本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県長久手市:古戦場コースKOSENJO(OLD BATTLEFIELD)

2019年7月探訪。2019年8月8日作成

【コース】 距離:約7.8km
 市中心部の岩作地区を中心に長久手古戦場の史跡と昔ながらの社寺をめぐり,いにしえの長久手に思いをはせます。最後に名所のトヨタ博物館も訪ねます。

≪コース≫ リニモ・長久手古戦場駅〜イオンモール長久手〜古戦場公園〜武蔵塚〜血ノ池公園〜長久手城址〜御旗山・富士社〜長久手市役所〜石作神社〜色金山歴史公園〜安昌寺〜岩作御嶽社〜首塚〜教圓寺〜トヨタ博物館〜リニモ・芸大通駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:リニモ・長久手古戦場駅



 今回のスタートはリニモの長久手古戦場駅です。リニモの始発駅である地下鉄東山線の藤が丘駅からは3駅7分で行くことができます。本数は通常時は8分に1本の運転で便利です。名古屋駅からは地下鉄との乗り継ぎで約50分の時間を見込んでおくといいでしょう。駅の改札から出て右手の1番出口から出てスタートしましょう。

イオンモール長久手
長久手中央 土地区画整理事業地内5・10・11街区 [公式HP(外部リンク→)]





  長久手古戦場駅の1番出口から出たバスターミナルの北側には,イオンモール長久手の巨大な建物が広がっています。平成28年(2016年)にオープンしたばかりの長久手市でも最大のショッピングモールで,イオンスタイル長久手店を中核として約200種類という各種の専門店街や映画館も併設されており,土曜休日を中心にファミリーなど多くの人で賑わっています。建物には緑も取り入れられ,環境への配慮もうかがえます。週末には大変混雑し,周辺道路が渋滞するために公共交通機関での訪問が呼びかけられています。まずはじっくりとウォーキングの準備をするのもおすすめです。

古戦場公園
武蔵塚204







 イオンモール長久手から西に進み,西側の道路の横断歩道を渡った先には古戦場公園があります。天正12年(1584年)に羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康によって争われた長久手の戦いの跡地である長久手古戦場[国史跡]に設けられたという公園です。公園内には長久手古戦場碑が設けられているほか,長久手の地形を再現した山が設けられている場所では当時の戦いの解説も設けられており,長久手の戦いの様子が理解できるようになっています。
 長久手の戦いは,天正10年(1582年)に織田信長が明智光秀に本能寺にて討たれ,その後継ぎ争いで勢力を伸ばしてきた羽柴秀吉と,それに対抗して信長の次男織田信雄と徳川家康が争った戦いです。両軍は小牧にてにらみ合いを続けていましたが,秀吉方の池田恒興,森長可らがひそかに家康の本拠地である岡崎を攻めようと出陣します。それを察知した徳川家康と4月9日にこの地で激戦が展開され,その結果家康方の勝利に終わり,池田恒興,森長可らは討ち死にしました。この古戦場公園があった場所は,その際の最激戦地だったといいます。





 古戦場公園の北側に進むと,長久手市郷土資料室があります。昭和60年(1985年)に長久手の戦いから400年になるのを記念して開館した施設で,1階には長久手の戦いに関する展示,2階には棒の手など長久手の民俗資料の展示があり,長久手の歴史について理解を深めることができます。所蔵する文化財には,市南部に位置する古窯跡から発掘されたという丁子田1号窯・市が洞1号窯出土刻銘須恵器[市民俗]などもあります。また資料室内では長久手の棒の手[県民俗]に関する展示もあり,資料室のすぐそばには碑も建てられています。剣術や棒術から伝統芸能になったという棒の手は愛知県尾張地区の各地に見られますが,長久手では見当流,起倒流,鷹羽検藤流,藤牧検藤流の4流派があるといい,旧村々でそれぞれ組織して活動しているといいます。各地区の神社でのお祭りのほか,警固祭りや保存会のイベントなどでも演技が披露されるといいます。
 なお現在,郷土資料室は令和4年(2022年)のリニューアルオープンに向けて工事が行われるため,見学することはできません。



 郷土資料室の北側の林の中には,勝入塚[国史跡]があります。秀吉方の武将である池田恒興(勝入)が戦死した場所と伝えられています。池田恒興は天文5年(1536年)に織田家の家臣・池田恒利の子として誕生し,信長の家臣として桶狭間の戦いや姉川の戦い(滋賀県)で活躍しました。信長の死後は秀吉方につき,美濃国内の13万石を拝領して大垣城に入りました。長久手の戦いの際は,家康の本拠地岡崎を攻めようとしましたが,岩崎城(日進市)の攻略に手間取ったために家康軍に攻められ,嫡男の池田元助とともに戦死したといいます。碑は明和8年(1771年)に尾張藩士らが建てた「明和の碑」と,池田恒興の子孫が明治24年(1891年)に建立したという尖った「明治の碑」からなります。



