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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県尾張旭市:本地ヶ原コースHONJIGAHARA

2015年4月探訪。2019年11月11日作成

【コース】 距離:約10.1km
 市南部の本地ヶ原地区や矢田川周辺を巡ります。名古屋道を中心に古代から近世までの幅広い史跡が点在し,長い歴史を感じられるコースです。

≪コース≫ 名鉄バス・晴丘バス停〜新池交流館ふらっと〜本地ヶ原神社〜長坂遺跡〜少林寺〜一之御前神社〜追分の石仏〜井田城跡〜福田寺〜井田八幡神社〜山神社〜狩宿観音堂〜狩宿白山神社〜狩宿郷蔵〜やすらぎ歩道〜名鉄・三郷駅






(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・晴丘バス停

 スタート地点は,名鉄バスの晴丘バス停です。地下鉄東山線の終点である藤が丘駅から瀬戸駅方面のバスが便利で,1時間に2〜3本あり約11分で行くことができます。尾張旭駅からは85系統の長久手古戦場駅行で約7分で本数は1時間に1本程度の運転です。他にも名鉄バスセンターや栄から基幹バスを利用しても来ることができ,比較的名古屋市内からのアクセスが便利な場所です。他にも尾張旭市営のあさぴー号が運転されており,尾張旭駅など市内各駅から100円でバスが利用できますが,本数が限られていますのであらかじめホームページなどで時刻を確認するといいでしょう。

新池交流館ふらっと
南栄町旭ヶ丘173 [公式HP(外部リンク→)]



 晴丘バス停のある「晴丘」交差点から150mほど南下し「新池交流館東」交差点を右折して100mほど進むと左手に新池交流館ふらっとがあります。新池のほとりに設けられた文化交流施設で,多目的ルームや会議室などが設けられて市民の交流の場になっています。子ども向けの図書館もあり,各種のスポーツや文化講座なども開催されている生涯学習施設にもなっています。





 新池交流館ふらっとの奥には新池公園があり,新池を中心として遊歩道が設けられています。新池は江戸時代後期に設けられたため池といい,愛知用水の連絡ため池になっています。マガモなどの渡り鳥の飛来地になっており,貴重な自然が残る場所といえます。

本地ヶ原神社
南新町中畑220





 新池の遊歩道を進んで西側に出たら,右手にある信号を右折して北上します。さらに400mほど進んで道が細くなる手前の白山道と呼ばれる筋を左折して100mほど進むと右手に本地ヶ原神社があります。昭和45年(1970年)に一之御前神社に合祀されていた白山神社を分祀して創建されたという新しい神社ですが,その前身の白山神社の歴史は古く,神亀年間(724〜729年)に創建されたといいます。寛文5年(1665年)には荒廃していた神社が尾張藩主によって再興されたという記録もあるといいます。明治44年(1911年)に神社合祀令にしたがって一之御前神社に合祀されましたが,付近の宅地化が進んだ昭和45年に再び現在地に建てられました。かつて設けられていたという元白山神社と刻まれた石碑が境内に設けられています。他にも境内には天狗のかかと石と呼ばれる岩が残り,これはかつては白山の頂上付近にあって,天狗が白山から飛び立った際にできたかかとの跡というくぼみが残されている特徴的な石です。
 境内入口には白山林古戦場の碑が設けられています。白山林の戦いは,小牧・長久手の戦いにて羽柴秀吉と徳川家康が争った緒戦のうちの1つで,徳川家康の居城がある岡崎を襲おうとした秀吉方の三好秀次の軍を,家康方の丹羽氏次・榊原康政らが打ち破った戦いです。休憩していた三好秀次軍は一気に襲われ,三好秀次は木下勘解由の馬を使って何とか逃げ延びたといいます。この際に木下勘解由らは討ち死にし,その塚は現在の長久手市に設けられています。

長坂遺跡
長坂町南山





 本地ヶ原神社からそのまま西に進んで先の「本地住宅」交差点を右折し,200mほど進んだ先の分岐を右に入って住宅地の登り坂の道を東へ進んでいきます。そのまま800mほど道なりに進んで突き当りの手前の筋を左折し,道なりに左に進んでいくと長坂遺跡があります。尾張旭市内で最古となる遺跡で,矢田川南側の丘陵地帯となるこの付近には,市内でも最初のムラが造られたと考えられています。発掘調査の結果,弥生時代と奈良時代の竪穴住居跡や土器が発見され,5世紀頃に作られたと考えられる白山一号墳も作られたといいます。



