本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県尾張旭市:印場コースIMBA

2015年4月探訪。2019年9月4日作成

【コース】 距離:約8.6km
 印場駅・旭前駅周辺をめぐります。良福寺・渋川神社・印場大塚古墳など長い歴史を感じることができる社寺や文化財を訪ね歩くコースです。

≪コース≫ 名鉄・印場駅〜良福寺〜どうだん亭〜小幡緑地東園〜旭サナック〜旭前駅〜瀬戸街道一里塚〜印場大塚古墳〜矢田川遊歩道〜直会神社〜庄中観音堂〜印場城跡〜渋川城跡〜印場中央公園〜渋川神社〜名鉄・印場駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄瀬戸線・印場駅



 スタート駅である名鉄瀬戸線の印場駅へは,瀬戸線の電車を利用して瀬戸線の起点である栄町駅から準急で約17分,普通で約22分で行くことができます。本数は準急が1時間に2本程度,普通が1時間に4本程度運転されています。なお,急行は止まりませんので注意しましょう。印場駅の北側出口から出て今回はスタートしましょう。

良福寺
印場元町1-15-19







 印場駅の北口を出て左手,線路沿いに西へ200mほど進むと,右手に良福寺(臨済宗妙心寺派)があります。萬安山と号し,久安年中(1145〜50)(または治承年間(1177〜81))に土岐頼政によって,翁山和尚を開山として創建されたという古刹です。戦国時代には土岐氏や織田氏によって保護され,天正10年(1582年)織田信長の二男の織田信雄が寺領を保証した織田信雄書状[市文化]が残されています。その後,太閤検地にて寺領が没収されますが,寛永8年(1631年)に尾張藩主徳川義直の命により,政秀寺(名古屋市中区)の槐山和尚によって中興されました。南側入口の良福寺山門[市文化]は,この中興の際に清洲城の城門を一つ譲り受けて設けられたという薬医門です。かつては南側の線路に踏切が設けられ,参道が旧瀬戸街道から伸びていたといいます。境内の裏手には昭和6年(1931年)に瀬戸電気鉄道(現,名鉄瀬戸線)が観光名所として設けた尾張三大弘法の1つである開運弘法があり,他にもこの地域に設けられていた庚申堂や薬師堂などが移されています。毎年10月に行われる水子地蔵尊祭の際にはざい踊り[市民俗]の奉納が行われるといいます。これは40cmほどの竹筒の片端に「ざい」と呼ばれる紅白に染めた紙房をつけて踊る盆踊りで,主に少女が踊る女踊りの一つです。かつては尾張旭市以外にも広く踊られていましたが,現在は市内では印場地区と三郷地区の団体が伝統を受けついでいます。



 良福寺から先も線路沿いに進み100mほど先の高架下の歩道を抜けて進みます。瀬戸線の電車を見ながら進んでいきましょう。

どうだん亭
霞ヶ丘町南298





 良福寺の西の高架下をくぐった先から.右手の北西方向に伸びる道に入ります。200mほど先の広い筋を越えて道なりにさらに150mほど進み,突き当りを右折して少し進んだ左手にどうだん亭(旧浅井家住宅離れ)[国登録]があります。元々は享保8年(1723年)に飛騨国吉城郡坂下村(現在の岐阜県飛騨市)の居宅として建てられたもので,昭和17年(1942年)に現在の少し西に3階建てから2階建てに改修されて移築されました。昭和42年(1967年)に現在地に曳家され,その際に離れが新築されて現在の姿になりました。春にはどうだん亭の名前の由来になっている白いドウダンツツジが美しく咲き誇る庭園が見ごろになります。現在は尾張旭市の文化施設として様々な団体が利用しているほか,ドウダンツツジが見ごろになる春と,紅葉の見ごろとなる秋には一般公開が行われています。





 どうだん亭からさらに北方向に進み,100mほど進んだ霞ヶ丘ふれあい会館があるT字路のところを右手に進み,その先の歩行者専用道の上り坂を進んでいきます。住宅地の中でやや自然を感じられる景色になっています。

小幡緑地東園
霞ヶ丘北382 [公式HP(外部リンク→)]



 歩行者専用の道を抜けて突き当りを左折し,400mほど道なりに進むと突き当りのところに小幡緑地東園があります。小幡緑地は愛知県立の都市公園で,小幡緑地の本園と西園は名古屋市守山区に位置しますが,東園のみが尾張旭市に位置しています。自然豊かな丘陵地を利用して野球場や遊具などが備えられており,家族連れの憩いの場になっています。





