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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中区:橘町・別院コースTACHIBANA/BETSUIN

2014年12月探訪。2015年2月1日作成/4月2日加筆
2015年8月7日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約6.5km
 上前津駅から名古屋城下の南側の橘町付近をめぐります。信長や尾張藩主徳川光友にちなむ多くの史跡と,戦争でも残った古い街並みが特徴的です。

地下鉄・上前津駅〜天寧寺〜本願寺名古屋別院(西別院)〜日置神社〜妙善寺〜大木戸跡〜栄国寺〜梅香院〜長栄寺〜下茶屋公園〜真宗大谷派名古屋別院(東別院)〜仙洞寺〜東輪寺〜闇之森八幡社〜元興寺〜地下鉄・金山駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・上前津駅



 スタートは地下鉄名城線・鶴舞線が交差する上前津駅です。駅構内には東北の復興支援のための物産販売を行っているみちのく屋があるので立ち寄ってみましょう。[公式HP(外部リンク)→])。今回は駅の南側を進んでいきます。7番出口から出て西に向かいましょう。

天寧寺
門前町3-21



 大須通を100mほど西に向かい「裏門前町」交差点を左に曲がり100m進んだ最初の道を右に進むと,約100mで天寧寺(曹洞宗)があります。元は清須にあり,円徳院と称いましたが,清須越で名古屋に移されました。本堂の西に立つ三宝殿が有名で,信長の守本尊と呼ばれる三宝大荒神がまつられており,信長がわが子の成長を願って守鶏絵馬を奉納したと伝わる,信長にゆかりが深いお寺になっています。

本町通の仏壇店
門前町の本町通一帯



 さらに50m進むと本町通に出ます。この付近の本町通は,仏壇店が並んでいます。名古屋は木曽のヒノキが集積するという土地柄,江戸時代から仏壇作りが盛んで,この周辺に仏壇店が多いのは,別院などのお寺が集中しているからだそうです。尾張藩は仏教保護の観点からも仏壇具の「株仲間」を組織させ,この付近の仏壇店も江戸時代からの歴史を持つお店も多いようです。名古屋仏壇の特徴は,台の部分が高く,いわゆる「まくり」を備えていることと,土地柄か豪華な作りのものが多い事です。通商産業省から伝統工芸品の指定を受けています。

本願寺名古屋別院(西別院)
門前町1-23 [公式HP(外部リンク)→]



 本町通を渡ると,本願寺名古屋別院,通称西別院があります。西本願寺を総本山とする浄土真宗本願寺派の名古屋別院で,もともと伊勢の長島に建てられた願証寺がルーツです。天正2年(1574年)長島一揆敗北による廃寺になったのち,顕如が清須にて再興,清須越しで名古屋に移りました。元々は伊勢の願証寺の掛所でしたが,享保2年(1717年)に正式に西本願寺の別院となりました。1817年(文化14年),葛飾北斎がこの地で120畳もの大達磨を描いたり,明治7年(1874年)に今の名古屋大学医学部の前身にあたる医学講習場が設けられたりと歴史をたどった場所です。尾張藩主綱誠の側室梅昌院の御霊屋を含む様々な堂宇がありましたが,戦災で焼失。現在のインド様式の本堂は昭和47年(1972年)の再建です。



 本堂の前方には戦災からまぬがれ,明暦4年(1658年)の銘のある鐘楼が立っています。上層部が大きいのに,下層部に鐘を釣るのは型破りな形式で非常に珍しいそうです。また,鐘楼の近くには樹高15mを誇るセンダンの木があり,時期になると多数の果樹をつけて彩りを添えます。

名古屋スポーツセンター[有料施設] (大須二子山古墳跡)
門前町1-60 [公式HP(外部リンク)→]



