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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県尾張旭市:城山公園コースSHIROYAMA PARK

2015年4月探訪。2019年10月20日作成

【コース】 距離:約7.9km
 尾張旭駅周辺をめぐります。維摩池や山辺の散歩道・公園などで自然を感じ,新居の大弘法や資料館などで文化を感じ,最後は文化施設をめぐります。

≪コース≫ 名鉄・尾張旭駅〜尾張旭市観光協会〜平池〜退養寺〜新居の大弘法〜長栄寺〜維摩池〜山辺の散歩道〜洞光院〜長池〜スカイワードあさひ・城山公園〜旧瀬戸街道〜文化会館・中央公民館〜尾張旭市役所〜名鉄・尾張旭駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄瀬戸線・尾張旭駅





 今回のスタート駅は,名鉄瀬戸線の尾張旭駅です。尾張旭市の中心駅で,瀬戸線のすべての電車が止まりますのでアクセスは便利です。名古屋中心部の栄町駅からは急行で約19分,準急で約21分,普通で約27分の所要時間となります。本数は急行・準急が1時間に2本ずつ,普通が1時間に4本になります。尾張旭駅は明治36年(1905年)に現在の瀬戸線が,瀬戸電気鉄道によって開通した際に新居駅として開業しました。当初は現在より100mほど西にありましたが,平成6年(1994年)に市役所北の現在地に移転し,折り返し設備もある橋上駅舎の立派な駅に生まれ変わりました。尾張旭駅の北側出口から出てスタートしましょう。



 尾張旭駅の駅前広場には,南北朝時代にこの地を支配した水野又太郎良春の像があります。元々吉野の金峰山寺にて南朝方の武将として戦いましたが,その後ゆかりの土地である志段味(名古屋市守山区)に帰ったのち.康安元年(1361年)にこの地に移り住み,新居村に退養寺を開山するなど地域の発展に尽力したといいます。県の指定文化財である尾張旭の棒の手をこの地にもたらし,彼が「無二」を名乗っていたことから,この地域の棒の手は無二流と称しているといいます。

尾張旭市観光協会
東大道町34-1





 尾張旭駅の北口から線路沿いに東に進んでいくと,右手のビルの1階には尾張旭観光協会の尾張旭まち案内の案内所があります。尾張旭の名産品の販売や,市内観光のパンフレットを手に入れることができますので,市内ウォーキングの際はアドバイスを受けるのもいいかもしれません。尾張旭市は「美味しい紅茶の町日本一」を売り出しており,市内で紅茶を味わえるお店について知ることもできます。





 尾張旭まち案内のビルから東側の道路を渡って坂道を登ったところには平池があります。春には桜の名所として豊かな自然を感じることができるスポットです。しばらくコースは平池を右手に見ながら進んでいくコースになります。



 平池の北側に筋に出て平池集会所の先の分岐を左に進みます。そのまま道なりに200mほど進んで広い筋に合流し,そのまま200mほど進んだ「新居町今池下」交差点を左折します。信号を左折した先には殿様街道の案内板があります。江戸時代に尾張藩主の徳川義直は鷹狩りを好み,尾張旭市の森林公園や瀬戸市水野付近に度々出かけたといいます。その際に藩主が通った道といことで殿様街道の名前がついており,一部昔の面影が感じられる場所もあるといいます。

退養寺・新井の大弘法
新居町寺田2956





 殿様街道の看板から西に進んで,続く分岐を右に進み,さらに200mほど進んだ突き当りを右に曲がった先に退養寺(臨済宗妙心寺派)があります。安生山と号し,康安元年(1361年)に新居城主水野又太郎良春が菩提寺として創建したといい,開山は良春の弟である報恩和尚と伝えられています。当初は鎌倉建長寺派に属したといいますが,のちに妙心寺派となりました。地元では東寺(なお西寺は後で訪れる洞光院)と呼ばれ,かつては青年団による盆踊りも行われ,地域に親しまれていたといいます。





