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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中区:栄キタコースNORTH SAKAE

2014年12月探訪。2015年1月11日作成
2015年8月7日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約7.2km
 栄駅から錦通北側の丸の内・錦の名所をめぐります。名古屋城南の旧城下町のエリアで,碁盤割に区切られ,史跡が多くあります。

地下鉄・栄駅〜名古屋テレビ塔〜蕉風発祥の地碑〜歯の博物館〜三の丸庭園〜少彦名神社〜愛知県護国神社〜那古野神社〜東照宮〜愛知県図書館〜泥江県神社〜延命院〜福生院〜聞安寺〜サンシャインサカエ〜地下鉄・栄駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)


スタート:地下鉄・栄駅

 スタートの栄駅は東山線・名城線・名鉄瀬戸線が乗り入れる名古屋の中心地です。名古屋駅から東山線で2駅。栄駅の4番出口から出てスタートします。

セントラルパーク
錦3-15-13先 [公式HP(外部リンク)→]



 出口を出ると北側にオアシス21の施設があります。西側の横断歩道を渡ると,栄地区のシンボルとなっている希望の泉があります。



 ここは南北に久屋大通公園が広がり,しばらく公園を北上していきます。公園の地下にはセントラルパークの地下街が広がっています。



 周辺はリバーパークとして整備されており,都会のオアシスとなっています。

名古屋テレビ塔 [有料施設]
錦3-6-15先 [公式HP(外部リンク)→]



 公園の先には名古屋テレビ塔[国登録]が見えます。名古屋テレビ塔は名古屋城と並ぶもう一つの名古屋のシンボルともいえる存在ですが,1954年に日本で初めての集約電波塔として開業,高さは180mで2011年までは実際に電波塔としての役割を果たしてきました。今は,その機能はありませんが,名古屋のシンボルとして今でも多くの人に愛されています。夜にはライトアップされ,地上100mの展望台からは栄の町を一望することができ,夜景のスポットとしても非常に有名です。

蕉風発祥の地碑



 テレビ塔の北側に進むと,「蕉風発祥の地碑」があります。1684年に松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中に,ここで芭蕉七部集の第1集である「冬の日」と呼ばれる句集をまとめたとされています。これが俳句というものを芸術の域まで押し上げた最初ということで,それを記念にした碑となっています。今,当たり前となっている俳句というものがここで誕生してきたのはちょっと意外でもあり,感慨深いものでもあります。

セントラルパーク アネックス
錦3-5-4 [公式HP(外部リンク)→]

 そのまま久屋大通公園を北に進みます。桜通に突き当たるところの西側にはアネックスのビルがあります。1986年建設の地上12階,地下1階建てのビルで,東急ハンズなどのテナントが入っています。栄の中心部のデパート・ショッピングビル街としてはこの当たりが北限にあたり,ここからは先は静かなウォーキングとなります。

久屋大通公園 いこいの広場





 この付近は地下鉄久屋大通駅の入口があります。桜通を越えるセントラルブリッジを渡ると,その先には名古屋の姉妹都市になっているロサンゼルスの広場があり,映画俳優などの手形が展示されています。





 さらに北に進むと「いこいの広場」として公園が広がっています。ここには様々なモニュメントがあって目を楽しませてくれますが,これらは名古屋の姉妹都市になっているシドニー,メキシコ,南京などにゆかりのものです。細かく見ていくと,色々な発見がある公園で楽しく散策することができます。

歯の博物館
丸の内3-5-18 愛知県歯科医師会館1階



 久屋大通公園を北上していくと,外堀通の終点の1つ手前の道の左側に愛知県歯科医師会館があります。ここの1階には歯の博物館(木曜と土日祝のみ開館)があり,歯や歯の治療に関する展示を見学することができます。平成24年に内容がリニューアルしました。歯科治療の器具の歴史のコーナーでは,昭和初期の治療椅子なども展示されており興味深いです。歯に関してこれだけ歴史的資料がそろっているのはなかなか見ることができないでしょう。

