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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市西区:庄内緑地コースSHONAI GREEN PARK

2014年12月探訪。2015年2月26日作成/4月1日加筆
2015年9月22日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約8.2km
 中小田井駅から庄内川の北側の小田井・庄内緑地・大野木・比良の各地域をめぐります。古い街並みや緑地,庄内川の史跡など見所が多いです。

名鉄・中小田井駅〜善光寺別院願王寺〜東雲寺〜長善寺〜法源寺〜大聖院〜星神社〜庄内緑地〜薬師寺〜陽岳寺〜福昌寺〜大乃伎神社〜洗堰緑地〜蛇池公園〜光通寺〜西定寺〜六所神社〜市バス・比良バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・中小田井駅



 今回のスタートは,名鉄犬山線の中小田井駅です。名鉄名古屋駅からは岩倉・犬山方面行の普通列車で約10分です。普通列車のみの停車なので注意してください。

中小田井の町並み





 中小田井駅の北側に進んでいくと,線路の右手に岩倉街道と中小田井の町並みのスタートがあります。中小田井は平安時代頃から町があり,かつては洪水に悩まされた小さな村でしたが,江戸時代に名古屋城下から岩倉方面を結ぶ岩倉街道が開通してこの町を通ることになり,岩倉周辺でとれた野菜などを枇杷島で開かれた青物市場に運ぶためにこの道が使われ,生活必需品をここで買う人が増えたために商家が立ち並ぶようになったといいます。今でも古い民家が残っていて,名古屋市の町並み保存地区に指定されています。他の地区と違って観光地化されておらず静かな街道歩きが楽しめるのが魅力です。現在残っている建物は明治24年(1891年)の濃尾地震以降に建てられたものが中心です。切妻造や出格子の商家が約300m並び,庄内川の洪水に備えたつくりになっている建物も多いです。色々な家をじっくり楽しみましょう。

善光寺別院願王寺
中小田井1-377 [公式HP(外部リンク)→]



 そのまま町並みを250mほど進むと左手に善光寺別院願王寺(天台宗)があります。明(妙)光山松寿院と号し,創建は天長6年(829年)といわれる古寺で,当時疫病が流行したため越州の澄純法師が寺を建て、慈覚大師の自作という薬師如来を安置して疫病の治療を行ったのが始まりと言います。中世は妙光山藤林坊または松寿院長奥寺と称されたといい,天正元年(1573年),小田井城主の織田又八郎が城の鬼門除けの祈願寺として伽藍を整備しました。明治42年(1909年)に善照院伏雷法師が夢でお告げを受けて信州の善光寺から御分身の如来を勧請し,昭和5年(1930年)に如来堂を建立し,以降は善光寺別院願王寺として地域に親しまれています。山門は中小田井が町並み保存地区に指定された昭和62年(1987年)完成したもので,金剛力士がお出迎えしてくれます。





 山門の周辺にはガルダ像など異国情緒あふれる様々な像があり目を楽しませてくれます。また,境内にあるへちま薬師堂は,この寺に安置してある通称へちま薬師が安置してあり毎年旧暦8月15日の大祭日および毎月8日に加持祈祷が行われ,ぜんそくや咳予防に効果があるとのことです。また,江戸天保年間(1830〜44)に建設された旧平手家を移築して書院として用いている明光閣も見どころです。本堂は昭和52年(1978年)竣工のガラス張りのモダンな建物で,日本建築学会賞を受賞しています。寺宝として小田井城主の伝織田又六画像[県文化・名古屋市博物館寄託]刺繍涅槃画像[市文化]などの文化財も所有しています。

五所社
中小田井1-318





 願王寺からさらに町並みを約50m進むと,五所社があります。5つのお社をまつったため五所社と呼ばれ,中小田井の地域の氏神になっています。創建は明らかではないですが,天文14年(1545年)に小田井城主・織田藤左衛門寛経が修造遷宮したといい,江戸時代の尾張名所図解にも登場しました。寺宝には弘法大師作と伝えられる木仏があります。昔の岩倉街道の旅人をずっと見守ってきた威厳が伝わります。

