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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中川区:西古渡コースNISHI-FURUWATARI

2015年3月探訪。2015年11月17日作成

【コース】 距離:約8.3km
 山王駅から堀川周辺と中川運河の北および東部をめぐります。昔ながらの名古屋近郊の村々の史跡を訪ね,昔ながらの街並みが楽しめます。

名鉄・山王駅〜露橋神明社〜松重閘門〜塩竃神社〜金刀比羅社〜善行寺〜露橋公園〜ナゴヤ球場〜柳島神社〜熊野神社〜祐正寺〜八剣社〜源通寺〜(牛立)八幡社〜願興寺〜長円寺〜市バス・野立橋バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・山王駅



 今回のスタートは名鉄・山王駅です。名古屋からも金山からも1駅2分ほどで到着しますのでアクセスは容易ですが,普通列車しか止まりませんので注意してください。山王駅を降りたら東に向かってスタートします。

露橋神明社
山王3-12-4 [公式HP(外部リンク)→]



 「山王駅前」交差点から約100m山王通を東に進んで,次の信号を右に曲がり50m弱進むと右手に露橋神明社があります。創建は不詳ですが,『尾張史』に記載があるといい,『那古野府城志』にも「八幡社の西,新道の村中にあり」と記載があります。例祭が10月の第1日曜日に行われています。



 山王通に戻り,横断歩道を渡ると,山王温泉喜多の湯があります。ウォーキングが終わった後などに利用するとよいでしょう。

松重閘門
山王1





 喜多の湯の左側の道を100mほど進み,突当りを右に曲がって200mほど進むと左手に松重閘門[市文化]があります。堀川と中川運河を結ぶ通線路の閘門として昭和5年(1930年)に建築され,名古屋の物流を支えてきました。堀川と中川運河は水位が異なるため,両者にわたる船はここで通線路に入って航行しました。運用時は「東洋の大運河」と呼ばれたといいます。陸上交通の割合が大きくなったため,昭和43年(1968年)に閉鎖されましたが,保存運動などにより閘門は残されました。高さ20mの塔が2棟立ち並び,異国情緒あふれる風景をかもし出し,ライトアップも行われ名所になっています。周囲は松重閘門公園として整備され,中川区唯一の歴史公園になっています。平成5年(1993年)に名古屋市都市景観重要建築物に指定されました。

堀川沿い
松重町付近



 松重閘門の北の「南北橋」交差点を東に渡り,そのまま堀川沿いに進んでいきます。堀川は慶長15年(1610年)に福島正則が総奉行となり,名古屋城築城の資材を運ぶのを主な目的に開削されました。日置橋付近のこの辺りは,かつて江戸時代には桜などが植えられ,茶屋や料理屋などが並び,花見船も出て賑わったと記録に残されています。

塩竃神社
西日置1-7-10 [公式HP(外部リンク)→]







 堀川沿いを日置橋まで進んで左折し,「日置橋」交差点を渡って約300m古くからの商店街をそのまま進むと,右手に塩竃神社があります。社伝によると,名古屋城築城の際に岩田藤忠という武士が工事無事を祈願して,仙台の塩竃大明神を勧請して創建したといいます。築城関係の大名の信仰が篤く,福島正則が御手洗盤を寄進したほか,延宝年間(1673年)に尾張藩の武将の松平康久が社殿を改修したといいます。文化13年(1816年)に移転したのち,天保6年(1835年)に現在地に移転しました。毎月1日,15日にはカッパ市が開かれて賑わうほか,安産や虫封じの神様として地域の人に慕われており,5月第1土日には育児大祭が行われ,釜形の土鈴が授けられるといい,例大祭も10月9・10日が行われます。



 境内にある無三殿(むさんどの)大神は,今は埋め立てられた江川にいたカッパを祀ったもので,商売繁盛や子どもの神様として知られるほか,痔を治してくれる神だったといい,ここから南東にある「むさんどの橋」でカッパに痔を治してもらえるといいますが,現在は橋はありません。境内にはカッパの「むさんどさん」の像も建てられています。



