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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県豊明市:栄町コースSAKAEMACHI

2019年1月探訪。2019年1月29日作成

【コース】 距離:約8.0km
 市南部の栄町と阿野町周辺をめぐります。桶狭間古戦場の史跡から自然豊かな公園,一里塚など旧東海道の史跡もめぐる見所が続くコースです。

≪コース≫ 名鉄・中京競馬場前駅〜桶狭間古戦場伝説地〜高徳院〜はざま公園・鷺之森碑〜明道稲荷〜落合神明社〜大蔵池公園〜大蔵池公園〜曹源寺〜宝福寺〜大脇神明社〜修静院〜阿野一里塚〜高鴨八幡社〜三田家住宅〜西雲寺〜名鉄・前後駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄名古屋本線・中京競馬場前駅



 スタート駅は市西部の名古屋市との境に位置する名鉄中京競馬場前駅です。通常は準急と普通のみの停車で,名鉄名古屋駅からは準急で約21分,普通で約30分になります。本数は通常時間帯は準急は1時間に2本(ただし平日昼間時間帯は運転なし),普通は1時間に4本になります。普通列車の場合は,鳴海駅まで急行に乗車して普通に乗り換えると便利です。競馬が開催される土曜休日は急行や特急が臨時停車する場合もあります。中京競馬場前駅の南側に出て出発しましょう。

桶狭間古戦場伝説地
栄町南舘11 [公式HP(外部リンク→)]







 中京競馬場前駅の南口からそのまま道なりに国道1号線に出て,続く信号を桶狭間古戦場の案内板に従って左折します。さらに50m強南下した左手には桶狭間古戦場伝説地[国史跡]があります。入口には昭和16年(1941年)に設けられた史跡桶狭間古戦場の標柱があり,昭和41年(1966年)に整備された公園内には合戦にまつわる碑や墓などが設けられています。桶狭間の戦いは永禄3年(1560年)に駿河・遠江・三河を制した今川義元が尾張に進出しようとして,それを阻止する織田信長と争った戦いです。2万5000もの今川軍に対して,わずか3000の織田軍が桶狭間に本陣をおいていた今川義元めがけて奇襲をかけ,あっという間に今川義元の首を取ってしまいました。圧倒的劣勢の織田信長が今川義元を打ち破ったのはまさに大金星で,ここから市は「大金星のまち とよあけ」とうたい大金星にちなんだグルメなどもあります。公園内にはここで討ち死にしたという今川義元の墓が設けられているほか,明和8年(1771年)の建立という今川義元やその家臣が討ち死にした場所を示したものという7つの七石表(一部は高徳院にあり),文化6年(1809年)に古戦場の荒廃をなげいて津島の神官氷室豊長が建てたという桶狭弔古碑,嘉永6年(1853年)に亡霊を鎮めるために設けられたというお化け地蔵などがあります。なお,今川義元が戦死した場所については名古屋市緑区など諸説あります。ここには詳しい案内板も設けられていますので,桶狭間の戦いをしのびつつ公園内をじっくりとめぐるといいでしょう。

高徳院
栄町南舘3-2 [公式HP(外部リンク→)]







 桶狭間古戦場伝説地の西側には高徳院(真言宗)があります。香華山と号し,9世紀に真言宗の本山である高野山に高貴徳王菩薩を本尊として建立されたといい,明治26年(1893年)に桶狭間の戦いの戦没者の供養とこの地での布教を目的として移転したといいます。きれいに整備された山門を抜けると見事なタブノキがそびえ,その横には今川義元公本陣跡の碑があります。他にも境内や敷地東側には今川義元の仏式墓所や義元の重臣・松井宗信の墓などが残されており,桶狭間の戦いをしのぶことができます。



 なお,高徳院の北の国道1号線の信号に戻り,西に進んで続く分岐を左に入り,150m弱先を左折したところには舘秋葉社があります。明治18年(1885年)の創建と伝わっています。

鷺之森碑(はざま公園)
新栄町6-193





 高徳院の入口から南は500mほど進んだ豊明新栄郵便局を越えた先のT字路を右折します。続く筋を左折した先の右手にははざま公園があり,公園内西側には鷺之森碑が設けられています。桶狭間の戦いの折,熱田神宮に戦勝祈願した織田信長を導いて二羽の白鷺が飛び立ったという伝説があります。この碑のところに白鷺が降り立ったと呼ばれ,その伝承に基づいて明治9年(1876年)にこの碑が設けられたといいます。