東雲寺
中小田井1-331





 五所社から約100m戻り,史跡散策路の案内板にしたがって右折します。道なりに進んで幼稚園の前の道を通り,その先を右折して道なりにさらに60m進むと,東雲寺(臨済宗妙心寺派)に到着します。竜光山と号し,寺伝によると明応元年(1492年)の創建といい、当時の小田井城の城主の織田常寛によって開基され,当初は長興寺といいました。境内には彼の墓があるほか,宝永2年(1705年)に建てられた,現在にも古武術として伝わっている尾張貫流槍術の祖津田権之丞信之夫妻の墓や、織田信長の家老で信長の奇行をいさめるために自殺したといわれる平手政秀の首塚があります。また境内にサルスベリの古木があり,風情に彩りを添えています。

長善寺
上小田井1-259





 東雲寺から来た道を戻った1つ目の右の入る細い道に進みます。約50m進んだ突き当りを左に曲がり,道なりに約100m進んだ3つ目の山田ハイツのところの交差点を右に曲がると約50mで長善寺(真宗大谷派)があります。放光山と号し,創建は不詳ですが,天文8年(1539年)に心養坊として建立され,正保4年(1647年)に現在の寺号にしたという記録があります。もともと西区の比良にあり,比良城主の佐々成政の菩提寺でしたが,洪水の被害にあって現在地に移転しました。現在は,比良城跡にある光通寺が成政を弔っています。また,境内には美濃城主の茶人高田太郎庵良斎の墓があります。

法源寺
上小田井1-269





 長善寺の前の道を右に曲がり,次の突き当りを左に曲がるとすぐに法源寺(臨済宗妙心寺派)があります。江北山と号し,寺伝によると文安2年(1445年)創始といわれますが,法源寺としての創建は天正23年(1554年)で,開基は織田信長の妹で津田又三郎(織田信張)の母ある陽徳院です。のち,寛文12年(1672年)に尾張藩祖義直の二の丸貞松院の子である北潭和尚が再興したため,特別に寺紋に三つ葉葵を許されているといいます。寺宝には福島正則が寄進したという槍があるといいます。

大聖院
上小田井1-120



 法源寺の前の道をさらに約50m進んで寺から最初の交差点を左折し,さらに50mほど進んだやや広い道との交差点を右折すると,赤い社の隣に大聖院(真言宗豊山派)があります。慈眼山と号し,天文18年(1549年)に小田井初代城主の織田常寛の孫にあたる織田信張が祈願所として創建し,城内護持仏堂にあり,弘法大師作と伝わる本尊の地蔵菩薩を招請したと伝わります。当初は池冷山大宝坊と称しましたが,元禄6年(1693年)に大聖院と改めました。



 大聖院を越えた先の左に入る道を進み,次の路地を右に進むと,すぐに諏訪社があります。長野県の諏訪大社を勧請したもので,創建は不明ですが,地域の守り神としての役割をずっと持っているようです。また,大聖院を越えた左に進んだ地点に戻り,さらに東に進んで次の路地を右に入り約50強進んだ庄内川堤防のたもとにお地蔵さんがまつられています。交通の安全や庄内川の水難の守り神となっているのでしょう。

星神社
上小田井1-172 [公式HP(外部リンク)→]







 そのまま右に曲がり,庄内川堤防のたもとに沿って約100m進むと星神社があります。創建は不詳ですが,平安時代の延喜式にある「山田郡坂庭神社」と考えられている古社で,弘安3年(1280年)に戦火で宮が燃えましたが,南北朝時代の暦応4年(1341年)に右近中将藤原朝臣実秋という人物が再興しました。ここの城主だった織(小)田又六が,この地に井戸を設けたため,坂庭神社の坂をとって坂井戸という地名がつけられ,小田の井戸が設けられたことから,小田井という地名が生まれたと考えられています。旧暦の7月7日(現在は8月7日)に行われる七夕祭りは,古くは仁和年中(885〜889)から行われているといい,庄内川を天の川に見立てて盛大に行われます。古くは祭りの際に,祭庭に酒を注いだことから,神社の名前が酒庭神社となり,転じて坂庭神社になったと伝えられています。また,北区の田幡村にあった多奈波太神社との七夕伝説の舞台になった神社でもあります(詳しくは北区の志賀コース参照)。