 古戦場公園の西側に出て,南側に進んだ左手のところには,庄九郎塚[国史跡]があります。池田恒興の長男である池田元助(幼名・庄九郎)が戦死した場所といいます。池田元助も幼少から織田信長に仕え,淡路国の侵攻などで活躍しました。信長の死後は父・恒興とともに秀吉方について岐阜城主となりましたが,長久手の戦いにて父と運命をともにすることになりました。勝入塚とともに「明和の碑」と「明治の碑」からなりますが,場所は以前は異なる場所にあったといい,区画整理で現在地に移動されたといいます。

武蔵塚
武蔵塚905



 古戦場公園の西側出口まで戻り,先の筋を左折して住宅街を西に進みます。200mほど進んだ2本目の筋を右折して北上した左手には武蔵塚[国史跡]があります。長久手の戦いで秀吉方だった森長可が戦死した場所といいます。森長可は美濃兼山城主で,本能寺の変で織田信長と運命を共にした森蘭丸の兄にあたるといいます。勇猛果敢な武将として知られ,官職の武蔵守から「鬼武蔵」として恐れられたといいます。なお,墓所は美濃国の可成寺(現在の岐阜県可児市)にあるといいます。



 武蔵塚の入口から北上して次の十字路を左折し,続く古戦場通りの筋を右折します。この古戦場通りは,その名前の通り,馬印など長久手の戦いに関するモニュメントが設けられており,楽しく歩くことができます。

血の池公園
城屋敷





 古戦場通りを100mほど北上して「古戦場西」交差点に至ったら,左折して100mほど進むと左手に長久手市交通児童遊園があります。信号機など交通ルールを学ぶための設備が設けられている公園です。公園の入口のところには鎧掛けの松があります。ここにあったという池で槍や刀を洗う時に,この松に鎧を掛けたという伝説が残っている松です。昭和55年(1980年)に2代目の松が枯死してしまったため,現在の松は3代目になるといいます。





 長久手市交通児童遊園の先を十字路を左折して,公園の裏手に進んだ先には血の池公園があります。長久手の戦いの際,徳川方の武将・渡辺守綱らが,戦いが終わった後にここにあった池で槍や刀の地を洗ったという逸話があり,それ以来「合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる」という伝説が残されています。現在は池は埋め立てられて公園になっており,公園の名前にその名残が残されるのみになっています。

長久手城趾
城屋敷2408





 血の池公園から進んだ先の十字路を案内に従って右折し50mほど進むと,左手に長久手城趾址[市史跡]があります。設けられた観音堂の横には城址の碑も残されています。16世紀に長久手村を領有した加藤太郎右衛門忠景が,旧領主の斎藤氏の古城を修築して入城したといいます。天正12年(1584年)の長久手の戦いの際は,義弟の岩崎城主・丹羽氏次とともに家康方に従い,この地で奮戦しましたが,秀吉方の池田隊の多勢に敗れて城は滅ぼされたといいます。その後,荒れ果てましたが,文化6年(1809年)に子孫の尾張藩士が当地を訪れて観音堂脇に碑を建てて供養したといいます。

御旗山(富士社)
富士浦602





 長久手城趾から北上して突き当りを右折し,続く十字路を左折し,さらに続く突き当りを右折します。そのまま100mほど進むと左手に富士社の入口がありますので,長い階段を上がっていきましょう。江戸時代初期の富士信仰が盛んになった時期(一説には元和3年(1617年))に設けられたといいます。階段の上には社殿が設けられています。





 富士社の社殿の隣には御旗山[国史跡]の碑が建てられています。小牧・長久手の戦いの際,先に訪れる色金山に進軍した徳川家康は,榊原康政や大須賀康高らの先発隊が白山林の戦い(現,尾張旭市)にて三好秀次の軍勢を破ったものの,桧ヶ根の戦いにて秀吉方の堀秀政の軍に敗れたことを知ります。そのため,先発隊の救援をするために家康は南の池田恒興・森長可らの様子をうかがいながらこの御旗山まで軍を進め,頂上に金扇の馬標を立てたといいます。この馬標を見て,追撃をしていた堀秀政は脅威に思い,深追いせずに引き返したといいます。山頂から東へ坂道を下ったところでは眺望を楽しめる場所もあり,かつて家康が眺めたであろう景色を楽しむことができます。住宅街が広がっている様子からは,古戦場だったという面影はありません。



