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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県愛知郡東郷町:和合コースWAGO

2019年3月探訪。2019年6月23日作成

【コース】 距離:約4.9km
 町北西部の和合地区の社寺をめぐり,さらに郷土資料館などの町役場周辺の施設を訪ねた後に傍示本地区の史跡・文化財を訪ねます。

≪コース≫ 名鉄バス・和合ゴルフ場前〜名古屋ゴルフ倶楽部和合コース〜和合御嶽神社〜和合塾址〜大徳寺〜和合春日社〜子安地蔵堂〜イーストプラザいこまい館(郷土資料館)〜傍示本城址〜円盛寺〜傍示本春日社〜名鉄バス・傍示本バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・和合ゴルフ場前バス停



 スタート地点の和合ゴルフ場前バス停へは,地下鉄鶴舞線赤池駅からの三好方面豊田市行のバス利用になります。所要時間は約7分で,本数は1時間に4本程度運転されているためアクセスは便利です。バス停のところにある「和合ゴルフ場前」交差点からスタートしましょう。

名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース
和合ドンドロ35 [公式HP(外部リンク→)]



 「和合ゴルフ場前」交差点から南に進んだところには,名古屋ゴルフ倶楽部和合コースがあります。昭和4年(1929年)に中京地区で最初に設けられた歴史あるコースで,戦時中には陸軍に譲渡され,その後も進駐軍に接収されたため会社は解散したが,昭和25年(1950年)に伊藤次郎左衛門を委員長に再建されたといいます。昭和35年(1960年)より毎年行われている中日クラウンズの会場として知られ,日本オープンゴルフや日本女子オープンゴルフが開催された歴史もあります。短いながらも「日本屈指の難コース」といわれています。



 「和合ゴルフ場前」交差点の北側には,和合温泉湯楽[公式HP(外部リンク→)]があります。広大な露天風呂やレストラン,岩盤浴やマッサージなども楽しめる施設になっています。ウォーキングの後に利用するのもいいでしょう。







 和合ゴルフ場バス停から国道を東へ進みます。ゴルフ場との間には濁池が設けられていて,池の東側には改修記念碑も設けられています。発展著しい国道周辺にあって,昔ながらの風景を感じられる場所になっています。

和合御嶽神社
和合芦廻間47-35



 「和合ゴルフ場前」交差点から国道を東へ1.1kmほど進み,「牛廻間」交差点から右手の県道を400mほど進むと,「神ノ木」交差点に至ります。この先の右手には三井不動産によるショッピングモールのららぽーとが令和2年(2020年)秋にオープン予定で,現在急ピッチで工事が進められています。約230ものテナントが入るこの付近では最も大型のショッピングセンターになる予定といい,開業後にはこの付近の様子も大きく変わることになるでしょう。







 「神ノ木」交差点から200mほど進んだ「和合前田」交差点の1つ手前の筋のところには,左手に和合御嶽神社への階段の入口があります。階段を登った先には御嶽信仰の碑などが祀られています。日進市の岩崎御嶽社を中心として,この付近では御嶽信仰が盛んな場所といい,その関連で設けられた神社と考えられています。

和合塾跡
和合知々釜130(和合保育園)



 和合御嶽神社の東側から出てその先の筋を左折し,100mほど進んだ右手の和合保育園の敷地内には和合塾(書院)跡の碑があります。明治9年(1876年)から14年(1881年)まで尾張藩士を対象に開かれていたといい,創設者は祐福寺の明徳学校でも教鞭をとっていたという海部昴蔵といいます。現在も姿を変えて子供たちの教育の場になっています。

大徳寺
和合南蚊谷169





 和合保育園から南に戻って続く筋を左折します。その先の県道57号線の高架をくぐります。さらに50mほど道なりに進んで突き当りを右折し,さらに200m弱進んだ突き当りを右折すると,すぐに大徳寺(浄土宗)があります。天理山と号し,元々この地には大蔵坊と呼ばれる真言宗の寺院がありましたが,天正12年(1584年)の兵火にて焼失したといいます。その後貞享2年(1685年)に大日堂として再興され,宝永元年(1704年)に現在地に堂が新しく設けられ,明治13年(1880年)に大徳寺の寺号を受けたといいます。寺宝として,元禄3年(1690年)の製作という鉦鼓や,元々は隣接する和合春日社にあったという宝永6年(1709年)の鰐口,江戸時代作という「藤原光政」の銘がある鏡,多数の文書・絵画などを有するといいます。境内には弁財天も祀られている小池もあり,自然も感じられる落ち着いた空間になっています。

和合春日社
和合南蚊谷168





 大徳寺に隣接して,和合春日社があります。創建は古く,平安時代の延喜式神名帳に記載のある「和爾良(わにら)神社」がその前身という説もあり,かつてこの付近には古窯跡が多くあり,それらの窯業に関わった人々が神社を祀ったとも考えられています。古くは現在の南東にある鎮守坂というところにあって,かつてこの付近にあったという大蔵坊の本尊であった大日如来を安置していたといいます。当初は鎮守社と称しましたが,江戸時代初期頃に現在地に移されて春日社と称するようになったと考えられています。寺宝として,かつては祭礼の際に警固役として盛り上げていたという2丁の火縄式先込銃[市文化]があります。江戸時代中期の製作で,銃身に「国友紋三郎」の銘が刻まれているといいます。和合村は慶長3年(1598年)から大正7年(1918年)までは猿投祭りに参加していたといい,その際には火縄銃が重要な役割を担っていたといいます。