 また遺跡には近くにあったという天狗岩古墳の石室が保存されています。天狗岩古墳は市内唯一の横穴式石室を持つ古墳といい,ここからは3人の遺骨が見つかっているといいます。この古墳は,印場大塚古墳の公園にて復元されており,また出土品はスカイワードあさひ内の歴史民俗フロアにて保管されています。遺跡には丁寧に案内板も設置されており,はるか昔の尾張旭を偲ぶことができます。





 また遺跡付近の高台からは,真下の矢田川の流れを始め,遠く名古屋市内方面も望むことができる展望スポットになっています。

少林寺
稲葉町2-71





 長坂遺跡から西へ100mほど進んだ3本目の筋を右折し,道なりに下り坂を進んで200mほど進んだ長坂通りを右折します。そのまま200mほど北上して,矢田川を渡った先の「稲葉橋北」交差点を越えて2つ目の筋を越えて200mほど進むと右手に少林寺(臨済宗妙心寺派)があります。雲龍山と号し,創建は開山の玄微和尚が亡くなった慶長7年(1602年)の少し前と考えられています。現在地に寛文12年(1672年)に移されたといい,稲葉地域の人々を檀家としているといいます。境内には尾張城東33観音の23番札所に指定されている観音堂があり,檜の寄木造である十一面観音像が安置されています。また,昭和6年(1931年)に移転してきたという豊川稲荷堂が設けられています。

一之御前神社
稲葉町3-164





 少林寺の東側から出て続く十字路を左折し,そのまま道なりに100mほど進んだちびっ子広場の先の筋を右折します。そのまま150mほど進んだ左手に一之御前神社があります。創建はふしょづえすが,白鳳4年(676年)の大嘗祭執行の際に熱田神宮の一之御前社から勧請され,現在地に移されたとも伝わる古社です。「尾張徇行記」によると寛文3年(1663年)に再建されたといい,この地域の人々の信仰のよりどころになってきたといいます。明治44年(1911年)に本地ヶ原の白山神社を合祀しましたが,昭和45年(1970年)に再び分祀され本地ヶ原神社となりました。尾張旭市の棒の手の検藤流と縁が深く,奉納が行われているほか,平成元年(1989年)にはその祖という毛受勝助の記念碑が設けられています。

追分の石仏
南原山町赤土158-4付近



 一之御前神社から東側の中央通りに出て200m強北上した「稲葉町」交差点を,横断歩道を渡ってから右折します。さらに100m弱進んだ次の筋を左折し,600mほどかつての名古屋道を東へ進むと,特徴的な六叉路のところに追分の石仏の案内板があります。名古屋道は名古屋の出来町から尾張旭市を抜け,瀬戸市を経て長野県方面とを結んでいる道です。この六叉路は地元では追分と呼ばれ,名古屋未知との分岐点になっている場所です。





 六叉路の西側には馬頭観音,東側には十一面観音が祀られ,道しるべの代わりになっています。西側の馬頭観音は「右 大ぞね道 左 でき町□や道(なごや道または久や道か?)」,東側の十一面観音には「右 さなげ道 左 せとしなの路」と刻まれており,台座には「道中安全」などとあって昔なら旅行く人々の安全を見守り続けてきたといいます。ともに弘化4年(1847年)の建立といい,今でも地元の人々によって花などが供えられています。

井田城跡
井田町4-96



 追分の石仏の東側の十一面観音の右手に伸びる道を東に進み,200m弱進んだ2本目の筋を右折します。さらに100mほど先の分岐を左折し,150mほど先の信号を渡って次の筋を左折すると,その先に八反田公園があり,公園北東に井田城跡の碑が設けられています。井田八幡神社の社伝によると明徳年間(1390〜93)に浅井玄蕃充が居城していたといい,その後も浅井氏が居城したといいますが,この浅井氏については詳細が分かっていないといいます。戦国時代には菱野城(瀬戸市)の城主だったという林三郎兵衛正俊が居城したといいますが,寛文年間(1661〜73年)にはすでに廃城になっていたといいます。昭和53年(1978年)に行われた発掘調査では土塁や堀の跡,かまどや井戸の跡も発見されており,その位置図などが案内板に示され,かつての城の様子をしのぶことができます。なお井田地区にはほかにも井田東城があったとされていますが,場所などは特定されていません。



