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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中村区:下中村コースSHIMO-Nakamura

2015年3月探訪。2015年10月20日作成

【コース】 距離:約5.7km
 秀吉生誕の伝説が残る下中村の史跡と,柳街道・佐屋街道の近くにある高須賀,烏森の地区をめぐります。古くからの街並みも見所の1つです。

地下鉄・中村公園駅〜西光寺〜薬師寺〜石神社〜下中八幡宮〜正賢寺〜日之宮〜柳街道〜願成寺〜八幡社〜佐屋街道〜禅養寺〜(烏森)天神社〜願隆寺〜地下鉄・岩塚駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・中村公園駅



 地下鉄東山線の中村公園駅がスタート駅です。名古屋駅から高畑行に乗車して4駅7分です。今回は中村公園駅の5番出口のバスターミナル東の出口からスタートします。

西光寺
中村中町3-22





 出口を出てそのまま突当りまで進み,左に曲がって4本目を右へ進みます。次の分岐点のある中村中町2付近に秀吉の生まれたという弥助屋敷があったと伝承されています。
 さらに2本目を右に進むと,西光寺(真宗大谷派)があります。泰法山と号し,創建は不詳ですが明応8年(1499年)以前といいます。豊臣秀吉の母大政所は熱心な本願寺の信者で,その旦那寺であったと伝わっています。かつては清須にあり,いつ頃か現在地に移転したといい,その際に持参したという燈籠が残っています。
 境内には笹島焼元祖の墓があります。笹島焼は文化年間(1804〜17)頃に現在の名古屋駅敷地内になっている場所で焼かれ,地名をとってこう呼ばれました。楽焼の一種で酒器が多く,川柳・風刺的なものが描かれる風雅な焼き物だったといいます。また,「如雲墓 明和9年(1772年)」と記す墓もありますが,人物については不詳のようです。

薬師寺
中村中町3-61



 戻って突当りを右折し,次の筋を右折すると薬師寺(曹洞宗)があります。医王山と号し,往年の宗派はわかりませんが,宝暦6年(1756年)に再興して現在の宗派になったといわれます。天正18年(1590年),小田原征伐の帰路に秀吉は加藤清正とともに中村に滞在したといい,村民に大盤振る舞いし,古老たちと語り合って,その際に当寺の薬師仏を拝んだといいます。この本尊の薬師如来は尼僧一代一会の開扉のほかは秘仏とされています。明治6年(1873年),中村小学校の前身となる「小学銀杏学校」がおかれ,その当時の「手洗鉢」が現在も残されています。

石神社
中村本町3-44



 戻って突当りを右折し,次の交差点を左折して200mほど進むと石神社があります。次に訪れる下中八幡宮の末社で,昔農夫が大八車のバランスをとるために乗せていた石仏を捨てていき,それを祀ったといいます。現在地に祀られるまでに2,3回位置を変えており,元は郷の入り口にあったといいます。6月6日に例祭が行われます。

下中八幡宮
押木田町1-1





 左折した交差点に戻り,左折して南に少し進むと,右手に下中八幡宮があります。加藤清正が中村に勧請した3つの八幡社の一つといい,創建は諸説ありますが,下中八幡宮栞に保元元年(1156年)創立と記されています。寛永20年(1643年)に再建されたと伝わり,延宝3年(1675年),貞享5年(1688年)の棟札が残されています。明治初期までは,「お鍬祭り」が61年ごとに行われていたといいます。

正賢寺
下中村町1-63





 下中八幡社の参道を進んでずっと突当りまで進んで左に曲がると,200m弱進んだ2つ目の交差点の左手に正賢寺(真宗大谷派)があります。亀頭山と号し,往時は天台宗で西専坊といい,この南の願成寺の塔頭であったといわれています。正賢寺命日帳に第3世教秀という人物があって,母は秀吉公の娘(あね)とあり,秀吉との関係をうかがわせます。江戸時代から残る欄干の彫刻も見どころになっています。

