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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛西市:立田北コースTATSUTA NORTH

2017年10月探訪。2017年10月16日作成

【コース】 距離:約9.6km
 立田地区北部の石田,宮地,四会,戸倉,葛木,三和,小茂井の各地区をめぐります。鵜戸川周辺の水田地帯の歴史と自然を感じるコースです。

立田庁舎〜玉泉寺〜唯眞寺〜四会八幡社〜西乗寺〜戸倉八幡社〜増穿鵜戸川碑〜陽南寺(立田赤蓮発祥の地)〜八龍社〜問源寺〜葛木港〜大成渡船の跡〜安泉寺〜赤蓮保存田〜立田体育館〜石神社〜立田庁舎


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:愛西市巡回バス・立田庁舎バス停



 今回のスタート場所は,愛西市の立田庁舎です。バスを利用する場合は愛西市の巡回バスの立田線が名鉄の日比野駅および佐屋駅からそれぞれ1日3本出ています。時間を事前に確認して利用してください。タクシーを利用する場合は,津島駅からが便利です。徒歩で行く場合は,名鉄日比野駅が最寄り駅で,県道114号線を経由して4km弱,約50分かかります。



 バス停の前には愛西市立田庁舎があります。平成17年(2005年)に愛西市に合併するまでの立田村役場で,この付近の中心となります。立田村は明治39年(1906年)に5つの村が合併して誕生し,蓮根の一大産地として知られます。今回のコースでも蓮を見ながらウォーキングしていくことになります。

唯眞寺
宮地町大倉72





 立田庁舎から鵜戸川を渡り300mほど県道を東に進むと右手に玉泉寺(真宗大谷派)があります。光雲山と号し,元亀3年(1572年)の祐善による創建といい,本尊は阿弥陀如来です。



 玉泉寺から300m弱進んだ十字路を左折し,2本目の筋を右折して道なりに進むと唯眞寺(真宗大谷派)があります。紅葉山と号し,慶長13年(1608年)の創建と伝わりますが,元は天台宗で,後醍醐天皇の曽孫良王がこの地に逃れて神田唯眞と称し,津島神社の神官を務め,当地に建立したとも伝わります。のちに転宗し,後に東本願寺や三河本証寺(現在の安城市)の末寺となったといいます。



 寺の駐車場に玄宗坊廃寺の案内板があります。この付近には持統天皇7年(692年)頃に建てられたという宗玄坊という寺院があったといい,この付近から古い瓦が多数出土しています。この宮地地区には6〜7世紀と考えられる須恵器が出土しており,立田中学校に飾られているといいます。

西乗寺
四会町村内90



 唯眞寺の先の分岐を左に進み,100mほど先の突当りを左折します。300mほど進んだ2つ目の交差点を右折します。さらに200mほど進むと左手に四会八幡社があります。創建は不詳ですが古くは八幡・薬師の合殿だったといい,正徳元年(1711年)に別殿としたといい,大正元年(1912年)に四会の各地区にあった氏神を合祀したといいます。ここ四会地区は笹塚,高田,脇野,西一色という4村が合併したものといい,高田村は江戸時代には野崎鎌吉という藩士の給地(藩士が管轄する土地)だったと伝わっています。





 四会八幡社の先の十字路を左折し,先の突当りを右折した先に西乗寺(真宗大谷派)があります。堀田山と号し,創建は不詳ですが天文5年(1536年)に祐慶という僧によって創建されたと伝わっていますが,たびたびの流水で詳細はわかっていないといいます。隣接して西一色の薬師堂があります。

増穿鵜戸川碑(津島社)
新右エ門新田町郷前



 西乗寺の左側にある筋を直進して400mほど進むと鵜戸川に突き当たるのでここを右折します。この目の前にある鵜戸川の広がりはなまず池と呼ばれ,この池を埋め立てようとした役人を大なまずが襲ったという伝説が残されています。かつてこの鵜戸川では夜に水面を光に照らして寄ってきた魚を網で取るというちょうちん網漁が行われていたといいます。



