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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県江南市:江南西コースKONAN WEST

2017年12月探訪。2017年12月7日作成

【コース】 距離:約9.7km
 江南駅西側の社寺や名所をめぐって,江南市随一の文化財の宝庫である曼荼羅寺を目指します。中心部から農村地帯まで多彩な風景の道です。

≪コース≫ 名鉄・江南駅〜泉徳寺〜報光寺〜師長院〜古知野神社〜小野寺〜天然寺〜滝学園〜天宮神社〜東野神社〜真成寺〜浄恩寺〜大宝院〜(前飛保)白山社〜上宮寺〜曼荼羅寺・曼陀羅寺公園〜光徳寺〜名鉄バス・市民体育会館バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄犬山線・江南駅



 前コースと同じく,市の中心駅である江南駅がスタートです。特急以下のすべての列車が停車し,名鉄名古屋駅から特急で約18分,急行・準急で約22分です。特急・急行・準急がそれぞれ30分ごとに運転されています。江南駅の西口から出てスタートしましょう。

泉徳寺
古知野町広見95





 江南駅西口から北方向に進んで,時計のある商店街の入り口を北上します。この付近は飲食店が並ぶ繁華街となっていますが,その途中には地元の嫁見まつりにちなんで考案された嫁見餅が販売されています。



 先にある「古知野朝日」交差点を左折して100m弱進んだ右手に市神社があります。度重なる洪水や火災で被害を受けて創建は不詳ですが,文化13年(1816年)に再建されたという記録があって,長い間信仰されたといいます。





 その右側の筋を進んでいくと正面に泉徳寺(真宗大谷派)があります。弘誓山と号し,文明2年(1470年)に蓮如上人の弟子の浄信坊が創建したといいます。慶安2年(1649年)に現在の寺号に改められました。本堂は文化11年(1814年)の再建で,市内でも古い建物といいます。

報光寺
古知野町本郷113





 泉徳寺の左側の筋に出て横断歩道を渡り50mほど進むと報光寺(真宗大谷派)があります。高雲山と号し,寺伝によると元天台宗で仁寿2年(852年)に慈覚大師を開基として創建され,鷲林山薬王寺と称したといいます。その後廃寺となりますが,鎌倉時代に親鸞聖人がこの地を訪れて人々を教化したために念仏の道場となり,嘉禎元年(1235年)に親鸞の相続を受けた性信坊が寺を再建しました。その際に東京浅草の高龍山報恩寺の頭文字をとって現在の寺号に改められました。入口にそびえる山門[市文化]は,明治9年(1876年)に小牧三ツ渕の正眼寺から買い受けて移築したものといい,中央に楼門を持つ総桧造りの壮大なものです。楼内の二層内部には釈迦三尊像がまつられているといいます。



 山門をくぐると西方浄土に至るという白道をイメージした本堂への道が続き,その先の本堂[国登録]は安政元年(1855年)建立で,桁行22mに及ぶ立派なものです。江戸末期の大型真宗本堂の形式を伝えるものとして貴重で,中には本尊の阿弥陀如来がまつられています。

師長院
古知野町久保見84



 報光寺の南側の出口から出て右手に進み,3本目の新町通りを左折します。この付近は新町通商店街になっており,昔ながらの建物が残ります。





 続く筋を右折して350mほど進むと右手に師長院(西山浄土宗)があります。信貴山と号し,大正12年(1923年)に旧古知野21大師の第16番札所の弘法堂として開創され,同じ年に奈良信貴山から毘沙門天を勧請して聖徳太子と弘法大師の像をまつったといいます。昭和2年(1947年)に師長院を曼陀羅寺の末寺として創建したといいます。

古知野神社
古知野町宮裏201





 師長院から100mほど進んだ右手に古知野神社があります。古知野村にはかつて,ともに延徳元年(1489年)創建という神明社あるいは三明社と呼ばれた神社と,柳大明神あるいは熱田社と呼ばれた神社の2社があったといいます。大正2年(1913年)に三明社のあった位置に熱田社が合祀され,古知野神社と改称されてこの神社は生まれ,天照大神と日本武尊の2柱をまつっています。境内にはクスの大木が生い茂り,会館も設けられて結婚式なども行われ,地域の人々から信仰を受けています。





