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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市西区:円頓寺コースENDOJI

2014年12月探訪。2015年2月1日作成
2015年9月22日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約5.7km
 栄生駅からトヨタ産業技術記念館などものづくりの文化地区と,古くからの街並みが特徴の円頓寺周辺や四間道の町並み保存地区をめぐります。

名鉄・栄生駅〜トヨタ産業技術記念館〜ノリタケの森〜地蔵院〜菊水寺〜西願寺〜隅田神社〜明道町の菓子問屋街〜崇徳寺〜ナゴノスペース〜多賀宮〜円頓寺〜慶栄寺〜四間道の町並み〜浅間神社〜伊藤家住宅〜五条橋〜地下鉄・丸の内駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・栄生駅

 今回のスタートは名鉄の栄生駅です。名鉄名古屋駅から岐阜・犬山方面に乗車して1駅で,急行も停車します。栄生駅の南口から出てスタートします。市交通局のドニチエコきっぷなどは利用できないので注意しましょう。市バス利用の場合は,産業技術記念館まで観光ルートバスの「メーグル」を利用するのがいいでしょう。

トヨタ産業技術記念館 [有料施設]
則武新町4-1-35 [公式HP(外部リンク)→]





 栄生駅前南口の「栄生駅前」交差点から名鉄の名古屋駅方面に向かう線路の左側の道を約200m進むと,赤いレンガ作りが特徴のトヨタ産業技術記念館があります。この地は世界の紡績業・自動車産業に大きな影響を与えた豊田発祥の地です。明治29年(1896年)国産初の動力織機を完成させた豊田佐吉は,明治44年(1911年)にここに「豊田自動織布工場」を建設,当初は木造でしたが大正7年(1918年)にレンガ造りの建物に改築されました。建物を産業遺産として保存・活用することとトヨタグループの歴史を紹介するために1994年(平成6年)に開館しました。



 メインエントランスには明治39年(1906年)に佐吉が発明した環状織機が展示され,新しく独創的な発明がトヨタを発展させたイメージを体現しています。
 展示のメインは「繊維機械館」と「自動車館」に分かれています。繊維機械館は豊田佐吉が発明した自動織機などの機械が約90台展示されており,多くの機械が動態保存され,実際に動いている様子を見ることができるのが特徴です。紡績・織機の変遷を見ることができ,佐吉が発明した「G型自動織機」やコンピュータでカラーイメージを入力し,その通りに織ることができる最新の機械などが見所です。自動車館は豊田喜一郎によって始まったトヨタ自動車の黎明期から,1930年代の自動車製造の様子,トヨタ車の変遷や最新の技術などトヨタ自動車の歴史を学ぶことができます。トヨタ自動車は佐吉が設立した豊田の自動車部門を起源とし,昭和12年(1937年)に設立された歴史を持ち,今や世界的な大企業です。



 その他,自動車館の奥にある豊田自動織機製作所刈谷鉄工場を移築・再現して設けられた創造工房や子供向けの遊具やライブラリーがそろうテクノランドなどの体験型の企画も見どころです。



 館から出て東側の出口の前には1925年に建設された旧豊田紡績本社事務所を復元したトヨタグループ館があり,佐吉や喜一郎にゆかりの品々が展示されています。



 また,その南には佐吉が自動織機を発明するために作られた豊田商会の1905年(明治38年)に建設された豊田商会事務所の建物があります。元々中村区にあったものを1994(平成6年)に移築されました。このようなトヨタグループの源泉を知ることができることから,近年は外国人観光客にも人気です。

ノリタケの森 [一部有料施設]
則武新町3-1-36 [公式HP(外部リンク)→]



 トヨタ産業技術記念館の東側の出口から出て左に進み500mほど進むと右手にノリタケの森の北ゲートがあります。陶磁器の生産事業で海外にも名の知れたノリタケカンパニーによる施設で,平成13年(2001年)に本社に隣接する工場跡地に作られました。北ゲートから入るとまずは高さ8メートルの工場の煙突を模したモニュメントが出迎えてくれます。