 公園の南側には展望台が設けられており,東山スカイタワーなど名古屋方面の景色を眺めることができます。





 また,ベンチが備えられたテラスや,大きな芝生広場がありじっくりと時間をかけて過ごしたい場所になっています。芝生広場の奥にあるメタセコイアの並木が印象的です。

旭サナック
旭前町新田洞5050 [公式HP(外部リンク→)]



 小幡緑地東園の園内を横切っている東名高速道路の東側に出て園の東側から出ます。東側の「小幡緑地東園前」交差点を直進して東に500mほど進み,突き当りを右折して続く筋を左折し,さらに400mほど進むと左手に塗装・洗浄機械の製造で知られる旭サナックがあります。入口から入って左手のところには旭サナック本館[国登録]の建物があります。大隈鉄工所旭分工場として昭和14年(1939年)に当時の海軍の規格により建設された木造2階建ての建物で,戦前は海軍に在籍していたという高松宮殿下や皇族の貴賓室としても利用されていたといいます。玄関ホールから階段室にかけての空間や2階の南側3室が当時のまま残されているといい,現在も会社の本館として利用されているといいます。





 旭サナックの前のところを右折して南に200mほど進むと,名鉄瀬戸線の旭前駅があります。ウォーキングの離脱ポイントとしても利用できます。駅前の広場には尾張旭市の文化財にもなっている棒の手をあらわした像も設けられています。

瀬戸街道一里塚
東印場町2-2-10



 旭前駅から南下して「旭前」交差点を横断歩道を渡ってから左折すると右手に瀬戸街道一里塚があります。一里塚は江戸時代の街道に一里(約4km)ごとに設けられた塚のことで,この塚は名古屋と瀬戸を結ぶ瀬戸街道に設けられたものです。現在残っている石碑は昭和14年(1939年)に作られたものといいます。





 瀬戸街道一里塚から東に進んだ「砂川」交差点の北西,砂川公園の南隅にはつんぼ石があります。名古屋城築城の際にこの付近を運んでいた石材をある大名が落としてしまい,取り調べを恐れて村人たちに口止めをしたことからこの名前があるといいます。元々は瀬戸街道と殿様街道の分岐点に置かれていたといい,横には分岐点であることを示す道しるべが置かれています。なお,この砂川という地名は,昔この川を通りかかった僧が老婆に水を求めたところ,老婆がそれを断ったので,僧は呪文を唱えて川の流れを砂の流れに変えてしまったという伝説が残されているそうです。



 「砂川」交差点を左折して住宅地の道を400mほど進んで天神川を渡り、さらに400mほど南下して矢田川を印場橋で渡ります。住宅地のウォーキングを楽しみながら進んでいきましょう。

印場大塚古墳
大塚町1





 矢田川を渡る印場橋からそのまま道なりに南下して400mほど進むと左手に印場大塚古墳[市史跡]があります。矢田川の南に広がる本地ヶ原台地に,かつていくつも存在していたという小規模な古墳の1つで,昭和48年(1973年)に発掘調査が行われました。5世紀後半から6世紀前半にかけて築造されたという直径16m,高さ2mの円墳であり,元々は葺石が敷き詰められ裾の部分には埴輪が巡らされていたことがわかりました。発掘調査当時は耕作などにより土が削り取られていましたが,現在は調査結果を元に復元され,公園内には同時代の竪穴式住居も復元されています。



 印場大塚古墳からさらに進んだ「東山町1」交差点を右折し,400mほど北上して再び瑞鳳橋で矢田川を渡ります。矢田川を渡ったら右折し,川沿いを進んでいきます。矢田川沿いの爽快なウォーキングを楽しみましょう。

直会神社
渋川町3-13-19





 瑞鳳橋から矢田川沿いに400mほど東に進み,西中学校の手前の筋を左折して100mほど進むと左手に直会神社があります。創建は不詳ですが,地元では「のうらいさん」などと親しまれている神社です。かつては天皇が即位するときに行われる大嘗祭に献上する米を栽培した悠紀斎田があり,直会の儀式が行われた社殿の跡と伝えられています。はれものやできものを治す霊験があるといわれ,多くの人から信仰を受けています。特に毎年3月と12月の第一日曜日に行われる例祭では,庄中地区や印場北島地区の打ちはやし[市民俗]が奉納されます。打ちはやしは別名道行はやし,祭ばやしともいわれるお囃子で,かつては広い地域で御神楽とともに青年団によって受け継がれていたといいます。尾張旭市ではこの2地区と井田地区の打ちはやし保存会によって伝統が守られているといいます。この日は多くの露店も出て賑わうといいます。



