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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中区:大須コースOsu

2014年12月探訪。2015年1月21日作成
2015年8月7日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約3.5km
 大須観音駅から大須2〜4丁目の大須商店街周辺をめぐります。元気な商店街をめぐりながら,大須の歴史を刻んだ様々な時代の史跡を訪れます。

地下鉄・大須観音駅〜大須観音〜七寺〜富士浅間神社〜大光院〜陽秀院〜北野神社〜阿弥陀寺〜総見院〜三輪神社〜清浄寺〜久屋大通庭園フラリエ〜萬松寺〜春日神社〜地下鉄・上前津駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・大須観音駅

 今回のスタートは地下鉄鶴舞線・大須観音駅です。栄や名古屋駅からの場合は,東山線に乗車して伏見駅で鶴舞線に乗り換えです。大須観音駅の2番出口から出て出発です。

大須観音
大須2-21-47 [公式HP(外部リンク)→]





 地下鉄大須観音駅の2番出口から出て,約50m南下すると大須のシンボルである朱塗りの大須観音(真言宗)が現れます。正確には北野山真福寺宝生院といい,建久年間(1190〜99年)に尾張国中島郡大須荘(現在の岐阜県羽島市大須)に京都の北野天満宮の別当として建てられた観音堂が起源です。その後,洪水の被害が絶えなかったため,1612年(慶長17年)に徳川家康が貴重な文庫書籍類に注目して現在地に移しました。戦争で被災しましたが,その後再建されて名古屋の庶民信仰の中心の1つとして現在に至っています。境内には郷土芸能の「大正琴」発祥の地の碑や『いざさらば 雪みにころぶ 所まで』の芭蕉の句碑など様々な史跡もあり歴史を感じさせます。また,絹本著色仏涅槃図[国重文]などの寺宝も所持しています。
 本堂下の1階部分には大須文庫があります。天下の三経蔵と呼ばれ,戦争での難もまぬがれ,江戸時代以降集められた古書籍など1万5000点を誇る我が国の無比の文庫として,大須本または真福寺本と呼ばれ歴史研究に寄与しています。その中には現存最古の『古事記』三帖[国宝]をはじめ,『漢書食貨志(かんしょしょしょっかし)』『■玉集(ちょうぎょくしゅう,■は王偏に周)』二巻,『翰林学士詩集(かんりんがくしししゅう)』[いずれも国宝]『将門記』『尾張国解文』『扶桑略記』[国重文]などの国の重要文化財が37点含まれており,名古屋の誇れる文化財の1つになっています。

大須商店街
大須2 および 大須3 [公式HP(外部リンク)→]



 大須観音の仁王門から出て東に進むと,大須商店街の仁王門通の入り口があります。大須観音の門前町として大須の町は発展し,一時期は衰えましたが,現在は名古屋で最も元気な商店街といわれるまでになっています。かつては秋葉原などのように電気街を形成していました。グルメあり,ファッションあり,文化ありのごった煮の元気あふれる商店街になっています。これからしばらくはこの大須商店街の周辺を歩いていくことになります。

七寺(稲園山長福寺)
大須2-28-5



 商店街に入って最初の道を右に進み,100m進んで大須通に出たところを左に曲がると,すぐに七寺(真言宗智山派)が見えてきます。正式には稲園山長福寺といい,この寺に設けられた七堂伽藍から七寺といわれました。735年に行基が現在の稲沢市七ツ寺町に建立した伝え,その後,清須に天正19年(1591年)に移転。さらに清須越を機会に慶長16年(1611年)この地に移されました。享保15年(1730年)に徳川幕府の祈願所となり,元禄13年(1790年)に尾張藩主の徳川光友が三重塔を建立するなど大寺院として繁栄しましたが,残念ながら先の戦災で大方が焼失してしまいました。かろうじて持ち出されたのが木造観音菩薩坐像及び勢至菩薩坐像[国重文]と,七寺一切経・黒漆一切経唐櫃3398巻[国重文]で,貴重な文化財になっています。毎年,11月に行われる酉の市がよく知られ,縁起物の熊手が販売されます。
 明治期にはこの西に教育博物館が設けられ,動植物や鉱物の標本により研究や啓蒙活動を行いました。かつては大須観音に並ぶ賑わいを見せましたが,現在は静かな寺院になっています。