 富士社から200mほど進んだ「香桶」交差点を砲弾歩道を渡って左折し,続く橋を渡って右手の公園の前を北上して,その先の香流川を渡ります。

耳塚
岩作(やざこ)中縄手50



 香流川を渡って北上し,長久手小学校の西側に来たところの西の田んぼの中に耳塚が設けられています。長久手の戦いの際,徳川家康は勝利の際に敵の首や耳をそぎ取り戦功の証にするように指示したといい,その耳をそぎ落とされた戦死者を供養したといいます。後年,耳に病気のある人が耳塚に祈願すれば,平癒すると言われるようになったといいます。昔は3.9坪の草塚でしたが,昭和3年(1928年)に石碑や燈籠などが整備され,平成25年(2013年)にも改修が行われて現在の姿になったといいます。

長久手市役所(岩作城跡)
岩作城の内60-1





 耳塚の入口からさらに100mほど北上して「岩作」交差点を右折すると,左手に長久手市役所があります。長久手の地図や文化財に関する資料などを手に入れたい場合は相談するといいでしょう。また,建物の東側1階には,観光協会があって観光パンフレットなどを手に入れることもできます。北熊村の古文書,御書(円遵筆)[ともに市文化]などの文化財も保存されているといいます。



 市役所の南東側には岩作城址の碑が設けられています。岩作城は東西2つに分かれていたといい,ここにはかつて東城があって南の水田のところに土塁の一部が残されているといいます。記録によると今井四郎兵衛が城主といいますが,詳しくはわからず,その子と思われる四郎三郎は長久手の戦いで没したといいます。また,西城は鈴木権八の居城と伝わりますが,城址は水田となって遺構が残っていないといいます。

石作神社
岩作宮後17







 長久手市役所の東側,コンビニの手前の十字路を左折し,200mほど北上して点滅信号のある交差点を右折すると,100mほど先に石作神社があります。社伝によると承和元年(834年)の鎮座といい,平安時代の延喜式神名帳にも名前の記載がある古社であり,岩作村の氏神として人々から崇敬を受けてきたといいます。祭神として石作連の祖が祀られているといい,古代に石材を扱っていた人々がいたといい,垂仁天皇の皇后に石棺を献上してその名前を賜ったと伝えられています。毎年10月10日に近い日曜日に地区で行われる岩作のオマント[県民俗]は,馬の背にダシと呼ばれる標具を乗せ,鉄砲隊や棒隊などが地区内を練り歩きながら石作神社へと奉納するものです。別名,警固祭りとも呼ばれ,古くから尾張や西三河の農村部で豊年祭りとして行われてきているものといいます。社宝として,猿投神社との関係をうかがわせる猿投三社大明神祭図[市民俗]や天保9年(1838年)制作という木造恵比須天・大黒天[市民俗]があります。このうち恵比須天・大黒天は毎年1月の初えびすの際などに公開されています。境内には保存樹になっているツブラジイの巨木などもあり,広い境内はパワースポットの雰囲気を醸し出しています。

色金山歴史公園
岩作色金37-1





 石作神社から東へ道なりに400mほど進むと色金山歴史公園があります。長久手の戦いの際に徳川家康が陣を敷いたという色金山[国史跡]とその周辺に設けられた公園になります。駐車場の横を通り,北側に進んだところの入口から進んでいきます。この右手には犬山市の国宝如庵を模して設けられたという茶室が設けられており,サービスを受けることもできます。秋には茶会も行われるといいます。



 そのまま階段を上がって山頂の方に進んでいきます。山頂のところには,徳川家康が腰掛けて軍議を行ったという伝説を持つ床机石(しょうぎいし)が残されています。岡崎攻めのために南下している秀吉方の池田恒興や森長可を追って,家康はこの山に陣を敷いたと呼ばれる歴史の地になっています。





 山頂には展望台が設けられており,かつて家康が眺めていたであろう長久手の景色を楽しむことができます。夏には木が茂っており,眺望はどこまでではありません。





 山頂から階段を下って駐車場の方に進んでいきます。途中には長久手の戦いにちなむ碑などが多く設けられています。碑を見ると長久手の戦いでは3000人もの犠牲者が出たといい,大きな被害のあった戦いであることがうかがえます。戦いで犠牲になった家康方の武将・伴若狭守盛兼の墓碑や,徳川家康が必勝祈願を行ったという八幡社旧蹟碑,家康軍が軍馬に水を飲ませたという馬泉水(ばせんすい)などがあり,歴史を感じることができます。付近一帯は江戸時代から長久手合戦の名所となり,尾張藩主の徳川義直も訪れたといいます。

