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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県岩倉市:岩倉中央コースIWAKURA CENTRAL

2017年11月探訪。2017年11月16日作成

【コース】 距離:約7.3km
 市中心部の岩倉街道と五条川周辺を訪ねます。岩倉城跡の周辺に多くの歴史ある社寺があり,桜の名所の五条川に触れながらめぐっていきます。

≪コース≫ 名鉄・岩倉駅〜吉祥寺〜誓願寺〜稲荷社〜広福寺〜神清院〜曽野神明社〜竹林公園〜大圓寺〜懸明神社〜岩倉城跡〜神明生田神社〜神明大一社〜光昭寺〜徳岩院〜宝泉寺〜宝生寺〜新溝神社〜龍潭寺〜證法寺〜松栄寺〜名鉄・岩倉駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄犬山線・岩倉駅



 前コースと同じく,スタートは名鉄犬山線の岩倉駅です。名鉄名古屋駅から特急で約12分,急行・準急で約15分です。今回は岩倉駅の東口から出てスタートします。

吉祥寺
下本町下市場157



 岩倉駅東口からバスターミナル右奥方向の筋を東に向かい,100m強先で駐車場に突き当たったら右折します。この道は名古屋近郊の下小田井の市場から岩倉・江南・犬山を結んだ岩倉街道になります。尾張近郊の農産物を市場に運ぶ人々で大いに賑わったといいます。





 そのまま200mほど南に進んだ2本目の筋を右折すると吉祥寺(曹洞宗)があります。護国山と号し,北にある龍潭寺の末寺で,創建には諸説ありますが大永元年(1521年)頃といい,当初は宝蔵庵と称したといいます。天保10年(1939年)に現在の寺号になったといい,本尊は木造薬師如来坐像です。境内にある秋葉堂は火防の秋葉信仰の社としてこの地域で有名であり,毎年12月16日には火防と無病息災を願って火渡り行事が行われます。また,天保13年(1842年)から20年かけて写経したという「大般若波羅蜜多経」が所蔵されているといいます。



 岩倉街道に戻り,さらに南下します。途中には岩倉街道の道標が設けられています。



 岩倉街道の道標から150mほど南下すると左手に神明太一社の道標があります。

誓願寺
下本町下寺廻49





 神明太一社の道標のところを右折して西に進むと,100mほど先に誓願寺(浄土宗)があります。智徳山と号し,天文14年(1545年)に岩倉城主の織田信安の夫人であった秋悦院が,母の月静院の菩提を弔うために京都知恩院から僧を招いて創建したといいます。永禄2年(1559年)に岩倉城の落城の際に兵火で焼失しますが,すぐに再建されて延宝2年(1674年)には堂宇が拡張されて中興されるなど発展し,複数の末寺を持つまでになったといい,住職には尾張仏教界の重鎮として宗派を超えて活躍した人物もいたといいます。山門楼上の梵鐘は元禄12年(1699年)作のものでしたが,太平洋戦争中に供出され,昭和24年(1949年)に拓本を元に鋳刻されたもので,寺の歴史を今に伝えているものです。本堂横には岩倉城主の織田伊勢守信安夫妻墓[市史跡]があります。江戸時代前期に子孫の津田新十郎の菩提寺であった名古屋市の含笑寺に設けられましたが,戦後平和公園に移転する際に行方不明になり,その後発見されて昭和39年(1964年)にゆかりの誓願寺に移されたものです。



 境内には白山社が設けられ,武蔵坊弁慶の像が立てられています。

稲荷社
稲荷町稲荷西173



 誓願寺の西側から出て,道路を左方向に進んで300m弱南下すると,左手に稲荷社があります。創建は不詳ですが,近世初頭には岩倉羽根村の支村であるこの地にあったといい,この付近の稲荷町の名前の由来といいます。末社には神明社と津島社が祀られています。安永9年(1780年)銘の石灯籠や元禄10年(1697年)銘の棟札など古くからの歴史を物語る遺産があります。