 川沿いに200mほど進むと立田北部子育て支援センターがあります。トイレの利用などウォーキングの休憩地点としても活用できるといいますが,休日はお休みです。
 支援センターからさらに200mほど進むと橋があり,橋を渡った先右手に戸倉八幡社があります。境内には龍神も祀られているといいます。





 橋に戻って,鵜戸川を左に見ながら北上すると約100mで右手にある津島社の前に増穿鵜戸川碑[市史跡]があります。立田輪中の主要排水路である鵜戸川は,明治12年(1879年)に増穿工事が行われました。その請願に尽力した黒川治愿(はるよし)らの功績を称えて,明治13年(1880年)に設けられた碑です。水利をめぐる利害をうまく調整し,苦心して掘り増ししたといい,民心を治めた功績を伝える貴重な史料といいます。黒川治愿は名古屋の黒川などの土木工事に関わったことでも知られています。この付近の新右エ門新田は,関ケ原の戦いで落ち武者になった中野新右衛門によって開墾されたといい,その子孫には儒学者・書家として知られる中野龍田(1756〜1811)がいるといいます。

陽南寺(立田赤蓮発祥の地碑)
戸倉町道添95



 増穿鵜戸川碑の先の分岐を左に進み,さらに次の筋を左折して鵜戸川を渡ります。その後,2つ目のT字路を左折して200mほど進むと右手に陽南寺(真宗大谷派)があります。金蓮山と号し,創建は不詳ですが延宝5年(1677年)に本尊の阿弥陀如来を授与されて中興したといい,寛文8年(1688年)に本願寺から陽南寺の寺号が与えられたといいます。



 境内には立田赤蓮発祥の地碑があります。立田赤蓮[市天然]は陽南寺5代住職の龍天によって広められたといい,近江国(滋賀県)から蓮根を持ち帰って広めたという説と,肥後国(熊本県)から僧豪潮によってもたらされたという蓮の実を発芽させたという説があります。現在は立田庁舎南の保存田を中心に栽培されています。

問源寺
葛木町長池161-1





 陽南寺の前を通る県道を西へ進みます。この付近は蓮池も含める広大な田園地帯が広がります。陽南寺から800m先の右手に八龍社があります。慶長15年(1610年)に勧請され,落雷除難の守護神として崇敬を受けたといいます。大正12年(1923年)に村内にあった白鬚社と白山社を合祀したといいます。





 八龍社の先,堤防下の道路を左折して200mほど進み,十字路を右に入ったところに問源寺(真宗大谷派)があります。宝塔山と号し,慶長11年(1606年)に僧了玄により開基,天明7年(1787年)の再建といいますが諸説あります。本尊は阿弥陀如来で,教如筆という顕如上人絵像などが伝わっています。

葛木港
葛木町高田9



 問源寺の西にある階段を上がって木曽川の堤防上に上がります。この付近からは対岸の養老山地の山並みが見事です。





 堤防上を南下して100mほど進むと,観光船の葛木港があります。かつて江戸時代はこの地域に約2kmごとに渡しがあったといいますが,明治20年代に木曽川の改修工事が行われて多くの渡船が廃止となりました。昭和31年(1956年)に公共交通として木曽川を渡る葛木渡船が運行されるようになり,長良川を渡る森下渡船に乗り継いで,対岸の海津町森下地区(岐阜県海津市)とを結んでおり,平成23年(2011年)まで運行されていました。現在は愛西市により観光船が春〜秋の土曜休日を中心に運行されており,ここから南の船頭平閘門を経由して長良川までを往復する約3時間の船旅を楽しむことができ,木曽川の歴史と自然を感じることができます。



 葛木港から900mほど堤防上を南下し,左手前方向に坂を下る道を進むと大成渡船の跡の碑があります。津島と多度を結ぶ通路上に設けられた渡し船で,ここから福原地区を経由して油島まで船で結ばれていたといい,多度のミカンを津島で売って,日用品を買って帰る人々が多かったといいます。

