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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中川区:前田・戸田コースMAEDA - TODA

2015年4月探訪。2015年11月17日作成

【コース】 距離:約7.2km
 富田地区の中部に位置する助光・前田・長須賀・春田・戸田の各地域をめぐります。前田利家ゆかりの前田と戸田祭の戸田地区の見所が多いです。

近鉄・伏屋駅〜土之宮神明社〜称円寺〜速念寺〜円盛寺〜宝蔵院〜七所神社〜(長須賀)八幡社〜延命寺〜JR・春田駅〜富田支所〜浄栄寺〜八幡社〜天満宮〜法然寺〜宝泉寺〜西照寺〜浄賢寺〜太平寺〜白山社〜神明社〜近鉄・戸田駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:近鉄・伏屋駅



 今回のスタートは,近鉄名古屋線の伏屋駅です。名古屋駅から普通列車を利用して約15分で行くことができます。普通列車のみの停車なので注意しましょう。金山駅などからのバス便もありますが,本数が少ないので時刻を調べて利用しましょう。現在,駅付近は高架化工事中で,完成の際には付近の道路なども変更になる可能性があります。

土之宮神明社
助光1



 駅から出て,すぐに右手に進み,道なりに2回曲がったのちの交差点を右折して踏切を渡ります。そのまま100m進んで道なりに右に曲がったあとの交差点を左折し,続く筋を左折して100mほど進むと土之宮神明社があります。土之宮と神明社の合殿で,創建は不詳ですが,古くは文明年代(1469〜86)の修繕の棟札が保存されています。昭和57年(1982年)に社殿の改築と境内の整備が行われました。神社の背後には,かつて助光城があったといわれ,やぶの中から城跡の碑が見つかったといいます。助光城は織田信長の家臣の福留左近将監の居城で,城の規模は36m四方と言われていますが,詳しくはわかっていません。



 土之宮神明社のT字路のところには中川区最大のケヤキである通称助光のケヤキがあります。樹高20mにもおよび,木の保存のために所有者宅の塀を引き込むなどの苦労があったといい,秋には美しい紅葉を見せます。

称円寺
助光1-101





 そのまま直進して突当りを左折して少し進むと,左手に称円寺(真宗大谷派)があります。鶴林山と号し,天智天皇7年(668年)に滋賀県長等山に大津京の鎮護として建立された崇福寺がその前身といわれ,その後比叡山の堂宇建立などで衰退して承元4年(1210年)に美濃国三橋村(現,岐阜県本巣市)に移り,正中2年(1325年)に現在地に移ったといいます。その頃は七堂伽藍を備え16もの塔頭を数えた大寺院だったといいます。その後,明徳4年(1393年)に火災にあって衰退しましたが,応永年間(1394〜1428)に鶴林院称円禅定門が再興し,寺号を鶴林山称円寺と改称。寛正5年(1464年)に僧覚妙が京都大谷の廟で蓮如上人に謁見し,真宗に改宗しました。元亀2年(1571年)の石山合戦の際に第3世西信が門徒を率いて本山の防衛に向かいましたが,その留守中の天正2年(1574年)に信長の家臣によって放火され,本坊を焼失。寺宝の多くも失われたといいます。天正19年(1591年)に仮堂が現在地に建てられ,俗に辻殿と呼ばれました。



 称円寺の手前を曲がって東に少し進んだ右手に薬師堂があります。中の薬師如来像は行基作と伝えられ,前田利家の守り本尊ともいいます。元は200mほど北にありましたが,庄内川の氾濫で現在地に流され,着いたところに堂が建てられました。堂内には前田家紋の梅鉢の古位牌を安置しているといいます。

速念寺
前田西町1-904 [公式HP(外部リンク)→]



 薬師堂からさらに進んで次の交差点を左折し,100mほど進むと左手に速念寺(真宗大谷派)があります。岡部山と号し,創建は不詳ですが室町期と寺伝はいい,往古は天台宗で中村区の願成寺の末寺であり,前田院または明力坊といいました。願成寺は信長によって焼かれたため,その後当寺は独立したといい,延宝5年(1677年)に速念寺と改称したといいます。天正12年(1543年)に前田利家の叔父にあたる僧意休(俗名は前田五兵衛利則)が中興し,本願寺11世顕如上人に帰依して真宗に改宗しました。この由来で聖徳太子作と伝わる本尊の阿弥陀如来を前田利家が寄進したといい,蓮台に由緒が刻まれています。山号の岡部山は織田信長の家臣で,のちに和泉岸和田の城主となった岡部氏が当寺に深く帰依し,三つ巴の家紋や器具などを寄進したことに由来します。



