本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市中区:名古屋城コースNAGOYA CASTLE

2014年12月探訪。2015年1月3日作成
2015年3月4日/3月31日加筆

2015年8月7日再構成・地図掲載/2018年12月24日加筆

【コース】 距離:約3.7km
 名古屋城正門から天守閣や本丸御殿などの名古屋城内をめぐり,その後,東門から出て市役所駅周辺の建築物などをめぐるコースです。

市バス・名古屋城正門〜名古屋能楽堂〜名古屋城のカヤ〜乃木倉庫〜天守閣〜本丸御殿〜表二之門〜那古野城跡〜二之丸庭園〜愛知県体育館〜名古屋市役所〜愛知県庁〜地下鉄・市役所駅 [名古屋城内は有料です]


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋城正門・バス停

 名古屋駅から観光ルートバスの「メ〜グル」の利用が便利です(平日は30〜60分間隔,休日は20〜30分間隔)。栄からは栄13系統が30分間隔で運行。地下鉄を利用する場合は,浅間町駅,丸ノ内駅,市役所駅が利用できます(いずれも徒歩15〜20分)。


名古屋城 [有料施設]
本丸1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 バス停を降りると,すぐ目の前に名古屋城跡[国特別史跡]の入口があります。名古屋台地の北部に名古屋城が築かれたのは江戸時代に入った慶長15年(1610年)で,それまでの尾張の中心地であった清洲が手狭であったことから徳川家康がこの地に築城を命じました。その際には,清洲から寺社や主要施設の移転が命じられ,名古屋の町が一気に形成されました。これがいわゆる「清須越」です。
名古屋城はその後,家康の第9子の義直が住み,尾張徳川家62万石の居城となります。加藤清正や福島正則といった西国大名が普請にあたり,石垣はわずか1年で完成したそうです。1612年には大天守,1615年に本丸御殿,1617年には二之丸御殿が完成し,天下の名城としてその名をとどろかせることになり,同時に名古屋の人の心の拠り所となっていきました。
 明治時代,取り壊しの危機が訪れましたが,何とかそれはまぬがれ,陸軍省の所管として,名古屋鎮台司令部や兵舎がおかれます。1893年に宮内省に移管されて「名古屋離宮」となり,1930年に国宝に指定されました。1945年5月の名古屋空襲で天守や本丸御殿などが焼失してしまいましたが,焼失をまぬがれた3つの櫓と3つの門が戦後重要文化財に指定されました。1959年には天守閣と正門が元通りに復元され,再び名古屋のシンボルとして生まれ変わりました。現在は,本丸御殿の復元工事中で,2013年に玄関と表書院が公開され,2018年の完全復元完成に向けて工事が行われています。

加藤清正像



 バス停から能楽堂の方に向かうと,名古屋城の入口に当たる位置に加藤清正像があります。加藤清正は名古屋城の建築に携わった中心的人物の1人で,当時,名古屋城は豊臣に恩顧がある外様大名に財政力を削ぐため普請が命じられました。当時肥後の国・熊本城主であった加藤清正はその際に重要な役割を果たしました。清正はこの名古屋城の普請が終わったのちすぐに亡くなるので,まさに最後の偉業と言えるでしょう。

名古屋能楽堂 
三の丸1-1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 名古屋城正門バス停前に名古屋能楽堂があります。平成9年(1997年)に能や狂言などの伝統文化の振興を目的に開館し,愛知まちなみ建築賞も受賞している趣深い建物です。観客席約630席を有する総木曽檜作りの能舞台を有し,中には「能」を展示やビデオで解説した展示室もあります。武士の教養としてたしなまれた「能」をせっかくの機会なので味わうのも一興です。各種団体が公演を行っており,ホームページで上演予定を確認することができます。

金シャチ横丁(義直ゾーン)
[公式HP(外部リンク→)]





 正門から東に進んだところには,2018年にオープンした金シャチ横丁の義直ゾーンがあります。金シャチ横丁は名古屋のグルメを楽しむことができる新たな施設で,尾張初代藩主の徳川義直の名前を冠した義直ゾーンでは定番・老舗のなごやめしを味わうことができ,味噌煮込みうどんや味噌カツ,ひつまぶしの名店などが軒を連ねています。外国人観光客を含めて多くの人で賑わっています。

名古屋城のカヤ



 正門から名古屋城の中に入るとちょうど西の丸部分になります。ここの売店前にある金シャチは名古屋城のシンボルになっているもので,記念撮影をする人が絶えません。その先には,大きな名古屋城のカヤ[国天然]があります。推定樹齢は600年で,1932年に指定された当時は根囲が7mにもおよんだ大木だったようですが,戦災で半分近くが焼けてしまいました。初代藩主の徳川義直が,「大坂冬の陣」の際に武勲を祈念し,その実を供したという伝説が残っています。

西の丸展示館



 名古屋城のカヤの奥には西の丸展示館があります。名古屋城に関する様々な展示が行われています。毎年3月には,恒例のつばき展が行われているほか,現在は工事中の本丸御殿に関する展示も設けられています。

西南隅櫓



 展示館から東の方に進むと,白い西南隅櫓[国重文]が見えます。名古屋城の天守閣は,戦災で焼けて1959年に再建されたものですが,この櫓をはじめ3つの櫓は,戦災に巻き込まれず,1614年頃の創建当初からのおもかげを残しているものとして貴重で,国の重要文化財に指定されています。この西南隅櫓は天守の西南にある櫓で,未申(ひつじさる)隅櫓と古くは言われていました。