安泉寺
三和町中ノ割173



 大成渡船の跡の碑から道なりに進んで,次の水路沿いの道を右折して400mほど進み,突当りを左折すると,少し先の左手に安泉寺(真宗大谷派)があります。東嶽山と号し,創建は不詳ですが天正9年(1581年)に僧慶空によって創立されたと伝わり,昔は真言宗でしたが親鸞聖人の教えに帰依して改宗したとも伝わります。明治20年代の木曽川改修工事で,かつての大成村の多くが木曽川の川底となり,寺も現在地に移転しました。その後,明治24年(1891年)の濃尾地震や昭和の火災を乗り越えて現在に至るといいます。境内には大成庄を後世に伝える碑があります。大成庄は多度大社の神宮寺であった法雲寺に残る記録によると,延暦5年(786年)にこの地に荘園があり,これが京都の東寺(教王護国寺)の領地となって大成庄と呼ばれました。東寺の記録によると大成,二老,新堤,葛木などの地名が庄地として残っており,この付近に領地が広がっていたことをうかがわせます。

赤蓮保存田
葛木町高田9





 安泉寺から東に400m強進み,4本目の筋を左折すると,少し先の右手に赤蓮保存田があります。江戸時代に陽南寺の住職龍天がこの地にもたらしたとされる立田赤蓮をはじめ,32種類の花ハスを集めた保存および観賞用の蓮田です。花の時期である7〜8月になると一面に多くの花を咲かせ見事な風景になります。ハスの花を紹介した案内板も設けられ,貴重な品種のハスも保存されているそうです。





 赤蓮保存田からさらに北に200mほど進むと右手に立田体育館と立田社会福祉会館があります。場合によってはウォーキングの拠点としても活用できます。

石神社
石田町宮東





 立田社会福祉会館の先の2本目の細い路地を左折すると,100mほど先の右手に石神社があります。創建は不詳ですが,境内には古墳跡と思われる多数の石があったことから,神社名が石神社となり,地名も石田になったといい,祭神も大石尊となっています。境内の岩石は養老山地で産出する河戸(こうず)石であり,人為的なものと推定されており,御神体も石になっています。

ゴール:愛西市巡回バス・立田庁舎バス停

 立田社会福祉会館に戻り,東方向に150mほど進むと,スタートした立田庁舎に戻ってきます。愛西市の巡回バスが名鉄の日比野駅および佐屋駅へ1日3本ずつ運行されていますので,利用する場合は時刻表を確認して利用しましょう。徒歩で行く場合は,名鉄日比野駅まで約45分です。蓮池や田園風景を楽しみながら戻っていくといいでしょう。

(プラスワン)光輪寺
早尾町立切84



 陽南寺の北500mほどのところに光輪寺(真宗大谷派)があります。立田山と号し,明応6年(1497年)の開基といい,蓮如に帰依した了西が創建したと伝わり,当初は西の二老村にあったといいます。天和3年(1683年)に光輪寺に寺号が改められたと記録があります。明治20年代の木曽川河川工事で二老村が川底に沈むことになり,明治37年(1904年)に現在地に移されました。本尊は阿弥陀如来です。

(プラスワン)専徳寺
小茂井町寺浦743



 立田庁舎から鵜戸川沿いに1.2kmほど南下すると専徳寺(真宗大谷派)があります。水光山と号し,天文5年(1536年)に善祐が現在の愛西市赤目町に創建し,その後変遷の後に寛永元年(1624年)に立田新田開発に当たり了覚が現在地に寺を移したといいます。この寺は江戸時代に仏法興隆した関通の由緒寺として知られます。関通(1696〜1769)はこの地に生まれ,幼い時から専徳寺に,その後浄土宗西方寺(現,津島市)にて修行します。その後16歳で江戸の増上寺で修行し,その後西方寺を円成律寺と改めてこの地域の仏教発展に尽くしたといいます。


写真使用数:32

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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