 古知野神社の先の十字路を左折して200m強進み,県道に突き当たったら右折して横断歩道を渡り,次の筋を左折して150mほど進むと右手に小野寺(西山浄土宗)があります。諦観山と号し,明治23年(1890年)に紀州の寺号を譲り受け,曼陀羅寺山内の廃寺であった岩松院の本尊を安置して建立したと伝わります。

天然寺
上奈良町栄144



 小野寺の先を右折して続く筋を左折し,200mほど進んで広い通りに突き当たったら左折して,その先の信号を右折します。300mほど進んだ6本目の筋を右折し,道なりに200mほど進んだ右手に本證寺(真宗大谷派)があります。太子山と号し,明治末期に村の真宗の信徒が建立したといい,本尊の阿弥陀如来のほかに聖徳太子像があるといいます。





 本證寺の先,祠のあるところを右折し,続く筋を道なりに左折してその先の県道を渡ると右手に天然寺(浄土宗西山禅林寺派)があります。龍興山開運院と号し,寛永20年(1643年)に曼陀羅寺30代の洞空による開基といい,明治初年に光明寺および禅林寺の末寺だったのが,同24年に禅林寺派になったといいます。本尊は阿弥陀如来で,末寺に文化14年(1817年)に開かれた法然寺が寺の南東にあるといいます。現在の堂宇は大正末期に整備されたといいます。



 天然寺から先の突当りを右折し,50mほど進んで道に合流したら100mほど進んで「止まれ」標識のある交差点を左折すると少し先の右手には平和堂江南店があります。大型のスーパーですので,休憩拠点としても活用できます。

滝学園
東野町米野1 [公式HP(外部リンク→)]



 平和堂江南店から水路を渡った先を右折して水路沿いに進むと「東野藤塚」交差点に到着します。この交差点の北側に滝学園の入り口があります。明治元年(1868年)にこの地に生まれ,実業家として成功した滝信四郎が大正15年(1926年)に設けた実業学校が前身になっており,現在は愛知県内でも屈指の中高一貫校の1つとしても知られます。



 入口の左側の細い筋を回り込んで学校の北側の門に進むと正面に本館[国登録]があります。開校当時からの伝統ある建物で,正面中央の時計塔が印象的です。この当時よく見られたというコンクリートと木造の混構造をしており,当時愛知県で活躍した建築家の村瀬国之助による設計といいます。



 本館前広場の東側には講堂[国登録]が立ちます。昭和8年(1933年)に竣工した鉄筋コンクリート造で約1000人が収容できるといい,入学式などの学校行事に使われています。建物の後方には2階建ての図書館[国登録]が併設され,戦後増築の典型例で戦後のモダニズムの特色がみられるといいます。2階の開架図書を中心に約55000冊の図書を収容しています。





 滝学園の北側の門から出て突当りを左折して50mほど進むと右手に天宮神社の入り口があります。棟札によると建久2年(1191年)の創建という古社で,元々は蛇宮神社といって病気その他の祈願のため日々参詣者が多かったといいます。

東野神社(神明社)
東野町河原68





 天宮神社の入り口からさらに西へ200mほど進んだ「東野」交差点を右折したところに東野神社があります。東野地区に3つあった神明社が合祀されて大正9年(1920年)に設けられ,翌10年に東野神社と改められて3社の天照大神が祀られています。旧3社の創建は不詳ですが,東の七社宮にあったという神社は式外社の烏森天神にあたる古社と伝わっています。毎年10月に行われる神事の際には,よほほい祭[市民俗]が行われます。これは飾り馬に唐子人形を乗せ,「よほほい,よほほい」と豊年の祝い歌をうたいながら町中を練り歩きます。祭りの起源はわかっていませんが,かつて豊作の年には穀物を東野村に集めて伊勢神宮に馬に乗せて奉納したといい,その際に祝い歌で見送ったという故事があり,天文年間(1532〜55)頃からと伝わっています。昭和47年(1972年)頃より行列は交通事情などによりいったん取りやめられましたが,地元の保存会などにより平成21年(2009年)から再び行われるようになりました。

