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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県丹羽郡大口町:大口北コースOGUCHI NORTH

2017年12月探訪。2017年12月26日作成

【コース】 距離:約7.6km
 町北部の小口城址周辺をめぐります。小口城を創建した織田広近に関連する社寺や史跡のほか,古墳や五条川沿いなど多様な名所をめぐります。

≪コース≫ 大口町バス・大口町役場バス停〜白山神社(下小口)〜白山ふれあいの森〜小口神社〜小口城址公園〜入鹿暴水の碑〜木津用水〜白山神社(上小口)〜薬師寺〜善光寺塚古墳〜妙徳寺〜全徳寺〜徳林寺〜余野神社〜名鉄・柏森駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:大口町コミュニティバス・大口町役場バス停



 スタート地点は大口町役場です。大口町のコミュニティバスの基幹ルートまたは北部ルートを利用すると名鉄犬山線の柏森駅から約5分で行くことができます。本数は合わせて1時間に1〜2本程度なので,利用する場合は時刻を調べておく方がいいでしょう。名鉄江南駅,布袋駅からのバス便もありますが,こちらは本数が多くありませんので時刻を調べて利用しましょう。1乗車100円で値段もお手頃です。

白山神社(下小口)
下小口1-134付近



 大口町役場のバス停から西に進んだ「大口町役場西」交差点の西にアピタ大口店に突き当たります。ウォーキングの拠点として活用することができます。



 ここを右折して北上した左手には大口町民会館があります。町のイベントなどの会場として利用され,文化拠点となっています。





 500mほど北上した「西小学校南」交差点を右折して300m弱進むと左手に下小口の白山神社があります。創建は不詳ですが,北東に位置する小口城を築城した織田広近に崇敬されたといい,貞享元年(1684年)の棟札が残るなど歴史は古いと考えられています。境内から北の白山ふれあいの森にかけて白山古墳群と呼ばれる複数の古墳群があったといい,最近の調査では弥生時代の方形周溝墓が含まれていることがわかり,弥生時代から古墳時代にかけて墓地として特別な場所とされてきたと考えられています。そのため,現在では複数の時代の複合遺跡として白山古墳群・仁所野遺跡[町史跡]と呼ばれています。白山神社はその第1号墳の上に祀られており,明治42年(1909年)には同じ地域の愛宕社と天神社が合祀されたといいます。この第1号墳は元々は全長49mの前方後方墳と推定されており,弥生時代の墓と同位置にあることから古墳時代の初頭に作られたと考えられています。

白山ふれあいの森
下小口1-155







 白山神社の社殿の右側の筋を北上した先には白山ふれあいの森があります。白山神社の社叢である森の中にフィールドアスレチックや炊事施設などが整備され,アスレチックは大口町の自然や文化にちなんだ名前がつけられ,遊ぶだけで大口の歴史や自然を学ぶことができます。この付近も白山古墳群の古墳や弥生時代の方形周溝墓などが見つかっている場所で,多くの土器などが発掘されているといいます。

小口神社
城屋敷1-153



 白山ふれあいの森から東に進んで白山神社の後ろを進み,突当りを右折して県道に戻ります。県道を左折して先の「下小口三丁目」交差点を渡り,すぐに左手の斜めに進む道を通ります。この筋は小口城に通じる街道だったと考えられます。





 小口城へ続く道を600mほど進んだ左手に小口神社があります。平安時代の延喜式神名帳にある丹羽郡小口神社にあたる古社といい,古くは小口天神といって多くの崇敬を受けていたといいます。長禄3年(1459年)に織田広近が小口城を築いた際は西の鎮守となったといい,大正5年(1916年)に神明社と境内社だった八幡社,須賀社,神明社が合祀されたといいます。社宝の大鈴[町文化]は,元々小口城内にあった織田氏伝来のものといい,小口城が落城したのちに岩村城主の臣下だった近藤家に移されたといいますが,所蔵すると不思議な現象が次々と起こったために天正15年(1587年)に小口神社に移されたものといいます。また拝殿東側には老木のヤマガキ[町天然]があり,この付近では珍しい大樹で神木として親しまれています。

小口城址公園
城屋敷1-261





 小口神社の東側には小口城址公園があります。小口城は長禄3年(1459年)に織田遠江守広近によって築城されたといいます。織田広近は室町時代の守護大名斯波氏の守護代であった織田家の人物で,岩倉城の兄・敏広を補佐して尾張北部を治めていたといいます。北東の犬山城,南西の岩倉城の間にあって軍事的にも重要の位置にあり,四方に堀や土塁を張り巡らされた強固な城だったと伝わっています。永禄年間(1558〜)に織田信長の軍勢によって滅ぼされますが,その後も天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際に秀吉側の陣地としても使われたといいます。公園内にはシンボルである高さ17mの物見櫓が再現され,堀や橋が往時を思い起こさせます。公園内には小口城の歴史や関連人物の展示施設があり,城の理解を深めることができます。



