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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県北名古屋市:西春北コースNISHIHARU NORTH

2015年5月探訪。2016年3月8日作成

【コース】 距離:約10.4km
 旧西春町北部の徳重・鍛冶ヶ一色・法成寺・北野地区などをめぐります。アートやショッピング,五条川の桜など様々な見所があるコースです。

名鉄・徳重名古屋芸大駅〜国霊神社〜生田神社〜十二所神社〜林證寺〜禅林寺〜雲太寺〜高塚古墳〜食のアウトレットモール北名古屋〜霊松寺〜神明社〜北名古屋市文化勤労会館〜徳円寺〜長福寺〜喰守社〜名鉄・徳重名古屋芸大駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄 徳重・名古屋芸大駅



 今回のスタートは名鉄犬山線の徳重・名古屋芸大駅です。普通列車のみの停車で,名鉄名古屋駅から犬山・岩倉行で20分程度,地下鉄鶴舞線経由でも伏見駅から20分ほどです。駅の西側に出てスタートします。

国霊神社
徳重米野113-1





 駅から西に400m弱進むと右手に国霊神社があります。創建は不詳ですが,「尾張志」によると本国帳に掲載される由緒ある神社であるといい,最古の棟札によると承応3年(1654年)の勧請といいます。木造瓦葺きの拝殿に木々が取り囲む落ち着いた雰囲気の神社で,徳重村の郷社として信仰を受けてきた様子が伝わります。本殿東側には,この地域で出土したという高さ180cmの大石があるといいます。

生田神社
徳重生田26



 国霊神社の右手の筋を100mほど進み,突当りを右折してさらに次の筋を左折すると正面に生田神社が見えてきます。平安時代の延喜式に「生田神社」とある式内社と考えられており,元々は右堤と呼ばれるここより北の地に鎮座していたといいます(なお,現在地に遷座した時期はわかっていません)。現在はコンクリート造の小さな神社で,祭神は稚姫命といいます。

十二所神社
徳重本郷201-1





 生田神社の前を来た方から見て左折して西に300mほど進むと「徳重」の交差点があるのでここを右折して,さらに1つ目の筋を左折すると50mほど先の右手に十二所神社があります。創建は不詳ですが,江戸時代以前の歴史があり,祭神は伊弉諾尊など12柱です。境内社に稲荷社,天神社,津島社があります。このうち稲荷社は付近の堤防が切れかかったが近村の人々が集まって事なきを得たことから,安政4年(1857年)に勧請されたもので,付近46村からのぼりが寄進されたといいます。また天神社はかつて西にあったものを大正10年(1921年)に現在地に移したものです。

林證寺
徳重本郷234





 十二所神社から150mほど進むと右手に林證寺(真宗大谷派)があります。生田山と号し,創建時期は不詳ですが,往古は天台宗で北の丹羽郡大山寺村(現岩倉市)にあったといいます。嘉禎2年(1236年)に当時の住職宗玄が親鸞聖人に帰依して真宗に改めたといい,その後武田家の家臣である生田主水が川中島の戦いの後に出家して光昌と名乗り,教如上人から林昌坊の名前をたまわったといいます。その後,寛永8年(1631年)には「生田林証寺」と呼ばれていたことがわかっており,寛文2年(1662年)に14世の妻が持参した土地という現在地に移されました。本堂は明治35年(1902年),庫裡は明治29年(1896年)頃の再建といい,立派な山門は昭和33年(1958年)に再建されたものといいます。本尊は恵心僧都作という阿弥陀如来立像で,秘蔵されている銅造阿弥陀如来立像[市文化]は熊となった阿弥陀如来を射た佐伯有頼が,立山に導かれて底から迎えたものといいます。左胸に有頼の弓によるものという傷があり,「矢疵いの阿弥陀」と呼ばれます。このほかにも同じく立山から迎えたという銅像立山懺悔観世音菩薩立像[市文化]も所有しています。

禅林寺
徳重本郷30





 林證寺から3本目の徳重公会堂の手前の筋を右折して100mほど進むと左手に禅林寺(曹洞宗)があります。亀遊山と号し,寺伝によると文明18年(1485年)(文安元年(1444年)という説もあり)に正眼寺(現小牧市)の末寺として建立され,当初は禅林庵といってここの南東の弥勒寺村にあったといいます。慶応3年(1867年)に禅林寺と改められ,明治24年(1891年)に濃尾地震で倒壊したため現在地に移されました。本尊は木造十一面観世音菩薩坐像で,かつて弥勒寺村にあった天台宗善能寺が廃寺になった際に残った仏像を安置したものといい,鎌倉時代の作といいます。他に木造阿弥陀如来坐像や東庭園の宝篋印塔のふた,山門の地蔵などは弥勒寺村にあった時代から伝わるものといいます。

雲太(うんたい)寺
鍛冶ヶ一色村内東121



 禅林寺から徳重公会堂の方に戻ります。公会堂の前には昔ながらの石仏と観音がまつられています。



 公会堂の先の筋を右折して西に100m強進んだ先の太い道を左折し,その先の信号を右折して200mほど進むと右手に八幡社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前といい,かつては八幡・天神・神明の3社が別々にまつられていましたが,現在は同じ境内に天神・神明の2社がまつられています。