 退養寺から東側の裏手に進んだところには,瀬戸電気鉄道(現在の名鉄瀬戸線)が昭和6年(1931年)に建立したという大弘法像があります。コンクリート造りで鮮やかに彩色されたこの弘法像は,「新居の大弘法」として地域に親しまれ,尾張三大弘法の一つになっています(なお残り2つはそれぞれ小幡緑地公園,良福寺にあります)。高台からは尾張旭市街地を一望する景色も楽しむことができます。



 さらに奥に進んだ林の中には,水野又太郎良春とその一族のものと伝わる墓が設けられています。今なお発展している尾張旭の街を静かに見守っているようです。

維摩池
新居町今池下





 新居の大弘法から奥に進んでいくと維摩池の南側に出てきます。池の周りに遊歩道が整備されているので,池を左手に見ながら遊歩道を進んでいきましょう。維摩池は江戸時代に設けられたというかんがい用のため池で,元々は今池と記されていましたが,大乗仏典の「維摩(ゆいま)経」から現在の字が用いられるようになったと考えられています。池の周りには全長1500mの遊歩道が整備され,春には桜やハナモモが見事な花を咲かせ,四季の自然が感じられるようになっています。



 遊歩道を進んで池の北側まで進むと公園が設けられています。ここには健康遊具が設けられ,釣りを楽しむ地元の人たちでにぎわうなど,地域の憩いの場になっている様子が伝わります。



 維摩池の北側の公園から道路をはさんで北側には,森林公園の南門があります。ここから森林公園の散策を楽しむことができます。



 さらに維摩池の西側に出て,尾張旭駅から続いているシンボルロードを南下していきます。全長1kmで,ユリノキやツツジの並木が続く景観にすぐれた道です。池にいる鳥の鳴き声も感じながら楽しく進むことができます。

山辺の散歩道



 森林公園南門のところからシンボルロードを400mほど南下すると,右手に山辺の散歩道の案内板が見えてきます。尾張旭市の北部の丘陵地帯に設けられた全長約6kmの遊歩道で,丘陵地の自然を感じながら散策を楽しむことができます。ここから右手の山辺の散歩道を進んでいきましょう。





 四季の自然を感じながら池や田園地帯の風景を楽しみ,遊歩道を進んでいきます。

洞光院
新居町山の田3219 [公式HP(外部リンク→)]



 山辺の遊歩道を400mほど進んで突き当りを右折し,さらに100mほど進んだ突き当りを左折します。さらに100mほど進んだ交差点を右折した先には洞光院(臨済宗妙心寺派)があります。輝本山と号し,永禄元年(1558年)の建立で,新居地区に2つある寺のうち地元では西寺と呼ばれています。元々は量樹庵と称しましたが,天正12年(1584年)に洞光院と改称され,元禄14年(1701年)に現在地に移されたといいます。







 境内には印象的な枯山水の庭園を楽しむことができるほか,無二流棒の手の師匠水野吉平と谷口菊三郎が小牧長久手の戦いの際に三好秀次の食糧調達を断ったために惨殺されたため,それをなぐさめるために設けられたという棒塚があります。他にも江戸時代の「張州雑誌」に記載されているという「柳井」という井戸があるというほか,愛・地球博の際にインド館から寄贈されたというお釈迦様の像が本堂に祀られているといいます。
 なお「尾張名所図会」によると,この山の田地区には山の田の孝女の話が伝わっているといいます。昔,この付近に一人の娘が住んでおり,病気の母親の面倒を見ていました。しかし,この付近は「かんす田」と呼ばれるほど蚊が多く,悩まされていたため,洞光院の本尊のお釈迦様にすがったといいます。すると,多くいた蚊もいなくなり,母親も元気になったといいます。

多度神社
新居町西浦3182







 洞光院から北に戻って,そのまま150mほど進むと多度神社があります。ここ新居村が開拓された際,康安元年(1361年)に新居城主の水野又太郎良春によって,伊勢国の多度大社(現,三重県桑名市)より勧請されたといいます。安定した水源のなかった新居村において,雨乞いの行事などが行われてきたといいます。秋の祭礼の際には,県の文化財である無二流の棒の手や,市の文化財である馬の塔が奉納されるといいます。

