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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県日進市:岩崎コースIWASAKI

2019年2月探訪。2019年2月25日作成

【コース】 距離:約8.7km
 市北部の岩崎地区をめぐります。岩崎城を始め多くの史跡・文化財を有する見どころが多い地区で,展望台からの眺望も楽しむことができます。

≪コース≫ 名鉄バス・石神バス停〜水晶山緑地〜香久山古窯〜北高上緑地〜白山宮〜龍谷寺〜岩崎城・岩崎城歴史記念館〜慈眼寺〜妙仙寺〜平成展望台〜岩崎御嶽社〜弁天池公園〜菊水の滝〜大応寺〜岩崎神明神社〜名鉄バス・岩崎神明バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄バス・石神バス停



 スタート地点となる名鉄バスの石神バス停は,地下鉄東山線の星ヶ丘駅からのバス便になります。名鉄バスの石神経由の五色園行,またはトヨタ博物館前行を利用して約15分で行くことができます。本数は1時間に3〜4本程度あるのでアクセスは便利です。

水晶山緑地
香久山4



 石神バス停のある「香久山北」交差点から南下して香久山の住宅街の方に進んでいきます。香久山地区は昭和56年(1981年)に都市整備公団土地区画整理事業が始まった新しい町です。開発当時はこの付近はほとんどがアカマツの山林だったといいますが,平成7年(1995年)に独立した地区になり,現在は住宅地や商業施設が立ち並んでいます。住宅開発が始まったときと比較すると,その発展ぶりは目を見張るものがあります。





 200mほど進んだ歩道橋のところを左に入って,水晶山緑地の遊歩道を進んでいきます。水晶山緑地は平成6年(1994年)に市内で初めての都市緑地として開園し,総面積36488平方メートルの敷地に多様な木々が植えられ,散策を楽しむことができます。遊歩道を進んでいった先には桜かざしの径があり,春は桜が楽しめるほか,キンモクセイやアジサイなど季節によって多くの花が咲く道になっています。

香久山古窯
香久山5 すずかぜ公園内





 水晶山緑地の遊歩道を進んで日進・香久山福祉会館のところに出たら,そのまま100mほど南下すると左手にすずかぜ公園があり,その中に香久山古窯[市史跡]があります。平安時代初期の9世紀頃の窯跡で,名古屋東部から豊田市西部にかけて1000基以上の窯が築かれたという猿投窯(さなげよう)の一部分で,約70基からなる岩崎地区の古代窯の中で中心部にあるものといいます。昭和57年(1982年)の住宅開発に伴う発掘調査で,ほぼ完全に窯体が残る貴重な遺構ということがわかり,現在は保護覆屋を設けて予約をすれば見学も可能になっているといいます。この猿投窯は,平安時代初期の須恵器や灰釉陶器の一大生産地になっており,窯跡の調査によってこの地方における窯業の実態を明らかにできるといいます。出土品が岩崎城歴史資料館にて展示されています。

北高上(きたこうじょう)緑地
香久山1









 すずかぜ公園の北側の道を進んで大きく右に曲がり,曲がった先の交差点を左折して250mほど道なりに進んでいくと左手に北高上緑地の西口があります。日進市の中心部において,広さ約8.6ヘクタールという広い範囲に里山の貴重な環境が残る緑地になっています。平成17年(2005年)に日進市に土地が譲渡され,それ以降里山の自然を楽しめる緑地として整備されました。西入口から入って分岐を右に進んでいった先にはかつての砂防の跡という大レンガの築堤があり,その先には貴重なコバノミツバツツジの群落があり,季節には花を咲かせるといいます。先に進んで西砂防広場のところを右折し,山野辺の道を進んでいった先の十字路を左に進んだところには見晴らしポイントがあり,市街を望むことができます。今度は十字路を南下してこもれびの道を進み,南出口の方に進んでいきましょう。緑地内は他にも多くの遊歩道が設けられており,緑地内の案内板にしたがってじっくりと散策するのもいいでしょう。





 北高上緑地の南口から出て左手に進み,先の「岩崎西田」交差点で道路の南側にわたってさらに東に進んでいきます。そのままのどかな田園風景を楽しみながらウォーキングコースを進みます。400mほど進んだ先にはウォーキングコースの起終点になっている日進市保健センターがあります。案内板も設けられ,日進市のウォーキングコースに関する情報なども手に入れられるようです。

白山宮
本郷町宮下519 [公式HP(外部リンク→)]