 鳥居手前の庄内川の堤防斜面には,名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件になっているムクノキがあります。3本の木があるうち,最大のものは幹周囲4m,高さ18mにも及ぶ巨木で,落ち着いた自然豊かな雰囲気を出しています。

庄内緑地
山田町上小田井字敷地3527 [公式HP(外部リンク)→]







 星神社の入口からまっすぐ堤防を上がる方向に進むと,庄内緑地の入口になります。昭和61年(1986年)に「水と緑と太陽」をテーマに開園した44ha(整備済は約40ha)にも及ぶ公園で,四季折々の自然を楽しめるほか,サイクリングコース,陸上競技場などのスポーツ施設も備えています。また敷地は庄内川の小田井遊水地になっており,豪雨の際などに水をためて洪水を防ぐ役割も果たしています。堤防から下りていくと,やがてサイクリングコースに合流するので,このサイクリングコースをぐるっと回ってめぐりましょう。まず,コースを右手に進み続く分岐点を左に進むと,右手にピクニック広場とボート池があります。ピクニック広場ではキャンプを楽しむグループが多いです。さらに先に進むと左手にバラ園があり,春と秋のバラシーズンには賑わいます。その先の花木園では,春の桜をはじめ季節の草木が楽しめます。また,ここからボート池の南に広がる菜の花畑と桜のコントラストは庄内緑地の名物になっています。サイクリングコースの左手に進み花木園を抜けて行くと,左手に3.5haの市内有数の広大な芝生広場が広がり,市民が思い思いの時間を過ごします。



 大噴水を越えて橋を渡ると,緑地の拠点施設のグリーンプラザがあります。ここでは室内広場のほか,様々な催しが行われるイベントスペースがあり積極的に利用されています。ゆっくりと時間を過ごすには最適の場所になっています。



 グリーンプラザから階段を下りると地下鉄庄内緑地公園駅の2番出口があります。ここで右に曲り,約100m先の「坂井戸」の交差点に向かいます。

薬師寺
坂井戸町8



「坂井戸」の交差点で横断歩道を渡って東側に出て,そのまま庄内川の方に約200m進むと「庄内川橋北」交差点になります。この付近からは庄内川の雄大な眺めが楽します。かつては対岸と稲生の渡しで結ばれていました。



 「庄内川橋北」交差点で左折して,すぐに左側の階段を下りると津島神社があります。祭神の建速須佐之男命は農業の神,疫病退散の神として知られます。



 津島神社からさらに進むと,薬師寺(曹洞宗)があります。中区永安寺から勧請を受けて開山し,明治10年(1877年)に薬師堂を開設,昭和17年(1942年)に薬師寺と改称されました。本尊は薬師如来で,通称腹ごもり如来と呼ばれています。また,この付近はかつて坂井戸城という城があったことで知られます。

陽岳寺
大野木1-236





 津島神社の階段から右方向に約50m進み,交差点を堤防沿いの道に入り,道なりに100m進んだ交差点を右に進み,さらに150m道なりに進むと左手に陽岳寺(曹洞宗)があります。創建は室町時代といい,もとは鎮東山と号していましたが,明和5年(1768年)に現在の玉竜山となりました。本堂は平成19年(2007年)に竣工した新しいもので,濃尾地震で倒壊し,仮本堂で85年間しのいでの念願の本堂になります。本堂の横にある昭和15年(1940年)再建という観音堂には,仏師藤原光永作という聖観音像があり,大永2年(1522年)に一部修補されたといいます。その他,秋葉三尺坊などと合祀された不動堂には「足止め不動尊」といわれる不動明王があり,これは像を盗もうとした盗人が,突然堤防下に倒れていたという言い伝えからこのような名前になったといいます。