 本堂は火災などからもまぬがれ,現在の本堂は昭和40年(1965年)に完成した斬新な鉄筋コンクリートの合掌造のものです。山門は明治期の木造の鐘楼門で,正面の「梅廼寺」の文字は維新の三舟の1人という高橋泥舟の筆で,当時境内に梅の木が多く.加賀の紋所が梅鉢だったことが由来になっています。
 寺内には前田城址の碑があります。前田城は東西一丁,南北二丁あまり(一丁は約109m)に及び,領主は前田佐十郎長規で,織田信秀に仕え,周辺の蟹江,下市場,下之一色などの城も有する約20万石の勢力だったといいます。前田利家の生誕は荒子城という説もありますが,前田城にて生まれた7歳で荒子城に移ったという説もあり,寺伝では前田利家出生地と伝え,加賀地方と深いつながりを有します。その後,天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いの際に,徳川家康らに攻められ前田城は落城。城主の前田与十郎長定は蟹江城に逃れますが,攻められて死亡します。境内には前田家先祖の墳墓という五輪塔があるほか,下之一色にあった前田与十郎の墓が移されています。他に境内には,明治24年(1891年)建立という旧前田村碑があります。明治22年(1889年)に5村が合併して万須田村が生まれた際,それを惜しんで建てられたといいます。

円盛寺
前田西町1-902



 速念寺の北に隣接して,円盛寺(真宗大谷派)があります。四明山と号し,寺伝によると慈覚大師による創建で,当初は四明山一乗院長覚寺という天台宗の道場であったといいます。天正6年(1578年)に伊勢国北畠具親によって禅宗に改宗され,天正9年(1581年)に和歌山長覚寺の開基の超立住職が当寺を訪れて真宗に改宗。さらに慶長9年(1614年)に僧超円が現在の寺号に改めたといいます。昭和25年(1950年)に火災にあいましたが,再興されました。寺宝には前田利家ゆかりの品もあるといいます。

宝蔵院
伏屋2-707





 円盛寺から寺を回り込むように進んで突当りを左折し,次の筋を右折して100m進み,踏切を渡った次の交差点を右折するとすぐに宝蔵院(真言宗)があります。創建は不詳ですが行基菩薩の開基といい,雲龍山無動寺といいましたが,その後南蔵院と称し,宝永7年(1710年)に現在の寺号になりました。本尊は行基作という地蔵菩薩で,境内に鎮守稲荷社と阿弥陀堂があります。

七所神社
伏屋2-1701





 宝蔵院から少し進むと,左手に七所神社があります。創建は不明ですが熱田の七所の社を勧請したものといい,永正6年(1509年)に再建され,「尾張志」にも記載があります。明治42年(1909年)に神社公称となり,昭和20年(1945年)の戦争で本殿が全焼するなどの被害を受け,昭和28年(1953年)に再興されました。



 七所神社の右側の道を進んで,先の交差点を左折し,150mほど進むと(途中の広い道は右手の横断歩道を利用),右手に白山社と秋葉社があります。七所神社の飛び地境内社になります。

(長須賀)八幡社
長須賀2-801



 2本前の広い筋に戻り,左に曲がって北上し400mほどJRの線路をくぐって進むと,「長須賀」の交差点があります。交差点の北西に(長須賀)八幡社があります。創建は不詳ですが,正保3年(1646年)再建といい,その後数回にわたり社殿改築を行った記録があります。文化9年(1812年)に名古屋の山川猪十郎なるものが日本刀を奉納しているといいます。昭和24年(1949年)に秋葉社と斎宮社を合祀しました。