富士浅間神社
栄3-5-1 [公式HP(外部リンク)→]



 七寺を過ぎた次の通りを左に曲がって北上していくと約100mで,珍しいアーケード街の中にある教会の名古屋福音伝道教会が見えます。



 さらに100mほど北上すると,富士浅間神社があります。明応4年(1495年)に当時の後土御門院の勅令で,富士山の本宮浅間大社から分霊を勧請し,創建されたといいます。もともとは尾張三名水の柳下水を有する清寿院という寺の鎮守でしたが,廃仏毀釈によってこの神社だけが残ったといいます。商店街にはさまれた場所ながらも静かな雰囲気の神社で,観光客など多くの人が参拝に訪れるようです。

柳下水
大須2-16-26



 富士浅間神社から次のアーケードを右に曲がり少し進むと,喫茶店の一角に柳の木と井戸が見えます。ここが亀尾の蒲水と蒲焼町風呂屋の井に並ぶ尾張三名水の1つとして知られた柳下水が出ていた場所です。もともと,ここにあった清寿院の中門前にこの名水が湧き出ていたと伝えられて,多くの人々の生活を支える名水でした。江戸時代は芝居や見世物小屋などがあって繁栄したようですが,明治時代に廃仏毀釈によって廃寺になりました。

那古野山古墳
大須2-19



 アーケードの道を戻り,富士浅間大社から来た道をさらに北に進んでいくと,約50mで左手に緑に覆われた那古野山古墳が見えてきます。6世紀頃造営されたとされ,元々は前方後円墳だったのですが,江戸時代に清寿院の後園が作られた際に前方の部分は壊されてしまいました。名古屋の都市部に残る貴重な古墳で,かつて形成していた大須古墳群の一角です。戦後,1879年(明治12年)には浪越公園として整備され,市内最初の公園として解放されました。現在,その公園跡を説明する案内板が建っています。

大光院
大須2-7-25



 那古野山古墳から道なりに北に進む道をたどって約100m,突き当りを少し左に進むと,大光院(曹洞宗)があります。興国山と号し,もともと慶長初年に清須に建立された清善寺を前身とし,慶長15年(1610年)清須越しで名古屋に移転し,その後歴代の尾張藩主からもあつい保護を受けました。朱塗りの門は赤門と言われ,この前の通りの「赤門通」の名前の由来になっています。



 境内の明王殿のご本尊・烏瑟沙摩明王は,特に女性の病気を治すことから「女の仏様」と言われて,大須に遊郭があったころには,そこにいる女性から厚い信仰を受けました。毎月28日の縁日には大変賑わいます。女性が詣でるお寺ということで明るい雰囲気になっているようです。

陽秀院
大須2-15-7



 大光院から少し東に進むと,大須秋葉殿といわれる陽秀院(曹洞宗)が見えてきます。江戸時代から民間信仰が盛んで,境内にある紙張地蔵は,自分の体の悪いところに紙を張るとご利益があるといわれ,地蔵に紙がいっぱい張られており,それが物珍しいです。また山門は戦災をまぬがれた趣深い建物になっています。28日には縁日が行われ賑わいます。

北野神社
大須2-12-21



 陽秀寺から大光院の方に戻る方向にまっすぐ200m進むと左に曲がったところにすぐに北野神社があります。大須観音はもともとこの北野神社の神宮寺で,大須観音の元祖ともいえる神社です。清須越しの際に大須観音と一緒に移転しました。京都の北野天満宮を勧請して創建され,祭神は菅原道真です。

大須演芸場
大須2-19-39 [公式HP(外部リンク)→]



 北野神社からそのまま南に50m進み,1本目の筋を左に進み,続く交差点を右に進むとすぐに大須演芸場があります。昭和40年(1965年)に開場し,中京地区唯一の寄席として名古屋の芸能をけん引し,多くの芸人も若手時代に公演したことで知られています。経営難による資金繰りの悪化の為に平成26年(2014年)に閉館となりましたが,2015年9月にリニューアルオープンし,また元気よく名古屋の芸能をけん引することが期待されます。
(写真は再開後の2015年10月24日に撮影したもの)