 日進市保健センターから東に200mほど進んだ「白山」交差点で横断歩道を渡ってから,白山宮の案内板にしたがって少し先を右折して上り坂を進んでいくと,200mほど進んだ先に白山宮があります。創建は不詳ですが,境内に古墳が認められることから成立は相当古い年代と考えられています。かつて海部郡遠島村(現,あま市七宝町)の人々が度重なる水害を避けるためにこの地に移住し,藤島神社を白山宮に合祀したという伝承もあるといいます。大永3年(1523年)に岩崎城主の丹羽氏清によって祭礼が始まったと言い伝えられ,湯立て,棒の手,馬の塔などの神事が伝承されてきたといい,「白山の馬まつり」として親しまれているといいます。社殿は平成8年(1996年)の平成の大造営により新しく整備されたものになっています。



 境内には多数の摂社・末社が祀られていますが,その中で本殿右手に進んだ先にある足王社が知られています。この社はかつて飯田街道の裏街道沿いにあり,旅人の道中の足の安全を祈願するものだったといいます。終戦前後に個人宅にあったものが勧請され,現在でも足の神様として信仰され,社内にある「痛みとり石」をなでると足の痛みが治まるとされています。足にちなんでサッカーの神様としても知られ,日本代表公式エンブレムが入ったお守りなども受けることができるといいます。







 また境内南側には白山第1号墳[市史跡]があります。古墳時代後期の6世紀頃に造営された直径14mほどの円墳で,崩壊が進んだ状態でしたが昭和55年(1980年)の発掘調査で金環や鉄製の直刀,装飾須恵器などが発見されました。その後,周辺の古墳などを参考にして横穴式石室が復元され,一般に公開されています。また出土品は岩崎城歴史記念館で見ることができるといいます。

龍谷寺
藤島町寺下甲29 [公式HP(外部リンク→)]







 白山宮の東側に隣接して龍谷寺(曹洞宗)があります。雲興山と号し,藤原則武の開基により創建され,永享9年(1437年)に宗光により再興されたという説があり,永正元年(1504年)に中興の三河篠原永沢寺(現,豊田市)の心月宋光大和尚が伽藍を整備したといいます。36世得道芳髄大和尚は総本山の横浜市鶴見の総持寺の貫主をつとめたといいます。本尊は釈迦牟尼仏で,境内の観音堂は尾張城東西国33観音霊場になっており,如意輪観世音が祀られています。他にも文化18年(1816年)に作られたという三十三観音像や七福神が祀られている三十三観音堂や,十一面観音や文殊菩薩が祀られている十一面観音堂をはじめ,多くの石仏などが祀られた境内は見所も多く,ゆったりと時間を過ごすことができます。



 なお,龍谷寺から白山宮の入口の前を通って西に進んだ右手には法輪寺(真宗大谷派)の新しい建物があります。

岩崎城・岩崎城歴史資料館
岩崎町市場67 [公式HP(外部リンク→)]







 「白山」交差点に戻って県道を200mほど北上し,「岩崎」交差点を右折して100m弱進んで左手の岩崎城の入口の案内にしたがって進むと,岩崎城の入り口が見えてきます。この地にあったという岩崎城は正確な築城年代はわかっていませんが15世紀末から16世紀初頭の築城といい,勝幡城(現,稲沢市平和町)を支配した織田信秀の支城として記録されているのが最古といいます。その後,三河岡崎城主の松平清康(徳川家康の祖父にあたる)が岩崎城を守っていた荒川頼宗を滅ぼしますが,その後清康は天文4年(1535年)に家臣の謀反にあって亡くなり,本郷城主(現在の白山宮付近にあったとされる)だった丹羽氏清が城を占拠し,4代にわたって城を支配することになります。その後,岩崎城が重要な役割を果たすのは天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いになります。この戦いは信長死後の勢力を広めつつあった羽柴秀吉(豊臣秀吉)と,それに対抗する徳川家康が争ったものです。小牧に陣した家康と犬山に陣した秀吉が膠着状態になったため,秀吉方の池田恒興らが家康留守の三河への進軍を行いました。そこで行軍途中にあった岩崎城への攻撃が開始されます。家康方の丹羽氏重が守っていた岩崎城は3時間ほどで落城したといいますが,この間に家康軍が池田恒興軍においつき,結果として池田恒興や森長可などの秀吉方の有力武将が討ち死にすることとなり,秀吉に対して有利な形成で戦を進めるきっかけとなりました。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの戦功により丹羽氏が三河国伊保1万石の大名に昇格したことにより,岩崎城は廃城となりました。
 現在の城郭はその後昭和62年(1987年)に展望台として新しく設けられたものになります。城郭の1・2階は日進市の歴史や文化財に関する展示が設けられており,それを見ながら天守閣まで進んでいくと,日進市を一望できる展望室になっており,小牧・長久手の戦いの武将の動きを解説した案内板も設けられています。