延命寺
長須賀2-308





 「長須賀」交差点の北東側に進み,そのまま100m強進んだ2本目の筋を右に入ると少し先に延命寺(真言宗)があります。現あま市蜂須賀の蓮華寺の末寺で弥勒院ともいいます。行基作の本尊の木造地蔵菩薩と,昔廃絶したという弥勒寺の本尊弥勒仏も堂内に安置されており,境内の南に西向きで鎮守社として秋葉社があります。

富田支所
春田3-215



 「長須賀」交差点に戻り,右に曲がって200m強進み,新川を渡って「長須賀橋西」交差点で歩道の階段を降りて左折し,萱津用水沿いに進みます。そのまま南に200m弱進むとJR関西線の線路をくぐるので,くぐった先を右折し,線路沿いに約500m,国道302号線を越えて進むと,JR関西線の春田駅に到着します。電車の本数増加にともなって設置された信号場が前身で,平成13年(2001年)開業の新しい駅です。



 春田駅のロータリー手前を南に折れ,200mほど進んだ6本目の筋を右に曲がり,150mほど西に進んだ先の突当りを左折すると,すぐに中川区役所の富田支所があります。昭和30年(1955年)に名古屋市に編入されるまで,中川区のおおむね庄内川より西の地域は海部郡富田町でした。現在でも住民の利便性のために支所が設けられ,各種の行政サービスが受けられます。

浄栄寺
春田4-256



 富田支所から西へ1筋進むと神明社があります。春田の地が開拓された際に設けられたと考えられます。



 神明社から150m南下し,突当りを右折して,さらに突当りを左折すると,浄栄寺(真宗大谷派)があります。春田山と号し,蓮如上人の弟子となっていた僧誓真が,応仁2年(1468年)以降,上人の諸国巡行に従っていたが,その際に一宇を建立したのが始まりといい,寛永12年(1635年)に蒲生氏郷の元家臣が戦に敗れてこの地を訪れ中興したといいます。本堂は天保11年(1840年)に建立されたものが,明治24年(1891年)に濃尾地震で倒壊して再建され,その後伊勢湾台風でも被害があったが改修されたものです。山門に入ったところの大楠と境内の石庭が印象的です。本尊は木造の阿弥陀如来立像になります。

八幡社
戸田1-1107



 浄栄寺から出て左手に進んで北に向かい,次の交差点を左折して道なりに進み,戸田川の橋を渡ります。橋を渡って40m先の交差点を右折して北上します。この両側には戸田の街並みが広がり,毎年10月に行われる戸田祭の際は山車が行き交って賑わいます。



 200m弱北上した右手の交番のところに,富田村道路元標と旧富田町役場跡の碑があります。昭和30年(1955年)に名古屋市に合併する前の富田町の役場がここにあり,町の行政の中心になっていました。道路元標は村までの距離などを考える際の基準地です。この付近にはかつて戸田城が築かれ,この付近の富田荘の下司職や地頭が居を構えていたといいます。



 さらに50mほど北上した左手に八幡社があります。創建は鎌倉時代と言われ,境内社に秋葉社があります。戸田祭り[市民俗]が毎年10月の第1土日に行われる際は,この前の広場に山車が勢ぞろいするために広い広場が設けられています。境内には戸田祭で出される5つの山車のうち,一の割の山車蔵があります。
 戸田祭の起源は,この先の西照寺の記録によると元禄12年(1702年)の八幡社の祭りが起源といい,現在は一の割から五の割までの山車が町内を練り歩くことで1つの祭りを形成する点が大きな特徴になっています。各割の山車とからくり人形は寛政8年(1796年)頃の製作と推定され,平年に行われる提灯祭と特別な年に行われる山車祭(現在は4年ごと)があり,山車が練り歩く際はからくり人形の妙技も見ものになっています。

天満宮
戸田1-517



 「戸春橋西」交差点に戻り,右折して100m強西に進み2本目の筋を左折して南に100m弱進むと,左手に天満宮があります。ここには戸田祭の二の割の山車蔵があり,この山車は越後獅子のからくり人形が特徴です。各山車蔵に描かれている紋が異なるので,それにも注目です。



 さらに100m進んで突当りを右折し,その先の突当りを左折します。さらに100m進んだ突当りを左折すると,左手に鈴宮(れいぐう)社があります。創建は不詳で,拝殿に百人一首の泥絵があります。ここは三の割の山車蔵があり,文字書き人形が大きな特徴といいます。
 