真成寺
東野町河原69



 東野神社の右側の筋を奥に進んだ先に真成寺(真宗大谷派)があります。寺伝によると嘉禎元年(1235年)に前中納言藤原隆純の帰依により中島郡舟橋(現,岐阜県羽島市)に建立され,当初は東正坊と称しましたが天和3年(1683年)に真成寺に改めたといい,宝暦7年(1757年)に現在地に移転したといいます。名古屋聖徳寺(現,東区)の末寺といいます。

浄恩寺
島宮町郷内161





 真成寺から進んで次の分岐を左に進んで150mほど進み,突当りの1つ手前の筋を左折して100mほど進み次の筋を右折して道なりに50m進んで,突当りを右折し,さらに次の筋を左折したところに浄恩寺(真宗大谷派)があります。本誓山と号し,創立は不詳ですが往古は天台宗で,中島郡森上(現,稲沢市)の正琳寺の末寺だったといいます。弘治3年(1557年)に当時の住職の圓證が教如上人に帰依して真宗に改め,延宝5年(1677年)に浄恩寺と称しました。天保9年(1838年)に山号を賜り,現在の寺名になったといいます。

(島宮)八剱社
島宮町郷内122





 浄恩寺から50m強進んだ突当りを左折して100m弱進み,県道に突き当たったところの右手に(島宮)八剱社があります。創建は不詳ですが日本武尊をまつり,地域の人々に信仰されてきた神社です。境内には樹高20mに及ぶイチョウ[市天然]の大木があり神社のシンボルとなっています。雄樹のため実はならず,6mほどの高さから大枝が分かれて見事です。

大宝院
松竹町八幡153



 島宮八剱社の左側の筋を北上し,突当りを左折して続く筋を右折し,200mほど道なりに進んで「止まれ」標識のあるやや広い筋を左折して100mほど進むと大宝院(真言宗醍醐派)があります。如意山と号し,寺伝によると大宝2年(702年)の創建といい,この地方を支配した葉栗臣人麿の長子で松竹村を支配した松が枝麿によって創建されたといいます。この家系は戦国時代に織田信長に仕え,江戸時代は尾張家家老の成瀬家に仕えたといいます。不動明王が本尊で,病気平癒,交通安全などに御利益があるとされ,多くの参詣者が訪れるといいます。



 大宝院に隣接して七所社があります。寛平2年(890年)創建と言い伝わる古社で,尾張志に記載のある神明社と天神社が昭和2年(1927年)に合祀されたといいます。



 七所社の先2本目の「止まれ」標識のある筋を右折し,400mほど進むと龍泉寺(西山浄土宗)の入り口があります。建武年間(1334〜35)の創建といい,宝暦年間(1751〜64)以降は観音堂と呼ばれ、戦後再び龍泉寺と呼ばれるようになったといい、曼陀羅寺の末寺となっています。



 龍泉寺の入り口から進んだ先の突当りを右折し,さらに200mほど進んだ「西松竹」交差点を越えた次の筋を左折して4本目の筋を右折した先には浄念寺(西山浄土宗)があります。天明年間(1781〜88)の創建といい,寺の尼僧が地方の教化につとめたといわれています。明治26年(1893年)に説教所の認可を受け,昭和27年(1952年)に現寺号となりました。

(前飛保)白山神社
前飛保町西町72





 浄念寺400mほど進んだ横断歩道のあるT字路を左折し,道なりに350mほど進んで県道に突当る1つ手前の筋を左折した先に(前飛保)白山神社があります。創建は不詳ですが,白山の神が村長に「この地に飛び来って保護す」と神託したと伝わり,祠を建てたのが始まりといいます。その後,祠の前を前飛保,後ろを後飛保と呼ぶようになったと伝わっています。その後元徳元年(1328年)に曼荼羅寺が創建されて村は寺の領地となりました。村には白山社のほかに神明社と山神があったといいますが,現在は合祀されたと考えられています。