スカイワードあさひ
城山町長池下4517-1





 多度神社の本殿の左手の細い筋から出て,100mほど北上した2つ目の分岐を左奥方向に進み,続くお菓子屋のあるT字路を左折します。さらに100mほど進んで「城山小学校東」交差点を直進して50mほど先の分岐を右に進んで100mほど進むと左手に長池が見えてきます。長池は約200年前にかんがい用のため池として設けられたといい,現在は特徴的な噴水もあり,周辺は公園として整備され桜や藤の名所としても知られています。毎年4月には,長池のマメナシ・アイナシ自生地[市天然]が公開されています。マメナシ・アイナシはバラ科ナシ属の落葉樹で,湧水のある場所に生息するといい,毎年4月に開花します。この自生地は市街地近くにまとまってマメナシが自生していることや,全国的にも貴重なアイナシの自生地として重要といいます。



 長池の真ん中にかけられている橋を東に渡って,長池の東にそびえるスカイワードあさひの方に進んでいきます。平成4年(1992年)に市政20周年を記念して開館し,ホールやギャラリー,レストランなどを備えた市民のための総合施設になっています。



 建物の3階には民俗展示フロアがあり,市内の無形民俗文化財になっている尾張旭市の棒の手[県民俗]尾張旭市の馬の塔,ざい踊り,尾張旭市の打ちはやし[ともに市民俗]の衣装などを見学することができます。その他にも庄中観音堂に安置されていた5体の円空仏[市文化]を始めととした市内の文化財,市内の遺跡で発掘された土器などの考古資料を見学することができ,尾張旭の歴史散策を行うときには必見の施設となっています。
 また,建物の8階にはドイツ製の50cmの反射望遠鏡と10cmのHα太陽観測望遠鏡などを備えた天体観測室があります。市民に宇宙についての興味・関心を喚起するため,定期的に天体観測のイベントが開催されています。また部屋の前の広場も天体観測の映像などが見学できる星の広場としてリニューアルオープンしました。





 エレベーターで9階まで上がると,地上55mからの景色を眺められる展望台が設けられており,360度の眺望を楽しむことができます。天気が良ければ遠く御嶽山や鈴鹿の山々も望めるといいます。夜に訪れると夜景を楽しむこともできるといいます。

城山公園
城山町長池下4502



 スカイワードあさひから東に進んだところには城山公園が広がっています。元々新居城のあったという場所に整備された公園で,桜の名所としても知られます。春のさくら祭り,夏の夏祭りや秋の市民祭・農業まつりなどの会場となり,市民の憩いの場となっています。野球場,テニスコート,弓道場などの運動施設も整備された総合公園になっています。



 スカイワードあさひから道なりに南に進んでいった先には,新居城跡の案内板が設けられています。室町時代に築城されたといい,志段味(現,守山区)から移ってこの付近を開発したという水野又太郎良春が康安元年(1361年)に現在地の東に新居城を築城し,現在地の城は,良春の子孫である水野雅楽頭(うたのかみ)宗国によって築かれたと伝えられています。その後,応仁の乱の際には大森城(現,守山区)を支配していた尾関氏と対立して,攻め滅ぼしたといい,その後織田氏による尾張統一まで,新居と大森の25カ村を水野氏が支配したといいます。発掘調査の結果,本丸と二之丸が二重の土塁で囲まれていたことがわかり,さらに平成28年(2016年)の調査では深さ約5m,幅約8mの堀があったことがわかりました。土塁の一部が保存され,城のあった様子を確認することができます。



 新居城跡の看板から南へ下り坂を進んでいくと,森の中にたくさんの彫刻が展示された空間になっています。公園内をじっくり散策してもおもしろいです。



 さらに南に進んで,道路に面したところまで進んだところには復元古民家があります。市内北山町にあった松原万蔵家の母屋を移築・復元したもので,文化13年(1816年)の建築といい,この地方の標準的な農家の作りをしているといいます。構造は尾張地方の特徴である四つ建てといい,中心となる部屋に四本の柱を建てて役柱としているといいます。