 小口城址公園の南側から出て,左手に進んで東へ50m強進むと右手に旧北小跡地広場があります。ここにあった大口北小学校は,元々は小口城があった場所と伝わっています。現在は小学校跡地に広場の整備が行われています。

入鹿暴水の碑
城屋敷1-304付近



 旧北小跡地広場から五条川沿いに出て左折します。川沿いの桜並木を見ながら200mほど進みます。



 川沿いを進んだ六部橋の手前の所に水神の碑と入鹿暴水の碑があります。明治元年(1868年),東の入鹿池(現,犬山市)の堤防が連日の雨により決壊し,下流の村々に甚大な被害を与えました。流出家屋が約800戸,死者は約900名と甚大な被害があったといい,この碑は当時の水害を忘れず,亡くなった多くの人々の冥福を祈るために設けられたものといい,台石には被害にあった村々の名前が記されているといいます。また六部橋は,お坊さんが村人のために自ら橋をかけるという「ろくん橋物語」という昔話が伝わっているといいます。



 碑のある六部橋から五条川沿いを東に500m弱進みます。五条川の桜を見ながらのんびりと進んでいきましょう。





 すると五条川と木津(こっつ)用水との合流地点に到着し,橋を渡った先には五条川の改修記念碑も設けられています。木津用水は尾張地方の農業用水として尾張藩主の徳川義直の時代に計画され,慶安3年(1650年)に完成しました。その後,寛文2年(1662年)には東側を流れる新木津用水が設けられ,これらが尾張北部〜東部の広い範囲に恵みの水をもたらしました。その後,用水は改良されて現在まで用いられています。旧木津用水と新木津用水がこの南で分岐しています。

白山神社(上小口)
上小口1-243





 木津用水と五条川の交差点から木津用水を右に見ながら400mほど北上して,続く橋のある筋を左折して300mほど進むと右手に上小口の白山神社があります。創建は不詳ですが,小口城の織田広近が小口神社と共に熱く崇敬していたと伝わっています。毎年7月第2日曜日には虫送り[町民俗]が行われています。平安末期の平家の武将斎藤実盛の乗る馬が稲の切株に足を取られて討たれたことを恨んで田の害虫になったという伝説があり,虫送りの当日には斎藤実盛や鳳凰のわら人形,「村内安全」「五穀豊穣」などと書かれた旗が,かねや太鼓を打ち鳴らしながら町内を練り歩きます。かつては町内の多くの地区で行われたといいますが,昔ながらのスタイルで残るのは現在は上小口地区だけとなり,町の無形民俗文化財にも指定されました。

薬師寺
上小口1-335





 白山神社から県道を西に100mほど進んだ2本目の筋を右折して少し進むと,左手に薬師寺があります。「尾張徇行記」によると天正11年(1583年)の創建ですが,由来などは明らかでないといいます。明治期までは田福山福生寺といって上小口の白山神社境内にあったといいますが,その後薬師堂と改められ,最近になって薬師寺になったといいます。本尊は室町時代作という木造寄木造の薬師如来坐像[町文化]で,小口城主の織田広近が守り本尊として祀ったものと伝わっています。誕生仏である銅像の釈迦如来立像[町文化]は鎌倉時代作といい,かつてこの付近にあったという万願寺が焼失した際に残された仏像と考えられています。また室町時代作という木造の聖観音坐像[町文化]も祀られ,貴重な文化財がそろっています。また鎌倉時代作の銅像千体地蔵尊,聖徳太子像[県文化]が祀られていましたが,現在は大口町歴史民俗資料館で展示され,ここには千体地蔵のレプリカが祀られています。千体の地蔵がきれいに残されている例は非常に貴重だといいます。

善光寺塚古墳
上小口1-126





 薬師寺の先の突当りを左折し,続く筋を右折します。さらに次の交差点を左折して,さらに次の交差点を右折し,次の筋を左折して200mほど進むと善光寺塚古墳[町史跡]の入り口があります。直径27〜28m,高さ約3.7mの円墳で,東面と北面は三段になっていますが,西面と南面は荒れて元の様子が分からなくなっているといいます。古墳時代後期の集落の支配層の墓と推定され,現在は墳丘の上にいくつかの雑木と碑が残されています。この南北にも各1基の古墳があったと伝わっています。



 善光寺塚古墳の先,県道に突き当たったら左折します。少し進んだ右手にはバロー大口店があります。飲食店などもあってウォーキングの休憩地点としても活用できます。なお,この付近には西山神遺跡や地蔵堂遺跡など縄文時代の遺跡が見つかっており,五条川沿いに古い時代から集落が生まれていた場所といいます。