 園内は多数の煉瓦造りの建物があり,散策に適しています。ノリタケカンパニーの元になる明治37年(1904年)に森村市左衛門によって設立された「森村組」の陶磁器製造のための工場で,日本の洋食器生産の歴史を今に伝えています。園内の施設としてノリタケの歴史や事業などについてビデオ映像で知ることができる2015年にリニューアルしたウェルカムセンターや,食器の製造工程を見学・体験ができるクラフトセンター,ノリタケの名品を鑑賞できるノリタケミュージアムなどの施設の他,陶磁器ショップやカフェ,レストランなども備えた複合施設になっており,ゆっくり時間をかけて楽しむことができます。



 南ゲートを出たところには,ノリタケの事務本館があります。昭和12年建築の印象的なビルで,名古屋市の認定地域建造物資産に認定されています。

地蔵院
菊井1-25-13



 ノリタケの森の北ゲートから東にある「西藪下」の交差点を左折して200m進むと右手に地蔵院(曹洞宗)があります。もと名駅3丁目にあり,道路拡張のため現在地に移転しました。ここの地蔵菩薩は夜泣き地蔵とか身代わり地蔵とか言われ,夜中地蔵の由来は,ある夜地蔵が突然いずこから移ったという伝説から,身代わり地蔵とは近くの東海道線の汽車みちで事故がよくあったため,事故が起こらないようにという由来があるということです。地蔵院の先にある桜木公園には馬頭観音があり,昔ながらの雰囲気を伝えています。

菊水寺(菊井観音)
菊井1-25-13



 桜木公園から2本先の筋を右に曲り,400m信号を越えて進むと左手に菊水寺(臨済宗妙心寺派)があります。慈眼山と号し,江戸時代に建立されました。この辺りには「菊(水)の井」と呼ばれるきれいな水が湧く泉があったことで知られ,これが西の菊井の地名の名前の由来になっています。境内には稲荷社や不動明王堂,昭和57年(1982年)に建立された水子地蔵像などがあります。

西願寺
新道1-15-7



 菊水寺の交差点を右折して,続く筋を左折すると左手に西願寺(真宗大谷派)があります。寶亀山と号し,もと中区丸の内の那古野神社にあって天台宗でしたが,文明年間(1469〜87)に西英なる者が改宗したと言います。幅下浅間町を経て元禄13年(1700年)に現在地に移転しました。戦災で鐘楼以外は焼失し,戦後建てられたものです。この付近も戦争の被害が大きかったことがうかがえます。

正覚寺
新道1-12-2



 西願寺の先の突き当りを右に進み,2つ目の交差点を右に進むと白い建物の正覚寺(真宗大谷派)があります。霊風山といい,もと春日井市勝川の松河戸付近にあり,大音院正覚寺という天台宗の寺院だったといいます。この位置にあったころ,藩祖義直が鷹狩りの途中に当寺で小休止した際に,鷹が松の木に逃げてしまい,その鷹を檀家の一人が縄を使ってとらえたために義直からいたくほめられ,以後「長縄」の姓を名乗ることが許されたといいます。現在でもこの付近には長縄や長尾の姓が多く,この分家と言われます。『尾張志』によると,正徳6年(1716年)に現在地に移り,元禄4年(1691年)に現在の宗派になったといいます。

隅田神社
幅下2-20-19



 正覚寺から右に曲る前に戻り,来た方から直進する方向に100m強進,コンビニの手前の交差点を左に曲がって100m進んだ「幅下1」の交差点を右折して,200m進むと隅田神社があります。元禄年間(1688〜1703)に,熱病の流行と村内で起きた火事をきっかけに疫病防止と安全祈願のために創建されました。文政8年(1825年),当初は農村であったこの地域に町屋が設けられましたが,低湿地で人家が追いやられたため隅田町と称したと言います。戦後は菓子問屋街が広がり,問屋街の中にある特徴的な神社になりました。
 隅田神社の1本南の筋を東に100mほど進むと,昔ながらの延命地蔵尊があります。この地蔵尊がこの地域を戦災から守ったと伝えられ,今でも地元の人達に大切にされています。