福昌寺
大野木2-138







 来た道をさらに道なりに150m進み,陽岳寺から数えて3つ目の交差点を右折するとすぐに福昌寺(曹洞宗)の入口があります。天正4年(1576年),塙右近による開基と伝わっていますが,諸説あり,永正6年(1509年)に大野木六所神明社にて恵心僧都作と伝わる本尊の阿弥陀如来と,行基作と伝わる脇仏の地蔵菩薩,観音菩薩を祀っていた塙宗悦が,本寺を分離して茂林山福昌寺と称して自分の屋敷(大野木城と呼ばれた)があったこの地に祀ったのが始まりといいます。その後,享保2年に現在の宝淋山と改称したといいます。正徳2年(1712年),もともとは庄内川堤岸にあった寺を度重なる水害のために現在地に移しました。永享年中(1429〜41)に秋葉の三尺坊が火防の秘法1巻を寺にもたらし,南に飛び去ったと言い,その飛び去った途中に立ち寄ったのが熱田の円通寺といわれています。この秋葉三尺坊の功によって,文久年中(1861〜64)に藩主より両掛一荷が贈与されたといい,そのいわれから毎年12月19日に大まつりの仏事が行われています。

大乃伎神社
大野木2-233





 福昌寺の前の道からさらに50m進んで突き当りを右に進み,さらに次の突き当りを左に進むと,大乃伎神社があります。『延喜式神明帳』にも明記されている古社で,名古屋の北方鎮護の社として信仰を集め,俗に六所明神とも呼ばれました。本殿は天和元年(1681年)に重修といわれ,宝物には尾張12代藩主徳川斉荘の夫人貞槙院が病気全快の際に奉納した狛犬や,宝永元年(1704年)実施の神殿屋根葺き替え工事で用いた儀式用木槌などがあります。氏子は大野木の六集落といわれる6つの集落から奉仕していました。現在も7月第2日曜日に夏祭りが,なごや祭りに合わせて秋の例祭が行われます。大野木の地名の由来は定かではありませんが,かつてこの地に稲生の渡しがあった際,堤防に見える大木が目印になったことが由来とも言われます。この南の庄内川の堤防は大野木堤と呼ばれ,天明3年(1783年)に河川氾濫が合った際に藩主の宗睦が熱田神宮に祈願し,災害を免れたと言います。これに村人がいたく感動し,自ら堤の修復普請を願い出て,冥加普請と言われました。これにより大野木堤も高くなり,伊吹山から養老山地,三河山地が一望できる景勝の地となりました。



 境内の本殿右側にはボダイジュ[市天然]があります。樹高13m,基部の全長が2.85mに及んでボダイジュとしては大木であり,昭和11年(1936年)に土盛をしたため4本に見えますが,本来は一株と考えられています。宝暦2年(1752年)の『張州府志』にこのボダイジュの記載があり,「尾張名所図絵」に「境内に菩提樹の大木ありしが今枯れて,ヒコバエのみ残れり」と書かれている木だと考えられています。なお,ボダイジュはシナノキ科の中国原産の植物で,釈迦と関連するインドボダイジュ(クワ科)とは別種になります。

山西用水
大野木3および大野木4





 大乃伎神社の左側を道なりに300m強進むと,山西用水の遊歩道に到着します。ここを右折して,遊歩道を東へ進んでいきます。山西用水は庄内川を用水源として,現在の名古屋市や清須市を潤している農業用水です。旧山田村と旧西枇杷島町の頭文字をとって名付けられました。昭和31年(1956年)に完成し農業用水として活躍しましたが,その後,遊歩道として整備されました。元水路なので,真ん中に遊歩道がある珍しい構造です。約550mこの歩道を進んでいきます。