妙徳寺
小口宮之前14





 バロー大口店の南の「上小口」交差点から300mほど南下した3本目の斜めの筋を右折し,200mほど進んだ次の十字路を右折し,続く筋を左折,さらに100m先の十字路を右折して続く筋を左折すると,100mほど先に妙徳寺(臨済宗妙心寺派)があります。吉祥山と号し,文明7年(1475年)に小口城を築城した織田広近が設けた隠居所である「万好軒」が元来で,織田広近はここで亡くなるまで住んだといいます。明応元年(1492年)に広近の遺命によって寺になったといい,本尊の薬師如来は元々城の守護仏だったといい,雷除けの薬師として信仰されていたといいます。

全徳寺
余野2-205





 妙徳寺から南に進んで突当りを右折し,西へ400m弱進んだ余野3号公園を越えた先の交差点を右折し,続く筋を左折すると全徳寺(臨済宗妙心寺派)があります。福新山と号し,寺伝によれば永仁5年(1297年)に全徳坊として創建され,文明元年(1469年)に徳林寺2世が再興して全徳庵と改めたといいます。天正12年(1584年)に兵火で焼失しますが,慶長3年(1598年)に再興されて,その後徳林寺から独立したといいます。伝承として伝わる「山姥物語」(後述)で,山姥を退治したという福富新蔵が坊を建立したことから福新山という山号になっているといいます。

徳林寺
余野2-201



 全徳寺の先に徳林寺(臨済宗妙心寺派)があります。大龍山と号し,永仁元年(1293年)に上皇を警護する北面の武士であった民部貞利により創建されたといい,当初は空母山徳蓮寺と称したといいます。その後衰微しますが,文明元年(1469年)に小口城主の織田広近が再興し,京都妙心寺の悟渓和尚を講じて現在の寺号に改称したといいます。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際に焼失し,中門のみがかろうじて残ったと記録されています。



 入口の山門[町文化]は天文6年(1537年)に建立された犬山城の第一黒門であったものを,明治9年(1876年)に金23円で購入し,移築されたものといいます。城郭建築の特有の門で,往時の形式が残る貴重なものといいます。



 山門を入ったところにある中門[町文化]は,小口城主の織田広近が再建した室町時代から残るという貴重な門で,町内でも最古の建造物になります。





 他にも文明元年の銘が残る古方丈や由緒あるという薬師如来の台首など文化財も多いといいます。徳林寺は別名,俗に山姥寺とも呼ばれています。町に伝わる伝承によると,かつて本宮山(犬山市)の山頂にいたという山姥を退治するために福冨新蔵なる武芸の達人が訪れ,矢を放って仕留めたはずの山姥が姿を消したといいます。山姥の血痕はこの村に住む小池与八郎の門前に現れ,山姥は与八郎の妻であったといいます。与八郎の子は亡き母をしのぶために徳林寺を建立して冥福を祈ったといい,山姥を退治した福富新蔵が隣接する全徳寺(当時は徳林寺の塔頭)を建立したと伝わっています。

余野神社
余野1-153





 徳林寺から参道を南下して,参道を出たところを右折します。300m弱進んだ五差路を左折して100mほど進むと右手に余野神社があります。創建は不詳ですが,元村社の神明社が慶長2年(1597年),八幡社は文禄5年(1596年)に織田信長の臣下という中島左兵衛尉という人物により再建されたと記録されています。大正6年(1917年)に神明社と八幡社が合併した際に余野神社と改称されました。境内には子育て支援NPOの事務所があり,子どもの歓声で賑わいます。社宝には寛永2年(1625年)銘の陶製狛犬[県文化]があり,山田加右衛門なる人物の寄進といい,東濃にて焼成したといいます。他に神社を再建した中島左衛門尉が当時寄進したという鰐口[町文化]や,獅子狛犬[町文化]などの文化財を有します。なお,余野地区は縄文晩期の遺跡である西浦遺跡,弥生〜古墳時代の清水遺跡などが見つかっており,古くから人類の文化が花開いた地域ということがいえそうです。特に西浦遺跡はこの地方に稲作が伝わった過渡期がどのようなものであったかを知るうえで貴重な遺跡といいます。



 余野神社の先の十字路を右折して100m強進むと,右手に観音寺があります。境内には多くの石仏が祀られています。

ゴール:名鉄犬山線・柏森駅





 観音寺の先の突当りを左折し,広い筋に突き当たったら右折します。300mほど先の「柏森駅西」交差点を右折した先にゴールの名鉄犬山線柏森駅があります。この付近では主要駅となっており,特急・急行なども停車します。名鉄名古屋駅まで特急で約21分,急行・準急では約25分で行くことができます。本数はそれぞれの種別が30分ごとに運転されています。

写真使用数:40

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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