請して創建されたと伝わり,当初は蔵王権現と称していたといいます。伝承によると百姓の鍬を作る鍛冶屋の神とも,単に百姓の神ともいわれます。大祭の時には新生姜が奉納され,これによって「しんしょう(身上)が」よくなるとされています。社の北方では明治中期に須恵器や巨大な自然石が発見され,かつては古墳があったと考えられています。この領内川付近は近代の耕地整理で角野遺跡や細野遺跡などが発見され,古代に集落があったと考えられている地域です。

星大明神社
上東川町宮東10





 金峯社のところを左折して100mほど南下すると,2本目の筋を右折した先に星大明神社があります。社伝によると慶長7年(1602年)に創建されたといい,祭神は不明ですが星目などの眼病患者の間で現在でも信仰があつく,眼病平癒の神として地域から信仰されていきました。天和2年(1682年)に再建されたという棟札が残されています。

円通寺
上東川町新七前117



 右折したところに戻ってさらに南下し,次の筋を左折して200mほど進んだ突当りを右折すると,100m弱先に円通寺(曹洞宗)があります。普陀山と号し,寛永11年(1634年)に徳峯玄昌和尚が創建したといいます。本尊の十一面観音は,赤見村(現、一宮市か)の西北にて,毎夜土中から読経念仏が聞こえるので村人が掘り起こしたところ,この観音が現れて奉ったものと伝わっています。

(下東川)八幡社
下東川町蔵之段79





 円通寺の正面から南下して,水路に突き当たったら右折し,100m強先を左折して南下します。200mほど進んだ突当りを右手に入り道なりに進むと,約100mで(下東川)八幡社があります。寛永11年(1634年)に円通寺境内に勧請され,明治3年(1870年)に神仏分離令により現在地に遷座したといいます。

(西川端)神明社
西川端町兼ケ角179-1



 八幡社から南下して,突当りの県道を左折します。100mほど進んで領内川を渡り,その先を右折して川沿いに進みます。領内川はこの地を領有していた横井家の領内を流れる川だったため,この名前が残されているといいます。しばらく川沿いの快適なウォーキングを楽しみましょう。





 領内川沿いを約1km進み,次の橋のある交差点を越えた次の筋を右折すると(西川端)神明社があります。創建は不詳ですが,伝説によると700年の歴史を誇る古社といいます。





 その先の分岐を左に進んだ先には,新豊山兼中寺があります。境内には豊川稲荷が勧請されています。この付近は昔ながらの農村の集落の雰囲気が残ります。

西源寺
西川端町大込屋敷80





 兼中寺のところを左折し,次の筋を右折して400m弱進むと,佐織町の土地改良碑があります。この先の西川端小学校の手前の筋を左折すると,正面に西源寺(真宗大谷派)があります。金林山と号し,『尾張志』によると天文17年(1548年)の開基といい,「佐織町誌」によると寛永19年(1642年)に桂雲によって開基したといいます。この西川端は地域教育の発展に貢献した教育者の佐藤政九郎(1805〜74)の出身地として知られます。この付近は,上東川町出身で文久2年(1862年)に寺子屋を開業し,立派なあごひげを蓄えたことから「東川のおひげ」と呼ばれた横井周平など江戸末期〜明治初期の教育者の出身地となっています。



 西源寺の右側の筋を進み,突当りを右折し,さらに先の突当りを左折して200mほど進むと,佐織特別支援学校と佐織工業高校が見えてきます。この付近は東西野遺跡という愛西市を代表する遺跡になっており,パレススタイル土器やS字状口縁台付甕形土器などが出土しています。これらは市の文化財に指定され,佐織歴史民俗資料室に保管されています。

(渕高)神明社
渕高町一ノ割88





 佐織特別支援学校の横からさらに直進して,先の「止まれ」標識のある交差点を右折します。そのまま400mほど進んで名鉄の踏切を渡り,さらに200m弱進んだ突当りを左折して100mほど進むと左手に(渕高)神明社があります。創建は不詳ですが古社といい,天保14年(1843年)に火災で焼失し再建され,明治42年(1909年)に現在の本殿が建立されたといいます。



 神明社の奥には,一ノ割公民館があります。旧佐織村役場庁舎の一部を利用している公民館で,屋根瓦にその名残が見られます。

明円寺
渕高町二ノ割9



 (渕高)神明社から南に戻って水路沿いに進みます。この水路はかつての日光川に当たるものといいます。渕高の町には,かつて奈良時代に寺院が設けられ,尾張国分寺から出土したものと同じ瓦が出土しており,鬼瓦は東京の国立博物館に保管されているといいます。





 400mほど進んだ先には明円寺(真宗大谷派)があります。竹本山と号し,慶長年間(1596〜1615)に美濃国成戸(現,海津市)に創建され,寛文年間(1661〜72)以前に現在地に移されたといいます。

石原種女碑
大野山町海用付近



 明円寺から1kmほど進んで名鉄の踏切を渡って,少し進んだ先には須佐之男社があります。慶長11年(1606年)に創建されたといい,この地区の氏神として信仰されました。宝暦年間(1751〜63)に大水害があり,社殿が流されましたが再建されたといいます。



 さらに200mほど進むと,右手に石原種女碑があります。小さいころから信心深いことで有名であった石原種(1841〜1909)は,明治初期に信州にて木綿織底の研究に従事して製法を会得し,郷里に戻ってそれを広く伝えて家計の補助にしたといいます。彼女の徳を称えて立てられたのが,この碑になります。

太子寺
大野山町中之割42



 石原種女碑から200mほど進むと,太子寺(真宗大谷派)があります。聖徳山と号し,宝永5年(1708年)に元松山中島村にて創建されました。明治26年(1893年)に河川改修で廃村になったことから,現在地に移転再興したといいます。寺には創建時のものと考えられる太子木像や太子画像があり,名前の由来になっていると考えられます。



 戻って,石原種女碑のある交差点を右方向に進み県道126号線を東に進みます。150mほど進んだ先には大型ショッピングセンターのヨシヅヤ平和店があり,ウォーキングの際の休憩地点として活用できます。

ゴール:名鉄尾西線・六輪駅



 ヨシヅヤ平和店から100mほど進んだ先の名鉄の線路を渡った先の筋を右折すると,やがてゴールの名鉄尾西線の六輪駅が見えてきます。尾西線に乗車して,津島駅までは2駅4分ほどで到着し,およそ15分間隔で運転されています。名鉄名古屋駅まで約40〜50分で行くことができます。


写真使用数:29

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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