洗堰緑地
山田町大野木 および 北区楠町如意





 山西用水の遊歩道の終点から庄内川の堤防に上った先に,洗堰緑地があります。庄内川から新川へと続くこの洗堰は,洪水が続く庄内川の堤防決壊を防ぐために,藩主徳川宗睦の命を受けた水野士惇を普請奉行として,天明7年(1787年)に新川が開削された際に設けられたものです。庄内川の北堤を長さ40間(約72m)にかけて半分の高さに切り下げ,洪水の際に庄内川から新川に水が流れるようにしました。堤を半分に切り下げたため,五合目洗堰ともいわれ,これ以降庄内川は堤が切れることはなくなったといい,水野の功績をたたえて北名古屋市の新川の堤防上には水野をたたえた治水碑があり,北名古屋市の指定文化財にもなっています。明治時代以降も改修されて長らく用いられていましたが,2000年の東海豪雨の際には洗堰を水が乗り越えて新川に流れ込み,新川の堤防が決壊して流域に大きな被害をもたらしたことから,翌年から実施された対策工事で洗堰が1mかさ上げされ,掘り下げて遊水地としての機能を強化したほか,野球場などの整備が行われました。将来的には庄内川と新川の河川整備がすすめば,洗堰は締め切られることになりそうです。洗堰緑地の東側には明治期に建てられた洗堰改修碑があります。江戸・明治そして現在と人々が洪水に悩まされ,水と戦ってきた歴史を感じます。

蛇池
山田町比良 ほか







 洗堰緑地から北西側の堤防を上がって進むと,堤防左手に蛇池公園が見えてきます。堤防上から公園にかけては西区随一の桜の名所として知られ,蛇池千本桜として知られています。池の中央には蛇池という池があり,池の前には龍神社がまつられています。信長の時代の頃,この池で大蛇を見たという人がおり,信長が生け捕りにしようとして家来や付近の農民たちと水をかい出して探したが,見つからなかったといい,それ以降,この池は蛇池と呼ばれるようになったようです。その後,この付近で女が小蛇を助け,その女が死んだ後に蛇が竜神となって乳母となり,子どもを養育したという伝説があります。その伝説に基づいて,お櫃に赤飯を持って蛇に感謝するという櫃流しの神事が毎年第2日曜日に行われています。また,明治期の干ばつの際に,竜神によって被害がおさえられたという伝説もあり,竜神信仰が息づいています。



 蛇池公園から北に進むと東海交通事業城北線の比良駅があります。城北線は名古屋北部近郊を走る路線でありながら,1時間に1本程度の気動車のワンマン列車しかありません。元々国鉄瀬戸線として計画され,稲沢と勝川を結んで中央線を経由し瀬戸とを結ぶ路線の建設が始まりましたが,財政難で工事は中断。紆余曲折を経て平成3年(1991年)に開業しました。

光通寺
比良3-501







 比良駅を抜けてそのまま約100m進み,史跡散策路の案内にしたがって4つめの道を左に入ると,約100mで光通寺(曹洞宗)があります。長寿山と号し,岩倉の龍潭寺の和尚が寛永2年(1625年)に開山といいます。元々ここには織田信長の武将であった佐々成政の比良城があり,境内の墓地には,佐々成政の城址の碑があります。ここにあった比良城は天文年間(1532〜1555)に佐々成政の父の成宗が築いたもので,清須城を守る重要な城でしたが,その後,廃城になりました。佐々成政は織田信長の家臣として活躍し,越中国(富山)を与えられましたが,秀吉と争って領地を没収されます。しかし,その後は秀吉の部下として活躍し,最終的には肥後(熊本)の城主となりました。境内は六地蔵堂や,門前の石地蔵など多くの石仏が見られます。この石地蔵のうち一帯は元禄15年(1702年)の銘があります。また,境内に樹齢500年といわれる銀杏の大木があり,この寺のシンボルとなっています。