 西別院の裏手から出て北上すると大須通に出ます。左に曲がった先の「西大須」交差点の南東に名古屋スポーツセンターがあります。通称大須スケートリンクと呼ばれ,伊藤みどり,浅田真央などの有名選手のホームリンクとして知られており,ギャラリーでは彼女たちが実際に使用したスケート靴などが展示されています。また,東海地区のアイスホッケーチームの育成にも力を入れているほか,文化・体育系の各種講座が開催されています。
 名古屋スポーツセンターのあったところには,かつて大須二子山古墳と呼ばれる古墳が存在していました。全長138m,高さ10mと東海地区最大の古墳である熱田区の断夫山古墳につぐ規模があったという説もありますが,大須球場の建設や伏見通の拡張などで正式な発掘が行われないまま破壊され詳細はわかりません。出土した大須二子山古墳出土品[市文化]は,名古屋市博物館と南山大学人類学博物館に保管されています。

安用寺
門前町4-20



 本願寺名古屋別院の前の本町通まで戻り,先ほどの天寧寺への道の一本南の筋を約50m進むと安用寺(曹洞宗)があります。このお寺も清須越で名古屋に移ってきたお寺の1つで,徳川光友筆と伝わる「太治山」の額がかかげられています。



 隣接して印象的な狐が両脇にいるお稲荷さんがあります。「手たたき稲荷」といわれ,夜中に手をたたくと狐が現れる,ということで評判になって,明治年間は多くの参拝客が訪れたとのことです。

山田屋総本店
橘1-1601



 本町通を南下し,「門前町」交差点を過ぎる橘町の町並みになります。この地域は戦災からもまぬがれ,独特の古い街並みが残る貴重な地域になります。交差点を越えたすぐ右手には柏彌紙店があります。江戸時代の文政年間(1824頃)創業という歴史があり,2階は町屋衆が集まった茶室があるといいます。



 その先の右手には,山田屋総本店があります。明治43年(1910年)に建設され,明治時代の新しい様式の町屋として貴重な存在で,白漆喰の塗籠が印象的です。「山田屋総本店」の看板もかすれていて年代を感じさせます。名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件になっており,つい最近まで仏具店として営業しましたが,現在は建物だけになっています。
 その奥には,1939年頃建築の古い町屋を利用したカフェもあり楽しめます。

日置神社
橘1-3-21



 山田屋総本店から本町通りを南下し,次に右に入れる道を進んだところに日置神社があります。平安中期の『延喜式』に「愛智郡日置神社」として載っている格式の高い神社で,日置は古来,暦を司った日置部が名前の由来とされます。信長が1560年に桶狭間の戦いに出陣するときに戦勝を祈願した神社の1つとして有名で,信長が戦勝のお礼に松を千本植えたと伝わり,それ以降,この付近は千本松原という松林が広がったといいます。現在も戦勝祈願の神社として有名で,受験生が多く訪れます。



 境内には樹齢200年のムクノキをはじめ,樹齢を重ねたであろう古木がいくつか見られます。境内には,力試しのさいに用いられたという力石があります。



 日置神社の西に隣接して,高顕寺(曹洞宗)があります。摩利支天の案内碑が立てられています。

妙善寺
橘1-17-15 [公式HP(外部リンク)→]



 本町通まで戻り,少し南下した右手に妙善寺(日蓮宗)があります。延宝8年(1680年),尾張藩第2代の徳川光友公の腫れ物の平癒を願って,豪商の茶屋長以という人物が自ら刻んだ七面女神像を奉納したといいます。その七面女神像がまつられているため別名「七面宮」と呼ばれています。境内の「七面宮」の額は光友公の直筆のものであるとか。
 境内には,歌舞伎役者の3代目中村翫雀(かんじゃく)の石碑があり,この辺りに「橘座」という芝居小屋があり,そのひいき筋が建立したとされます。この橘座は,現在は本町通の先にある愛知産業大学工業高校の校内に設けられています。



 さらに少し南下した右手には,黒漆喰が印象的なユニークな酒樽の看板を掲げた美濃佐商店があります。商店部分と住居部分に分かれていて,住居部分は3層に見えますが,2層だそうです。



