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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中村区:名駅西コースMEIEKI(NAGOYA STA.) WEST

2015年3月探訪。2015年10月20日作成

【コース】 距離:約6.0km
 名古屋駅太閤通口から,名古屋駅の西側の太閤,牧野,米野地区をめぐって下町の町歩きを楽しみ,最後は再開発が進む笹島地区をめぐります。

名古屋駅(太閤通口)〜エスカ〜水野社〜椿神明社〜稲穂社〜牧野神明社〜厳島神社〜智興寺〜熊野社〜金山神社〜向野橋〜円福寺〜長松寺〜ささしまライブ24地区〜ささしまライブ駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋駅(太閤通口)



 今回のスタートも名古屋駅で,西側の太閤通口からスタートします。名鉄,近鉄などからくる場合は,JR名古屋駅のコンコースをくぐって太閤通口に進みましょう。

エスカ
椿町6-9先 [公式HP(外部リンク)→]



 名古屋駅太閤通口から出ると,すぐに太閤通口の地下街であるエスカの入り口があります。太閤通口にある地下街としては唯一で,約80店舗ほどのレストランやショップがあり,休日を中心に賑わっています。新幹線の駅に近いことから,名古屋名物の飲食店や土産物店がコンパクトにまとまっており,観光客には便利な地下街になっています。駅広場の西側にはビッグカメラや河合塾の予備校群などもあり,名古屋駅前の繁華街らしく多くの人が行きかっています。

水野社
則武2-7-11





 ビッグカメラの前を右折し,北に100m進んだ「太閤通口」を左折し,300m進んだ2つ目の信号を左折します。そのまま100m進むと右手に水野社があります。かつてこの付近は西の中野村と東の高畑村が合わさって中野高畑村といい,水野社は高畑村の氏神で約700年以前よりこの地にあるといわれます。水野社はかつては市無形文化財であった「八雲琴」が伝承していました。文政3年(1820年)に伊予国の中山吉之通郷が出雲国琴引山の天日隅宮に参拝した際,失明に近かった目が全快し,その際に神託を得て創始したといいます。竹を二つ割した胴に2弦を張って31の音階で演奏され,古典などを利用した格調高い歌詞を持つ神聖な神曲が作られ,神事などで盛んに演奏されました。現在は,奈良県明日香村での継承活動などが知られています。水野社の境内には,大松稲荷神社があります。かつて大きい松があったことから名前がついたといわれます。

椿神明社
則武2-4-10



 水野社からそのまま100mほど進み,続く信号を左折します。この付近は駅西銀座といわれる名古屋駅西側の古くからの商店街になっていて,下町の雰囲気が感じられます。



 100mほど進むと左手に椿神明社があります。かつて,この付近は椿の森といわれ,古木が多く茂っていたことが名前の由来で,東側はかつて笈瀬川が流れていました。宝暦6年(1756年),子どもに化けた力自慢のカッパが現れ,人を引きずりこもうとしたというカッパ伝説が残されています。この南の笈瀬通商店街にはカッパのモニュメントも設けられています。祭神は伊勢神宮の外宮と同じ豊宇気比売命(とようけひめのみこと)で,神社も外宮に見立てられた社になっています。

稲穂社
椿町18-5



 椿神明社の先の「椿神社前」交差点を右折して南下し,次の信号を左奥方向に進んで東に向かいます。そのまま200m進んだ2つ目の信号を右折すると,約50m先の右手に稲穂社があります。天保2年(1831年)に当時南にあった牧野村から12戸が移住して新しい集落が作られ,先だって文政9年(1826年)に鎮座し,守護神として崇敬されていました。昭和20年(1945年)の戦災で焼失しましたが,昭和26年に再建され,その後昭和40年(1965年)に名古屋駅西の再開発事業にともなって移築造営がされたといいます。

牧野神明社
太閤1-18-7



 稲穂社の南の「太閤1」交差点で横断歩道を渡って南に進み,右に曲がって1つ目の少し太い道を進みます。ここの左手は名古屋駅前の高層ビル群がきれいに眺められます。





 約250m進んだ「太閤3南」交差点の1つ手前の筋を左に入ると約100mで左手に牧野神明社があります。祭神は天照大神で,お伊勢川と呼ばれた笈瀬川の北西にある椿神明社が外宮なのに対して,この社は内宮に当たる社で間を川が流れていたといいます。10月に行われる甘酒祭で有名で,これは昔境内に藤の大木があり,花の時期に多くの人が集まって田畑を荒らすので,文化年間(1804〜17)に木を伐採したところ疫病が流行したといいます。藤の木のたたりというこの疫病を鎮めるために,笈瀬川の水で甘酒を作り神に献じたところ,たちまち疫病がおさまったといいます。それ以来,毎年甘酒を奉る神事が行われているといいます。昭和20年(1945年)に戦災で焼失しましたが,昭和27年に再建されました。