 井田城跡から東へ,テニスコートの左手の道に入って250mほど進み,森林公園通りに突き当たったらここを右折します。150mほど進んだ「西本地橋北」交差点を左折して矢田川に沿って進んでいきます。ここからしばらくは矢田川の景色を楽しみながら進んでいきましょう。



 矢田川に沿って200mほど進むと左手にやすらぎ歩道があります。住宅地の中に整備された遊歩道を進んでいきます。



 この歩道を200mほど進むと旭街道に突き当たりますので,ここを右折します。250mほど進むと矢田川から分かれた瀬戸川をを越える狩宿橋を渡ります。瀬戸川の東側は基本瀬戸市になるのですが,この先の狩宿地区のみは尾張旭市になります。

狩宿郷蔵
狩宿町3-205



 狩宿橋を渡って100mほど進んだ「狩宿町」交差点を左折し,続く筋を右折して50mほど進むと左手に狩宿観音堂があります。創建は不詳ですが,寛政5年(1793年)の村絵図には「地蔵堂」と記され,このころには地元の人々の日常的な信仰生活の拠点になっていたと考えられます。尾張城東33観音の25番札所に指定されており,現在も多くの信仰を集めているといいます。



 狩宿観音堂の南側には狩宿城跡の案内板が設けられています。狩宿城について詳細は明らかになっていませんが,城主は林弥助といい,その子信勝は織田信長の家老になったと伝わる人物といいます。矢田川と瀬戸川にはさまれた台地の先端に築かれた平城で,寛文年間(1661〜73)の記録では古城跡となっており,「今ハ百姓屋敷ニ成ル」と記されているといいます。昭和63年(1988年)の発掘調査では,江戸時代の百姓屋敷になったあとの遺物が多く発掘され,裕福な階層の農民が生活していたと考えられています。



 狩宿観音堂から東に進んで先の十字路を左折して道なりに進んだ先に狩宿郷蔵[市民俗]があります。郷蔵は村の共同倉庫として用いられた設備で,この郷蔵は神社の前にあることから祭祀用具の保管にも用いられています。尾張地方の特徴を持つ土蔵で,農民の手で建設できる簡単で安価な建物ですが,明治以前の郷蔵が現存する例は貴重といいます。平成元年(1989年)に失火しましたが大事に至らず,平成3年(1991年)に補修・復元されて現在に至るといいます。

狩宿白山神社
狩宿町3-143





 狩宿郷蔵の道路をはさんで北側には,狩宿白山神社があります。創建年代は不詳ですが,社伝によると天正2年(1574年)に城主の浅井紋助源為頼が社殿を造営し,寛文13年(1673年)に再建されたといいます。その後,瀬戸の深川神社の神官が昭和初期まで管理していたといいます。社宝に寛延4年(1751年)に奉納されたという陶製狛犬[市文化]があります。一般に石や木で作られる狛犬ですが,瀬戸を中心としたこの地方は陶器の狛犬が見られ,村の神社に一族繁栄や商売繁盛,家内安全などを祈願して奉納されるといいます。この狛犬は阿形が高さ32.2cm,吽形が高さ32.9cmで,村落の名前と共に5人の奉納者の名前が記され,ユーモラスな表情が特徴といいます。



 狩宿白山神社から北側の信号のある道路に出て左折します。そのまま200mほど進んで瀬戸川を渡り,さらに150mほど進むと左手には先ほど歩いたやすらぎ歩道があります。このやすらぎ歩道を再び進んでいきます。

山ノ神神社
瀬戸川町1-43付近





 やすらぎ歩道を南下して東部保育園の先の筋を左折し,道なりに100mほど進むと右手に山ノ神神社があります。明徳年間(1390〜94)に城主だった浅井氏が崇敬したと伝えられていますが,詳しくはわかっていないといいます。周辺は公園として整備され,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。