 八幡社のところを左折して100mほど進むと雲太寺(曹洞宗)があります。天文18年(1549年)の草創といい,開山は名古屋万松寺の僧寂照で,開基は心窓安公といいます。その後,九之坪観昌寺などの法地開祖である岩倉龍潭寺23世の大鵬賢明(弘化4年(1847年)没)の代に法地になったといいます。本尊の木造阿弥陀如来立像[市文化]は,不規則な寄木造である江戸時代の作品で,珍しい6本指の仏像として知られ,ひざきりの本尊と言われています。かつては本堂が東を向いており,岩倉街道を侍が馬に乗って通るとき,馬も本尊の前で立ち止まって礼拝したという伝説があります。また寺宝の涅槃画像は元禄5年(1692年)にこの地に念仏講が行われていたことを示す裏書があります。境内の観音堂には,かつて赤池(現一宮市丹陽町赤池)にあったという木造薬師如来坐像が祀られています。

高塚古墳
鍛冶ヶ一色襟75



 雲太寺の右側の筋を200mほど進むと県道に突当ります。ここを右折して350mほど進むと五条川に突き当たります。ここを左折して岩倉川沿いを500m強進んでいきます。この付近は春の時期は川沿いの桜が見ものとなります。



 進んだ先の分岐を左奥方向に進み,突当りを左折した先に中島公園があります。五条川沿いに広がる広大な公園で,休憩地点として最適です。





 中島公園から南に進んで,次の筋を左折し,その先の信号を右折します。300mほど先に進むと高塚古墳[市史跡]があります。5世紀前半の築造という直径約40mの円墳で,墳丘南側に長さ2m,幅15mの造りだしという突出部があります。周囲に幅約10mの周溝があったといい,円筒埴輪や様々な形の形象埴輪が出土して,大和南部地域の関連がうかがわれるといいます。古墳上には素戔嗚尊を祭神とする天王社があり,10月に例祭が行われます。古墳上にイチョウなどの大木が茂り,パワースポットのムードがただよいます。

食のアウトレットモール北名古屋
法成寺ツナギ畑107-1 [公式HP(外部リンク)→]





 高塚古墳の先200mほどの突当りを左折し,次の筋を右折して300m弱進むと,左手に食のアウトレットモール北名古屋があります。北名古屋市内にある食品製造メーカー7社が集まって平成25年(2013年)にオープンした話題の最新スポットです。製造過程でどうしても生まれる型崩れ品や余剰品のお菓子などを破格の値段で販売する人気のスポットになっており,県外からも多くの人が訪れるようになりました。格安販売で宣伝効果も生まれ,メーカーの廃棄費用も節約でき,消費者にもうれしいモデルとして注目されている施設です。様々なイベントも開催され,地元の新鮮野菜を販売するなど,特に買い物好きには楽しい施設になっています。

霊松寺
北野天神35 [公式HP(外部リンク)→]





 来た方向から県道を右に曲がって西へ100mほど進み,次の信号を左折します。さらに300mほど先の7本目の筋を左折すると,少し先に霊松寺(曹洞宗)があります。天竜山と号し,創建は不詳ですが南北朝時代にさかのぼるといい,元々は薬師寺と呼ばれる真言宗の寺院で,開山は霊岳といいます。その後,天正年間(1573〜95)に再興され,慶長9年(1604年)に曹洞宗に改められて天松院と号します。その後,寛文12年(1672年)に下津村正眼寺(現,小牧市)の末寺となり,享保年間(1716〜36)に同寺の隠居所となったといい,寛政12年(1800年)に現在の霊松寺に改められました。なお,霊松の寺号は開山の霊岳と天松院の名前を1つずつとったと考えられています。本堂と庫裡は明治時代の再建といい,本尊は木造薬師如来坐像で両脇に日光・月光菩薩が安置されています。寺宝は鎌倉末期という絹本著色千手観音画像[市文化]などが知られています。境内には浅野長政公誕生地の碑があります。天文16年(1547年)にこの地に生まれて浅野家の養子になり,織田信長の家臣として仕え,のちに豊臣秀吉の家臣となり五奉行の筆頭として秀吉を支えました。門前西寄りにある天神社は慶長9年(1604年)に浅野長政が再建したものといいます。



 霊松寺の先を右折し,150m先の水路の先の道を左折して50mほど進むと左手に(北野)神明社があります。創建は不詳ですが,江戸時代以前からの歴史があるといい,最古で元文2年(1737年)造建の棟札が残されています。祭神は天照大神で,杉の大木がアクセントになっています。

北名古屋市文化勤労会館
法成寺蔵化60 [公式HP(外部リンク)→]



 (北野)天神社から500mほど,「文化勤労会館西」交差点を越えて進むと右手に北名古屋市文化勤労会館があります。754席を誇る大ホールを始めとするイベント施設や会議室などがあり,3階には図書館も併設する総合文化施設です。毎年の人形劇の祭典である北なごやパペットフェスタを代表として,様々なイベントが開催されます。