 復元古民家から西に進んだところには,旭城があります。昭和52年(1977年)に竣工した鉄筋コンクリート4階建ての城で,1階にレストラン,2階には茶室,3階は無料の休憩所があり,4階が展望台になっています。ウォーキングの際の休憩地点としても利用できます。

旧瀬戸街道



 城山公園の南側にある「城山公園南」交差点を右手に進んで西へ150mほど進み,続く「城山公園」交差点を左折して,その先の踏切も渡って400m強南下した「城前」交差点を横断歩道を渡って左折します。すると県道の右手に旧瀬戸街道の道が伸びています。瀬戸街道は名古屋と瀬戸を結ぶ街道として整備され,江戸時代にはその先の信州に続く道として盛んに馬を用いた荷物運搬に利用されました。明治時代には瀬戸からの馬車を用いた陶器輸送に利用され,その都度道が拡張されてきたといいます。





 現在の県道の南側に旧瀬戸街道が続いています。街道沿いにはお地蔵様なども祀られ,昔ながらの築地塀などが一部残されています。かつては多くの馬が行き交い,街道沿いには交通の安全を願って多くの馬頭観音がまつられていたといいます。

尾張旭市文化会館
東大道町山の内2410-11 [公式HP(外部リンク→)]



 旧瀬戸街道筋の道を500mほど進んで県道に合流し,さらに100mほど東へ進むと「市役所南」交差点に至ります。ここを右折した先には尾張旭市中央公民館があります。会議室や学習室などが設けられ,市民交流に利用されています。





 尾張旭市中央公民館の南側には,尾張旭市文化会館と図書館があります。尾張旭市文化会館は昭和56年(1981年)に市政施行10周年の記念事業として開館し,尾張旭市民に幅広く芸術を鑑賞する機会を提供するために自主事業を展開しながら活動してきたといいます。老朽化のための改修工事が行われ,平成31年(2019年)にリニューアルされました。
 文化会館の前には,この地出身で織田家の家臣・柴田勝家に仕えたという毛受勝照の像が設けられています。勝照は,天正2年(1574年)の伊勢長島攻めの際に活躍して柴田勝家の1字を賜ったといい,天正11年(1583年)の羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ケ岳の戦いにて,勝家の馬印を掲げて秀吉の大軍をひきつけ,勝家を逃がすために25歳で討ち死にしたといいます。

尾張旭市役所
東大道町原田2600-1 [公式HP(外部リンク→)]



 「市役所南」交差点に戻り,さらに北上して150mほど進んだ先を右に入ると尾張旭市役所があります。尾張旭市の行政の中心で,様々な情報を手に入れるのに利用することができます。戦後,急速に名古屋のベッドタウンとして発展した尾張旭市は,昭和45年(1970年)に市制を施行して現在の姿になりました。平成16年(2004年)には健康都市連合(AFHC)この地域としては最も早い時期に加盟し,健康都市宣言も行っています。尾張丘陵の住宅・工業都市として,発展を続けています。



 尾張旭市役所の西側には巡見道の案内板が設置されています。巡見道は江戸時代に幕府から派遣された巡見使が通った道と伝えられており,彼らは諸国の産業や政治の様子などを調べ,幕府に報告を行っていたといいます。尾張旭市の巡見道は,ほぼ市内を南北に貫くように通っていたといい,長久手市の岩作から本地ヶ原に入り,市役所の西側を通って新居に抜け,さらに下志段味(名古屋市守山区)の方にぬけていったと考えられています。道の面影が残されている場所は少なく,この付近は江戸時代からの道が残る貴重な場所といいます。

ゴール:名鉄瀬戸線・尾張旭駅



 尾張旭市役所の建物の東側に進むと,ゴールとなる名鉄瀬戸線の尾張旭駅があります。名古屋中心部方面へは瀬戸線を利用して戻りましょう。栄町駅へ急行で約19分,準急で約21分,普通で約27分の所要時間です。本数は急行・準急が1時間に2本ずつ,普通が1時間に4本ずつあり,アクセスは便利です。

写真使用数:50

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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