 反対側には同じく黒漆喰の木造2階建のめん処天満屋(てんまんや)があります。築100年以上らしいのですが,今もしっかりと営業され,地域に息づいています。

大木戸跡
橘2



 本町通をさらに南下し,国道19号線と合流するところまできたところに橘町の大木戸跡があります。大木戸は主要街道から城下に入る入口に設けられた門のことで,名古屋には橘町の他にも,赤塚(東区)と樽屋町(西区)に設けられ防衛の拠点になっていました。ここがちょうど城内の端に当たり,道は熱田に通じていくことになります。1872年に取り壊されましたが,2014年10月に,橘町の街ができてから350周年ということで,大木戸跡の文の入った街路灯が設置されました。春には3本の桜の木が彩り,昔を感じることができます。

栄国寺・切支丹遺蹟博物館 [一部有料施設]
橘1-21-38



 大木戸跡から本町通を戻り,「松原交番北」交差点を右折して東に進み,1本目の筋を左に入ります。ここが東橘の通りで,仏壇店を始め,昔ながらのお店が多いところです。



約100m進んだ左手には栄国寺(浄土宗)があります。清涼山と号し,寛文4年(1665年)に尾張2代藩主徳川光友によって創建されたこのお寺は,もともと千本松原といった処刑場だったこの地に,それらの菩提を弔うために建てられました。



 現在の境内は安政年間(1854〜60)のものだとうです。特に,この地では当時禁制であったキリスト教の信仰者を数多く処刑したことから,境内にはキリスタンに関する博物館もあり,有料で処刑されたマリア観音や踏み絵などの切支丹の遺品などを見ることができます。



 先に進んだ本堂は安政3年(1856年)に再建されたもので,本尊の鎌倉時代作とされる木造阿弥陀如来坐像[県文化]があり,像高1.8mで名古屋三大仏の1つとなっています。反対側には「賽の河原」と書かれた建物があり,天保8年(1837年)作という仏足石が中にあります。この他に,刺繍涅槃図[市文化]などの文化財も所有しています。



 先に進んで細い道を進んだところには,切支丹処刑地跡・無縁仏埋葬地の案内板が建っており,無縁仏が埋葬された碑が建てられています。

崇覚寺
橘2-601 [公式HP(外部リンク)→]





 栄国寺の南東側出口から出て,そのまま南に50m強進んだ右手には崇覚寺(真宗大谷派)があります。長嶋山と号し,戦国時代末期に伊勢長島(現三重県桑名市)に建立され,その後寛永2年(1625年)に西区堀詰町に移転し,元禄3年(1690年)の東本願寺名古屋別院の建立に大きな役割を果たしたといいます。正徳3年(1713年)に東別院に隣接する現在地に移転しました。本堂[国登録]は慶応2年(1866年)建立という総ひのき造りの立派なもので,東本願寺御影堂を手掛けた伊藤平左衛門によるものです。

梅香院
橘1-15-18



 栄国寺の南東側出口に戻って,すぐ東側の信号を左に曲がり裏門前町通を北上します。ここも古い街並みが特徴的な通りです。約150m進んだ左手に梅香院(浄土宗)の入口があります。性海山と号し,貞享元年(1684年)に藩主徳川光友が六男の実母の梅香院のために,中島郡奥田村にあった寺を移したものです。山門,本堂ともに趣深い建物になっています。

長栄寺
橘1-14-37



 梅香院から1つ南の交差点に戻り,左に曲がって50m強進むと長栄寺(曹洞宗)があります。741年に建立の伝承があり,文禄期(1592〜96)に織田信秀の妹が清須に移し,清須越で政秀寺の南側に移りましたが,その後天和3年(1683年)に徳川光友のはからいで現在地に移されました。寺宝として懸仏[県文化]を所持しており,これは円板の杉板を金属板でおおい,本尊と左右の脇侍を取り付けたものです。



 本堂・総門ともに江戸時代の18世紀の建立で趣深いものになっています。本堂前には,明和6年(1769年)建立という,江戸時代の俳人・横井也有をしのぶ「ら塚」があり,ここの名所になっています。「ら塚」というのは,蔦(ツタ)をからませた塚のことです。また,境内には「化け銀杏」と呼ばれる樹齢300年とも言われる市保存樹のイチョウがあります。

