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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県豊明市:沓掛コースKUTSUKAKE

2019年2月探訪。2019年2月6日作成

【コース】 距離:約9.5km
 市東部の沓掛町を中心にめぐります。旧鎌倉街道の要衝の地に当たり,沓掛城址などの史跡や文化財豊富な社寺を中心にめぐっていくコースです。

≪コース≫ 名鉄バス・勅使台バス停〜ナガバノイシモチソウ自生地〜沓掛諏訪神社〜聖応寺〜正福寺〜沓掛城址公園〜一之御前社・安産水〜住吉社〜円福寺〜長盛院〜大久伝八幡社〜青木地蔵〜豊明消防署〜鹿嶋神社〜名鉄バス・文化会館バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・勅使台バス停



 スタート地点の勅使台バス停へは,名鉄前後駅から名鉄バスの藤田医科大学病院行に乗車して約15分で行くことができます。本数は1時間に1本程度なので,時刻はあらかじめ名鉄バスのホームページで確認してから利用するといいでしょう。余裕があれば,前コースから引き続いて歩くこともできます。

ナガバノイシモチソウ自生地
沓掛町小廻間地内



 勅使台バス停から東方向に進んで,池に突き当たったら右折して続く筋を左折します。そのまま50mほど進んで階段を降りると勅使台東公園がありますので,ここを通り抜けていきましょう。公衆トイレも設けられていますので,ウォーキングの準備にも活用できます。



 勅使台東公園からそのまま東に200mほど進むと徳田八幡社があります。慶長17年(1612年)の創建と伝わっています。



 徳田八幡社から南下して,次の信号を右折し,さらに100m強南下した続く筋を右折した先にはナガバノイシモチソウ[県天然]の自生地があります。ナガバノイシモチソウは貧栄養の湿地に自生するモウセンゴケ科の一年生食虫植物といいます。赤花と白花があることが知られていますが,赤花のものは全国でも愛知県(ここと豊橋市)にのみ自生が確認されている大変珍しいものといいます。平成25年(2013年)にはこの赤花のものが日本固有の新種であることが学会で発表され,自生地の豊明にちなんで「Drosera toyoakensis M.Watanabe」という学名がついたといいます。毎年4月から5月にかけて発芽し,8月頃に花を咲かせます。毎年花が咲く8・9月に一般公開されます。自生地には他にもミミカキグサなどの食虫植物やゴマクサなどの希少な植物も自生しているといいます。

沓掛諏訪神社
沓掛町森元6 [公式HP(外部リンク→)]





 ナガバノイシモチソウ自生地から東に戻って,先ほど南下してきた道をさらに南に進みます。300mほど上り坂を進んだ2本目の筋を400mほど進んで,案内板にしたがって左折すると沓掛諏訪神社があります。沓掛村の氏神で応永32年(1425年)の創建という記録されていたといい,沓掛城主だった藤原義行が諏訪大社から分霊を請けて創建したといい,元々は現在の沓掛城跡の場所に鎮座していたといいます。沓掛城の廃城後は本郷の氏神として住民から信仰され,寛文2年(1662年)には熱田から天照皇大神と日本武尊を勧請して相殿として合祀したといい,宝永2年(1705年)に現在地に移されたといいます。境内には多数の摂社・末社も祀られ,この地域の信仰の中心地としての風格が感じられます。社宝として,社殿の修復などの記録が残されている諏訪社棟札[市文化]があり,最古のもので慶長11年(1606年)のものが残されているといいます。他にも沓掛村本郷・真野家より宝永5年(1708年)に寄進されたという檜材寄木造の諏訪社狛犬[市文化]があります。また毎年7月下旬には享和年間(1801〜04)から始まったという諏訪社虫送り[市民俗]が行われます。これは実盛人形や幟を持って歌と太鼓に合わせて本郷内を行列して豊作祈願を祈るもので,尾張地区各地に伝わる虫送りの1つといいます。

聖応寺
沓掛町森元17 [公式HP(外部リンク→)]







 沓掛諏訪神社の入口から東へ100mほど進み,次の筋を左に入って道なりに進んだ先に聖応寺(曹洞宗)があります。平野山と号し,永正11年(1568年)に別喜右近によって創建されたといい、当初は臨済宗で久護山慶昌寺と称したといいます。その後,寛永年間(1624〜45)初め頃に平野金左衛門によって再興され,大光院(名古屋市中区大須)の護奕和尚が再興開山となったといいます。この時に寺号・宗派が現在のものに改められたといいます。前コースで訪れた二村山の地蔵堂がある場所は,この寺の境外飛地になっています。

正福寺
沓掛町東本郷119





 聖応寺から東に戻って進んだ先には正福寺(真宗大谷派)があります。白子山と号し,明応9年(1500年)に沓掛城主の近藤右京之進(伊景)によって建立されたといい,右京之進の弟で伊勢白子村(現,鈴鹿市)出身の僧慶順が開山になったといい,白子村にあった斉東院を当地に移して建立したといいます。その後大永年間(1521〜28)に三河国碧海群野寺村(現,安城市)の末寺となって浄土真宗に改宗し,斉東院を正福寺と改めたといいます。本尊は寛永14年(1637年)に本願寺13世宣如から賜ったという阿弥陀如来といいます。明治6年(1873年)には本寺が義勇学校の仮校舎になったといいます。境内には親鸞聖人の幼少期と壮年期の2つの像や立派なソテツが見事です。