三の丸庭園
三の丸3-2





 久屋大通公園の北端に出て,北西側の道に入っていきます。約100m進むと,右手に三の丸庭園が見えてきます。明治14年〜17年にかけて,名古屋城二の丸庭園南御庭の一部を移設して作られたもので,樹木の中には名古屋城築城当時に植栽されたものや,武家屋敷に使われた木などもあって貴重だそうです。中は佐久間石などの大石などが配された枯山水の庭園があります。名古屋城の二之丸庭園などと比較しても穴場的スポットで,人が少なくいつも静かな雰囲気です。





 庭園入口のすぐ北には名古屋市国際交流展示館(土休日は休館)があります。名古屋市の国際交流に関する展示室となっており,姉妹友好都市を結んでいるロサンゼルス,メキシコシティー,中国の南京,シドニー,トリノに関する展示があります。

愛知・名古屋 戦争に関する資料館
丸の内3-4-13 [公式HP(外部リンク)→]






 久屋大通公園の出口に戻り,西に進む道に入ります。ここから先は名古屋城の南側に広がる古くからの城下町で,清須越以来の古い地名もかつては残されていましたが,現在は「丸の内」という地名に統一されました。現在は,通りの名前に古い地名の名残が残っています。
次の大津通を渡って左に曲がり南に少し進むと,特徴ある建物が2つ出てきます。南側は伊勢久株式会社の建物で,1758年(宝暦8年)創業という老舗の薬問屋です。今建っている建物は1930年(昭和5年)竣工。現在でも使われており,昭和初期の好景気の豊かな装飾性を伝えています。北側にあるのは,愛知県庁舎の大津橋分署です。2015年7月,庁舎を利用して「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」がオープンし,県民の戦争体験や名古屋空襲に関する展示が設けられ,戦争について学ぶことができるようになっています。この一角を取り出すと,昔にタイムスリップしたようです。

少彦名神社
丸の内3-2-22 [公式HP(外部リンク)→]

 伊勢久の先の交差点を右に曲がると京町通になります。ここも清須越以来の地名で,京都から来た呉服屋が多く住んでいたことが名前の由来になっています。1855年(安政2年)の大火ののち,この付近は薬の問屋街として発達しました。
約100m進んだ名城小学校のところに伊藤圭介出生地の案内板があります。享和3年(1803年)にこの地で生まれた伊藤圭介は,医学や本植学を学び,長崎のシーボルトのもとで西洋植物学を学び,その後,日本最初の理学博士となりました。



 さらに100mほど進むと右手に少彦名神社が見えます。大阪にある同名の神社が有名ですが,そこと同様に薬の神様がまつられており,毎年10月16日には例祭が催されます。目の前には老舗の中北製薬のビルがあり,なかなか看板などの年季が入っています。ここから西に向かってのエリアは,昭和初期に建てられたビルが残っており,近代建築の宝庫になっています。

市営交通資料センター
丸の内3-10-4



 少彦名神社から手前の交差点に戻って呉服町通を南下し.一本南の上中通に進みます。ここを右に曲がり進むと左手に丸の内ビルがあり,6階には,市営交通資料センターがあります。地下鉄のシミュレータやジオラマ,市営バスの運行の仕組みなど,子どもにも楽しめるようになっています。市営交通に関する資料も豊富においてありますが,位置の関係もあるのか,穴場的スポットになっています。
 センターからさらに1つ南の筋を左に進んだ,伊藤医院の前には舞踏の名古屋西川流を確立した西川鯉三郎の免許の跡の案内板があります。

愛知県産業貿易館
丸の内2-4-7(西館)



 市営交通資料センターから西に進むと,両替町と呼ばれる両替屋が設けられた地域になります。2本目の少し太い筋が碁盤割の中央をつらぬき熱田に通じる本町通になり,四方を示す案内碑が残されています。



 次の信号を左に進んだところに茶屋新四郎宅跡の案内板があります。貿易商人の尾張中島家の分家で,尾張徳川家の呉服調達で活躍した茶屋(尾州茶屋)の屋号で知られた中島新四郎の邸宅がありました。また,現在の松坂屋の元になった「伊藤屋」もこの付近にあったと知られています。慶長16年(1611年)に清須越によって移り,代々次郎左衛門を名乗った歴代店主により呉服屋が営まれ,「現金売り掛け値なし」などの方針が民衆に支持され繁栄を築きました。