厳島神社
太閤5-1-13



 左に曲がる前に戻り,先の「太閤3南」交差点を右折して,100m進んだ「米野小学校東」交差点を再び右折します。250mほど進んだ右手には須佐之男神社があります。小さな神社ですが人々から大切にされている様子が伝わります。



 神社のところの交差点を左折し,次の筋を再び左折すると,100m弱で左手に厳島神社があります。延享4年(1747年)にこの地に鎮座したといい,古くから椿神明社,牧野神明社と並んで牧野三社の1つでした。昭和37年(1962年)に椿神明社の境外末社になったといいます。厳島の名前の通り,周囲に水をめぐらして中央に社殿を奉安した一風変わった雰囲気の神社になっています。

智興寺・福田兼助碑
上米野町5-6



 厳島神社の先を右折し,続く交差点を左折します。ここから先,しばらくは古くからの下町の街並みが続き,100m進んだ交差点の右手には,社も設けられています。



 さらに50mほど進んだ右手には智興寺(真宗大谷派)があり,寺の前には福田兼助(かねすけ)の碑があります。天保年間(1830〜43)に農家の子どもとして生まれましたが,学問を好み江戸末期から明治初期に村の子弟の教育に尽くし,その後明治6年(1873年)に学校が兼助の邸宅にて開校し,自ら教師として活躍して,明治11年(1878年)に亡くなりました。碑は門人などが明治34年(1901年)に建てたものになります。
 この北西,現在の中村児童館のある付近には藤の棚と呼ばれる10m以上四方を誇る藤の大木があり,行楽地として多くの人が訪れる場所で,現在の「太閤道3」(中村区役所駅付近)に設けられた市電にも藤の棚の電停が設けられていました。

熊野社
権現通3-37





 智興寺から約50m進み,2本目の筋を左に進みます。そのまま200mほど進むとやや広い道に突き当たるので,ここを右折すると,すぐの信号の左奥方向に熊野社の入り口があります。正徳2年(1712年)の創建と伝わり,境内には市の保存樹となっており,鳥居の右に青銅の神馬が雄姿をみせ,雰囲気のよい神社です。境内には享保18年(1733年)鎮座という末社の子安社があり,安産の神様として知られています。



 熊野社の南には3.2haに及ぶ米野公園が整備されています。住宅密集地であった場所で災害時の避難場所として整備された公園で,住民の憩いの場にもなっています。

金山神社
長戸井町1-2



 熊野社の東側の道を約350m南下し,線路に突き当たる1つ手前の一方通行の筋を左折すると,すぐに左手に金山神社があります。創建年代は不詳ですが,美濃国一宮の南宮神社から勧請されたといいます。かつて笈瀬川で名古屋城築城のための石材を運搬するとき,現在の露橋付近に石切り場が設けられ,そこで働く石工たちの信仰を集めたといいます。往時は金山社と称しましたが,大正2年(1913年)に地元の西宮社,宗像社を合祀した際に金山神社と改称され,昭和2年(1927年)には,かつて向野橋の南側にあったといいますが,境内地が鉄道線路になったため,現在地に移されました。境内の社務所前には笈瀬川から出土したという名古屋城築城の残石と伝わる石が2つ残されています。

向野(こうや)橋
長戸井町1,中川区百船町





 金山神社から50m進み,線路沿いの道に突き当たったところの奥の階段を上ったところに歩行者専用の向野橋があります。昭和5年(1930年)に架橋という名古屋でも古い歴史を持ち,橋長119mにおよび,当時の国鉄名古屋機関区が設けられた際に設けられました。北側のトラス橋の部分は,明治32年(1899年)に京都の保津川にかけられた鉄道橋を移設したもので,列車の事故が起こって修理された際の修理のあとがみられるといいます。近鉄名古屋線,JR関西線,あおなみ線などをまたぎ,電車を眺めるスポットとしても知られています。