 光通寺の前の道から進んで道なりに左に進むと,比良祭の湯取神子車山車[市民俗]の倉庫があります。比良祭はこの先訪れる六所神社の例祭で,10月中旬の日曜日に行われます。2台はともに江戸時代後期の文政年間(1818〜30)に作られたといういわゆる名古屋型の山車で,からくりを乗せた豪華なものになっており,2年に一度,この北にある二福神車とともに引き出され町を練り歩きます。東照宮祭の湯取車(東区筒井町に現存のもの)と似たからくりを持っていることから,これを参考に作られたと考えられます。

西定寺
比良4-63



 山車倉庫の前の道を右に進み,次の交差点を右に進みます。そのまま道なりに約150メートル進んだ3つ目の左に入る道を進むと,少し進んだ先に西定寺(浄土宗)があります。永禄2年(1559年)の創建で,境内には秋葉堂があり,門外の道ぞいの地蔵堂には地蔵立像と馬頭観音が安置されています。



 そのまま進むと次の交差点に比良祭の二福神車山車[市民俗]の倉庫があります。先に訪れた湯取神子車山車とともに隔年の10月に地区内を練り歩きます。

六所神社
比良3-154





 そのまま約100m強進むと,左手に六所神社が見えてきます。比良祭はこの神社の例祭になり,毎年7月7日の天王祭でも神楽囃子の奉納が行われています。創建時期は不詳ですが,天文年間(1532〜1555)以前と考えられており,伊弉諾(いざなぎ)尊など6柱の神様がまつられているのが名前の由来と考えられます。境内末社のうち非多神社は大正8年(1919年)に合祀されたものですが,『延喜式』にも記載のある古い神社で,もとは比良の東の堤防上にあり,昼でも暗い杜だったといいます。境内には昭和56年に建立された比良土地区画整理組合の完成記念碑があります。

ゴール:市バス・比良バス停

 六所神社の手前から南に少し進んだところに比良バス停があり,名駅12系統が名古屋方面に約30分ごとで運行。山田巡回系統が上小田井方面に約1時間ごとの運行です。神社の奥のところにもう1つの比良バス停があり,こちらからは栄11系統が栄まで,小田11系統が上小田井駅までそれぞれ約30分ごとにバスが運行されています。



【再訪問】桜の庄内緑地と蛇池公園 [4/1追加掲載]

 3月末の桜の満開の時期に,庄内緑地公園と蛇池公園をめぐりました。桜の時期はこのコースはなおさら歩いて楽しいコースだということがわかりました。

庄内緑地の桜



 庄内緑地は入口から桜がお出迎えです。この時期は花も多く彩りを加えています。



 グリーンプラザ横のサクラは早咲きの物なのですが,この時期でも十分楽しめました。



 つばき園のつばきも,この時期は花がすばらしい。



 花木園は御花見客であふれていました。ソメイヨシノがメインですが,それ以外のサクラも楽しめるのがいいところですね。



 庄内緑地のサクラと言えば,菜の花畑とのコンビネーションで写真が掲載されることも多いです。奥にはサクラの他に白く色づいたコブシ類の木もあります。



 池と桜のコンビネーションです。散策していてのんびり感じられるところですね。





 コースでも歩くことになる北側の桜並木です。ここも御花見客が多く楽しんでいる家族連れなどで賑わっていました。

大野木の桜並木と洗堰・蛇池公園の桜



 大野木地区は,大野木四丁目の交差点付近から蛇池公園にかけて,桜並木が続いていて見ものです。



 大野木五丁目のバス停付近。桜を見ながらのんびりバスを待つのもありかも。





 洗堰緑地の堤防のサクラです。ここも御花見客で賑わっています。



 蛇池公園の様子です。こいのぼりが印象的です。ここには屋台も出ていて,御花見客で大変賑わっていました。









 公園中に桜が咲き乱れていて圧巻でした。

写真使用数:70

←前:稲生ヶ原コース / 名古屋市西区 / 次:平田コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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