 勤労文化会館の南側には北名古屋市ジャンボプールがあります。スライダーや流水プールもある本格的な施設で,夏には近隣も含めて多くの人が訪れます。





 文化勤労会館の東側には,文化の森にしはる物語の広場があります。遊具などはありませんが,噴水などがあり,のんびり休憩することもできます。彫刻のある特徴的な時計がシンボルです。

徳円寺
法成寺八竜198 [公式HP(外部リンク)→]





 「文化勤労会館西」の交差点に戻り,そのまま右折して北に100mほど進むと左手に徳円寺(真宗大谷派)があります。八竜山と号し,その前身はこの地にあったという天台宗の法成寺という大寺といわれており,現在は地名として残されています。その後,小祠のみが残っていましたが,永正14年(1517年)に本願寺から開基仏の阿弥陀如来絵像が下され,僧法専により天台宗から浄土真宗に改宗されたといいます。本尊は木造阿弥陀如来立像で,延宝5年(1677年)に賜ったものといいます。かつて境内に八龍石と呼ばれる,かつてまつられていた八龍大王の御神体があったといいます。石を移そうとすると大雨が襲い,決して石を移すことができなかったと伝承されています。

長福寺
法成寺八竜217



 徳円寺からそのまま200m強北に進むと,右手に長福寺(曹洞宗)があります。神明山と号し,天文22年(1553年)の草創といい,住職は天室白(寛文13年(1673年)没)が開山であるといいます。現在の本堂は濃尾地震(明治24年(1891年))後に再建されたもので,本尊は木造薬師如来坐像です。本堂内東側壇上には銅像釈迦如来立像[市文化]が安置されているといい,これは小田井(現名古屋市西区)の加藤菊次郎が京都から移したもので,体長約83cm,鎌倉時代末期の作といいます。本堂内西側には一光三尊善光寺如来像があり,これは桶狭間村(現,名古屋市緑区)の長福寺の僧が1人2厘ずつ浄財を集める二厘講によって集まった資金で製作したもので,信州善光寺で開眼供養を行ったのちに当寺に安置されたものといいます。





 さらに北に150mほど進み,「法成寺」交差点の次の筋を左に曲がったところに八剱社があります。創建は不詳ですが江戸時代以前といい,江戸時代の記録では末社に神明社・熊野社・源太夫社・八龍社があったことが記されています。現在は一部が本殿に合祀され,末社は源太夫社と津島社です。境内はスギやヒノキの大木に覆われ,落ち着いたムードになっています。

名古屋芸術大学(西キャンパス)
徳重西沼65 [公式HP(外部リンク)→]



「法成寺」に戻り,そのまま左折して東へ500mほど進みます。ここの県道西春豊山線の付近はアートエリアロードといわれ,全20種類の彫刻が立ち並び,アートの街北名古屋を感じることができる道になっています。名古屋芸術大学の協力で作成された彫刻を楽しむガイドブックも市役所で配布されており,参考にするといいでしょう。



 信号を越えた先の筋を右折すると,名古屋芸術大学の西キャンパスの入り口になります。昭和45年(1970年)に設置された芸術系の私立大学で,この西キャンパスでは美術学部,デザイン学部の生徒たちが学んでおり,授業のあるときには若い学生たちで賑わいます。

喰守社
西之保犬井100



 名古屋芸術大学西キャンパスから250mほど直進して南下し,突当りを左折して次の筋を右折し,さらに100m強進んだ突当りを左折して,次の筋を右折すると,約50m先の右手に喰守社があります。棟札によると天保5年(1834年)に勧請されたといいます。祭神は喰守神と記されており,これは村人からオシャコジと呼ばれた古い時代からの民俗信仰の神と考えられており,けがすと祟りが起こるといいます。この地方でよく信仰の跡が残されているといい,石神の音読だともいわれています。



 喰守社の先,1つ先の交差点の右手には大井地蔵尊と呼ばれる地蔵があります。

弥勒寺天神社
弥勒寺東3-92



 喰守社から戻って次の筋を右折して東に進み,そのまま道なりに西春高校の右側の道を200m強進むと県道に突当ります。ここを左折して150mほど先の「西春高校前」交差点に進み,300m弱先の3つ目の筋を右折した50m強先に弥勒寺天神社があります。享保16年(1731年)造建の棟札がありますが,それ以前の建立と考えられ,祭神は菅原道真です。



 さらに100mほど進んで次の筋を左折し,さらにその先の筋を左折します。この筋は名古屋と岩倉・犬山方面とを結んだ岩倉街道で,昔ながらの旧街道のたたずまいを感じられます。岩倉付近で作られた農作物を名古屋の枇杷島の市場に運ぶ人たちで往時は大いに賑わったといいます。



 100mほど進んだ左手には三狐社があります。岩倉街道沿いに設けられた古い社で,これもオシャコジの信仰によるものと考えられています。

ゴール:名鉄 徳重・名古屋芸大駅

 そのまま岩倉街道を500mほど進んだ「米野」交差点を右折し,100mほど進むとスタート地点の徳重・名古屋芸大駅に戻ってきます。名古屋へ戻るには普通列車で約25分になります。

写真使用数:39

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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