 本町通をさらに北上すると,左右に愛知県産業貿易館の建物が見えてきます。右手の本館には中小企業支援の公社(現:あいち産業振興機構)が入っていましたが,ウインクあいちが名古屋駅前にできたため現在は閉鎖されています。



 左手の西館は現在も運営中です。本館前には,明治4年(1871年)に設置された公立の仮病院跡の案内板が,西館前には同年に現在の名古屋大学医学部の前進にあたる仮医学校が設けられたとの案内板が建てられており,名古屋の近代医学の黎明の場所を感じることができます。

愛知県護国神社
三の丸1-7-3 [公式HP(外部リンク)→]



 本町通をさらに北上し,外堀を越えて進みます。この堀を渡るところには,かつて大手門が設けられていました。





 さらに100mほど進むと,左手に愛知県護国神社があります。明治2年(1869年)に尾張藩主の徳川慶勝公が当時の戊辰戦争でなくなった魂をとむらうために,昭和区川名山におまつりしたのが始まりで,昭和10年に現在地に移転しています。太平洋戦争までになくなった愛知県の英霊を約9万3000柱まつっており,毎年春と秋には「みたま祭」が行われています。ここの桜華会館には,愛知平和資料館として,戦争に関する展示物が展示されています(ただし,土日祝は休館)。



 旧三の丸に当たるこの付近には現在は裁判所などの官庁舎が多く,中日新聞社の本社もこの西側にあります。かつても外堀の中にあるこのエリアは,奉行所などが設けられ上級武士が住んでいたエリアになります。

那古野神社
丸の内2-3-17 [公式HP(外部リンク)→]





 外堀通まで戻り,西へ100m進んだ1本目の筋を左へ曲がると,すぐに右手に那古野神社が見えてきます。延喜11年(911年)創建という歴史のある神社で,元々は名古屋城三の丸にありました。天文元年(1532年)に兵火で燃えましたが,織田信秀により再建さ れ,その後江戸時代を通じて名古屋城の鎮守の神として,名古屋の産土の神として崇敬され,明治9年(1876年)に現在の場所に移されました。かつては慶長年間(1596年〜)以前から行われていたという天王祭が行われ,近世も2両のだんじりや数十両の見舞車という山車が出て6月15・16日に盛大に行われていましたが,戦災で山車が焼失し,現在は7月15日に車楽1両で祭りが行われ,16日に若宮八幡社への神輿の渡御が行われています。

東照宮
丸の内2-3-37 [公式HP(外部リンク)→]





 那古野神社に隣接してが東照宮(名古屋東照宮)があります。元和5年(1619年)に尾張の藩祖,徳川義直が父・家康を祀るために名古屋城三の丸に建てたもので,権現造の壮麗な作りだったそうです。明治8年に現在地に移り,その後,戦災で諸構造物は焼失してしまいました。
 現在の本殿[県文化]は元々,徳川義直の正室の高原院の霊廟であったものが大須の萬松寺に建設され,建中寺を経て,1953年(昭和28年)にこの地に移設されたもので,す。唐門,透塀に囲まれ,寄棟造・浅瓦葺で,装飾豊かな霊廟建築の遺構となっており,名古屋市の都市景観重要建築物にも指定されています。



 境内には明倫堂跡の碑があります。那古野神社と東照宮が明治にここに移されるまでに存在した尾張の藩校になります。天明3年(1783年)に開学され,初代総長は細井平洲でした。一般市民の教学にも重点がおかれたため,その教育は名古屋に非常に大きな影響を与えました。



 東照宮の西側から出ると,長島町通に出ます。ここには,名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件にもなっている長島町通のクスノキがあります。また,この那古野神社や東照宮周辺は桜の名所としても知られ,シーズンには多くの人が訪れて賑わいます。

金明竜神社のクスノキ
丸の内2-2



 東照宮を出たところのマンション裏手に,金明竜神社があり,ここに樹齢は400年余りの名古屋一と言われる巨大なムクノキがあります。名古屋の町が作られてからずっと町の発展を見守り続けてきたと思うと感慨深いです。
また,ここには尾張藩の重要な役職を歴任し,俳人としても有名な横井也有の邸宅跡の碑が建っています。元禄15年(1702年)生まれ,宝暦4年(1754年)に隠居してからは,82歳で没するまでに多くの俳句を詠み,「鶉衣」などの代表作があります。また,東照宮の南の京町通には,幕末の洋学者で,西洋の文物や学問に関する書物を著した柳川春三の出生地の案内板があります。