 正福寺から東へ100mほど進むと慈光寺(浄土宗西山禅林寺派)があります。普照山と号し,永禄8年(1565年)に祐福寺(東郷町)12世沢良和尚を招いて開山とし,庚申堂と称したといいます。寛延元年(1748年)に慈光寺と改称されたと記録があるといいます。

沓掛城址公園
沓掛町東本郷11









 慈光寺から東に進んだ先の左手には沓掛城址[市史跡]に平成元年(1989年)に整備された沓掛城址公園があります。沓掛城の創建は不詳ですが,かつて鎌倉街道が通る要衝の地であったこの地には古くから城館があったと考えられます。記録によると室町時代初期に近藤宗光が沓掛城に居住したと記録され,その後代々近藤氏が城主になったといいます。第9代の近藤景春は今川義元の家臣となっており,永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際は今川義元がこの城に入り,織田軍を攻める準備をしたと伝わっています。しかし今川義元は織田信長に討たれ,近藤景春も城を攻められて討ち死にしました。その後は恩賞として簗田出羽守が城主になったといいます。さらにその後,川口宗勝が城主となりますが,関ケ原の戦いにて西軍に属したことから敗戦後にとらえられ,城は廃城になったといいます。昭和56年から61年(1981〜86)にかけて豊明市による発掘調査が行われ,東西288m,南北234mの規模で本丸,空堀などが良好な保存状態で残されていることがわかりました。蓬左文庫に所蔵されている「沓掛村古城絵図」によると遺構はその当時から変わっていないといいます。現在は沓掛城址公園として整備され,桜の名所としても知られ,6月頃にはあじさいやしょうぶ,かきつばたなども咲き誇るといいます。お城の遺構も見ながら公園内を散策することもでき,ウォーキングの休憩地点にも活用できます。

一之御前社
沓掛町一之御前13







 沓掛城址公園の北側から出てそのまま100mほど進み,県道を右折して300mほど進んだ「沓掛小学校南」交差点を左折します。そのまま300mほど進んだ左手には一之御前社があります。下高根地区の氏神といい,境内には一之御前安産水[市史跡]が流れています。室町末期の沓掛城主の近藤伊景の娘が,身ごもって郷里の明知(現,みよし市)に帰る途中この清水でのどをうるおし,安産することができたという伝説が残されています。それ以来,近隣の助産師が安産を願ってこの清水をもらいに来るようになったといわれています。



 一之御前社の参道から北東に抜ける筋を出て道なりに200mほど進み,突き当りを左折して続く筋を右折した先には道池があります。道端にあったため池ということから,道池と呼ばれるようになったといいます。

住吉社
沓掛町住吉9





 道池の南側から東に200m弱進んだ左手には住吉社があります。元亀2年(1571年)の創建といい,上高根地区の中心神社として周辺の神社も末社として合祀され,この付近の信仰の中心となっています。この住吉社に奉納されるものに上高根の棒の手[市民俗]があります。棒の手は元々刀剣が持てない農民が身を守る手段として,身近にある棒や鎌などの農具を用いて護身術にしたものといい,内容は秘伝として口授されながら現在まで伝わっているものといいます。この上高根の棒の手は寛文年間(1661〜73)に伊藤伴右衛門と浅野戸市右衛門が伝えたという融和流棒の手をもとに作られたといい,のちに夢想流と改められたといいます。毎年10月第一日曜日に行われる上高根警固祭りには棒の手の演技が行われ,大迫力の火縄銃の発砲も行われて大いに賑わうといいます。



 住吉社から東へ,住吉池の右側の筋を通って道なりに100mほど進んだ公園の先には秋葉神社が祀られています。



 秋葉神社からさらに100mほど進むと左手には洞がい洞(どうがいどう)池があります。元々は東海道と呼ばれていたといい,奈良時代にこの付近を東海道が通っていたことから,この名前になったといいます。



 洞がい洞池から先の十字路を左折し,続く筋を右折して,さらに続く筋を左折した先には豊明市農村環境改善センターがあります。会議室などを備え,地域の活動の拠点となる施設です。

円福寺
沓掛町上高根124







 豊明市農村環境改善センターから東に100mほど進んで県道を右折し,県道を600mほど進んだ「神明南」交差点を右折して100mほど進むと右手に円福寺(浄土宗)があります。文亀2年(1502年)に祐福寺から天清恵運和尚がおとずれて開基したといい,元禄15年(1702年)に僧積岸が明知村浄久寺から移って住職となり,観音堂を再建したといい,本尊は阿弥陀如来です。寺の保管されている鎮火・守護の神として知られる秋葉大権現像[市文化]はイチイの一木造りで,名古屋の彫刻家吉村為隆の作で八事般若台(名古屋市昭和区)の雲臥和尚により開眼されたといいます。大久伝の兼子源四郎維一によって安置されていたものが,上高根の智福院に寄進され,その後廃寺となったため円福寺に移されたといいます。