 社殿の裏手には「あがたぎの森」の案内板と縣ノ神の碑があります。あがたぎの森には「あがたぬし」という人が降りてきて村の先祖になったといい,森の木を切るとできものができると言い伝えられています。そこで村の人が森の木を大事にして,あがたぎにお参りしたところ,できものがすぐに治してもらえたといいます。現在でもできものの神様として知られているといい,その場所は南の三郷小学校から南東に100mほどの場所といいます。

瀬戸川城跡
瀬戸川町1-122付近



 山ノ神神社から西へ進み,100mほど進んだ次の筋を左折した先の三郷小学校のプール西側には瀬戸川城跡の碑が建てられています。現在の三郷小学校付近にあったという平城で,発掘調査の結果,13世紀頃の築城と考えられており,城主は浅井源四郎と伝えられていますが,鍬阿しいことはわかっていないといいます。江戸時代の記録では古城跡となっており,このころには廃城になっていたといい,地元では「しろんど」と呼ばれているといいます。発掘調査の結果,城の区画は正方形で,その周囲に幅約5m,高さ約1.5mの土塁が張り巡らされ,その周囲を東側を除いて幅4.5〜10,深さ約1.8mの堀がめぐらされていたといいます。城跡からは井戸やかまどの跡が発見されたほか,茶わんなどの近世の遺物も発見され,城跡になってからも人が住んでいたと考えられています。この付近は瀬戸川に近く,防衛の意味合いのほかにも水利の確保の点で城が設けられていたと考えられています。

井田八幡神社
井田町1-218





 瀬戸川城跡の先を道なりに右折して200m強進み,右手に入ったところに井田八幡神社があります。明徳年中(1390〜94)にこの地を支配していたという浅井氏によって勧請されたといい,江戸時代には井田村と瀬戸川村の氏神として崇敬を受けていたといいます。社宝に江戸時代中後期に作られたという瀬戸焼の3対の陶製狛犬[市文化]があります。先に訪れた狩宿白山神社の陶製狛犬と同様,氏神に繁栄を願って奉納されたものといい,明和5年(1768年)の銘のあるものと,弘化3年(1846年)の銘のもの,それから銘文のないものの合計3対が所蔵されています。また,7月の第1日曜日に行われる安産祈願の祭りとして知られる百十灯明祭では,安産を祈願する女性がろうそくを奉納するといい,その際には井田地区の打ちはやし[市民俗]やみさと会のざい踊り[市民俗]が奉納されるといいます。

福田寺
井田町1-128



 井田八幡神社から西側の県道に出て北上すると,右手に福田寺(臨済宗妙心寺派)があります。霊源山と号し,井田村の安藤庄左衛門が目の治療のために真福寺(岡崎市)に願掛けをして,熱心な参詣が認められて薬師如来の分体をいただいてまつったのが始まりといいます。大正12年(1923年)に妙心寺派の法人格の廃寺の名前を賜って現在の福田寺が創設されたといいます。江戸時代の庚申碑や太平洋戦争出兵者の武運長久を願って設けられたという聖観音像があるといい,近年は牡丹の寺としても知られるといいます。





 福田寺のところを右折して東に進み,100mほど進んだ2本目の筋を左折してさらに100mほど進むと,如来教の施設という三郷庵があります。この先を右折して100mほど進むと東部市民センターがあり,その横には弘法堂が設けられています。



 東部市民センターの北側の筋を左折して,西へ300mほど進んだら県道に突き当たるので右折して北上します。この北上するところにはイトーヨーカドー尾張旭店があり,多くの買い物客で賑わう施設になっています。

ゴール:名鉄瀬戸線・三郷駅





 イトーヨーカドー尾張旭店から300mほど北上したところには,ゴールの名鉄三郷駅があります。尾張旭市で最も東に位置する駅で,急行以下すべての列車が停車するので便利です。名古屋市中心部の栄町駅まで,急行で約22分,準急で約24分,普通で約29分の所要となります。本数はそれぞれの種別が1時間に2本程度運転されています。

写真使用数:39

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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