 はざま公園の西側の階段を登って公園の北側まで進みます。この付近は高台から新しい住宅街が広がっている様子を見ることができます。



 階段を上がった先を左手に進み,続く突き当りを右折して200mほど進むと桶狭間神社があります。戦後の昭和22年(1947年)に勧請されたという新しい神社です。

明道稲荷
新栄町2-286



 桶狭間神社から南の十字路に戻り,左折して東へ200mほど進むと山ノ神公園があります。



 さらに150mほど進んだ突き当りを左折し,続く筋を右折してその先の「栄小学校」交差点を左折して150mほどの右手に明道稲荷があります。慶応元年(1865年) に知多郡北崎村(現,大府市)出身の明道尼が,東海道沿いに寂應庵を建立して,東海道を行き来する人々の無料休憩所として人々の心身を癒したといいます。今でもそのときに利用した大きな湯釜が,後で訪れる曹源寺に保管されているといいます。この稲荷は平成2年(1990年)に尼の業績を顕彰するために一堂を建立したものといいます。

落合神明社
新栄町2-263



 「栄小学校」交差点に戻り,左折して栄小学校の方に進み,次の筋を左折し,続く筋を右折して進んでいった先には落合神明社があります。創建は不詳ですが,この付近に設けられたという落合村の氏神といいます。正徳3年(1713年)に知多郡の人々によって再興されたという棟札があり,南方からの人々によりこの地域に村落が形成され,氏神が祀られたと考えることができます。



 落合神明社の先の右手には豊明図書館栄分室があります。栄小学校の空き教室を利用して設けられた図書館の分室です。



 「栄小学校」交差点の東側に戻り,左手に分岐に入って300mほど進むと右手に落合公園があります。公衆トイレも備えたやや広い公園で,ウォーキングの休憩地点にすることもできます。

大蔵池公園
新栄町3-460









 落合公園から南に進んだ左手に大蔵池公園があります。広々とした大蔵池を中心として整備された公園で桜の名所としても知られます。公園内には1周700mの遊歩道も整備され,池で釣りを楽しむ人々も見受けられます。休憩するための東屋なども設けられていますので,休憩地点としても活用しましょう。公園の南側には陶芸の館が設けられています。地元の陶芸会などの活動の場になっており,陶芸教室などのイベントも行われているようです。

曹源寺(知多四国1番)
栄町内山45 [公式HP(外部リンク→)]





 大蔵池公園から陶芸の館のある南側の道路に出て左手に進み,東へ600mほど進んだ突き当りを右折し,続く筋を左折します。そのまま道なりに300mほど進むと曹源寺(曹洞宗)の入口があります。清涼山と号し,鎌倉時代に天台宗の寺院として開創されたといい,永正2年(1505年)に曹洞宗に改宗したといいます。永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いが起こった際には,2世快翁龍喜和尚が多数の戦死者が放置されていたのを戦人塚など各所に祀ったといい,以降歴代住職が戦人塚などで回向供養しているといいます。承応3年(1654年)には火災によって伽藍が焼失したため,現在の南東1kmの付近にあったものを延宝元年(1673年)に現在地に移転して再建したといいます。江戸時代以降はこの地域の中本山としての位置づけの寺院としていくつかの末寺を持つ存在になっています。境内の南側に行ったところの山門[市文化]は享保2年(1717年)に知多郡桶狭間(現在の名古屋市緑区有松町)の住人梶野清右衛門による寄進といい,江戸時代の中本山の風格を備えた入母屋造瓦葺の立派なものです。山門下には宝暦12年(1762年)の銘がある標柱もあり,歴史を感じさせます。山門から入った正面の本堂には明治13年(1880年)の再建といい,本尊の釈迦牟尼仏が祀られています。





 境内には昭和51年(1976年)に火災から再建された弘法堂があり,知多四国88ヶ所霊場の1番札所に指定されています。知多四国88ヶ所霊場は,古見村(現,知多市)の妙楽寺の亮山大和尚が,文化6年(1809年)に弘法大師のお告げを受けたことから開創を決意したもので,岡戸半蔵と武田安兵衛という2人の同志を得て苦心の末開創されたといいます。ここ曹源寺には武田安兵衛が弘法大師の尊像を奉持して安置を求めましたが,他宗の宗祖であったことから檀徒総代の彦蔵宅に安置したといいます。しかし参拝者が増加したため弘法堂を建立して安置したといいます。知多四国の最初の札所であることもあって参拝客は多く,年間10万人もの人々が参拝に訪れるといいます。また,毎月29日には縁日が行われて賑わうほか,毎年11月29日には大根炊き行事が行われます。これはご祈祷を受けた大根でふろふき大根にして,結び昆布とともに食すことで寝たきりになることのないよう願う行事です。この日は6500人分ものふろふき大根が準備され,多くの人で賑わうといいます。



 曹源寺の入口から東へ200mほど進んだ左手に道が2本あるところを左手前の道に進むと,少し先の左手に宝福寺(曹洞宗)があります。高徳山と号し,嘉永年間(1848〜54)の建立といい,本尊は大日如来で曹源寺の末寺といいます。