長盛院
沓掛町下高根6



 円福寺から西に進んで先の信号を左折し,150mほど進んで県道に突き当たったら右折し,先の「明和」交差点を左折します。100mほど進んだ3本目の筋を右折し,続く分岐を左に進むと左手に下高根公園があります。トイレも設けられているので休憩場所として活用できます。





 下高根公園から西に進む筋を100mほど進み,突き当りを左折して続くT字路を右折した先には長盛院(曹洞宗)があります。久宝山と号し,寛永元年(1624年)に聖応寺2世蟠山梵龍大和尚を開山として創建されたといいます。本尊の薬師如来坐像[市文化]は像高23cmという小ぶりのもので,沓掛城主の近藤九十郎景春の念持仏であったといいます。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにて沓掛城が落城した際に紛失し,その後寛永元年(1624年)が地中より掘り出し,長盛院を建立して本尊として祀ったと伝わっているものです。



 長盛院から東のT字路に戻り,右折して南下し2つ目の筋を左折した先には昭信寺(真宗大谷派)があります。明和3年(1766年)に正福寺所属の阿弥陀堂として創建され,昭和55年(1980年)に昭信寺になったといいます。

大久伝八幡社
大久伝町東100



 昭信寺から東に進んで突き当りを右折し,300mほど道なりに進んだ先にある井堰川を渡ります。ここには寿がきや食品の本社工場があります。





 さらに150mほど進んだ「小所」交差点を越えてさらに400mほど進んだ右手に大久伝八幡社があります。慶安2年(1649年)の創建という大久伝町の氏神といいます。神社には大久伝八幡社の扁額[市文化]が伝えられています。これは南画の画派に属する池大雅(1723〜26)が大久伝の兼子源四郎維一家に逗留中に揮毫した書といわれています。それを文化5年(1808年)に扁額として兼子家より大久伝八幡社に寄進されたといいます。

青木地蔵
沓掛町寺内



 大久伝八幡社の南西側から出て右手に進み,「大久伝東」交差点を横断歩道を渡ったのちに右折します。200mほど進んだ2本目の筋を左折して300mほど進むと,右手の田んぼを進む道の先に青木地蔵[市文化]が祀られています。高さ約35cmの地蔵で,元々鎌倉街道沿いに安置されていおり道祖神ともいわれていますが,頭部が欠けていることから詳しいことがわかっておらず,現在は下半身の加護に御利益があるとして信仰を受けています。



 青木地蔵の入口のところから北に300mほど進み,県道に突き当たったら左折するとすぐ左手に青木地蔵の代替仏が設けられています。元々青木地蔵はこの位置のクスノキの根元に安置されていたといい,大正6年(1917年)に移されました。その代わりの地蔵尊が現在は祀られています。なおこの付近の地名を十三塚といいますが,これはかつてこの東の街道の両側に十三塚があったことによるといいます。十三塚は子供が亡くなった親の冥福を祈るために13年間法事のたびに塚を築いたもので,塚の中に経文を埋めて街道の道中安全を願って設けられたものともいいます。

豊明消防署
沓掛町宿234





 青木地蔵代替仏の先の「豊明消防署南」交差点で県道を渡った先に豊明消防署があります。市民に開放された劇場型消防署として全国からも多くの見学客が訪れるという消防署で,観光案内にも掲載されています。パティオと呼ばれる車庫の周りに通路が設けられており,色々な角度から消防車を見ることができ,タイミングが合えば出動風景などを見ることもできるといいます。消防署の説明を受けたい場合は予約が必要になります。

鹿嶋神社
沓掛町宿220





 「豊明消防署南」交差点から消防署を左に見ながら北に進み,400mほど進んだ信号の1つ手前の筋を左折し,続く筋を右折すると左手に鹿嶋神社があります。創建は不詳ですが,元々は川嶋神社と呼ばれていたといいます。境内には「伊勢物語」の主人公と呼ばれる在原業平がこの地に立ち寄った際に詠んだという歌碑が設けられています。この沓掛という地名は,在原業平が東下りの際にこの地で沓(くつ)を掛けた場所であることから村の名前になったともいわれているそうです。

ゴール:名鉄バス・文化会館バス停



 鹿嶋神社から北上した「沓掛」交差点を左折してそのまま500mほど進むと,ゴールの文化会館バス停があります。名鉄前後駅まで名鉄バスを利用して約9分で戻ることができます。本数は1時間に1本程度なので,時刻はあらかじめ調べてから利用するといいでしょう。豊明市の巡回バスのひまわりバスも運転されており,前後駅や豊明駅に向かうことができますが,本数はあまり多くありません。時刻がちょうど合えば利用してもいいでしょう。

写真使用数:43

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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