明道町の菓子問屋街
幅下2 および 新道2







 先に進んだ「明道町」の交差点を右に曲って1筋戻り西に進みます。この付近は明道町の菓子問屋街といい,駄菓子の問屋が立ち並んでいて,昭和の昔ながらの風景が残っています。江戸時代に下級武士が内職で駄菓子づくりをし,美濃路沿いで販売したことが始まりといい,その後,関東大震災の際は壊滅した首都に対して菓子の供給を担ってさらに発展しました。昭和40年代まで隆盛だった問屋街は少しずつ店の数を減らし,平成12年(2000年)には中心となっていた中京菓子玩具卸市場は閉鎖されてしまいましたが,今でも駄菓子メーカーの本社が集まっていて,全国の駄菓子の多くがここから出荷されているとのことです。一般客でも購入できる店も多いほか,工場見学ができる店もあるため観光客も見られます(ただし日曜祝日は休みの店が多いので注意)。

崇徳寺
新道2-15-18



 西に進んだ先300mの左手に崇徳寺(浄土宗)があります。万松山と号する京都知恩院の末寺で,慶応2年(1866年)創建という比較的新しいお寺です。甚目寺観音に流れ着いた阿弥陀如来像を本尊として,浅野萬蔵という人物が建立されたと伝わっています。延命長寿をかなえるという延命地蔵が境内にあります。



 崇徳寺の向かい側にある豆菓子豆福[公式HP(外部リンク)→]は,50種類以上の豆菓子を販売し,工業見学もできるとのことです。

金刀比羅神社
菊井2-3-10



 崇徳寺の西に進んだ「菊井町」交差点を渡り,北に100m進んだ左手に金刀比羅神社があります。寛政9年(1797年)に四国琴平より勧請され,文政年間(1818〜30)に悪疫が流行した際に,悪疫除けの信仰になったといいます。文政11年(1828年)に春日社を,慶応3年(1867年)に八幡社を周辺から合祀し,明治期,戦後にそれぞれ一時廃れましたが,その都度再興されました。

ナゴノスペース
名駅2-27-6 [公式HP(外部リンク)→]



 「菊井町」の交差点に戻り,南に進んだ歩道橋のある信号のところを越えて進むと右側に名古屋セントラルプライムタワーがあります。商業施設やオフィス・マンションなどで構成される23階建てのビルで2003年の名古屋市バスの那古野営業所の跡地を利用して建設されました。ビルの北には名古屋の電鉄発祥の地の煉瓦を模したモニュメントがあります。明治26年(1893年)に設立された愛知馬車鉄道が明治30年(1897年)に名古屋電気鉄道と変えて本社をこの地に移し,翌年笹島〜県庁前間2.1kmを開通させました。以前は,電車が走っていた当時の赤レンガが残されていたそうです。



 ビルの北側を奥に進むと,ものづくり文化の道の拠点施設となるナゴノスペースがあります。西区のこの付近は物を運ぶ堀川や,東海道と中山道を結ぶ美濃路が通るなど交通の要衝で,江戸時代は名古屋友禅や名古屋扇子,和凧などの産業が発達し,その後も豊田織布工場や日本陶器(のちのノリタケカンパニー)などの工場が進出し,明道寺の菓子も含めてものづくりの文化が息づいている地域となります。これらをまとめてものづくり文化の道として観光拠点として名古屋のものづくりを体感できるようになっています。その情報発信施設となっているナゴノスペースでは,関連した展示,交流スペースがあり様々なイベントが行われています。

円頓寺(えんどうじ)商店街
那古野1-13-1





 歩道橋のところに戻り東に進むと円頓寺本町商店街があります。この東には円頓寺商店街と商店街が続きます。東にある円頓寺や慶栄寺などの門前町として江戸時代から発達したと言われ,名古屋で最も古い商店街の1つと言われています。名古屋駅に近いことと,明治44年(1911年)に東側に名鉄瀬戸線の堀川駅,大正2年(1913年)に名古屋電気鉄道の江川線が開通したことから交通至便となり,また西側に豊田紡績などの工場もあったことから工場勤務者も含めて多くの人で賑わう商店街となりました。昭和30年代に名鉄と市電が廃止されて以降は衰退しましたが,その後懸命のアピールや「七夕まつり」などのイベントの開催,円頓寺を舞台とした映画の上映などが行われ,名古屋駅からの徒歩散歩コースとして再び注目を集めています。
 