大脇神明社
栄町大脇5





 宝福寺から左折する前の通りに戻り,左折してさらに150mほど進むと大脇神明社があります。創建は建治年間と伝わり,たびたびの水害により曹源寺と同じく移転も計画されたといいます。多くの末社が祀られており,この地域の歴史を感じさせる神社です。大脇神明社は毎年第2日曜日に行われる大脇の梯子獅子[県民俗]が行われることで知られています。これは江戸時代の初めに愛知郡大秋村(現在の名古屋市中村区大秋町)から伝わった梯子獅子に,それ以前から半田亀崎地方から伝わっていたという神楽獅子を加えて,豊作を祈って奉納されていたものといいます。その後,つるし竹や一本竹などが加わって継承されているといいます。梯子獅子が演じられる際は,高さ12mのところに丸太2本を渡したやぐらを組み,その上で若者が勇壮な獅子舞を演じるなど見事な演技を見ることができ,多くの人で賑わうといいます。インターネット上で動画なども公開されていますので,興味がある場合は見てみるのもいいかもしれません。



 大脇神明社から先に進んで皆瀬川に突き当たったら左折し川沿いの道を進んでいきます。



  100mほど先の橋の先の分岐を左に進み,250mほど先の交差点を右折して橋を渡って道なりに100mほど進んだ左手には大脇教会(真宗大谷派)があります。



 大正9年(1920年)に設けられた説教所が前身といいます。大脇教会から100,m強進んだ次の筋を左折して少し進むと左手に修静院(真言宗醍醐派)があります。安永2年(1773年)の建立といい,本尊は役行者といいます。

阿野一里塚
阿野町長根3





 修静院から北上して150m強進んだ名鉄の踏切を渡ります。さらに100mほど進んだ次の十字路を右折します。この筋は旧東海道に当たる道です。旧東海道を100mほど進んだ左手には阿野一里塚[国史跡]があります。慶長9年(1604年)に徳川家康の命により街道に一里(約4km)ごとに整備されたという一里塚の1つで,江戸から86里目の一里塚といい,現在でも道の両側に塚が残っているのは東海道では唯一という貴重なものです。宝暦2年(1752年)の「東海道分間絵図」には「あの一里塚両方共榎二」とあって江戸時代には榎が植えられていたことが記録されており,現在は色々な樹木が植えられています。愛知県下之一色(名古屋市中川区)の森市雪の「春風や坂をのぼりに馬の鈴」の句碑が設けられており,この坂は西に延びる阿野坂を指すといいます。昔の東海道の姿を今に伝える貴重な史跡になっています。

高鴨八幡宮
三崎町井ノ花16-1





 阿野一里塚から150mほど進んだ高架の手前の筋を左折し,先の「池下」交差点を直進して200mほど進んだ次の分岐を左に入ります。200mほど進んだ2つ目の筋を左折し,道なりに200m弱進むと左手に高鴨八幡宮があります。沓掛新田の一地区として開発された高鴨地区の氏神といい,正保3年(1646年)の創建といいます。



 高鴨八幡宮の裏手の階段を進んで下りた先を左手に進み,続く筋を左折して400mほど進みます。道が突き当たったら右折して200mほど進むと坂部神明社があります。昭和17年(1942年)に阿野区から独立した坂部地区に氏神がなかったことから,現在の豊ヶ岡学園の敷地にあった神明社を氏神として勧請し,昭和21年(1946年)に遷宮式が行われたといいます。地区に合った山の神社と秋葉社が合祀されています。

三田家住宅
阿野町滑1



 坂部神明社から南に戻って,そのまま国道1号線を歩道橋で渡って突き当りまで進みます。この付近は阿野坂と呼ばれ,現在は坂の両側に住宅や店舗などが立ち並んでいます。突き当りから左に少し進んだところには三田家住宅があります。名医の誉れ高い家柄だったという三田家は,参勤交代の大名や朝鮮通信使も立ち寄ったといい,嘉永元年(1848年)に建てられた破風付きの玄関を持つ母屋が残り,「明治天皇東阿野御休憩所跡」の碑が建てられています。現在も住宅の隣には皮フ科が設けられています。



続いて右手には三田家が勧請したという坂部善光寺が祀られています。
 なお三田家住宅から東に200mほど進んだ豊明小学校の前には,かつての東海道の松並木の残りといわれた1本の松がありましたが,残念ながら枯れてしまったといいます。

西雲寺
前後町善江1649





 三田家住宅から西へ250mほど進んだ右手には西雲寺(真宗大谷派)があります。上宮山と号し,天正10年(1582年)に鳴海村(名古屋市緑区)にて創建されたといい,享保18年(1733年)に西本願寺派に転じ,元文3年(1738年)には高田派となり,寛延元年(1748年)に現在の東本願寺派に改派して西雲寺と改められたといいます。現在地への移転は宝暦8年(1758年)のことといい,宝暦13年(1763年)には西雲寺と改められたといいます。

ゴール:名鉄名古屋本線・前後駅



 西雲寺の先の筋を左に進んだところがゴールの名鉄前後駅になります。豊明市の中心駅で急行も停車するため,帰りのアクセスは便利です。急行を利用して,金山駅まで約15分,名鉄名古屋駅までは約19分です。本数は1時間に6本程度運転されています。

写真使用数:41

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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