 塩竃神社の右側の道に入り,すぐ右手に進むと観永ビルがあります。ビルのそばに汗かき地蔵という乳授けの伝説のある地蔵があります。寺伝によると,村の百姓が堀川から拾い上げた地蔵を祀ったもので,干天で雨が降らなかった時期に,地蔵に雨が降るようにお願いしたところ,地蔵の体から汗がしたたり落ちて,「雨を降らすことは至難だが,子供たちのために乳をあげよう」とお告げがあり,待望の雨が降ったといいます。

金刀比羅社・名古屋城石切場跡
月島町11-1



 そのまま約200m進むと名駅通との「西日置ガード下」の交差点につきます。横断歩道を渡った先左手に踏切地蔵堂があります。昭和9年(1934年)から祀られているもので,線路が高架になる前はここに踏切があり,交通安全を祈願して設けられたものです。



 そのまま直進して高架をくぐって400m進み,猿子橋で中川運河を渡ります。中川運河は笹島の貨物駅と名古屋南部の工業地帯を結ぶ運河で,かつては名古屋物流の拠点でした。この北が運河の終点になっています。



 猿子橋を渡って直進し,広い道に突き当たる手前を左折すると,西念寺(真宗大谷派)があります。



 直進して中川運河に突き当たる道に出たら右折し,約200m進んだ右手に金刀比羅社があります。もと西宮神社といい,昔おいせ川が社のそばを流れおり,その守護神として祀り航行の安全を祈願したといいます。別名「いぼ神様」の別名があり,いぼ取りの願いをしゃくしに書いて奉納し,患部をさすれば霊験が得られたといいます。境内には昭和11年(1936年)に「名古屋城築城石切場跡」の碑があります。慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に石切り場所だったと伝承されています。ここより北は川幅がせまかったために,ここで石切りを行って名古屋城に運んだといいます。大正時代に中川運河が開削され,境内がせばめられて現在の姿になりました。



 中川運河に沿って約150mさらに進んだ「小栗橋西」交差点の南側に地蔵堂が設けられています。ほほえみの運河地蔵ともいわれ,以前によく水死体がここで上がっていたため,その霊をなぐさめるために昭和10年(1935年)に建てられました。この付近の中川運河は昔ながらの古い倉庫などが立ち並び,ムードある雰囲気になっています。

善行寺
愛知町41-19



 「小栗橋西」から道なりに進んで次の筋を右に曲がり,曲がってすぐの広い道を横断歩道で渡って400mほど道なりに進むと,少し太い道を右に進んだところに神明社と熊野社の合殿があります。境内の西側に昭和3年建立された安井徳左衛門の顕彰碑があります。彼は宝暦年間(1751〜64)のこのあたりの豪農で,水難の害を取り除こうと私財を投じて水路を開削し,それ以降水害が少なくなったといい,その後,川を徳左川,橋を徳左橋と呼んで彼の徳をしのんだといいます。現在,その橋の石柱が境内に保存されています。







 右に進む前に戻りさらに西に進むと,善行寺(真宗大谷派)があります。もと米野村(中村区)にあって善光寺という禅寺でしたが,明応年中(1492〜1501)に僧覚順が蓮如上人に帰依して真宗に改宗し,文亀元年(1501年)にこの土地の人である祖父江隼人の願いにより現在地に移して普広寺と称し,寛永年中(1624〜44)に今の寺号になりました。境内にある鐘楼の石垣は,名古屋城築城の際の石垣の残石が使われています。

露橋公園
露橋2-13



 「小栗橋西」交差点まで戻り,小栗橋を渡ります。この渡った先の右手には,日本で最初にバイオリンの製造を行ったともいわれる鈴木バイオリン製造[公式HP(外部リンク)→]があります。安政6年(1859年)に東区で生まれた鈴木政吉は明治23年(1890年)にバイオリン工場を立ち上げ,良質のバイオリンを世界中に供給することになり,日本の音楽界に大きな貢献をすることとなりました。



 そのまま進んで200m強い昔ながらの街並みを歩き,道なりに右に曲がる先を左に曲がって東に進んだところに津島神社,その先には観音堂があり,昔ながらの信仰を感じます。