多賀宮
那古野2-8





 アーケードのある商店街を進んでいくと,約150mで左手に多賀宮が見えてきます。アーケードの中にある珍しい神社です。滋賀県の多賀神社の分社で,創建年代は不詳ですが,江戸時代に清須越の際にはここに建てられたといわれています。祭神は伊邪那岐・伊邪那美ということで,延命と縁結びの神社になっています。境内には「おもかる石」があります。願い事をして,石が軽くなってくださいと念じて持ち上げ,軽くなっていれば願いが成就するといいます。または,重くなってくださいと念じて,重くなったら願いが成就するということです。また,携帯ストラップを奉納するところがあるのもおもしろいです。



 多賀宮から商店街を約100m進むと江川線を渡る横断歩道があります。なぜか水戸黄門や信長,秀吉,家康の人形がありますが,これは商店街の活性化のために寄贈された方がいるとのこと。横断歩道を渡ると円頓寺商店街に入ります。昔ながらの雰囲気が残る商店街で,2015年(平成27年)には 220mの新アーケードが完成し,昔のよさを残しつつ明るい雰囲気の商店街に生まれ変わりました。

円頓寺
那古野1-11-7 [公式HP(外部リンク)→]



 円頓寺商店街を50mほど進むと左手に商店街の名称の由来になっている円頓寺(日蓮宗)があります。長久山と号し,承応3年(1654年)に名古屋城築城の余材を拝借して建築されたといい,当初は普敬院と称していました。明暦2年(1656年)に京都北野の立本寺の末寺となって現在の寺号に改められました。享保9年(1724年)の大火までは現在の名古屋国際センター付近にありましたが,その後現在地に移されています。江戸時代は尾張徳川家の加持祈祷を行って縁を深め,発展したと言います。本堂脇の堂には同じく天守閣の棟木の余材で刻まれたという尾張藩初代藩主の徳川義直の側室が寄進したという鬼子母神像が知られており,毎年18日に公開されています。昭和20年(1945年)の戦災で山門を残して焼失したため,昭和28年(1953年)に本堂などが再建され,その後,平成16年までに本堂,玄関,庫裡などが立て替えられ,寺の雰囲気が一新されました。



 さらに少し進むと,左手に金刀比羅神社があります。祭神は大国主命,元々は名古屋城三の丸にあったものが,安政6年(1859年)に移されました。毎年10月10日にお祭りが行われ,名古屋弁のおみくじで最近話題になっています。

慶栄寺
那古野1-6-12



 さらに少し進むと,左手に慶栄寺(真宗大谷派)があります。阿原山と号し,もとは春日井郡阿原村(現清須市)に創建され(美濃で創建され,移転したとの説もある),その後現在の中区丸の内1丁目に移されました。元禄13年(1700年)の大火で全焼し,その後享保9年(1724年)の大火でも全焼したため,現在地に移転し寛保元年(1741年)に本堂が再建されました。現在の本堂は大正期の火災で焼失した後,大正12年(1923年)に再建されたものです。戦災からかろうじて逃れ,様々な文化財が残されています。境内にある太子堂は文化元年(1804年),奈良の元興寺の古材を用いて作られたといわれ,二畳台目の茶室には寺宝の聖徳太子像がまつられています。2009年に100年ぶりの大改修が終わり,通常は非公開ですが,年数回公開されているとのこと。同じ境内にある松濤庵という茶室は,京都の東山から移されたもので,銀閣寺の余材を利用したものです。

専修寺名古屋別院
那古野1-20-5 [公式HP(外部リンク)→]



