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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中村区:名駅東コースMEIEKI(NAGOYA STA.) EAST

2015年3月探訪。2015年10月20日作成

【コース】 距離:約5.8km
 名古屋駅東側の発展していく近代的な高層ビル群をめぐったのち,東に広がる堀川沿いの昔ながらの街並みに建つ文化財をめぐっていきます。

名古屋駅(桜通口)〜JRセントラルタワーズ〜ルーセントタワー〜久遠寺〜桂芳院〜西祐寺〜柳橋中央市場〜国際センター〜光明院〜神明社〜浄信寺〜納屋橋〜白龍神社〜蓮華寺〜長円寺〜八角堂〜名鉄百貨店〜名古屋駅(桜通口)


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋駅(桜通口)

 今回のスタートは名古屋の玄関の名古屋駅です。地下鉄東山線・桜通線のほか,JR・名鉄・近鉄などが集まる名古屋の一大ターミナル駅です。今回は名古屋駅がウォーキングになるので,アクセスは便利です。JR名古屋駅の桜通口を出てスタートします。

JRセントラルタワーズ
名駅1-1-4 [公式HP(外部リンク)→]



 桜通口の駅上には,名古屋のシンボルとなったJRセントラルタワーズがそびえています。昭和12年(1937年)竣工の旧駅ビルの老朽化のために,平成2年(1990年)に基本構想が発表,平成11年(1999年)に竣工し,高さは245mで当時は世界一の規模の駅ビルでした。地上は51階建てのオフィスタワーと53階のホテルタワーからなり,各企業のオフィスとホテルマリオットアソシアホテルがあり,オフィスタワーの最上階にはパノラマサロンがあります。15階までは低層階は百貨店のJR名古屋タカシマヤ[公式HP(外部リンク)→]が入っており,ショッピングをする人々で連日賑わっています。





 セントラルタワーの北側には地上46階建てのJRゲートタワーが2017年4月に完成しました。中にはショッピングモールやレストラン,ホテルやオフィスなどが入る予定で,セントラルタワーズと直結して巨大なショッピング街を形成しています。



 さらに道路をはさんで反対側には大名古屋ビルヂングがあります。高さ180m,地上34階建てで名古屋駅前の高層ビルの一角を占めます。元々は,昭和40年(1965年)に竣工した三菱地所による大名古屋ビルヂング[公式HP(外部リンク)→]があり,名古屋駅前のシンボルとして親しまれましたが2013年に解体され,このビルは2代目になります。2015年11月から順次開業し,2016年3月に三越伊勢丹グループによる商業施設を含む全館がオープンし,名古屋駅周辺の話題のグルメ&ショッピングスポットになっています。







 JRゲートタワーの北側に進むと,JPタワー名古屋[公式HP(外部リンク)→]があります。旧名古屋中央郵便局名古屋分室の跡地に建設中の高層ビルで,高さ195mで40階建てです。上層階にはオフィスが入り,地下1階から地上3階までの低層階には郵便局や商業施設が入り,商業施設は名称が「KITTE名古屋」といいます。また隣接して駐車場棟が設けられ,ここの1階には市バスのバスターミナルが設けられています。これらのショッピング街は常に多くの人が行き交い,名古屋の玄関口として大いに賑わっています。

名古屋ルーセントタワー
西区牛島町6-1 [公式HP(外部リンク)→]



 JPタワーから200mほど北上すると,左手に名古屋ルーセントタワーがあります。高さ180mで地上40階,2007年に開業し,オフィスと低層階のレストラン街からなり,最上階の40階にはスカイラウンジがあります。ルーセントは英語で「光る,輝く」の意味があり,建物は東面がカーブを描く非対称の特徴ある形をしています。タワー前の広場やメインエントランス,名古屋駅から続く地下通路のルーセントアベニューなどの様々な壁画,彫刻が施されており,これも見どころの一つになっています。

桂芳院
名駅2-28-7



 ルーセントタワーから「中央郵便局北」交差点に戻り,横断歩道を渡って東に進んだ最初の左に入る筋に進み,さらに次の筋を右に入ると約50mで左手に久遠寺(日蓮宗)があります。瑞光山と号し,天明6年(1786年)に建中寺より本堂を購入して移築し,戦災で焼失したのち,昭和56年(1981年)に再建されました。