上宮寺
前飛保町寺町166





 白山神社の前から右手に進んでその先の県道を渡り,そのまま直進して続く突当りを左折すると100mほど先に上宮寺(真宗大谷派)があります。太子山と号し,創建は不詳ですが往古は天台宗の大刹だったといいます。貞応2年(1223年)に京都御所守護の北面の武士だった正慶法師がここの住職となり,三河にて親鸞聖人の帰依を受けて浄土真宗に改宗したといいます。本尊は阿弥陀如来で,南北朝〜室町作という聖徳太子二歳像[市文化],鎌倉末期作という聖徳太子十六歳像[市文化]が安置されています。このうち前者は尾張藩主の徳川宗春が参拝に訪れ,名古屋城に一時持ち帰ったと言い伝えられます。

曼陀羅寺・曼陀羅寺公園
前飛保町寺町202



 上宮寺から南方向に戻り,2本目の筋を左折すると,やがて曼陀羅寺(西山浄土宗)の境内に入っていきます。日輪山と号し,元徳元年(1329年)に後醍醐天皇の勅願寺として創建された江南市内随一の古刹です。開山は天真乗運で,後醍醐天皇の叔父にあたる人物といい,父の藤原師継の領地であったこの地に多くの伽藍を創建したといいます。当初は円福寺と称しましたが寛正3年(1462年)に現在の寺号になりました。寺域には8つの塔頭が現存し,さらに市によって曼陀羅寺公園として整備されて,特に藤の名所としても知られます。4〜5月の藤の時期は「藤まつり」が行われ、寺宝展も行われています。



 西側から入ってすぐ左手には慈光院があり,延元2年(1337年)に創建されて元々は後醍醐天皇の母の壇天門院が住んでいた場所だったといいます。本尊の木像釈迦如来立像[県文化]は鎌倉時代の作で,県内でも類例が少ない貴重なものといいます。また,室町末期の作と伝わり,かつて寺小屋だった時代に学問の仏として弟子たちに参拝させていたという紙本著色文殊菩薩像[市文化],1600年頃の製作といい平成元年に修理された紙本著色佛涅槃図[市文化]などの寺宝を有します。かつて荒廃した際に太閤秀吉から寄進を受け,その縁で赤門が許されたため,通称飛保の赤門寺と呼ばれます。



 その先の右手には霊鷲院があります。元徳2年(1330年)に創建され,かつては竹籠院と呼ばれたといいます。



 先の左手には曼陀羅堂[市文化]があります。弘化年間(1844〜48)の建立と比較的新しく,内陣に絹本著色浄土変相当麻曼陀羅[県文化]を収める厨子が設けられています。この曼陀羅図は奈良当麻寺の国宝当麻曼荼羅図の正確な模本の1つで,鎌倉時代末期の作といいます。曼陀羅寺の寺名の由来にもなった象徴ともいえるもので,25年ごとに御開帳が行われてきており,多くの参詣者を集めたといいます。