下茶屋公園
橘2-9



 栄国寺前の交差点に戻り,左に曲がって東に約100m進むと左手に橘公園があり,「おためし場腑分けの跡」の案内板が立てられています。嘉永7年(1854年),ここにて名古屋ではじめて人体解剖が行われた場所で,尾張の医学に画期的な貢献をしたということです。



 さらに約100m進むと,右手に下茶屋公園が見えてきます。すぐ近くにある東本願寺別院(東別院)の後庭があったところで,今でも公園には江戸後期の庭園の様式が残されており貴重だそうです。大きな池がある回遊式庭園になっており,都会のオアシスと言えます。名前の由来は,東本願寺別院が出来て,この付近に茶屋が並ぶようになったためだとか。

真宗大谷派名古屋別院(東別院)
橘2-8-55 [公式HP(外部リンク)→]



 下茶屋公園の東側から出て右に進んで南下すると,やがてメ〜テレのビルの前につきます。ここには東別院参道の案内碑が建っており,さらに進んでいくと,仏教伝来をテーマとした6つのモニュメントが建てられています。釈迦の生涯から日本への伝来などの6つの場面を見ることができます。



 東別院参道を200m弱進むと,やがて真宗大谷派名古屋別院(東別院)が見えてきます。元々は泉竜寺といって蟹江町に天正9年(1581年)に建立し,慶長11年(1606年)に袋町に移転。1690年(元禄3年),尾張2代藩主の徳川光友によって寺領の寄進を受け,1702年(元禄15年)に建立され,以降,名古屋の真宗大谷派の御坊として繁栄を極めました。その後,広大な敷地を利用して,明治7年には愛知県主催の物産博覧会の会場になったり,愛知県庁の仮庁舎がおかれたりしたこともあります。その後,第2次世界大戦の空襲で諸堂は燃えてしまいましたが,1968年(昭和43年)に鉄筋コンクリートの本堂が再建されています。



 境内は広大で,毎月28日の親鸞の命日に開かれる市などのイベント時はたくさんの人でにぎわいます。また,桜の時期は多くの花見客でも賑わいます。所持する寺宝としては,六曲屏風の紙本墨画淡彩四季山水図[国重文](名古屋市博物館・寄託)が知られています。



 境内の左手には,梵鐘[市文化]と納骨堂があります。尾張藩鋳物師頭の水野太郎左衛門家によるもので,江戸時代の元禄期に作られたものになります。

古渡城址



 東別院の梵鐘の左下付近に古渡城址の碑があります。東別院の建立前,ここには古渡城という城が建てられていました。織田信長の父の織田信秀が天文3年(1534年)に築いたもので,熱田という経済地を掌握し,来る今川氏との戦いに備えるために築かれたもので,東西140m,南北100mの平城であったといい,信長が13歳でこの城で元服したと伝えられています。その後,信秀は天文17年(1548年)に千種区の末森城を築いたため,この城は廃城となりました。

洞仙寺
伊勢山1-1-29



 東別院から出て西に進むと「古渡町」交差点があります。ここで山王通を渡り,戻る方向に進んだ1筋目を右へ。続く筋を左へ進むと洞仙寺(曹洞宗)があります。瑞雲山と号し,かつては織田信秀のお手植えと伝わる梅が彩りを添えたと言います。



 境内に春草塚と呼ばれる圃暁居士(ほぎょうこじ)の句碑があります。圃暁は通称吉右衛門といい,この古渡の富豪で,いくつかの塚の建立にも関わったそうです。

東輪寺
松原3-15-18 [公式HP(外部リンク)→]



 「古渡町」の交差点に戻り,ここから西へ山王通の右側の歩道を約100メートル進むと,東輪寺(黄檗宗)の入口があります。護国山と号し,延宝2年(1674年)に尾張藩主徳川光友公によって創建されました。黄檗宗らしい異国情緒あるたたずまいになっています。