 久遠寺から直進して広い道に突き当たる手前左に迦具土神社があります。火の神をまつり,毎年10月に例祭が行われます。





 この先を左折し,さらに次の右に入る筋を進むと左手に桂芳院(曹洞宗)があります。大光山と号し,境内にある愚痴聞き地蔵尊が有名で,観光ガイドなどにも取り上げられています。耳に手を当て,頷くように目をつぶる様子を見ると,つい愚痴を話したくなるかもしれません。

西祐寺
名駅3-9-22



 桂芳院の先に進んで,左手にある「那古野」交差点の横断歩道を渡ると,那古野街園があります。街園の左側の道を100m強進むと,左手に西祐寺(真宗大谷派)があります。広瀬山と号し,元々滋賀県東浅井郡小谷村(現長浜市)にあり,応永元年(1394年)に西祐が開基したといいます。明治42年(1909年)に広井尋常小学校の跡地であった現在地に移されました。門の上に鐘楼が乗った特徴的な建物で,本尊は阿弥陀如来立像です。



 西祐寺の先の「名駅3北」の交差点を右に進んだところには,坪内逍遥少年時代邸宅跡があります。近代文学の先駆けと言われる坪内逍遥は安政6年(1859年)に岐阜県美濃太田(美濃加茂市)に生まれ,尾張藩の仕えた父の引退に伴って明治2年(1869年)にこの地に11歳で移り,18歳で県の選抜生として開成学校(東京大学の前身)に入学するまで多感な少年時代をここで過ごしました。

柳橋中央市場 マルナカ食品センター
名駅4-15-2 [公式HP(外部リンク)→]



 「名駅3北」の交差点に戻り,さらに南下します。この左手には町屋通りと呼ばれる昔ながらの町屋を利用した居酒屋が立ち並び,名駅の名所の1つとなっています。





 200mほど南下すると桜通に突き当ります。ここに,地下街のユニモール[公式HP(外部リンク)→]の入り口があります。1970年(昭和45年)に開業し,桜通の下を名古屋駅から国際センターまで結んでおり,約90店舗の様々な形態の店舗が入っています。





 ユニモールを少し東に進んで9番出口から外に出て,先の信号を右折します。そのまま道なりに200m強,「名駅4」の交差点を越えて進むと左右に柳橋中央市場の建物が見えてきます。明治の後期にこの付近に自然発生的に生まれた市場をまとめて誕生したといい,現在は約300店舗を擁し,名古屋の駅前にありながら日本最大級の民間市場となっています。ここの左手にはマルナカ食品センターがあります。昭和44年(1969年)に業務用卸売市場として誕生し,市場の中でも最大の50店舗の専門店が軒を連ね,東海地区の食品関係者が利用する一大センターになっています。朝4時から営業を開始しますが,一般の人は午前8時から10時ぐらいに利用するのがおすすめで,見学ツアーなども行われていて,元気な市場の様子を見ることができます。隣接してすし店などが設けられており,活きのいい魚をその場で味わうこともできます。

名古屋国際センター
那古野1-47-1 [公式HP(外部リンク)→]



 「名駅4」の交差点に戻り,右折して北東方向に進みます。約250m進むと地下鉄国際センター駅がある「泥江町」交差点につくので,ここの横断歩道を2回わたって交差点の北東側に行くと,名古屋国際センターがあります。高さ102m,地上26階建てのビルは平成59年(1984年)に竣工し,名古屋の国際交流の総合拠点施設となっています。高さ100mを越える超高層ビルとしては中京地区で最初に建てられました。2階から6階までが国際センターの施設になっており,国際交流の様々なイベントが行われています。なお,それより上はオフィスで,最上階はレストランになっています。



 ここから東の中区にかけての桜通は,見事なイチョウ並木が立ち並びます。この付近の桜通のシンボル的存在になっており,名古屋市の都市景観重要保存樹に指定されています。

光明院
名駅5-7-9



 「泥江町」交差点の横断歩道を南に渡り,高速道路が上に通る江川線のすぐ左側の細い道を南に進むと100m弱で天王神社があり,ここに花車神明社祭の紅葉狩車[市民俗]の山車蔵があります。文政年間(1818〜30)に作られたといい,昭和42年(1967年)には大修理され,名古屋まつりの山車揃えや10月第2土日の大祭の際に引き出されます。紅葉狩車は全体として紅葉の意匠に彩られ,能の紅葉狩を題材としたからくり人形が設けられています。



 天王神社の手前を右折すると,昔ながらの町が広がりタイムトリップしたように感じます。次の筋を右折したところには屋根神のある家も残っており,昔ながらの家が観光地化されることもなく残っています。名古屋駅前に残る貴重な昔の街並みになります。



