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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県丹羽郡扶桑町:扶桑東コースFUSO EAST

2017年12月探訪。2018年1月3日作成

【コース】 距離:約7.8km
 町東部の高雄地区を中心にめぐります。船塚古墳や長泉塚古墳を巡った後は木津用水周辺の社寺をめぐり,最後は町の文化施設を訪ねていきます。

≪コース≫ 名鉄・扶桑駅〜恵心庵〜船塚古墳〜覚王寺〜長泉塚古墳〜託美神社〜尾張広域緑道〜安穏寺〜観音寺〜木津用水〜白雲寺〜葉森神社〜しもとの神社〜仙林庵〜扶桑町中央公民館〜扶桑文化会館〜福塚集会所〜津島神社〜名鉄・扶桑駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄犬山線・扶桑駅



 スタート駅は名鉄犬山線の扶桑駅は,名鉄名古屋駅から犬山方面の急行・準急を利用して約28分で来ることができます。特急は止まりませんので,特急に乗車した場合は途中で乗り換えましょう。扶桑駅の西出口から出てスタートしましょう。

恵心庵
高木白山前774



 扶桑駅の西口から左手に進み,線路沿いを400mほど進んでいくと,高架橋をくぐった少し先に恵心庵[町史跡]があります。江戸時代初期,この付近に広まったキリスト教徒が寛文年間(1661〜72)に弾圧されて多くのキリシタンが処刑されました。この高木地区で処刑されたキリシタンの骨がここに埋められ,その霊を慰めるために草庵を立てたのがこの寺のはじまりで,恵心という尼僧が住んだことから恵心庵といいました。尾張藩ではこの時期に2000名のキリシタンが断罪されたといい,それにまつわる史跡が扶桑町やその周辺に点在しているといいます。堂内には舟形地蔵尊が祀られていますが,当初祀られていた元禄12年(1699年)銘のものは白雲寺の山門前に移されているといいます。

船塚古墳(船塚神社)
高雄定松郷135



 恵心庵から戻って,高架橋の所にある階段を上がって高架に上がり,名鉄の線路を渡って階段を降り,高架橋の北側を進んで水路横の道を進みます。





 水路沿いの道を200m弱進んだ2本目の筋を右折して100mほど進むと,左手に船塚古墳[町史跡]があります。6・7世紀に設けられたといい,この地方の豪族の墓と考えられていますが,被葬者については不詳といいます。元々前方後円墳でしたが,現在は道路工事で削られて円墳部分のみが残されて石室も露出しているといいます。古墳からは須恵器などが出土しているといいます。現在は船塚神社という神社になっていますが,江戸時代には弁財天社などと記載があり,この時代から弁財天が祀られていたと考えられています。

覚王寺
高雄南屋敷135





 船塚古墳から進んで次の筋を右折し,続く筋を左折します。ここから500mほど「高雄南保育園西」交差点を越えて進むと,左手に覚王寺(臨済宗妙心寺派)があります。金華山と号し,元徳2年(1330年)に天台宗の寺院として創建されましたが,文明年間(1469〜86)に火災にあって本尊を残して焼失しました。永正7年(1510年)に友峰和尚によって村の北に臨済宗の寺院として再建され,享保14年(1729年)に現在地に移転したといい,本尊は十一面観世音ます。入口の山門[国登録]は明治35年(1902年)建築の総けやきの丁寧な造りの薬医門といいます。





 入って正面左手の本堂[国登録]は文化11年(1814年)の創建といい,正面に広い縁を設けた六間取平面といわれる形式で,たちの高い外観は江戸後期の造形とみられるといいます。正面右手の庫裡[国登録]は天保11年(1840年)建築といい,雄大な規模が特徴といいます。



 左手の大日堂[国登録]は寛政6年(1794年)の建築といい,簡素な小堂ながら近世の境内構成を今に伝えるものとして貴重といいます。隣接して昭和9年(1934年)建設の鐘楼[国登録]があります。これらの情緒ある建築と禅寺らしい落ち着いた雰囲気が魅力の寺院になっています。





 覚王寺の先の筋を左折して100mほど進んだ交差点のところに,多くの石仏がまつられているお堂があります。ここから左奥方向に進むと大師堂があります。享保2年(1717年)に覚王寺の一翁和尚により創建されたといい,この付近に弘法大師の尊像が出現したことから大師像をまつったといいます。病気平癒を願って参拝する人が多かったと伝わっています。