 稲荷社の先,名鉄の線路の付近には藤島観音の道標があります。尾張西国4番札所の藤島山賢林寺への道しるべの道標です。かつてこの付近には名鉄の稲荷前駅が設けられていました。大正元年(1912年)に途中駅として設置され,昭和19年(1944年)に休止するまで利用されていました。現在も線路からの柵が離れているのが駅があった痕跡になります。

広福寺
稲荷町38





 稲荷社の先を東に進み,150mほど進んだ「稲荷町」の交差点を左折して岩倉街道に戻ると,すぐ左手に広福寺(浄土宗)があります。周光山と号し,寺伝によると永禄3年(1560年)に恵光尼によって設けられ,当初は来迎庵と呼ばれたといいます。慶長11年(1606年)に誓願寺4代の弟子という周光上人を開山として周光山広福寺と称したといい,かつては誓願寺の末寺でしたが,現在は京都知恩院の直末といいます。本尊は阿弥陀如来で,古くは元禄11年(1695年)の銘のある石地蔵尊なども祀られているといいます。

神清院
曽野町居屋敷2





 「稲荷町」交差点に戻り,さらに東へは250mほど進んだ「曽野町宮前」交差点を右折した先の右手に神清院(浄土宗)があります。創建は不詳ですが,古くから薬師如来を奉安した小堂があったといいます。元和元年(1615年)に広福寺の周光の徳に帰依して神清院として寺を設けたといい,宝周寺(名古屋市西区)の末寺といいます。本尊は阿弥陀如来で,嘉永6年(1853年)に松坂屋の伊藤次郎左衛門が寄進したという観経曼陀羅があるといいます。

曽野神明社
曽野町宮前1-2





 神清院の道路をはさんで反対側に曽野神明社があります。創建は古く天正12年(1578年)再建という棟札が残り,それ以前から鎮座していたといい,幕末期以前は飯縄権現社と称していたといいます。境内の本殿左手には智重社が祀られています。かつては村内の離れた場所にありましたが,現在は末社となっており,胎毒の神として遠方からも信仰を集めるといいます。かつて智重社に子どもが集まっていたずらをするので,戸締りを厳重にして子どもが寄り付けないようにしたところ,流行り病が襲い,天の声にしたがって祠の戸締りを外して子供が近づけるようにしたところ,流行り病が収まったという伝説があります。

竹林公園
大市場町郷前





 「曽野町宮前」交差点に戻り,東に100m進んだ分岐を左に進み,さらに100mほど進んで五条川を渡る橋の手前を左に入って進むと,竹林公園があります。五条川沿いに設けられた竹林が設けられた公園で,五条川の桜の眺めが見事です。特に春には多くの人が訪れて桜を楽しむといいます。



 竹林公園から南の五条川の橋のところに戻り,橋を渡って左折し五条川を左に見ながら進みます。すぐに尾北自然歩道の曽野休憩所があります。尾北自然歩道は犬山市の奥入鹿橋から岩倉市の希望の家まで全長27.11kmの自然歩道で,東海自然歩道の枝線になっています。特に五条川沿いの約20kmに及ぶ桜並木は圧巻で,日本のさくら100選にも選ばれています。この付近には弥生から平安時代にかけての遺跡である曽野遺跡があります。五条川周辺では弥生時代にかけての遺跡が約30も見つかっており,五条川の洪水によってもたらされた肥沃な大地が,この付近に発展した農耕文化を生んだと考えられています。曽野遺跡は昭和13年(1938年)にこの付近で岩倉川の改修工事が行われた際に多量の遺物が出土し,土器や石器などが採集されています。また,昭和22年(1947年)には五条川の川底から弥生後期の丹彩台付壺形土器が発見され,市の文化財に指定されています。