 そのまま突当りを左折し100mほど進んだやや広い道を左折すると,約50mで光明院(曹洞宗)があります。大乗山と号し,大永年中(1521〜27)の創建といい,もと清州にありましたが,慶長年間(1595〜1615)の清須越で現在地に移りました。江戸時代,たびたび火災で焼失しましたが,毎次再興された記録が残されています。境内に多くの地蔵があり,北を向いた地蔵が珍しく,さらに千石船に乗った全国にあまり例のない地蔵もあります。大きな石で刻まれた三十三観音像があり,これは尾張藩御用商人の内海屋の寄進によるものと言われます。内海屋の基礎を築いたという内田忠蔵の邸宅が,この南の納屋町にあったといいます。寺宝には刺繍涅槃図[市文化]があり,釈迦入滅時を示す総刺繍のもので,外箱の蓋の裏に延宝8年(1680年)の書があり,このころの作と考えられています。毎年旧暦2月15日の涅槃会の際に寺の本堂に掲げられます。

(花車)神明社
名駅5-13-6





 光明院から南に戻り,来た道の1本先の筋を右に入ると,すぐに神明社があります。創建年代は不詳ですが,漢文3年(1663年)に修造の記録があり,それ以前の建立と考えられ,長らくこの付近の那古野庄広井村の氏神として篤い崇拝を受けて修造が繰り返され,現在の境内は昭和33年(1958年)に整いました。毎年10月第2土曜日の大祭では,紅葉狩車,二福神車,唐子車の3両の山車が町に繰り出し,大いににぎわいます。往時は9両の山車がありましたが,戦火で失われたとのこと。山車はその後,名古屋まつりの山車揃えでも見ることができます。境内にある不動明王は坤現不動といわれ,昭和54年(1979年)に忽然と現れ,参詣に来ていた人が金縛りにあって,現在地に安置されたといいます。



 神明社の南側から西に少し進むと,花車神明社祭の二福神車[市民俗]の山車蔵があります。天保7年(1836年)の制作といい,恵比寿,大黒,宝船という縁起のいいからくりの組み合わせになっています。

浄信寺
名駅5-20-3 [公式HP(外部リンク)→]



 神明社の東側を通る道を南に少し進むと,右手に浄信寺(真宗大谷派)があります。無城山と号し,寛永12年(1636年)に知多成岩の無量寿寺の末寺として,僧利賢がここにあった地蔵堂を改めて建立したといいます。本堂は享保9年(1724年)の大火で焼失し,さらに明治中期の濃尾地震で倒壊して,現在の本堂は明治30年(1897年)に再建されたもので,戦火も免れ100年以上経過したものです。江戸後期から明治初期の雅楽家として知られる羽塚秋楽(はづかしゅうらく)は,文化10年(1814年)に浄信寺の二男として生まれました。京都の二条家や今出川家などの家元を訪れて雅楽の奥技を習得し,明治維新後は名古屋東照宮の舞楽の維持をはかったといいます。

納屋橋
名駅南1 および 中区栄1



 浄信寺から南に進み,錦通に合流したら左側の「錦橋」交差点で錦通を渡ってそのまま約150m南下すると優雅な姿の納屋橋に到着します。名古屋遷府が行われ,堀川が開削された慶長15年(1610年)に「堀川七橋」の1つとして架けられた歴史を持ちます。江戸時代はこの北にある伝馬橋が飯田街道や美濃街道が通っていたことからメインとなっていましたが,明治19年(1886年)に広小路通が西に延伸された際に橋が拡張され,大正2年(1913年)には,現在と同じデザインの銅製のアーチ橋に架け替えられ,長く名古屋のシンボルとして市民に親しまれました。この橋の竣工の際の渡り始めには,名古屋名物の納屋橋饅頭の家族三夫婦が参加したといいます。現在の橋は昭和56年(1981年)に架け替えられたもので,前代のものを引き継いだアーチ橋になっており,欄干の中央には堀川開削の総奉行の福島正則の紋所が,両脇には郷土三英傑の織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の紋所があり,これらも前代の橋から引き継がれたもので,名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件になっています。



 近年,この納屋橋付近も再開発が進み新しいお店が目立ち始めています。納屋橋から南に進んだ対岸の中区には,ほとりすなごや納屋橋が2009年にでき,その東側も現在,大規模な再開発が進められています。