長泉塚古墳
高雄中屋敷37-1



 石仏の堂の前まで戻ってさらに200m弱北上し,続く筋を左折してさらに続く筋を右折すると長泉塚古墳[県史跡]があります。直径は東西約21m,南北約24m高さ約4mの円墳で,高さ約1mの基段の上に幅2〜3mの2段の墳丘が乗る構成や,一部に周溝が残るなど保存状態のよい貴重な古墳といいます。墳丘の上には長泉大明神の碑や御嶽大権現の碑が祀られているといい,村内の信仰対象になっています。長泉塚の由来は,寛文年間(1661〜73)に長泉院九郎衛門なる人物が当地に在住し,土地の人々が近寄るのを拒んだという伝承によるといいます。

託美神社
高雄南郷247



 長泉塚古墳から南の広い筋に戻って左折し,350mほど進んだ木津用水の橋を渡って2本目の筋を左折し,150mほど進むと左手に託美神社があります。創建や祭神は不詳ですが,延喜式神名帳に記載のある式内社といわれています。伊勢神宮外宮領に託美御厨があり,この付近が伊勢神宮に関連する場所とも考えられます。かつては工造神社神明と称し,一説には大工の祖神を祀ったものともいわれています。その後神明と呼ばれ,弘化年間(1844〜47)に託美神社と改称されました。



 北側には昭和27年(1952年)に託美神社に合祀された市杵島神社が祀られています。





 託美神社から北に200m進んだ分岐を左に進み,さらに300mほど進むと尾張広域緑道[公式HP(外部リンク→)]があります。犬山市の木曽川から春日井市の庄内川までの約19.5kmにわたる遊歩道で噴水や花壇などが設けられています。木曽川から水を引く名古屋市上水道の導水敷地を利用して設けられた公園です。

安穏寺
高雄中郷335





 尾張広域緑道を進んだ先の「高雄南郷」交差点を左折すると,少し先の右手に安穏寺(曹洞宗)があります。正眼山と号し,応安3年(1370年)に知多篠島の正法寺の末寺として僧悦宗により建立されました。寛永2年(1749年)に現在地に移り,同4年(1751年)に正法寺を離れて武蔵国川越の孝顕寺の末寺になったといいます。境内は約1500株ものアジサイの木があって,扶桑のアジサイ寺として地域から親しまれ6月上旬にはアジサイ祭も行われます。

観音寺
高雄南郷330-2





 安穏寺の入り口の先に観音寺(臨済宗妙心寺派)があります。延享元年(1744年)に同郡大屋敷村(現,大口町)の長生寺にあったという観音を譲り受けて建立され,犬山の徳授寺の末寺といいます。文政元年(1818年)に茅葺庫裡が建立されましたが,明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊し,その後本堂兼庫裡が再建されました。入口にはこの付近にあった墓地が集められた際に設けられたという供養観音があります。





 観音寺の先の木津用水沿いの筋を右折して北上します。この用水沿いの道は桜並木も立ち並び,春には花見の人々も訪れる憩いの場所となります。

白雲寺
高雄米ノ山42







 木津用水沿いの道を500mほど北上した2本目の橋を左折して渡ったらすぐ右折して川沿いを進みます。さらに次の筋を左折して100mほど道なりに進むと右手に白雲寺(臨済宗妙心寺派)があります。金常山と号し,慶雲3年(706年)にこの村の白雲八蔵と改名したものがいたことから白雲寺と呼称されたといい,往古は真言宗の寺院だったといいます。永正9年(1512年)に観音堂を残して焼失し,大永6年(1526年)に覚王寺の友峰和尚が再建して臨済宗に改めたといいます。本尊は聖観世音菩薩で,継鹿尾山の千手観音と一木両体の尊像といいます。



 白雲寺からさらに西に100mほど進んだ次の十字路を右に進んだところには,名鉄犬山線の木津用水(こつようすい)駅があります。準急と普通のみの停車ですが,名鉄名古屋駅まで準急利用で約30分,本数も1時間に4本程度ありますので中継地点として利用できます。なお,用水の木津用水(こっつようすい)とは読み方が違います。

葉森神社
高雄北羽根136



 木津用水駅から南へ300m進んだ6本目の高雄小学校手前の筋を左折すると,少し先の右手に葉森神社があります。かつて戦国の頃,頭部に傷を負った僧兵が敗走してこの村に迷い込みました。村人たちは手厚く介抱しましたが,傷は深く一命をとりとめることができませんでした。僧兵は「首塚を設ければ子孫代々を病苦から取り除く」旨の言葉を残したため,村人たちは首塚を設けて祠を建てたといいます。以降,その祠にお参りすると頭部にまつわる目,鼻,耳などの病気に御利益があるとして多くの人々から信仰を受けたといいます。現在は学力向上,交通安全などにも御利益があるとして信仰を受けています。平成13年(2001年)に再整備が行われ,立派な境内が設けられています。