 慶栄寺の前のT字路を南に進むとすぐに専修寺名古屋別院(真宗高田派)があります。高田山と号し,正保4年(1647年)に臨光山信行院として創建され,明暦3年(1657年)に現在地に移転し,元文4年(1739年)に高田本坊になったといいます。その後,三重県の真宗高田派専修寺の愛知における普及拠点として発展しました。昭和20年(1945年)の戦災で山門と鐘楼などを残して焼失しましたが,山門や鐘楼は江戸時代の名残を残したたたずまいになっています。

四間道(しけみち)の町並み
那古野1-34-3



 円頓寺商店街に戻り,東へ進んでアーケードの終わりの交差点で右折すると,四間道町並み保存地区が広がります。昔ながらの盛り土土蔵が立ち並び,名古屋市の町並み保存地区に指定されています。元禄13年(1700年)に発生した大火のあと,ここの道を約四間(約7メートル)に広げたことが名前の由来と言われます。古い町並みに調和したようにカフェやレストランが設けられており,名古屋駅から徒歩圏内で来られる観光地として有名になってきました。



 3筋目の道を右に入ったところの民家の屋根には屋根神が設けられています。屋根の上に祠を設ける習慣は名古屋独特のもので,かつてはこの地域の多くの民家に見られ,庶民信仰として普及していました。この屋根神は津島神社,秋葉神社,熱田神宮を祭神として,疫病や火災から守るために設けられたものです。



 屋根神のある家を右に曲ると子守地蔵堂があり,堂内に70cmほどの厨子の中に地蔵がまつられています。宝永7年(1704年)の刻名があり,明治28年に付近の井戸から発見され,まつられたものだそうです。毎年8月にはお祭りが行われます。

浅間神社
那古野1-29-3



 四間道のところに戻り,さらに50mほど南下すると青木家があります。創業天文23年(1554年)という塩問屋で,清須越で名古屋で移転,後で訪れる伊藤家と並ぶ商人でした。以降,この界隈で塩や米の問屋として営業していましたが,現在は主にドイツの岩塩を扱う「名エン」グループとなっています。



 さらに南に50mほど進むと,右手に浅間神社があります。創建は不詳ですが,「尾張志」によると正保4年(1647年)に現在の清須市からこの地に遷座といいます。境内には戦火にもまぬがれた樹齢300年以上の市の保存樹のケヤキが7本あり,この当たりの古い街並みにもマッチした風景を作り出しています。

伊藤家住宅
那古野1-36-12



 浅間神社のところの交差点を左折して東に進み,堀川にわたる手前の道を左に進み約100m進むと,伊藤家住宅[県文化]があります。慶長19年(1614年)に清須からここに移ってきた商人で,堀川沿いに住宅があったため「川伊藤」と呼ばれていました。これは現在の松坂屋である呉服屋の伊藤家と区別するためです。堀川の水運を利用した尾張藩の御用商人として米穀問屋として活躍しました。ここの建物はその分家で享保7年(1722年)に現在地に居を構えたものです。建物は本家・新座敷・奥座敷・土蔵などからなり,江戸時代の名古屋の商家の様子を今に伝えるものです。内部は非公開なので通常は外観だけの見学となります。

五条橋
那古野1 および 中区丸の内1



 伊藤家住宅からそのまま北に約100m弱進むと,右手に堀川を渡る五条橋が見えてきます。元々は清須の五条川にかけられていた橋で,清須越でこの地に移されました。そのため,橋につけられた擬宝珠には堀川が開削された慶長15年(1610年)より古い慶長7年(1602年)の銘があります。この擬宝珠は名古屋城に保管されています。現在の橋は昭和13年(1945年)の鉄筋コンクリート造りですが,意匠のこらした造りでの都市景観重要建築物等指定物件となっています。堀川は名古屋台地の水利の悪さを改善するために福島正則らによって開削されたもので,翌年には名古屋城から熱田までの水路が完成し,名古屋の物資輸送を担いました。

ゴール:地下鉄・丸の内駅

 五条橋から橋を渡って中区に入り,東へ200m進むとゴールの丸の内駅になります。鶴舞線と桜通線が利用可能です。名古屋駅へは桜通線を利用しましょう。

写真使用数:44

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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