 江戸時代には様々な文化人が集う場所として知られたようで,松尾芭蕉の「栗稗に貧しくもあらず草の庵」という歌碑などいくつかの歌碑が建てられています。
 この北西の「松原二丁目」交差点の北には,明治の小説家で『浮雲』などの代表作で知られる二葉亭四迷の幼年時代の邸宅跡があります。

古渡稲荷神社
正木1-15-13



 東輪寺の先にある歩道橋を渡り,戻るように東の方向に進むと,約50メートルで古渡稲荷神社があります。もともと,丹羽郡(江南市)にあったものが,1713年(正徳3年)にここに移されてきたもので,中川区の山王の地名になった「山王稲荷」が境内にあります。この辺りは,江戸時代はもう城下を外れた地域になっており,京都と鎌倉を結んだ鎌倉街道が目の前を通っていたといいます。また,僧が2匹の犬に命を救われたことから建立したと伝わる犬御堂が,この北側にあったと伝わっています。

闇之森(くらがりのもり)八幡社
正木2-6-18





 古渡稲荷神社の前の道を南下して,3筋目の正木公園を過ぎた先の道を右に進んでいくと,2筋目の道を過ぎた先に闇之森八幡社の裏手側の入口があります。うっそうと闇に囲まれた神社という名前で,江戸時代からこのようなうっそうとした森であったことが「尾張志」に記されています。本殿の西に武将の源為朝使用の武具をうめたという鎧塚が建てられています。
享保18年(1733年)に遊女小さんと畳屋喜八が心中未遂事件を起こし,それを題材にした浄瑠璃『睦月連理*』(*は椿の下に心)が上演されるようになったため,「名古屋心中」の地として有名な神社となりました。

元興寺
正木4-5-14



 闇之森八幡神社を出て左に進み,最初の信号を右に進んでしばらくの間南下すると,やがて「正木橋北」交差点と名鉄とJRの線路を越える正木橋が見えてきます。



 線路を越えて150m進み2つ目の筋を右に曲がると,元興寺があります。仏教説話集の「日本霊異記」に,この付近の農民が雷の子を助けたお礼に大力の子を授かり,その子が奈良の元興寺に出て僧となり,この地に寺を建てたという伝説があり,その元興寺がここにあったとされます。昭和55年以降の発掘調査で,奈良時代以降の瓦などが多く出土しており,有力寺院があったとされています。

アスナル金山
金山1-17-1 [公式HP(外部リンク)→]



 「正木橋北」交差点に戻り,金山公園を東へ線路沿いに金山駅の方に歩いて,歩道橋を渡ります。



 この歩道橋を渡った先に金山駅前の複合商業施設であるアスナル金山があります。平成17年(2005年)に愛知万博の開幕に合わせて開業しました。ステージなどでイベントも多彩に行われるほか,多くのショッピングやグルメを楽しむことができます。ウォーキングのラストにゆっくりとしたいところです。

ゴール:金山駅

 アスナル金山を抜けて進んだ先に,JR・名鉄・地下鉄の総合駅になっている金山駅があります。金山駅前には,この他にもダイエーなどの商業施設があり,思い思いにゆっくり過ごすことができますので,ウォーキングの疲れを癒すのもいいでしょう。



【おまけ】桜の東別院 [4/2加筆]

 東別院の境内は,中区でも随一の桜の名所になっています。桜の時期に東別院を訪れてみました。



 東別院ホール周辺です。参道にも桜がいっぱいです。



 入り口付近も桜でいっぱい!冬とは雰囲気が大分違って,華やかな雰囲気です。



 古渡城址の碑から鐘楼にかけての方向です。桜で隠れてしまっていますね。





 本堂横は左右方向ともに桜が咲き乱れています。豪快な感じですね。





 駐車場付近(上)はとくに桜がいっぱい。門の前(下)もきれいな桜が楽しめました。とにかく,たくさんの桜を楽しみたい人にとっては,おすすめスポットの1つといえるかもしれません。

写真使用数:52

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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