 そのまま進んでやや広い道に突き当たったら右に曲がり,200m強進んだ2つ目の横断歩道を渡って左折し,さらに2本目の筋を右折すると,左手に露橋公園,右手には露橋スポーツセンターがあります。露橋公園は野球場も備えた公園で付近の住民の憩いの場であり,スポーツセンターは昭和57年(1982年)に開館し,各種のスポーツイベントが行われます。

ナゴヤ球場
露橋2-12-1



 さらに進んだ先にはナゴヤ球場があります。元々名古屋紡績の工場があった跡地に昭和23年(1948年)に中日スタジアム(中日球場)として建設され,翌年から中日ドラゴンズの本拠地として利用され,多くの人で親しまれました。昭和27年(1952年)に火災で全焼したために鉄筋コンクリート造りで再建され,昭和50年(1975年)に運営会社の変更により,現在のナゴヤ球場になりました。平成9年(1997年)以降は,1軍の本拠地がナゴヤドームに移されたため,現在はドラゴンズの2軍の本拠地や練習場として使われています。この間改修されてきれいな雰囲気の球場に生まれ変わり,敷地面積38,000平方メートル,観客数3万5千人を誇ります。

熊野神社
二女子町3-25



 露橋スポーツセンターの先の交差点を右折し,100m弱進んだ突当りを左へ,さらに続く筋を右に進み,続く筋を道なりに直進して200mほど進むと柳島神社があります。この付近の柳島付近の住民の神社で,毎年10月上旬に例祭が行われ地域の人で盛り上がります。



 一筋戻って右に曲がって南に250mほど進むと,「八幡本通2西」交差点につきます。ここで交差する道が旧佐屋街道に当たります。熱田から烏森,岩塚を通って佐屋に至る東海道の脇街道として整備された道で,桑名までの船旅を避けて通る旅行者で賑わいました。この付近はかつて松並木が続いていたといいますが,現在は古くからの商店街になっています。





 交差点を右折して,続く筋を左に曲がると150mほど進むと右手に熊野神社があります。この付近の二女子(ににょし)村の産土神としてあがめられてきた社で,明治11年に五女子村と合併したときの名前で,現在も南の通りの名前になっている八熊村は,ここの熊野神社と,五女子村にあった八剣社の2つの神社が名前に由来になっています。二女子,五女子という珍しい地名は,昔金持ちの地主に7人の娘がおり,順番に土地を与えたのが由来ともいわれていますが,数字が順番になっておらず謎に満ちています。

祐正寺
二女子町4-63



 さらに150mほど進んだ2本目の筋を左に曲がると,50mほどで祐正寺(真宗大谷派)があります。恵覚山と号し,寺伝によると元仁元年(1224年)の創建とも延徳3年(1491年)に創建ともいわれ,当初は専光坊と称しました。加藤清正の弟の祐正が当寺に住んだことにちなんで,天正年間(1573〜92)以降に現在の寺号に改めたといいます。本尊は寛永8年(1631年)に本山より授かったといいます。寺の周囲の石組みには,名古屋城築城の際の残石が使われているといいます。

八剣社
五女子町3



 祐正寺から東へ道なりに約300m進み,横断歩道を渡った先を左に進むと,成願寺(真言宗智山派)があります。この付近は五女子町といい,佐屋街道沿いは商店街になっていますが,その南は昔ながらの街になっています。





 戻って南に150m進むと右手に八剣社があります。寛永2年(1625年)に創建されたといい,尾州和加部守がかかわったといいます。この付近が不作で飢饉に陥ったとき,柿と栗のみで飢えをしのぐことができたことから,例大祭では柿と栗を俵に詰めて,豊作を祈るといいます。境内には力持ち石という3つの重い石があります。かつて若者がこの石を持ち上げて腕を競ったといい、最も重いものは158kgもあるといいます。先に述べたように二女子村と合併した時には,ここ八剣社と,二女子村の熊野神社から八熊村となりました。

源通寺
五女子町4-28



 八剣社の南側の道を西に少し進むと,源通寺(真宗大谷派)があります。天正年間(1573〜92)に創建されたといい,その後寛永年間(1624〜44)に衰退していた寺院を,三河針崎村(現岡崎市)の徳円寺の僧万休が再建したと伝えられています。
 