白龍神社
名駅南1-8-14 [公式HP(外部リンク)→]



 納屋橋前の「納屋橋西」交差点の南から,約150m西に進み,「柳橋」交差点で左に曲がって150mほど進むと,左手に白龍神社があります。昔は今の柳橋付近にあり,この付近に熱病が流行した際に,当時あった江川の近くの柳の木の下に祠をまつったのが始まりと伝わります。柳の木の寿命が尽きると今度はイチョウの木に白龍が乗り移って崇拝されるようになったといい,「白龍さま」で親しまれるようになりました。戦災からも免れましたが,戦後の都市計画で社を80mほど南の現在地に移転し,昭和33年(1958年)に御神木を移植し,本殿が昭和37年(1962年)に造営されました。御神木のイチョウの木を伐採しようとしたところ,けが人が続出して取りやめられたという逸話があります。商売繁盛に御利益があるといい,毎月17日の月次祭や10月17日の大祭で賑わいます。
 この東の堀川沿いには,花車神明社祭の唐子車[市民俗]の山車蔵があります。中国風の童子である唐子がからくりの主役になっていることからこの名前があり,保存されている部品から,天保12年(1841年)に作られたと考えられています。

蓮華寺
名駅南2-2-13



 白龍神社から南に約150m進み,「名駅南2」の交差点の次の筋を左に入ると,少し先に蓮華寺(浄土宗西山深草派)があります。金袋(こんたい)山と号し,元は京都誓願寺の末寺として海部郡立田村(現愛西市)にあり,延宝7年(1679年)に現在地に一宇が作られました。その後,文化3年(1806年)に現在の寺号となり,その後尾張10代藩主の斉朝が2度訪れて御見目地になったといいます。昭和20年(1945年)に戦災で焼失し,現在は昭和58年(1983年)に竣工した鉄筋コンクリート製の近代的な本堂です。入り口には札所跡や石仏などがあって,これが歴史を物語ります。
 

長円寺
名駅南2-3-40





 蓮華寺から少し先に進んだ右手には,長円寺(真宗大谷派)の入り口があります。龍江山と号し,元和4年(1618年)に海部郡鰯江(現在の近鉄冨吉駅北)にありましたが,すぐに名古屋に移され,今の寺号を賜ったといいます。その後,たびたびの火災で新洲崎橋の西あたりに移建され,戦災で焼失して昭和24年(1949年)に替地で現在地に移されました。

八角堂(法蔵寺)
名駅南2-3-18





 江川通に戻り,再び南下して約100m進んだ3本目の筋を左に曲がると,左手に俗に八角堂と呼ばれる法蔵寺(単立)があります。久住山と号し,当初は清須にあって,清須越の際に西区六句町(現在の浅間町駅南東付近)に移りました。その後,点々と移動して,享保9年(1724年)に現在地に移転しました。その際に,初代尾張藩主の徳川義直が名古屋城二之丸庭園に最初の聖堂として設け,学問所としていた八角堂を七代藩主の宗春から賜り,本堂として移築しました。その際に夫人の鶴千代が阿弥陀如来を彫刻し,本尊として安置したといいます。八角堂は昭和6年(1931年)に焼失し,すぐ再建されましたが昭和20年(1945年)に戦災で再び焼失,その後平成16年(2004年)に再建されました。拝観などは毎月第1土曜日に行われます。

モード学園スパイラルタワーズ
名駅4-27-1



 江川通を一筋北に戻り,次の信号を左に曲がって江川通を渡りそのまま西に300m進みます。広い道に合流したらそのまま道なりに100m進むと「下広井町」交差点があり,この右手に住友生命名古屋ビルがあります。昭和49年(1974年)竣工の地上26階建て,高さ102mのビルで,昭和59年(1984年)に国際センタービルができるまでは名古屋で最も高いビルでした。



 ここを右折して北上し,次の信号(「笹島」交差点の1つ手前)まで進みます。ここには,明治34年(1901年)に当時の国鉄の線路を乗り越えるために設けられた明治橋のモニュメントがあります。中村と名古屋を結ぶ主要道路でしたが,鉄道の高架化で姿を消しました。



 右折すると,約50mで左手に柳里(りゅうり)神社があります。かつては明治橋の北側にあり,今は名古屋駅前のビルにはさまれたところに位置しています。名古屋駅西側の牧野村の地図に柳里とあり,そこにあった神社と考えられます。この東には夏目漱石が「三四郎」の中で,車中で道連れとなった女性と一夜を過ごしたゆかりの宿の角屋の跡があり,前に碑が建てられています。