 階段を下りて,そのまま線路沿いの道を東に進み,2本目の左に入る細い路地を進み道なりに左に曲がって進むと,筧家住宅主屋[国登録]があります。江戸時代末期に建てられ,明治時代初期に現在地に移築したものと明治24年(1891年)に増築された部分からなり,濃尾地震や戦災からも免れ,尾張地方の農家建築を今に伝えるものとして貴重です。個人宅で通常は非公開ですが,イベントなどで公開されています。この付近も昔ながらの古い町並みが残る地域で,歩いていると昔懐かしい雰囲気にさせられます。

円福寺
下米野町3-7





 細い路地をさらに進んで突当りを右に進み,さらに突当りを右に曲がって少し進むと,左手に円福寺(真宗大谷派)があります。荒井山と号し,天正6年(1578年)に北一色村(現中川区)の善行寺の二世で,織田信長の親族だったという海善が,米野村に隠居して一宇を建てたことに始まります。延宝5年(1677年)に現在の寺号にしたといい,本尊は阿弥陀如来立像です。



 ここからの道も古い町並みを残していて,趣のある街歩きを楽しめます。

長松(ちょうしょう)寺
下米野町2-1



 円福寺の先2本目の細い路地を左に入り,そのまま道なりに右に曲がると,50m強で長松寺(臨済宗妙心寺派)があります。慈峰山と号し,政秀寺(中区)の2世の弟子が創建したといい,施主の法名から山号になったといいます。先に述べた北一色村の善行寺が,かつて米野村にあった際の旧地にあたると推測されています。本尊は観世音菩薩,宝物に薬師如来を有し,境内の地蔵菩薩は熱病などに霊験があると伝わっています。



 長松寺から先に進んで,次の筋を右に曲がり,次の突当りを左に曲がって道なりに線路沿いに進んでいくと,近鉄米野駅があります。



 その先の「米野駅前」交差点の次の筋を左に曲がり,さらに次の右に入る筋を進むと,約50mで左手に白山社が見えてきます。この米野村の旧村社で,名古屋まつりに協奉する形で例祭が行われています。また,この付近には,かつて米野城という城があったといい,信長と争ったといいます。
 

ささしまライブ24地区
平池町4



 白山社から少し戻った交差点手前の左側(南側)には,平成23年(2011年)に開通した「ささしま米野歩道橋」のエレベーターが見えます。この歩道橋を渡って,あおなみ線のささしまライブ駅の方向に向かいます。この付近からは名古屋駅とその周辺の高層ビル群の眺めが秀逸です。



 そのままささしまライブ駅の東側に降りると,ささしまライブ24地区が広がります。元々,ここには昭和12年(1937年)に開業した笹島貨物駅があって,物流の一大拠点として発展しました。昭和61年(1986年)に貨物駅が廃止されたのち,名古屋市による大規模な再開発がすすんでいます。平成17年(2005年)には愛・地球博のサテライト会場となり,多くの観光客が訪れました。



 線路沿いの道を約200m歩くと右手に発展途上国などへ国際協力を行っているJICA中部の建物があります。交流棟の1・2階にはなごや地球ひろば[公式HP(外部リンク)→]があり,地球規模の様々な問題や,国際協力の現状を展示や体験で学ぶことができ,中のカフェで世界の料理を楽しんだり,ショップで買い物を楽しんだりもできます。





 先の交差点を右折したところには,ミュージシャンのツアーなどが行われるZepp Nagoyaがあり,右に隣接してショップ・レストランや映画館などが入るマーケットスクエアささしま[公式HP(外部リンク)→]があり,若者を中心に賑わいます。



 さらに先に進むと,2012年に開学した愛知大学の名古屋キャンパスが広がります。現在,再開発が進んでおり,この付近の町の様子はまた変わっていくことでしょう。

ゴール:あおなみ線・ささしまライブ駅



 愛知大学の横の道を通って,あおなみ線のささしまライブ駅に戻ってゴールになります。なお,現地は再開発による工事が進んでおり,道路状況に変化がありますので注意しましょう。名古屋駅へは,1駅2分で戻ることができます。また,JR・名鉄の高架下をくぐって名駅通に出ると,市バスのささしまライブバス停,名鉄バスの愛知大学前のバス停が利用できます。こちらも名古屋駅まで5分以内で戻ることができます。

写真使用数:34

←前:名駅東コース / 名古屋市中村区 / 次:日比津・大秋コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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