日之宮
日ノ宮町1-60





 交差点を1つ戻って左折して南に150m進むと「千成通4」の交差点があります。直進して次の交差点を左折して50mほど進むと日之宮があります。かつては中村の総社であったといい,秀吉の母大政所が男子を授かろうと日参したといい,その後,天文5年(1536年),日が出る頃に秀吉が生まれたといいます。かつては日吉権現といい,秀吉の幼名の「日吉丸」はこの神社の名前が由来だといわれています。その後,宮は秀吉が祭神を大阪に持っていってしまったとも,家康によって打ち壊されてしまったとも言い伝えられています。昭和10年(1935年)に周辺は日吉公園として整備され,現在宮は公園内に設けられています。

柳街道



 日之宮から公園内の参道を進み,突き当たったら左手の交差点を南に進み,突当りを左に曲がってそのまま進みます。約150m進むと,中井筋緑道とすれ違います。庄内用水を暗渠にして設けられた緑道で,ブロンズ像や季節の花などを見ながらウォーキングができます。





 さらに先の信号を越えて少し進むと,ななめに横切っている道にぶつかりますが,これが柳街道になります。納屋橋をスタートして佐屋街道へとつながる街道で,名古屋から西に向かう人々で賑わいました。この付近は古い街道沿いのおもかげが残る街並みになっており,昔ながらの風情がまだまだ感じられます。柳街道を右手前方向に曲がり,約200m進みます。50m強進んだところで横断歩道のない道路と交差しますので,左右に進んで横断歩道を渡ってください。進むと先ほどの中井筋緑道と合流しますので,そのまま緑道を150m進みます。すると上に高速の走る県道115号線に到着します。

願成寺
高須賀町24





 左折して県道115号線を約100m進み,歩道橋を渡ったところに願成寺薬師堂があります。本尊は薬師如来で,須弥壇左右に立つ金剛力士像は鎌倉時代作といい,像高3.1mの立派なものです。像は昔洪水で北西の稲葉地の竜宮寺から流れてきたものを祀ったといわれます。薬師堂に隣接して八剣宮があります。寛永4年(1627年)の銘がある棟札が残されています。





 薬師堂の境内を南側から出て右に曲がり,続いて左に進み,さらに次の筋を左に進んだところに願成寺(天台宗)があります。高須賀山と号する春日井市の密蔵院の末寺で,天平4年(732年)に聖武天皇の勅願により行基を開基として創立したという中村区でも有数の古刹です。眼病治癒を祈願する寺として有名で,聖武天皇の皇女孝謙天皇が眼病に悩まされた際に,この寺の祈祷ですみやかに治癒したと伝わり,以降天皇の勅願所となって繁栄しました。往時は,十二坊堂塔がことごとく備わる大寺院と伝わっています。大永年間(1521〜27)に盛海が再興したといいますが,その後永禄年中(1558〜69)に信長の兵火でほとんどが焼失し,寺領も没収されたといいます。その後,寛永年中(1624〜44)に薬師堂のみが再興されました。本尊の阿弥陀如来像は室町時代前期の作といい,その他に円空作という柿本人麿像などの寺宝も有します。

八幡社
烏森町2-8-1



 願成寺から左折する前に戻り,左折して約20m南に進んだ次の筋を右折すると,100m弱で再び中井筋緑道に合流します。





 左折して緑道を200m強進み,広い道に突き当たる1つ手前の筋を右折すると,約150m先の右手に八幡社があります。佐屋街道と柳街道の分かれ道にあった道標が境内にあり,秋葉社の灯籠の台座に利用されています。柳街道は名古屋に通じる道として,昭和初期まで市内に向かう学生などによく使われました。柳街道の名前の由来は,柳を植えただからとか,南の一柳庄(現中川区)に通じる道だからとか言われます。

佐屋街道



 八幡社から直進し西に進み,突当りを道なりに左折すると,佐屋街道の街並みに到着します。佐屋街道は,東海道の七里の渡しを避けるための脇道として,熱田から烏森,岩塚を通って,その後津島を経由して佐屋(愛西市)までを結んでいた道で,現在でも街道沿いの町の面影が残っています。右折して街道を進んでいきます。