大圓寺
大市場町郷廻181





 曽野休憩所から300m強五条川沿いを北上し,次の橋の横の十字路を右折します。さらに100m弱進んだ突当りを左折すると,すぐ左手に大圓寺(曹洞宗)があります。円鏡山と号し,創建は不詳ですが15世紀初頭には建立しており,井上庄の地頭の職を得て繁栄したといいます。その後,岩倉に織田氏が進出したことによって廃寺となり,その跡地は北にある龍潭寺のものとなったと考えられています。その後,文化年間(1804年〜)頃に跡地に釈迦堂が建立され,文化6年(1809年)には堂守が居住して,龍潭寺の末寺として実質的な経営が始まったと考えられ,懸命神社の南東から現在地に移されたと考えられています。以後,代々尼僧により営まれ,昭和17年(1942年)に大圓寺と名前を復したといいます。本尊は釈迦牟尼仏で,阿弥陀如来も安置しているといいます。





 大圓寺の北には神明社があります。大市場の旧村落の小木市場の氏神として古くから信仰されたと考えられ,元禄8年(1695年)の石灯籠や元禄12年(1699年)の棟札が残ります。祭神は国常立尊ですが学問の神様である菅原道真も祀られて信仰を集めているといいます。

懸明神(あがたみょうじん)社
大市場町順喜1-1





 神明社から200m弱北上した先には懸明神社があります。大市場の旧村落の大円寺地区の氏神として信仰された神社といい,万治2年(1659年)の龍潭寺の文書に記載されている長谷大明神という神社がこの神社に当たるとも考えられています。長らく大円寺地区の氏子によって守られてきましたが,昭和56年(1981年)以降は南の神明社と同一の氏子となっています。祭神は大荒田神で,犬山市の大縣神社と同じといいます。境内には天保4年(1833年)の銘の石灯籠などがあるといいます。



 懸明神社から道路を渡って西方向に200m弱進むと,五条川に突き当たったところに尾北自然歩道の天神塚休憩所があります。ベンチが設けられ,春は桜も美しい場所ですので,休憩地点として活用できます。

岩倉城跡
下本町城址122





 天神塚休憩所から南にある橋を渡り,そのまま100m強西に進むと左手に岩倉城址[市史跡]があります。室町時代の中期に織田敏弘(または信安)により築城されたといい,岩倉織田家の居城として尾張北部の中心として栄えたといいます。記録によると「東の古川から水を引き,堀は二重で本丸,二の丸,馬場からなり,本丸天守に相当する建物は望楼を備えた平屋建てて,間口約39m,奥行き約42m,全部で17棟の建物があった」といいます。永禄元年(1558年)に織田信長によって岩倉織田氏は攻められ,浮野(現,一宮市千秋町)の戦いで敗れます。その翌年に,岩倉城も攻められて落城したといいます。発掘調査により多くの生活道具なども見つかっており,当時の様子を知る貴重な文化遺産となっています。現在,本丸跡には碑が設けられ,当時の城の様子が案内板に描かれており,往時が偲ばれます。



 岩倉城址の北には城跡の休憩所が設けられています。トイレもありますので休憩地点として活用しましょう。



 さらに北上したところにも社が設けられています。

神明生田神社
下本町下市場25



 岩倉城址の北の社の前から東に少し進んだ筋を左折し,100m強先の筋を左折して続く筋を右折した先には神明生田神社があります。岩倉城主の織田信安の家臣であった山内但馬守盛豊(山内一豊の父)が天文23年(1554年)に岩倉城内に創建したと伝わります。永禄2年(1559年)に岩倉城が落城したのちに,現在地より東の下本町真光寺に移転したといい,文化7年(1810年)に現在地に移転し,下市場地区の氏神として信仰されたといいます。現在は6つの境内末社がまつられ,保存樹もそびえるなど雰囲気ある空間になっています。



 境内には昭和9年(1934年)に建てられた山内一豊生誕地[市史跡]の碑が立てられています。大正8年(1919年)に発見された棟札が有力な証拠となり,この地が生誕地と認定されました。山内一豊は盛豊の2男として生まれ,岩倉城の落城で苅安賀(一宮市)の浅井新八郎政高のもとに身を寄せますが,のちに信長,秀吉に仕えて天正12年(1584年)に近江長浜城主に,その後遠州掛川城主となります。秀吉の死後は家康側につき,慶長5年(1600年)には土佐20万石の領主となって高知城を築城しました。