愛知県図書館
三の丸1-9-3 [公式HP(外部リンク)→]



 東照宮の北側の外堀通を300m西に進むと,「新御園橋」の交差点の北西側に芸術文化センター・愛知県図書館があります。もともとは昭和34年(1959年)に栄地区に開館したのを前身とし,平成3年(1991年)に現在地に移転しました。160万冊もの蔵書能力を誇り,たくさんの資料を閲覧することができるほか,元禄期の詳細な絵図である尾張国絵図,三河国絵図[ともに県文化]などの文化財も保存しています。これらの絵図は,愛知県図書館のホームページで閲覧が可能です。



 愛知県図書館の前の外堀にかかっている橋が御園橋です。明治44年架橋で,市内で唯一残る明治期の鋼橋で,名古屋でも最古級の橋です。ここの下を昔は瀬戸電気鉄道(現在の名鉄瀬戸線)が走っており,堀川の水運に接続していて当時は「お堀列車」と呼ばれ,瀬戸の焼き物などが各地に出荷されていました。また,この西側は街園になっており,憩いの場になっています。また,先に述べた横井也有の出生地の案内板がこの前に建てられています。

料亭河文
丸の内2-12-19 [公式HP(外部リンク)→]



 「新御園橋」の交差点に戻り,歩道橋を渡って右折して250mほど進んだ2本目の魚の棚通を左に曲がります。この魚の棚通というのは,昔,この付近に料理屋や魚屋が多かったためつけられた俗称です。現在でも,約300m進んだ左手に,元禄期(1688〜1704年)の創業と伝わる料亭河文があり,のれんを守っています。主屋・表門・塀及び脇門・新用亭及び渡廊下・用々亭・厨房[国登録]など昭和初期に再建されてからていねいに利用された格式の高い空間を感じることができるそうです。

長者町繊維街
錦2 [公式HP(外部リンク)→]



 河文の1つ手前の長者町通まで戻ります。この少し北の丸の内セントラルビルの北には,明治3年にこの地で生まれ,歌舞伎界の大立物となった六代目尾上梅幸の出生地の案内板があります。長者町通200m南下すると広い桜通に出て,さらに進むと長者町繊維街があります。かつては日本三大繊維問屋街にあげられ,和装,洋装などの店舗や商社がのきを並べましたが,現在は飲食店などが増えてきました。2001年からは長者町ゑびす祭りが行われ,フリーマーケットなどが並んで活気あふれる空間になります。

桜天神社
錦2-4-6



 長者町通の少し東,桜通に面して,桜天神社があります。祭神は菅原道真で,千種区の上野天満宮,北区の山田天満宮と並んで,名古屋三大天神社の1つになっており受験生に人気の神社です。天文年間(1532〜)に,織田信長の父の織田信秀が北野天満宮から道真の木像を勧請したのが始まりで,かつてこの地にあった萬松寺(現在は大須)の鎮守としておかれました。当時,桜の大樹があったことから桜天神と言われるようになり,これが現在の桜通の名前の由来になっています。万治3年(1660年)に桜は枯死しましたが,名前がかつての栄華を物語ります。

教授寺
丸の内2-17-21



 桜通を約300m西に進み,伏見通と合流する「日銀前」の交差点の手前に教授寺(真宗本願寺派)があります。忠重山と号し,明応3年(1494年)に現在の美濃国不破郡(現在の岐阜県)で創建され,当初は明了寺と称しました。延宝8年(1680年)に中区橘町に移転し,貞享2年(1685年)に現在地に移転し,現在の寺号に改めました。境内には,海運・治水の功労者で,江戸屈指の材木問屋となった河村瑞賢宅跡の案内板があります。

白山神社
丸の内1-15-18



 「日銀前」交差点から桜通を西に200m弱進むと,右手に白山神社があります。なお,この付近の桜通はイチョウ並木が見事で,市の都市景観重要建築物等指定物件となっています。