 隣接して設けられている岩崎城歴史資料館では,岩崎城のみならず日進市の歴史や文化財に関する展示が設けられており,先に訪れた香久山古窯や白山1号古墳などの出土品など古くからの日進の歴史を感じることができます。2階では時期に応じた企画展なども行われており,市民の文化交流の場にもなっているようです。







 一帯は岩崎城址公園として整備され,空堀の跡などが当時のまま残されており,いくつかの郭(くるわ)に分けられていた城の様子がよくわかり,歴史に思いを馳せることができます。各所に案内板も設けられており,じっくりと時間をかけてめぐりたいところです。

慈眼寺
岩崎町小林90





 岩崎城から南の県道に戻って,左折して東に進みます。100m弱先の分岐を左に入り,150mほど進んだ川の先の筋を右折して進むと右手に慈眼寺(曹洞宗)があります。音羽山と号し,元々は次に訪れる妙仙寺の塔頭である慈眼庵で寛文5年(1665年)に地蔵菩薩を本尊として創建されたと伝えています。現在の本尊は恵心僧都作という千手観音像で,これは元々妙仙寺の観音堂の本尊だったといい,寺伝によると岩崎城主だった丹羽氏清が京都清水寺から勧請して場内に堂を建てたものといい,小牧・長久手の戦いで城内が荒れ果てたために慶長2年(1597年)に再興されたものといいます。そういった意味で,この寺も岩崎城の丹羽氏と関わりが深い寺院であり,本尊は秘仏で17年ごとに開帳されるといいます。

妙仙寺
岩崎町小林103





 慈眼寺から50mほど北上して県道を渡った先には妙仙寺(曹洞宗)があります。大椿山と号し,天文6年(1537年)に岩崎城主丹羽氏清が本郷城から岩崎城に移ってきた際に,丹羽氏に関連の深かった折戸の長沢寺を移して創建されたといい(ただし永正元年(1504年)創建など諸説あり),本尊は釈迦牟尼仏です。岩崎城主丹羽氏代々の菩提寺であり,丹羽氏清夫妻の墓標という地蔵菩薩立像や一族関係者のものという墓石群があります。入口には寛政5年(1793年)の再建という山門[市文化]があります。三間一戸の二階づくりの楼門で,昭和38年(1963年)の修理までは赤穂四十七士の天井画があったといいますが,現在は寺にて保管されています。境内には樹齢400年以上と伝わり,市内でも最大のクロマツの巨木という臥龍の松[市天然]があり,訪れた人の目を楽しませてくれます。幹や枝の形が,まるで臥した龍の形をしていることから名付けられたと考えられています。







 妙仙寺から右手の筋を50m強進み,続く五差路を案内板にしたがって左折します。そのまま上り坂を400m強進んだ左手には宝林寺(天台宗)があります。その先には,陶芸などの多目的な学習施設になっている日進市ふれあい工房があります。

平成展望台
岩崎町元井ゲ17-93







 日進市ふれあい工房の先の左手には,平成展望台への上り道がのびています。ここを進んで平成展望台に向かうと,付近一帯から名古屋方面の景色を楽しめる展望台へと到達します。日進ふれあいの森の整備事業の一環として平成4年(1992年)に完成した展望台で,風・土・水を表した3基のモニュメントが設けられています。夜景の名所として知られており,カップルなども訪れる隠れた名所になっています。





 駐車場方面に抜けて進んだ左手には,御嶽信仰の石碑や浅野祥雲作という弘法像が設けられています。江戸時代末期,ここ岩崎山は御嶽信仰の広がりとともに信仰の地になったといい,現在でも信仰の霊地の雰囲気を醸し出す場所になっています。





 駐車場から北に抜けて進み,道に出たところの右手には出会いと憩いの広場という休憩所が設けられています。ウォーキングの休憩地点にも活用できます。

岩崎御嶽(みたけ)社
岩崎町竹ノ山138







 出会いと憩いの広場のある交差点の北側には岩崎御嶽社の入口があります。御嶽信仰の広がりつつあった万延元年(1860年)に明寛と明心という2人の行者が夢のお告げにより木曽の御嶽大神を勧請して創建したといいます。元々は現在は末社となっている八幡社の名義でしたが,江戸時代の諸書にも御嶽社が見られるといい,古くから信仰と観光の名所として人々に親しまれてきたといいます。春と秋の大祭には遠方からも多くの参拝客が訪れるといいます。岩崎御嶽山の山頂に設けられた社殿に上っていく途中には,お助け穴不動と呼ばれる不動尊があり,数多く建てられた幟が信仰の深さを感じさせます。パワースポットとしても知られているといい,静かな境内を御嶽信仰の雰囲気も感じながらじっくりとめぐるといいでしょう。