法然寺
戸田3-904





 鈴宮社の先の右手に法然寺(浄土宗西山禅林寺派)があります。快教山智慧光院法然寺と称し,開基は不明ですが寛永9年(1632年)に快空教然によって再建されたといい,宝暦2年(1752年)にはその名前から快空山と号しました。明治24年(1891年)の濃尾地震で諸堂が倒壊して,その後再建されています。境内の観音堂は安政3年(1858年)の創建といいます。

宝泉寺
戸田2-1106





 法然寺の先の左手に宝泉寺(真宗大谷派)があります。宝樹山と号し,創建は諸説ありますが文安2年(1445年)と言われています。当初は天台宗でしたが,7世順世の代に当寺に見真大師が訪れて真宗に改宗し,寺号も現在のものに改めたといいます。寛永元年(1624年)にもと中野村にあったものを現在地に移したといいます。江戸時代に尾張藩主義直が当地に鷹狩を行った際に立ち寄ったといい,門前に制札を掲げる許しを受けたといいます。



 宝泉寺の先の右手には特徴的な常磐醸造の建物があります。戸田の古い町並みの中でもひときわ映えています。

西照(さいしょう)寺
戸田3-808





 常磐醸造の先の交差点を右折すると,少し先の右手に西照寺(真宗大谷派)があります。慈光山と号し,長享元年(1487年)に蓮如上人の孫である教誓が創建し,当初は真蔵坊と称していました。天正18年(1590年)に第4代淳誓は還俗して小田原合戦に参加し,当地で知り合った堀田金助なる者の臨終に立ち会ったのをきっかけとして,その後再び僧籍に還って熱田の裁断橋の架橋に携わりました。寛永13年(1636年)に恵心僧都作という阿弥陀如来を本尊とし,現在の寺号になりました。現在の本堂は平成21年(2009年)に火災で全焼したため再建された建物です。

浄賢寺
戸田3-819





 西照寺から少し先の右手に浄賢寺(真宗大谷派)があります。梅香山と号し,文亀2年(1502年)に創建といい,その後天正年間(1532〜55)年に僧明観によって再興されたといいます。当初は天台宗で,三河の勝鬘寺(現岡崎市)の末寺でしたが,本寺の勝鬘寺が真宗に改宗したため,末寺の本寺もそれにならって改宗したといいます。

太平寺
戸田3-911





 浄賢寺の先の筋を右折し,約50m進むと右手に太平寺(曹洞宗)があります。海印山と号し,創建は和銅3年(710年)と古く,元明天皇の勅願寺として行基菩薩によって清洲に建立され,当初は法相宗に属していたといいます。永享5年(1433年)に当地を支配していた地頭の戸田氏によって,戸田の荘の鎮護の霊場と戸田氏の菩提寺としてこの地に移され,曹洞宗になったといいます。その後,戸田一族が渥美半島田原に移ったため,この地を支配した織田信長の家臣の内田三太郎重次が再建し,伽藍の整備を行ったといいます。以前の建物は内田氏によって清洲にあった織田家の勘定部屋を移したものといいますが,現在の建物は昭和56年(1981年)に建てられたものになります。境内には,行基菩薩の作で清洲時代の本尊である薬師如来がまつられた薬師堂や,火防のための秋葉堂などがあります。

白山社
戸田3-1501



 太平寺の左側の筋を進んで次の筋を左に曲がり,その先の突当りを右折して100mほど進むと,左手に白山神社が見えてきます。ここには戸田祭の四之割の山車蔵があり,山車祭の際はからくり人形のある山車が引き出されます。



 白山神社から南の県道29号線を渡り,さらに南に1筋進んだら左折し,道なりに100m進むと,大きく右に曲がった先に神明社の入り口があります。ここは戸田祭の五之割の山車蔵があります。

ゴール:近鉄・戸田駅



 神明社の入り口から直進して進み,突当りを右折して300mほど進むと,ゴールとなる近鉄戸田駅があります。名古屋駅まで普通列車で約14分になります。本数は1時間に3本程度になります。

写真使用数:40

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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