 神明生田神社の入り口から西に行ったところには下本町の山車[市民俗]の山車蔵があります。岩倉には大上市場,中本町,下本町の3台の山車がありますが,その中で最も古く寛永2年(1625年)に製作されたといいます。元々は神明太一社の祭礼の際に出されましたが,現在は桜まつりと山車夏祭りの年2回,町内を練り歩きからくり人形が披露されます。下本町の山車は「菅丞相」で,菅原道真と巫女が登場して道真が梅の枝を切るエピソードを演じます。





 神社の境内を抜けて五条川沿いに出たところにはまつり広場があります。五条川沿いの桜が見事で,桜まつりの際にはステージや露店などが出て賑わいます。ここから岩倉川を右に見ながら桜並木の下を進んでいきます。





 岩倉川沿いを150mほど進んだ2つ目の橋のところを左折し,100mほど進んで道なりに右折してさらに100mほど進むと,右手に大願寺(真宗大谷派)があります。当初は天台宗の庵だったといいますが,明和2年(1765年)に真宗大谷派の説教所となりました。昭和17年(1942年)に岩倉教会と改号され,最近になって大願寺となりました。

神明大一社
下本町下市場25







 大願寺から50m北上して「中本町」交差点を越えた先の左手には神明大一社の入り口があります。創建は不詳ですが,社伝によると平安時代の永久年間(1113〜18)に伊勢神宮を勧請して創建されたといい,岩倉城落城の際に炎上しますが,文禄4年(1595年)に再興されて,岩倉六ヶ村の惣氏神として奉祭されたといいます。江戸時代の慶長7年〜10年(1602〜05)に尾張藩主の松平忠吉が崇敬し,清須にあった中島宮を当社に移したといい,その後寛永16年(1639年)に再興。さらに寛政4年(1792年)に現在の境内を整えたといいます。江戸時代には大一宮,神明社など様々な呼ばれ方をしたようですが,明治5年(1872年)に現在の社号になったといいます。境内は駅に近いとは思えない静かな空間で,多くの境内社を持ち,厳かな雰囲気にさせてくれます。境内には中本町山車[市民俗]の山車蔵があります。山車は寛永3年(1626年)に作られたといい,他の山車と同じく名古屋型と犬山型が合わさった形になっています。水引は江戸時代後期の名古屋の画家である渡辺清によるといい,『那須与一』,『チリリ』2体,『ざいふり』の合計4体のからくりが備わっているといいます。



 神明大一社から岩倉街道を北上したところには,昔ながらののんぼり屋(鯉のぼり屋)[公式HP(外部リンク→)]があります。岩倉ののんぼり屋は400年以上の歴史を持つといい,現在も昔ながらの手作業で作られています。毎年春の桜の時期に五条川で鯉のぼりののりを洗い落とす「のんぼり洗い」は岩倉の春の風物詩となっています。



 さらに50m弱北上すると左手に地域交流センターくすのきの家があります。地域の人々の交流の場となっています。2階にある展示室には,市内の遺跡で発掘された埴輪や土器,岩倉城の発掘の際の写真,岩倉の3台の山車についての展示があり,岩倉の文化財について理解を深めることができるといいます。

光昭寺
中本町中北裏7





 くすのきの家から50mほど北上した次の十字路の左手に光昭寺(日蓮宗)があります。寺伝によると文政5年(1822年)に創建されたといい,当初は妙見堂と称し,高札場東南角にあったといいます。現在,寺のあったところが岩倉村の高札場で,文政11年(1828年)に現在地に移転したといい,昭和17年(1942年)に光昭寺と称したといいます。堂内には清正公や三十番神がまつられ,鬼子母神堂が附属するといい,創建前からの歴史を持つという古くからの法塔があります。