子安地蔵堂
和合南蚊谷17





 和合春日社から100mほど南下した先の「和合」交差点の東側に子安地蔵堂があります。中には享保10年(1725年)に建立されたという子安地蔵菩薩立像が祀られており,通称和合のお地蔵さんとして親しまれているといいます。昭和53年(1978年)に新しい堂が新築されましたが,境内には南無阿弥陀仏の碑や石造の手水鉢など古い石造物が残り,歴史の古さを感じさせます。

イーストプラザいこまい館(郷土資料館)
春木西羽根穴2225-4







 子安地蔵堂の前から南に進む筋を100mほど進み,県道に突き当たったら左折します。そのまま100mほど進むと右手にイーストプラザいこまい館があります。中央には大きな芝生広場,入口左手にはビオトープも設けられ,広々とした空間を感じられる施設になっています。また入口のところは町内の巡回バスのターミナルになっています。平成16年(2004年)にオープンした町民の交流施設で,トレーニングルームや水中トレーニング施設などの体育施設,健康情報などが提供される健康づくりセンター,町民が様々な活動を行える会議室や研修室などの施設があります。1階にはベンチなども設けられた休憩施設があり,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。



 建物内には東郷町の生活や文化財などを紹介した郷土資料館と昔の生活を体感できるという昔体験館が設けられており,町内の見所などの情報などを手に入れるのにも適します。







 イーストプラザいこまい館から連絡通路を通って南側に進むと,東郷町役場と東郷町町民会館・図書館,東郷町総合体育館などの行政・文化・体育施設が集まっています。町民会館の前には,昭和60年(1985年)に設けられたという町民憲章碑が設けられています。



 イーストプラザいこまい館から北側の県道を東へ道なりに200mほど進むと,左手に東郷小学校があります。校内にはかつて名古屋市東部地域の中核的な高等教育施設だったという旭丘高等学校東郷分校の碑が設けられています。昭和24〜45年の間開校されていましたが,その後東郷高等学校にその役目を引き継ぎました。

傍示本(ほうじもと)城址
春木市場屋敷1182-1(傍示本公民館)





 東郷小学校から県道を右折して西に進み,突き当りを左折して橋を渡り,スーパーの前の道を通っていきます。150mほど進んだ県道との十字路を右折し,続く分岐を左に進んで150mほど進み,T字路を左折して50mほど進んだ傍示本公民館の前に傍示本城址の碑があります。傍示本城は正中元年(1324年)に北条雅時の家臣加藤安俊によって築城されたと伝えられています。戦国時代には岩崎城の丹羽氏の支配下に入り,天正年間(1572年〜)頃には岩崎城主丹羽氏次の弟である丹羽氏重の居城になっていました。天正12年(1584年)に豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手の戦いの際,丹羽氏重は豊臣軍がひそかに岡崎に侵攻するのを食い止めるため,少数の勢力ながら戦いを挑みました。結果として城を攻められて氏重は亡くなりますが,この城攻めが時間の浪費となって徳川軍に有利に戦いが進んだといいます。城の規模は東西31間(約56m),南北34間(62m)といい,東側の崖下に尾張と三河の境界である境川が流れていることから国境を守る重要な城だったことが今でも感じられます。傍示本という地名も,後醍醐天皇の頃に国境を示す「榜示」が立てられた地であったことが由来と言われています。

円盛(えんじょう)寺
春木中通屋敷1287





 傍示本公民館から北のT字路に戻って左折し,続く筋を案内板にしたがって右折して少し進んだ右手に円盛寺(浄土宗西山禅林寺派)があります。松境山安楽院と号し,永享9年(1437年)に祐福寺4代融伝上人の高弟という見空智泉上人の開山で,当初は松京山円城寺あるいは松界山円盛寺とも称したといいますが,享保年間(1716〜35)頃に現在の山号になったといいます。本尊は阿弥陀如来で,脇にはかつて薬師堂に祀られていたという薬師如来坐像[町文化]が安置されています。この薬師如来は,もともと薬師山と呼ばれた場所にあった薬師堂に祀られていたものが,江戸末期頃に円盛寺境内に薬師堂とともに移されたものといい,特徴から平安時代後期の作といいます。また,境内の観音堂には慈覚大師作と伝わる十一面観音像が祀られており,その他にも多くの文化財を有する貴重な寺院といいます。



 円盛寺から南の案内板のところに戻り,県道を西に進んだ左手には馬頭観音がまつられています。文化4年(1807年)頃に建立されたものといい,当時交通手段として貴重だった馬の安全を守るために設けられたものといいます。



 さらに県道を西に進むと右手の個人宅に2樹のアベマキ[町天然]があります。東側の木は高さ16m,西側の木は高さ8.7mで,町内にあるアベマキとしては最高に生育した巨木といい,傍示本の大ドチとして親しまれているといいます。

傍示本春日社
春木上ノ畑226







 傍示本のアベマキから県道を西に進んだ「傍示本」交差点を左折した先に傍示本春日社があります。創建は不詳ですが平安時代にまでさかのぼるといい,応永28年(1421年)のものという古い棟札が伝えられているという古社です。境内には江戸時代には愛宕社と神明社が祀られていたといいますが,明治になって周辺の小社を合祀したといいます。境内には江戸時代の年号が刻まれている灯籠などがあり,歴史を感じさせます。また沓掛城主の近藤基行により奉納されたという懸仏があったことが伝わっています。

ゴール:名鉄バス・傍示本バス停



 傍示本春日社の前のところには,ゴールとなる名鉄バス・傍示本バス停があります。名鉄バスを利用して,名鉄豊田線の日進駅まで10分ほどで戻ることができます。本数は1時間に1本程度なので,時刻を確認して利用しないと待たされてしまいます。ちょうどいいバスがなければ,北に進んで和合バス停まで10分ほど歩けば,赤池駅へのバス便が1時間に2〜4本運転されていますので,そちらを利用するのもいいでしょう。

写真使用数:35

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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