禅養寺
烏森町7-182



 右折してすぐの信号の1つ先の筋を左に進みます。この途中の公園のところに(烏森)神明社があります。天照大神を祭神とする神社です。





 道なりに約200m進んで,広い道に突き当たる1つ手前の筋を右に曲がります。そのまま約100m進むと,右手に禅養寺(曹洞宗)があります。天徳山と号し,明応5年(1496年)に創建されたといいます。その後,永禄年中(1558〜69)に兵火で堂宇が焼失し,仮堂で本尊が安置されていたものを,文禄年中(1592〜95)に再興され,延宝年中(1673〜80)にも伽藍を再興したといいます。現在の表門は秀吉の妹である朝日姫の夫副田隠斉の家門と伝わる立派なものです。本尊は釈迦牟尼仏座像で,恵心僧都作と伝わる十一面観音も伝わり,その厨子の記文に康暦2年(1380年)営造とあり,往古の本尊と考えられています。境内には白武稲荷があり,船頭善左衛門が稲荷を信仰していたために水難事故をまぬがれたことに感謝して奉納したものです。初午には縁日が行われ,多くの人で賑わうといいます。その他,尾張藩主徳川光友の長子である松平義昌の妻子の墓が境内にあるほか,この南西にあった2本のエノキの古木があった「おしゃぐし」という塚をうたったおしゃぐしの歌の案内板が立っています。おしゃぐしは村の境を守る神で,外敵から村を守る神として信仰を受けたといいます。





 禅養寺に隣接して,(烏森)天神社があります。祭神は菅原道真で,延喜年間(901〜23)にこの付近の開拓がはじまった際に氏神として祀られていたと考えられています。また,延喜式にある「愛知郡針名神社」を当社に比定する説があり,格式を持つ神社と言えそうです。

願隆寺
烏森町6-142 [公式HP(外部リンク)→]





 禅養寺の入ったところから出て,続いて進んで次の筋を右に曲がり,100m進んだ広い道との交差点を右折して広い道の右に入り200mほど進むと,願隆寺(真宗高田派)があります。紹光山と号する伊勢一身田専修寺の末寺で,万治3年(1660年)に開創されたといい,元々烏森城という城があったこの地に庵室を設けたのが始まりといいます。空襲で本堂庫裡を失い,昭和48年(1973年)にすべての施設が再建されました。本尊は阿弥陀如来立像で,恵信僧都の作と伝わっています。毎月第1土日に行われている精進モーニングというイベントが有名で,お粥と漬物のモーニングをいただいたあとに,心を落ち着かせる3分写経をするというユニークな取り組みで,お寺を身近に感じさせるように工夫されています。
 

ゴール:地下鉄・岩塚駅

 願隆寺からそのまま100m進むと,佐屋街道に再び突き当たります。左折して街道を進み,約200m進んだ「豊国通6」交差点を右折してさらに300m進んだ「岩塚駅前」交差点を右折するとすぐに,地下鉄東山線・岩塚駅の4番出口があります。ここから藤が丘方面行に乗ると,中村公園駅へは1駅2分,名古屋駅まで5駅9分で行くことができます。

(プラスワン)カトリック五反城教会
二瀬町27 [公式HP(外部リンク)→]



 岩塚駅の2番出口を出て西に約150m進み,真ん中に並木がある道の左側を約200m進むと,左手にカトリック五反城教会があります。昭和34年(1959年)に岩塚教会として仮設の聖堂が設けられ,昭和41年(1966年)に大聖堂が完成。このころ,近隣の地名とキリストの「ご誕生」につながることから現在の名前に変わったそうです。大聖堂の中はカトリック教会らしく色鮮やかなレリーフやステンドグラスが見もので,昭和53年(1978年)に奉献されたというパイプオルガンも見ものです。パイプオルガンのコンサートや結婚式など,様々な行事が行われています。2015年には信徒会館と司祭館も完成しました。

写真使用数:30

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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