 さらに進んだ左手には正堂と裏手に続く書院[ともに国重文]があります。正堂は寺の中心となる建物で,本尊の阿弥陀三尊が安置されています。寛永9年(1632年)に阿波の大名である蜂須賀家政による寄進で建立されたもので,南北朝前期の紫宸殿を模した柱の配置をした類例のない貴重なもので,勅願寺としての風格を称えたものです。書院は文禄元年(1592年)の建立と伝わり,中は鷹の間,鶴の間など4つの部屋に仕切られているといいます。関ケ原の戦いの際は徳川方の池田輝政らがここで戦会議を行ったと伝わり,江戸時代には諸国を廻る巡見使がここで休憩したといいます。現在,正堂は屋根の葺き替え工事中で平成30年の秋に完成する予定です。正堂の左前には樹高13mにおよぶムク[市天然]がそびえ,中門の前のところにさらに2本あるといいます。書院に面した庭園は推定樹齢300年におよぶ高さ13mの彼岸桜[市天然]が見事です。寺宝として1234年に製作されたという朝鮮製の銅鐘[国重文]があり,秀吉による朝鮮の役の際に朝鮮から持ち帰ったものと考えられ,雨乞いの祈祷にも使われたといいます。中国における浄土宗の高僧である5僧がそれぞれ描かれた浄土五祖像[国重文]があり,京都嵯峨二尊院の五祖像を模写したもので,昭和47,48年に修理が行われて貴重な文化財になっています。他に絵画14点,工芸3点,書状20点,彫刻5点の市指定文化財を有し,江南市で最大の文化財の宝庫となっています。



 中門方向に進んだ左手には地蔵堂[県文化]があります。寛文8年(1668年)に再建され,文政10年(1827年)に現在地に移されたといいます。現在の曼陀羅堂が建てられるまでは寺宝の曼陀羅図が収められたといい,現在は檀天門院の御念持仏であった地蔵菩薩が安置されています。







 その奥には常照院,右手には光明院,寛立院の3つの塔頭があります。このうち寛立院は文亀2年(1502年)に創立し,阿弥陀如来を本尊として別名苔寺とも呼ばれるといいます。







 正堂の右手に進んでいくとさらに修造院,世尊院,本誓院の3つの塔頭があります。
修造院は明応8年(1497年)創建といい,現在は昭和48年(1973年)に再建された
鉄筋の建物です。寺紋に太閤桐がついていることから秀吉に関係が深い寺院と考えられています。世尊院は享禄5年(1532年)の創建といい,京都内外の風俗を描いた紙本著色京名所図絵屏風[県文化]を有します。本誓院は暦応元年(1338年)の創建といい,阿波城主の蜂須賀家政が幼いころにこの寺で習い,その縁で再建に携わったといいます。元々梅陽軒といいましたが享和元年(1801年)に本誓院に改められました。





 これらの塔頭の南には曼陀羅寺公園が整備されています。春には藤やボタンの名所として多くの人で賑わい,特に藤は早咲きから遅咲きまで長い期間にわたって楽しめるのが特徴といいます。

光徳寺
飛高町本町39



 曼陀羅寺公園の北東側の出口から出て右手に進み,県道に突き当たったら左折して,その先の「江南団地南」交差点を右折します。ここから先は江南市の健康の道をしばらく進みます。



 さらに続く筋を左折し,200mほどで広い筋に突き当たったら右折してその先の横断歩道を渡り,400mほど東に進んで広い筋に突き当たったら右折して,その先の「鈴道」交差点を越えた先の2本目の筋を右折すると,光徳寺(西山浄土宗)があります。飛高山と号し,明治26年(1893年)の創建といい曼陀羅寺塔頭慈光院の末寺です。当初は飛高説教所と呼ばれましたが,昭和17年(1942年)に現在の寺号となりました。





 光徳寺から北に戻って100m弱で(飛高)白山社があります。尾張徇行記によると寛永15年(1638年)の創建で,目の治療神として崇敬を受けたといい別名飛高のお宮とも呼ばれているといいます。





 白山神社の先2本目の筋を右折して200mほどで左手に般若川の調節池が広がります。特に冬には渡り鳥が多く訪れる場所として知られます。

ゴール:名鉄バス・市民体育会館バス停



 般若川調整池の先の川を渡ってすぐに左折し,2本目の筋を右折した先に「市民体育会館西口」交差点があり,ここを左折した先に市民体育会館バス停があります。名鉄バスを利用して江南駅まで約10分で行くことができます。本数は1時間に2本程度なので,時刻は調べてから利用した方がいいでしょう。時間と体力に余裕があれば,続く江南東コースにチャレンジしてもいいでしょう。

写真使用数:63

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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