日出神社
大須2-3-17





 大須演芸場から引き返してそのまま北に向かっていくと,若宮大通の手前のところに日出神社が見えてきます。もともと愛宕社といい清須越で名古屋にやってきましたが,明治42年に周囲の2社を合祀して現在の名前に改められました。神社の本殿は小高い丘の上に設けられていますが,これはもともと5世紀に建造されたとされる古墳があったところで,日出神社古墳跡と呼ばれていい,先ほどの那古野山古墳と同様大須古墳群に属します。大須は古くは古墳が作られた町でもありました。

阿弥陀寺
大須2-5-47



 日出神社から若宮大通に出て右に曲がり,次の道を右に曲がると,すぐに阿弥陀寺(浄土宗)が見えてきます。正覚山と号し,天文年間(1532〜1554年)に現在の中川区に創建と伝わり,のち清洲を経て慶長16年(1611年)に現在地に移転しました。江戸時代に落語や講談が行われた記念の『咄塚』が建立されています。

総見寺
大須3-23-38



 さらに南下して次の交差点を左に曲がると,続いて本町通に着きます。ここを右に曲がり商店街のアーケードの1本手前の道を左に曲がると大須公園があります。大須公園の北東に信長ゆかりの寺として有名な総見寺(臨済宗妙心寺派)があります。山門横には「織田信長公由緒地」の碑が建てられています。
 総見寺は景陽山と号し,信長の二男・信雄が父の菩提をとむらうために,伊勢国の安国寺を移転して,信長の法号にちなんで総見寺と称したのが始まりで,清須越で慶長10年(1615年)に現在地に移転し,尾張藩主徳川義直などから寺領の寄進を受け発展しました。中に信長の墓があり,信長の命日にあたる6月2日には毎年法要が行われています。織田信長公画像,旧清須城障壁画[ともに県文化]など県指定文化財9点,紙本著色渡唐天神像[市文化]などの寺宝を有しています。明治11年には境内に博物館が設けられ,その際には博覧会も開催され,県内の物産などが陳列公開されました。公園から見える仁王門を見ながら,信長への思いを馳せるのもおもしろいです。

萬年寺
大須3-4-41



 総見寺からさらに東に進み次の交差点を左に曲がって約150m,右手に公園が見える手前の筋を右に曲がると,約100mで左手に萬年寺(曹洞宗)があります。祝峰山と号し,天文7年(1538年)に南にある萬松寺の塔頭として清須に建立され,萬松寺とともに慶長15年(1610年)に現在地に移転しました。

三輪神社
大須3-9-32





 萬年寺から東へ道なりに100m進むと,三輪神社があります。創建には諸説あるそうですが,現在の矢場町付近にあった小林市城の主に牧若狭守長清が生まれ故郷の大和(奈良県)の三輪山の大物主神をしずめるために1570年に創建されたと伝わります。彼は同じ大須の春日神社や富士浅間大社も再興したらしく,信心深かったのでしょう。
 江戸時代には尾張八代藩主の徳川宗勝らの崇敬もあつく、十六代藩主の徳川義宜が合祀されています。境内に尾張藩の矢場(弓の稽古場)があり,地名の矢場町という名前の由来になっています。境内には福兎があり、神社の大きな特徴になっています。

清浄寺(矢場地蔵)
大須4-1-32 [公式HP(外部リンク)→]



 三輪神社からそのまま東に進むと南大津通に出るので,通りを渡り左に曲がって北上していくと,約100mで右手に清浄寺(浄土宗)が見えてきます。この入口には小林城跡の案内があります。牧長清が居城とした城で,織田氏ともゆかりの深い人物でした。老後は仏門に帰依し,死後城は廃城となり,その後,現在の清浄寺が建てられました。



 清浄寺は徳寿山と号し,元禄12年(1699年)に尾張藩主徳川光友によって,津島の誓願寺を移して建てられました。延命地蔵で有名で,地名をとって矢場地蔵といわれて親しまれ,尾張六地蔵の1つにもなっています。高さ5メートルとも言われるジャンボ延命地蔵尊があり,その他境内にはお地蔵さんがいっぱいで,夜にはライトアップが行われる時期もあります。

久屋大通庭園フラリエ
大須4-4-1 [公式HP(外部リンク)→]