 右折する前に戻って,「笹島」交差点に行きます。その先には明治時代とこれからの名古屋駅をイメージしたモニュメントが設けられています。



 「笹島」の交差点を北側に渡ると,モード学園スパイラルタワーズがあります。平成20年(2008年)に竣工した地上170m,36階建てで,2つの建物がスパイラル式になっている特徴ある建物で,中部建築賞や愛知まちなみ建築大賞などを受賞しています。地上部分はモード学園とその関連の学校が入っており,1階の一部と地下にはレストランやショップなどが設けられています。



 「笹島」交差点の南西には,アミューズメント施設やレストランなどが入る名鉄レジャック[公式HP(外部リンク)→]があります。ボーリング場やネットカフェなども入っていて,こちらも若者でにぎわっています。

名鉄百貨店
名駅1-2-1 [公式HP(外部リンク)→]



 「笹島」の交差点の北西側には,名鉄百貨店や近鉄パッセなど,名鉄や近鉄などのショッピング街が広がります。交差点の北西には,現在はヤマダ電機のLABI名古屋や駐車場が入る旧ヤング館があります。昭和47年(1972年)にセブン館として開業。その後,平成18年(2006年)にヤング館となりましたが,平成23年(2011年)からは現在のLABI名古屋が入りました。



 館の前には待ち合わせ場所として知られるナナちゃん人形があります。昭和48年(1973年)にセブン館の1周年を記念して設けられ,セブンをもじってナナちゃんと名づけられました。季節などに応じて様々な衣装でお目見えすることで有名で,その衣装が見ものになっています。
 旧ヤング館の北にはメンズ館があります。開業は昭和42年(1967年)と古い歴史を持ち,元々はMELSAといいました。男性向きフロアのほか,3・4階には日本初の本格的立体型バスターミナルの名鉄バスセンターが入り,中部地区を中心とした各地への高速バスや路線バスが発着します。11階以上は名鉄グランドホテルになっています。



 メンズ館の北には,近鉄パッセ[公式HP(外部リンク)→]があります。10階建てで他の店舗と差別化を図るため,特にレディースファッションに特化した店舗構成になっているのが特徴で,1階には近鉄名古屋駅の改札口があります。
 近鉄パッセの北には,名鉄百貨店の本館があります。昭和29年(1954年)開業し,現在の建物も昭和32年(1957年)に全館落成という現在残る名駅地区で最も老舗の百貨店です。地下部に名鉄名古屋駅があり,地上3階建てで開業した名残から,3階までと4階以上は異なる構造をしているのが特徴です。
 現在,これらの名鉄の百貨店の建物は,2027年の中央リニア新幹線開業に合わせて,建て替えが行われ再開発が行われる計画になっており,南の名鉄レジャックビルとその南の日生笹島ビルまでが建て替えの対象になるそうで,またこの時期には名古屋駅周辺の風景が大きく変わることになりそうです。

ミッドランドスクエア [一部有料施設]
名駅4-7-1 [公式HP(外部リンク)→]



 名古屋駅付近には,広大な地下街が広がっており,この名鉄・近鉄名古屋駅の東側には地下街のサンロード[公式HP(外部リンク)→]が南北に延び,その南には東西にミヤコ地下街があります。



 地下街を抜けて道路の右側に行くと,ミッドランドスクエアに行くことができます。トヨタ自動車などが共同所有しており,平成18年(2006年)に竣工。高さ247m,地上47階建てであり中部地方で一番の高さを誇ります。地下1階から地上5階まではショップやレストランのフロアで,5階には映画館のミッドランドスクエア・シネマがあります。6〜40階にはオフィスが入り,その上にはスカイレストランと屋外型展望施設であるスカイプロムナードがあり,名古屋の町を一望することができます。
 ミッドランドスクエアの北の地下にも,メイチカ,Gate Walk(旧テルミナ)という地下街が広がり,人々で賑わっています。どんどん発展する名駅がこれからどのように変わっていくのか楽しみになります。

ゴール:名古屋駅(桜通口)

 GateWalkの地下街から地上に上がると,スタート地点の名古屋駅桜通口に戻ってきます。ここがコースのゴールとなります。名古屋駅前の気に入った場所に再び訪れて買い物などを楽しんでもいいでしょう。

写真使用数:48

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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