徳岩院
中本町中市場46-1



 光昭寺の交差点から南に戻って,1つめの筋を左折して東に進むと50mほど先に徳岩寺(曹洞宗)があります。心光山と号し,北西の龍潭寺の末寺です。元々龍潭寺が心光寺と称し存在していましたが,岩倉城主織田信安の時代に現在の地に移されたといいます。その後,心光寺を引きつぐ寺が残されましたが,のちに廃寺になったといいます。現在の徳岩院は下本町真光寺の地に再興され,現在の山梨県身延町にあった徳岩院を移転する形で法地を得て昭和15年(1940年)に現在地に移転しました。本尊は弘法大師作と伝わる十一面観世音菩薩で,境内には天保9年(1838年)創建という秋葉堂と,文化14年(1817年)銘のある石地蔵尊をまつる地蔵堂があります。また尾張七福神の大黒天がまつられ,多くの人が参拝に訪れます。またかつてはおみくじが有名だったといい,「慶応3年(1867年)吉祥寺」の銘のあるおみくじ箱が保管されているといいます。



 徳岩院から東に出て五条川沿いに来たところには千亀橋があります。桜の時期はもちろん,新緑や紅葉の時期も木目調の橋が映え,落ち着いた空間が広がります。

金剛寺
東町東市場屋敷24



 千亀橋から五条川沿いを北上して次の筋を右折して橋を渡り,約100m進んだ「東町(南)」交差点を左折してさらに100mほど進むと左手に金剛寺(真言宗高野山派)があります。高倉山と号し,大正5年(1916年)に高野山教会高倉支部として創建され,昭和17年(1942年)から現在の寺号になったといいます。本尊は大日如来で境内に千体地蔵堂があり,白髭稲荷大明神や白龍神社などが祀られ,元和元年(1681年)の銘のある地蔵尊があるといいます。「ナガセの弘法様」と呼ばれ広く地域の信仰を集めたといいます。

宝泉寺
東町東市場屋敷93





 金剛寺から50m北上した十字路を左折した先に宝泉寺(曹洞宗)があります。玉龍山と号し,龍潭寺の末寺です。『尾張徇行記』によると元和3年(1617年)祖陽による開山といい,天明・享和期(1781年〜)に伊藤次郎左衛門の浄財を受けて興隆したといいます。本尊は十一面観世音菩薩で,外に同じく大日如来があり,これは岩倉城主の織田家から鬼門除けの霊仏として受け入れたもので,雷除けの霊験があると伝えられています。本堂は明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊し,その後再建されたものです。





 宝泉寺から東の筋に戻って50mほど北上すると右手に東町神明社があります。創建は不詳ですが慶長19年(1614年)再建の棟札が残り,宝泉寺の住職が管理を行ったといいます。濃尾地震や伊勢湾台風で被害を受けましたが,昭和55年(1980年)に本殿などが修築されて現在に至ります。



 東町神明社の前の「東町」交差点から西へ200m弱進んだ五条川の川沿いに尾北自然歩道の東町休憩所があります。トイレも設けられておりウォーキングの中継地点として利用できます。春は川沿いの桜並木も見事です。

宝生寺
本町畑中9-3



 東町休憩所から西へ100mほど進むと右手に宝生寺(天台宗)があります。信貴山と号し,園城寺(三井寺,滋賀県大津市)の末寺で,大正14年(1925年)に設置され,昭和17年(1942年)に現在の寺号になったといいます。本尊は毘沙門天で奈良信貴山からの分身であり,尾張七福神の霊場に指定されています。境内には鎮守の福寿稲荷社や地蔵菩薩などがまつられ,落ち着いた雰囲気を出しています。

新溝神社
本町宮西1





 宝生寺から西へ100m進んだ突当りを左折し,50mほど先の筋を右折すると50m強先に新溝神社があります。創建は不詳ですが,江戸時代は今宮天王または今宮牛頭天王と呼ばれ,南西の龍潭寺の鎮守であったといいます。明治4年(1871年)にこの神社が式内社の新溝神社に当たると考えられたことから,現在の社名になりました。江戸時代の社殿改築の際に,巨石が地下から発見されてこの場所に古墳があったことが判明し,新溝古墳[市史跡]と名づけられました。出土された須恵器などから6世紀頃の築造と推定され,寛政4年(1792年)の神明太一宮鳥瞰図には立派な円墳が描かれているといいます。掘り出された巨石は神社の台石や末社の拝石になっているといいます。また,本殿右側に古墳を覆っていた巨石が磐座(いわくら)として祀られており,これは岩倉市の地名の由来ともいわれています。神社入り口右手には大上市場山車[市民俗]の山車蔵があります。江戸時代の寛永6年(1629年)に製作されたといい,水引は尾張藩御用絵師の山本梅逸の手によるといい,肩上倒立(2体)と乱杭渡り,ざいふりの合計4体のからくり人形があります。