 清浄寺の東側から出て,左手の「若宮大通久屋」交差点で東に横断歩道を渡ると,久屋大通庭園フラリエがあります。久屋大通公園の最南端に設けられた庭園で,元々は平成10年(1998年)に「ランの館」として開園しましたが,利用者低迷のために2014年に現在の形になりました。入館料が無料になって利用しやすくなったほか,冬季はイルミネーションも行われるなど,様々なイベントも行われます。
 庭園の東側には新堀川の源流となっている堀留水処理センターがあります。昭和5年(1930年)に熱田処理場とともに設けられ,川の水質改善が実現されました。現在は庭園の地下にも施設が拡張されており,庭園にも処理水が利用されています。

東泉院
大須4-2-35 



 西側の前津通を渡って,そのまま左に向かって南下します。約200m進んだ「赤門東」の交差点を右折すると,東泉院(曹洞宗)があります。医王山と号し,寺伝によると元々は北の若宮八幡宮の境内にあって十二坊の塔頭を有したと言います。慶長年間(1595〜1615年)に現在地に移りました。

中公設市場
大須3-10-26



 東泉院からそのまま西へ約150m,赤門のスクランブル交差点を越えて進むと,左手に大須新天地通商店街のアーケードが見えます。



 この右側には大正7年(1918年)からの歴史を持つ中公設市場があります。米騒動をきっかけとして設けられ,昭和に改修されてきれいなたたずまいになっています。地元の人の買い物の場として現在も活躍中です。
 ここから賑やかな商店街を南下していきます。多国籍なグルメやショッピングなども楽しむといいでしょう。

萬松寺 [境内工事中]
大須3-29-12 [公式HP(外部リンク)→]





 さらに南下していくと,大須アメ横ビルなどの商店ビルが立ち並び,その右手奥方向にアーケード街にある珍しい萬松寺(曹洞宗)があります。亀岳山と号し,天文9年(1540年)に織田信長の父,織田信秀が織田家の菩提寺として創建したという由緒ある歴史を持ち,幼少の徳川家康がここで過ごしたという話や,信長が父・信秀の葬儀がここで執り行われた際に抹香を位牌に投げつけ「うつけ者」呼ばわりされたという話は有名です。慶長15年(1610年)に現在地に移転しましたが,当時は寺域二万坪以上を誇る広大な寺院でした。大正時代になって,寺域の大部分を開放して現在の大須商店街が出来上がったといいます。最近では平成21年(2009年)に完成した納骨堂の水晶殿が有名で,マスコミなどでも時折取り上げられています。現在,境内工事中で2016年9月末に新しい境内がお目見えするということです。

春日神社
大須3-46-34



 萬松寺から南に100mほど進むと,大須のシンボルの巨大招き猫があり,待ち合わせ場所として有名です。



 さらに南に100m弱進み,広い大須通に突き当たったら左に曲がると,約100mで春日神社があります。天暦2年(947年)またはそれ以前に奈良県の春日大社から勧請して創建されたという古い歴史を持ち,小林城主の牧長清が元亀元年(1570年)に再興しました。尾張藩主第2代徳川光友が出生するときに安産祈願でその母が訪れ,病気が治ったという話が知られています。その後,元和元年(1681年)に焼けて,元美濃市道樹寺から塔頭を移して泰昌寺として存続しましたが,明治の廃仏毀釈で本来の春日神社になり,戦災で焼けたのち,昭和34年(1959年)に社殿が再建されました。朱塗りの印象的な建物で繁華街に近いのに静かな雰囲気がただよい,ゆっくりするにはいい場所です。

三井住友銀行 上前津支店
大須3-46-24



 春日神社の隣に,三井住友銀行上前津支店の建物が建っています。昭和6年竣工の古典建築様式の建物が目に引きます。支店なので簡素な景観になっていますが,正面入り口には大きなイオニア式の柱を添えることにより,重厚な雰囲気を出すことに成功しています。この建物も昭和初期の銀行建築として貴重なものになっています。

ゴール:地下鉄・上前津駅

 銀行の前には地下鉄上前津駅の9番出口があり,ここがゴールになります。鶴舞線の他に名城線も通っており,アクセスは良好です。ウォーキングで見つけた気に入ったお店をもう一度訪ねるなど,大須の町をじっくり楽しむのもいいかもしれません。

写真使用数:30

←前:栄ミナミコース / 名古屋市中区 / 次:橘町・別院コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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