 岩崎御嶽社から出て右手に進んでいくと,日進市の花にも指定されているあじさいの遊歩道があります。季節になると多くの花が参拝客の目を楽しませており,ところどころ設けられた碑が信仰の地の雰囲気を感じさせ,他にはなかなか見ることができない遊歩道ともいえそうです。

弁天池公園
竹の山3





 岩崎御嶽社からあじさい遊歩道を道なりに抜けて下り坂を400mほど進んでいくと「弁天池北」の県道の交差点に出ます。ここで県道を渡って左折し,100mほど南下した左手には弁天池公園があります。元々あった調節池である弁天池の周りを整備し,平成24年(2012年)に弁天池公園となりました。公園内にはアスレチックなどの遊具のほかにトイレなども整備されており,ウォーキングの休憩地点としても有効に利用できます。池の中の島には,名前の由来となった弁財天が祀られているといいます。
 弁天池の西側には竹の山の住宅地が広がっています。竹の山こと竹野山は御嶽山の北にある標高133.9mの山で,古来より尾張の大部分が眺望できる名所として知られ,古代の住居跡や窯跡なども残されています。現在は,山頂付近は宅地化されていますが,頂上付近には展望公園が設けられており,古来より楽しまれてきた眺望を今も楽しめるといいます。山の西側に広がるこの住宅地は昭和62年(1987年)に岩崎町から分離し,現在は4000人以上の人々が生活する日進市でも指折りの住宅地になりました。椙山女学園大学の日進キャンパスや,スーパーなど多数の商業施設も立ち並び,郊外のおしゃれなカフェなどもある話題の場所にもなっているといいます。

菊水の滝
竹の山5 菊水公園内







 弁天池公園から県道を南下して「弁天池南」交差点で県道を渡って東側に進んだところには菊水公園があり,中には「尾張名所図会」にも掲載されている菊水の滝(別名,岩崎滝)があります。「高さ六丈余り,夏日霖雨の節は飛流十倍して人の耳を驚かす」とあり,御嶽信仰が盛んになってからは,滝で身を清めてから山に登ったと言い伝えられています。公園内の整備された場所に雌滝が,公園の北側に雄滝があり,特に雄滝は住宅地の中にあってパワースポット的雰囲気をただよわせ,住宅地のオアシスになっているようです。

大応寺
岩崎町神明142





 菊水公園から県道をさらに南下して,200mほど進んだ岩崎城址公園のところの十字路を右折し,さらに道なりに上り坂を進んでいきます。上り坂を進んで道なりに西へ200mほど進むと右手に大応寺(浄土宗)があります。松高山と号し,元々は赤池城があったという赤池町大応寺にあったといい,正保2年(1645年)に誓願寺があったという場所(現在の岩崎交差点南西か)に移転し,のちに現在地に移されたといいますが,諸説あって詳しいことはわかりません。本尊は阿弥陀如来といいます。

岩崎神明神社
岩崎町神明5-25





 大応寺から西へ100mほど進んで突き当りを右折し,さらに道なりに200m弱進んで突き当りを右折すると,100mほど進んだ右手に岩崎神明神社があります。文明5年(1473年)の創建で,元々は赤池村の氏神だったものが赤池城主丹羽帯刀の没落後に現在地より南500mの岩崎の台地上に移され,その後現在地に移転したといいます。昭和9年(1934年)に修復工事が行われたものの,伊勢湾台風や山崩れにより荒廃したため,西隣に当たる現在地に社殿を再建したといいます。

ゴール:名鉄バス・岩崎神明バス停



 岩崎神明神社から東方向に戻ってそのまま200mほど進み,県道に合流したら手前方向に右折して少し進むとゴールの岩崎神明バス停になります。地下鉄東山線星ヶ丘駅へのバス便が一番便利で,1時間に2〜3本程度運転されており,約21分で戻ることができます。地下鉄鶴舞線赤池駅へも約27分で戻れ,リニモ長久手古戦場駅へも約26分で行くこともできますが,これらのバスは1時間に1本程度しか運転されていませんので,利用するなら時刻表を確認しましょう。

写真使用数:59

←前:赤池コース / 愛知県日進市 / 次:五色園コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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