 葉森神社の先の筋を右折し,さらに2本目の筋を左折して100mほど進み,名鉄の踏切を渡って左に曲がり,100m強進んで広い筋に合流したら左折するとマックスバリュ扶桑店があります。ウォーキングの休憩地点としても活用できます。

しもとの(*埜)神社  *は木へんに若
高雄宮島10





 マックスバリュ扶桑店から西に進んだ「伊勢帰」の分岐を左に進み,150mほど進むと右手にしもとの神社があります。創建・祭神とも不詳ですが,尾張国本国帳に「*野天神(*は木へんに若)」とあり7世紀に創建という記録もある古社といいます。江戸時代末期は住吉大明神と呼ばれたといい,明治4年(1871年)に現社名に改められたといいます。その後明治42年(1909年)に周辺の7社を,大正7年(1918年)に神明社を合祀したといいます。境内はかつて,桧や杉など鬱蒼とした森に囲まれていたといいますが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で250本余りの大木が倒木したため,現在はその後植林された若木で風情を取り戻しているといいます。

仙林庵
高雄伊勢帰289





 しもとの神社から「伊勢帰」交差点に戻って左折し,250mほど進んだ4本目の筋を左折すると,少し先に仙林庵(臨済宗妙心寺派)があります。子安山と号し,覚王寺の末寺で,永正7年(1510年)に覚王寺が再建された際に,元々天台宗の寺院で覚王寺の本尊であったという大日如来をこの地に移して大日堂として祀りました。その後,文政4年(1821年)に大日如来が覚王寺に戻された際,脇侍の子安観音が本尊としてまつられ,子安観音堂となりました。後に堂宇が設けられたのがこの寺で,子安観音のほかに弘法大師も祀られています。

扶桑町中央公民館
高木稲葉63



 仙林庵から西方向に進んで公園を越えた先の突当りで右の筋の合流し,200mほど先の喫茶店のある広い筋を右折し,100mほど先のやや広い筋との十字路を左折します。そのまま400m強進むと右手に扶桑町中央公民館があります。講堂や会議室など地域の人々の交流の場になっているほか,入り口の玄関ロビーでは新聞などの閲覧もできる休憩所もあり,訪問した際の休憩場所としても利用できます。公民館内には頭椎(かぶつち)直刀[町文化]が保存されています。扶桑町役場の南側にある畑尻遺跡からは昭和13年(1938年)に耕作中に須恵器の甕や刀子などが発見され,その後昭和29年(1954年)の発掘でこの直刀が須恵器の土器と一緒に発見されました。現長124.5cm,刀長が105.0cmで保存状態もよいといいます。



 中央公民館の東側,十字路をはさんだ反対側には扶桑町図書館[公式HP(外部リンク→)]があります。昭和62年(1987年)に開館した比較的新しい図書館で,地域に関する調べものもできます。



 公民館の南側には扶桑文化会館[公式HP(外部リンク→)]があります。音楽のコンサートなどのイベントがここで行われます。



 扶桑町図書館の右側からは文化の小径が伸びています。この道は文化会館から扶桑駅まで,扶桑町の文化財などを紹介した案内板を見ながら歩くことができます。しばらくこの文化の小径を進んでいきましょう。

福塚集会所(聖観音座像)
高雄福塚325



 扶桑文化会館から文化の小径にしたがって100mほど進んだ先を右折し,さらに200m弱進んだ突当りで文化の小径と別れて左折します。すると少し先に福塚集会所があります。集会所の前の広場には円空作の聖観音座像[町文化]が祀られています。高さ71cmで円空仏の特徴である荒々しいノミ跡を持ちますが,丁寧に仕上げられた彫が深い座像といいます。特徴から延宝3年(1675年)頃の作と考えられ,この地にかつてあって明治35年(1902年)に廃寺になったという観音堂に関連の深い像と考えられています。



 福塚集会所の左手の筋を進んで,先の押ボタンの横断歩道を渡って先に進んだところには津島神社がまつられています。

ゴール:名鉄犬山線・扶桑駅



 津島神社の筋から戻って1筋南の文化の小径に指定されている筋を東に進みます。この付近には飲食店もあって昔ながらの町の繁華街の雰囲気になっています。



 そのまま200m強進んだ正面にゴールの扶桑駅西口があります。犬山線を用いて名鉄名古屋駅まで急行または準急で30分弱で戻ることができます。本数はそれぞれが1時間に2本ほど,全列車を合わせて1時間に6本ほど運転されています。

写真使用数:42

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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