(牛立)八幡社
牛立町2-13





 八剣社の東側の道を100m南下し,先の分岐を左に進むと「八熊通5」の交差点があります。ここの横断歩道を渡り,100mほど進んだ2本目の筋を左に曲がって100mほど進むと,この付近の牛立村の村社の(牛立)八幡社があります。境内には足洗い池があって5月5日に足洗い祭りが行われ,また力比べに用いたであろう力石もあります。境内の北西にはさらに鏡池があったといいます。また,神社が持つ牛立天王山車[市民俗]は,慶応元年(1865年)に八王子天王社(現北区清水町)から譲り受けたもので,天保6年(1835年)仲秋尾州名護屋末広町住人真守作のという銘がある豊臣秀吉の像の周りに唐子人形2体が配置されており,からくり仕掛けで太鼓が打てる仕組みになっているといいます。



 隣接して,四門寺(臨済宗永源寺派)があります。近江永源寺に属する尼寺で,かつては八幡社の神宮寺でしたが,明治の神仏分離の際に,廃寺になっていた寺を再興して設けられました。

願興寺
牛立町2-57





 八幡社から西に戻って,次の細い筋を左折し,突当りを右折,次の分岐を左に進んで道なりに50m強進むと,右手に願興寺(真宗本願寺派)があります。尾頭山と号し,敏達天皇の時代(572〜585)に奈良元興寺の道場法師が郷里であるこの地に創建したと伝わる中川区随一の古刹です。もとは天台宗で尾頭山元興寺と称しており,位置もこの北の古渡村(JR尾頭橋駅付近)にありました。道場法師が生まれた際に,霊蛇が法師の首にまとい,頭と尾が同時に垂れたことから「尾頭」の名前が生まれたといわれています。一時衰退しますが,鎮西八郎為朝の義次によって再興されました。その後,延徳年間(1489〜92)に浄土真宗に改宗し,織田信秀が古渡城を築城する際に,尾頭村(中区正木4丁目)にあったものが現在地に移されました。旧地には薬師堂が残されましたが,その後新たに元興寺が建てられています。

長円寺
元中野町2-96





 顔興寺から細い道をさらに進み,牛立公園に突き当たったら右に進んでバス通に出ます。バス通を左折すると牛立町バス停があります。バス通をそのまま南下して200m進んだ5本目の筋を右に曲がり,約100m進むと右手に長円寺(真宗大谷派)への参道が見えてきます。長円寺は海国山と号し,創建は不詳ですが,寺伝によると平家の残党がこの付近に住み着いた際に,一族同朋の霊をなぐさめるために一宇を建立したのが始まりと伝えられ,その後大永元年(1521年)に僧慶春が再興したといわれています。境内には大谷派初代寺務総長の大谷勝縁の題額や日露戦争病死士碑などがあります。



 長円寺の先に神明社があります。旧中野村の村社になっており,八幡社,白山社,神明社の3社が合祀されています。元々,3社は別々の場所にあったのですが,たびたび水害にあったために,安永6年(1777年)に村の中央の小高い丘に三社を一か所に遷宮しました。昔,この付近は熱田社とも関連が深く,この付近は熱田の誓願寺(源頼朝が生誕したと伝わる尼寺)の領地がかなりあったといいます。

ゴール:市バス・野立橋バス停



 神明社の先2つ目の筋を左折し,続く突当りを右折します。そのまま西に200m進むと,中川運河を渡る野立橋を渡ります。かつてはこの運河を多数の船が行き交ったことでしょう。



 その先の野立橋バス停がゴールになります。幹名駅2系統が,名古屋駅まで20分弱で結んでいるほか,港区役所駅,高畑駅などにバスが運転されています。幹名駅2系統は1時間に3本程度で,それ以外の系統は1時間に1本程度です。ちょうどよいバスがあれば,コース途中の牛立町バス停から名駅19系統を利用してもいいでしょう。

写真使用数:43

←前:[中村区]岩塚宿コース / 名古屋市中川区 / 次:松葉公園コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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