 直会神社から北側の道に出て左折し200mほど進むと勤労福祉会館(渋川福祉センター)があります。地域住民の交流の場になっており,ホールなどでイベントも開催されます。

庄中観音堂
渋川町3-8-1





 勤労福祉会館から西に向かい,駐車場の角を左折して南に向かうと,少し先に庄中観音堂があります。古くから地元の人々に信仰されているといい,境内には享保17年(1732年)の銘がある聖観音像をはじめ,千手観音,十一面観音,如意輪観音などがみられます。本尊の木造聖観世音菩薩立像[市文化]は高さ160cmに及ぶ寄木造のもので,由緒は不明ですが,一説ではこの近くにあったという御手洗池に像が流れつき,痛ましく思った村人がお堂を建てて祀ったといいます。像の両腕と足先に修理が施されていますが,これは円空によるものといいます。かつては市指定文化財の円空仏5体も観音堂に安置されていましたが,現在はスカイワードあさひの歴史民俗フロアに展示されています。城東西国33観音の第22番札所に指定されており,多くの参詣者を集めています。

印場城跡
庄中町1-4-6



 庄中観音堂から北へ100mほど戻ると旭街道にぶつかります。ここを左折して400mほど進み,「庄中町渋川」交差点を右折するとすぐ左手に西部浄化センターがあります。このセンターの前には印場城跡の案内板があります。創建は不詳ですが中世のものといい,元禄12年(1699年)の資料によると城主は坂井弥兵衛と伝えられています。堀と土塁に囲まれていたといいますが,江戸時代にはすでに土塁は崩されて堀は埋められ,当時の面影は残っていなかったといいます。平成6年(1994年)の調査では,当時の人々のものという天目茶碗や漆器類が見つかっているといいます。



 印場城跡から北上して天神川を渡り,さらに100m強信号を左に入った先にある北島公園には,渋川城跡の案内板があります。印場城と同じく中世の平城で,堀と土塁に囲まれていたといいますが,城主や築城時期などは詳しくわかっていません。城跡のさらに下層からは竪穴住居の跡が見つかった渋川遺跡があり,城は遺跡の上に設けられたものと考えられています。

印場中央公園
東印場町3-14-1





 北島公園から東に戻り,500mほど進んだ右手には印場中央公園があります。この付近では最も大きい公園で,遊具や芝生などで遊ぶ子供の姿を見かけます。ウォーキングの休憩地点として活用しましょう。公園内には印場地区の条里制遺構に関する案内板があります。条里制は奈良時代に平民に農地を与える班田収授の法が制定された際に,土地整理の区割りとして特徴的なものです。班田収授の法が崩壊したのちも土地区画の地割として長く採用され,洪水などが起こったのちも元の区割りを踏襲して畦が作り直された様子が調査からわかっています。市内には「二反田」「五反田」などの条里制にまつわる地名も残されています。

渋川神社
印場元町5-3-1 [公式HP(外部リンク→)]









 印場中央公園から北側の信号が近くにあるT字路を200mほど北上すると左手に渋川神社があります。延喜5年(905年)に編纂された延喜式神名帳に尾張旭市内で唯一記載されている式内社で,天武天皇即位の際の大嘗祭に米を奉納する悠紀斎田がこの地に定められ創建されたと伝わり,境内にはその記念碑が建てられています。古くは山田郡の総社として広く崇敬され,織田信長や尾張藩主徳川光友によって庇護されたといいます。旧瀬戸街道を行き交う人々にも信仰され,神苑に湧く清水によって人や馬ののどをうるおしたといいます。しかし,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で境内の神木がなぎ倒され,その後清水も涸れはててしまったといいます。毎年10月10日に近い日曜日に行われる例祭では,県指定文化財の尾張旭の棒の手のうち直心我流,東軍流,直師夢想東軍流の演技や市指定文化財のざい踊りなどが奉納され賑わうといいます。境内には渋川稲荷社や各地の神社などが合祀され,古い塚も設けられているなどこの地域の歴史を感じられる場所になっています。

ゴール:名鉄瀬戸線・印場駅



 渋川神社から北側の「印場」交差点を左折して西に進み,300mほど進んだ「印場駅南」交差点を右折した先にはゴールの名鉄印場駅の南口があります。瀬戸線を利用して戻ることができます。栄町駅へは準急で約17分,普通で約22分の所要であり,本数は準急が1時間に2本程度,普通が1時間に4本程度です。

写真使用数:38

←前:[瀬戸市] / 愛知県尾張旭市 / 次:城山公園コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>