安昌寺
岩作色金92





 色金山歴史公園から出て左手に山を回り込むように進んでいくと,やがて安昌寺(曹洞宗)があります。久岳山と号し,寺伝によると天正元年(1573年)に雲山和尚によって創建されたといい,創建当時から岩崎城主の丹羽氏の帰依を受けたといいます。雲山和尚は天正12年(1584年)に長久手の戦いで,徳川家康が色金山に陣をおいたときに武運長久を願って八幡祠に祈願したといい,戦いの後は合戦にて亡くなった人々を弔ったといいます。江戸時代の記録では久竺山と号し,大永寺(現,名古屋市守山区)から雲興寺(現,瀬戸市)の末寺になったといいます。岩崎城主の丹羽氏次の田畑寄進状などの文書や,尾張藩主が訪れた際の合戦にまつわる書付などが残されているといいます。境内の観音堂に岩作観音と呼ばれる十一面観音がまつられ,毎年8月10日の夜に九万九千日の祭りが行われ多くの人が賑わうといいます。文化年間(1820年頃)に組織され,大正時代に復興されたという尾張城東三十三観音の第1番札所になっています。この霊場は安昌寺を第1番とし,日進東郷・豊明,名古屋市東部(天白・昭和・千種・名東)を回って尾張旭・瀬戸を経由し,最後に長久手市大草地区の三光院を訪れるもので,今でもめぐる人がいるといいます。

岩作御嶽神社
岩作壁ノ本33





 安昌寺の入口のところで県道を渡り,さらに道なりに南下して突き当りを左折します。さらにその先の香流川を渡る橋を渡り,道なりに400mほど上り坂を進んでいくと,岩作御嶽神社の入口に到着します。尾張東部の各地にみられる御嶽信仰の神社の1つで,安政2年(1855年)に御嶽山の分霊をまつって創建されたといいます。長い階段を登った先に社殿があり,現在も盛んな御嶽信仰の拠点になっているといいます。

首塚
岩作元門41



 岩作御嶽神社から安昌寺から南下したところまで戻り,さらに西に少し進んだ先の右手には首塚[国史跡]が祀られています。安昌寺の雲山和尚が,長久手の戦いの後に戦死した人々の首や屍を集めて埋葬し,手厚く葬って設けた塚といわれています。「尾張名所図会」にも安昌寺に通じる路傍に描かれているという歴史ある塚です。毎年合戦があった日に法要が行われてきたといい,尾張藩士らの参詣もあったといいます。塚上の首塚という刻銘は宝永3年(1706年)の福冨親茂の碑といい,明治43年(1910年)の地元有志による漢文碑もあります。

教圓寺
岩作東島103





 首塚から150mほど道なりを進むと,左手に教圓寺(真宗高田派)があります。東砂山と号し,赤津村(現,瀬戸市)万徳寺の末寺といい,徳川家康が長久手の戦いのときに戦勝を祈願したといわれています。寛文年間(1661〜72)に現在よりも北東にあったものを今の位置に移したといいます。本尊は阿弥陀如来で,90年に一度開扉されているといいます。

トヨタ博物館 [有料施設]
横道41-100 [公式HP(外部リンク→)]



 教圓寺から300mほど進むと県道を渡る「長久手小学校東」交差点に突き当たりますので,ここを左折します。さらに300mほど南下した「御富士」交差点の1つ手前の筋を左折し,長久手中学校の前の筋を進んでいきます。道なりに800mほど進んで県道に突き当たったら左折し,続く筋を右折して200mほど進むとトヨタ博物館の西側入口に到着します。









 トヨタ博物館はトヨタ自動車が運営する自動車に関する博物館で,平成元年(1989年)にトヨタ自動車50周年記念の一環としてオープンしました。建物はクルマ館と文化館の大きく2つに分かれており,クルマ館では2階・3階を中心に,トヨタ車に限らず自動車の黎明期から20世紀にいたるまでの各メーカーの自動車が体系的に展示してあり,自動車の発展や時代背景などがわかりやすく理解できるようになっています。また多くの自動車が動態展示になっているといい,イベントなどの際には実際に動かされることもあるといい,車好きにはお薦めの博物館になっています。





 また,文化館の2階は企画展示が行われるスペースがあり,隣接して車に関連する様々な展示が行われ,車を通して近現代の歴史を学ぶことができる「クルマ文化資料室」が平成31年(2019年)にオープンしました。文化館1階にはミュージアムショップやカフェも設けられており,じっくり時間をかけてめぐりたい施設です。

ゴール:リニモ・芸大通駅





 トヨタ博物館から案内板にしたがって東側の出口に出たところには「トヨタ博物館前」交差点があります。ここを横断歩道を渡ってから左折すると,やがてゴールのリニモ・芸大通駅が見えてきます。ここからリニモに乗車して,藤が丘駅まで4駅9分で戻ることができます。本数は8分に1本程度運転されているので,アクセスは便利です。地下鉄東山線に乗り換えて名古屋駅に戻る場合は,約55分の時間を見込んでおけばいいでしょう。



写真使用数:53

←前:杁ヶ池公園コース / 愛知県長久手市 / 次:前熊コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>