 白山神社は,元々はこの南の泥江県神社(広井八幡)に続く領域にあり,末社となっていましたが,慶長17年(1612年)に伝馬町筋が通って領域が二分されました。夏の例祭では,泥江県神社の御旅所として,神輿の渡御地となります。昭和39年に現在地に移されました。

泥江県神社
錦1-7-29



 白山神社から桜通を渡り,そのまま2筋進んだ袋町通を右折するとすぐに泥江県神社があります。祭神は応神天皇などで,清和天皇の貞観元年(859年)に筑前宇佐の八幡宮の分霊として勧請されたといい,天正の頃から広井八幡と呼ばれ,尾張七代藩主の宗春の頃には芝居小屋も作られて大いににぎわったと言います。
 泥江県神社の少し西の駐車場には,慶長17年(1612年)に大阪から移り住み,のちに曲全流の一派を築いた茶人の河村曲全斎の邸宅跡の案内板があります。

延命院
錦2-8-20



 泥江県神社から東に約150m戻り,次の信号を右に曲がった御園小学校の向かいのビルの前に,広く貧困者の施療を行った伊藤玄沢の施療所跡と名古屋絞発祥地の案内板があります。



 さらに袋町通を東に進み伏見通を越えると,左手に名古屋21大師の4番札所になっている摩尼山延命院(真言宗豊山派)があります。元々は医王寺という清須の寺院でした。
 延命院の先の桑名町通を左に曲がると,約50メートル先に尾張藩医で,十四代藩主徳川慶勝の奥医師も務めた三村玄澄(1792〜1853年)の宅跡の案内板があります。

福生院
錦2-5-22 [公式HP(外部リンク)→]





 延命院から袋町通をさらに東に250mほど進むと袋町お聖天 福生院(真言宗智山派)があります。お聖天というのは,歓喜天のことで男女和合の福神のことです。名古屋七福神の毘沙門天霊場,名古屋21大師の5番札所など,様々な霊場でもあり,縁起が良さで賑わいます。1386年中村の里にて創建され,その後1617年に清須越しで現在地に移転したといいます。名古屋の町が出来てから,この錦界隈の発展を見守ってきた生き証人のような寺院と言えるでしょう。

聞安寺
錦3-6-15先 [公式HP(外部リンク)→]



 福生院から東に約100m進んだ左手に聞安寺(真宗大谷派)があります。長島山と号し,文明13年(1481年)に伊勢長島村に創建され,その後清須を経て寛永3年(1626年)に現在地に移転しました。境内には,名古屋の表千家の茶道界をリードしてきた吉田家の初代の吉田紹和と2代の紹敬をたたえる顕彰碑があります。



 ここから東に進むと名古屋随一の歓楽街である錦三丁目になります。昼間は静かですが,夜になると歓楽街としての顔を覗かせます。この付近は昔から蒲焼町筋と呼ばれる繁華街になっていたそうです。

円輪寺
錦3-7-20



 さらに錦三丁目の繁華街を250mほど進むと,左手に円輪寺(浄土宗)があります。究竟山と号し,延享2年(1745年)、近世の名僧関通を開山としています。中区正木にある闇之森八幡社で起きた心中事件を題材とし話題になった浄瑠璃の「睦月連理*」の初演が行われたという案内板が入口に建てられています。 (*は椿の下に心)

サンシャインサカエ [一部有料施設]
錦3-24-4 [公式HP(外部リンク)→]



 円輪寺から進むとすぐに大津通で,ここを右に曲がって200mでサンシャインサカエの建物と観覧車Sky-Boat[公式HP(→外部リンク)]が見えます。地上6階建てのビルには飲食店やファッション店が入り,話題のアイドルSKEの劇場などもあり,多くの人で賑わっています。2005年(平成17年)の開業で栄にすっかりと落ち着きました。

地下鉄・栄駅

 サンシャインサカエのところに栄駅8番出口があり,ゴールとなります。ウォーキング終了後は広い地下街でゆっくりと買い物を楽しむのもよいでしょう。


←前:名古屋城コース / 名古屋市中区 / 次:栄ミナミコース→

写真使用数:49

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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