 新溝神社の左側の道を北上して次の筋を左折し100mほど進むと右手に岩倉神社があります。昭和10年(1935年)に岩倉町招魂社として創建され,昭和22年(1947年)に岩倉神社と改称されて,日清・日露・太平洋戦争などで亡くなった市域の英霊がまつられています。境内には5月に白い花を咲かせるヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の木があります。

龍潭寺
本町北門前18





 岩倉神社の先,名鉄の線路に突き当たったら左折し,さらに突当りを左折し,続く筋を右折して線路沿いを進むと50mほど先に龍潭寺(曹洞宗)があります。建雲山と号し,赤津雲興寺(瀬戸市)の末寺です。永正2年(1505年)に岩倉城主の織田敏定が先祖の津田某のために建立したといい(ただし諸説あり),当初は心光寺と称したといい,現在の下本町真光寺に創建されたと考えられています。天文年代(1532〜55)に岩倉城主の織田信安によって現在地に移されたといい,現在は33もの末寺をもつこの付近の曹洞宗の中心寺院となっています。毎年11月25日の開山忌には末寺の住職が集まって昔ながらの法要が営まれます。本堂は明治24年(1891年)の濃尾地震後に小折(江南市)の久昌寺から古堂を移したものといい,市内でも歴史のある建造物です。本尊は阿弥陀如来で,十一面観世音も祀られ尾張33観音の第18番札所に指定され多くの参詣者が訪れます。

證法寺
本町宮東12



 龍潭寺から線路沿いに南下し,突当りを左折して150mほど進み,3本目の筋を左折した先に證法寺(真宗大谷派)があります。新溝山と号し,承久2年(1220年)に創建されて当初は天台宗または真言宗だったといいます。嘉禎元年(1235年)頃に親鸞聖人が関東からこの地に立ち寄り,この寺に一泊した際に教えを聞いた平松右京大夫祐信順誓が聖人に帰依して真宗に改めたといいます。盆の15日の夜に寺の灯が灯され大賑わいをするとき,なぜか蚊が一匹もいなかったことから無蚊寺と呼ばれるといいます。また境内には逆木のざくろがあり,これは諸国の親鸞聖人の旧跡を巡礼した際に用いたざくろの杖を庭に刺したら新芽が出たと伝わるもので,樹幹が大きく曲がったおもしろい木になっています。

松栄寺
本町上郷60





 證法寺から南に戻って,突き当たったら左折して東に少し進むと松栄寺(曹洞宗)があります。瑞雲山と号し,大永2年(1522年)に創建されたといい,龍潭寺の末寺の1つです。薬師堂と称したといいますが,文化15年(1818年)(ただし諸説あり)に松栄寺と称したといいます。本尊は十一面観音で鎮守に白山権現をまつり,境内の薬師堂には薬師如来がまつられています。また本堂東脇の石仏には「右いぬ山道 左あさい道」と刻まれ道標だったといいます。

サクランド岩倉
本町神明西







 松栄寺から50mほど進んだ一方通行の道を右折し300mほど南下すると右手にサクランド岩倉があります。再開発で平成21年(2009年)に竣工したビルで,1階がスーパーなどの商業施設,上層階がマンションになっています。2階は岩倉市の生涯学習センター[公式HP(外部リンク→)]になっており,研修室や会議室があって様々なイベントも開催されています。

ゴール:名鉄犬山線・岩倉駅



 サクランド岩倉から南に進むとスタートした岩倉駅の東口に戻ってきます。名鉄名古屋駅まで特急で約12分,急行・準急では約15分で戻ることができます。アクセスは便利なので,ゆっくりとウォーキングが可能です。

写真使用数:67

←前:大地遺跡コース / 愛知県岩倉市 / 次:石仏コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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