乃木倉庫



 続いて,西の丸から北へ進んで御深井(おふけ)丸に進んでいきます。ここは名古屋城の観光コースのメインからは外れているので,静かな雰囲気がただよう場所です。ここから案内に従って奥の乃木倉庫[国登録]に進みます。明治天皇に殉職したことで有名な乃木希典が名古屋鎮台にいた明治初期に建設されたため,誰がいうでもなく「乃木倉庫」と呼ばれるようになりました。当初は煉瓦造りで,弾薬庫となっていました。戦時には名古屋城の障壁画や天井絵などをこの倉庫で保管されていたため,天守閣が燃えた際も障壁画などは被災を逃れることができました。名古屋城の文化財を守った偉大なる倉庫と言えると思います。名古屋城の北西のポツンと建っていて,観光客も少ないところ。逆に空襲の標的にはならなかったのかもしれません。なお,ここで戦災をのがれた障壁画や天井絵などが国の重要文化財に指定されています。

西北隅櫓



 乃木倉庫の近くには,西北隅櫓[国重文]があります。古名は戌亥(いぬい)櫓といわれ,清洲城の古材が用いられていることから,清須櫓とも言われています。1619年頃の築造といわれていますが,清須時代からさかのぼるとさらに歴史があるものが使われているのかもしれません。外観3重,内部3重の規模は,櫓としても最大規模になっています。名古屋城を守るように建っており,名古屋城の堅牢さをうかがうことができます。

御深井(おふけ)丸展示館



 続いて名古屋城の天守の方向に向かうと,御深井丸展示館があります。展示内容は色々とありますが,ここは郷土玩具や人形などの展示が多く,外国人が喜びそうな内容の展示が多いです。事実,外国人向きのパンフレットも設置されていて興味深そうに見ている人をよく見かけます。

名古屋城茶席



 御深井丸展示館の奥には4つの茶席が設けられており,申し込みをすれば利用することができます。このうち,猿面茶室は茶道の大宗匠である古田織部の指示で清洲城の古材で設けられたもので,信長が「柱が猿の顔に似ている」といったことからこの名前が伝わります。現在の茶室は戦災で焼けて昭和24年に再建されたものです。また,隣接する御嶽茶室は藤村庸軒が京都の金戒光明寺境内に造営した「澱看の席」の写しで,御嶽が望めることからこの名前がつきました。また,又隠茶屋は千利休の孫の千宗旦が造営したという「又隠の席」を写したものです。桜の時期などにお茶会などのイベントも実施されます。

天守礎石



 御深井丸から天守閣に向かうために不明門の方に向かうと,名古屋城の天守礎石がおかれています。この天守礎石は,現在の名古屋城が建てられる前に,移設されたもので,戦災で焼けた元々の名古屋城に用いられていた礎石です。元々の尾張時代からの名古屋城をずっと支え続けてきた礎石で,歴史を感じることができます。



 また,この反対側には天守閣の石垣がそびえています。石垣は多くの大名によって建造され,自分が建造したことを示すために目印につけた刻文が見られます。内堀に囲まれた名古屋城の堅牢さと石垣建設の苦労が伝わってきます。



 ここから堀を渡る橋を越えて天守閣の方に向かうと不明門があります。「開かずの御門」といわれ,厳重に施錠され普段は空けられることはなかった門でした。

天守閣



 不明門から進むと賑やかな名古屋城天守閣の前に出ます。不明門から入ったところに,銘木の「御殿椿」があり,毎年3月下旬から4月上旬にかけて花を咲かせます。戦災で火をかぶってしまいましたが,その後,焼けた幹の下から新芽を出して成長してきたという逸話があります。





 名古屋城の天守閣は,小天守と大天守が橋台という通路で接続された構造をしており,見学する際はまず小天守から入る形になります。現在の天守閣は昭和34年に再建されたものですが,城の構造としては非常に深い歴史を持っていることがうかがえます。大天守には名古屋城のシンボルともいえる金のシャチホコが見えます。[現在は天守閣は木造復元の工事が行われているため入ることができません]



 小天守を経由して連結部の橋台を通って大天守に向かいます。橋台の上には,剣塀といわれる槍の穂先を並べたような塀が設けられ,簡単には攻め込むことができないようになっています。



 大天守は地下から入る構造で,各階は展示室になっています。2階の特別展示室では,戦災からまぬがれた名古屋城旧本丸御殿の障壁画や天井板絵[ともに国重文]などが時期ごとに代わりながら展示されることが多いです。狩野探幽を代表とする狩野派の様々な障壁画はなかなか見ものです。3〜5階には名古屋城や江戸時代の名古屋を紹介した常設展示が設けられています。





 最上階の7階には展望室があり,名古屋を360°一望することができます。昔は名古屋城が最も高く,この天守で城下を見下ろして権威を示していたことでしょう。ここにはお土産屋も設けられ,名古屋城を知ることができる本なども売られています。

清正石



 天守閣から続いていったん東に向かいます。天守閣前の売店の横に,本丸御殿の復元工事の様子を伝える展示室が設けられています。本丸御殿は平成30年完成に向けて工事が進められていますが,そこにたくさんの技術が使われていることがわかります。平成25年の玄関や表書院の公開に続いて,次は平成28年に対面所などが公開されるということで,期待したいです。



 東に行った石垣に,清正石と言われる巨石があります。本来は黒田長政の担当だったのが,あまりに大きいので普請の名手であった加藤清正が積み上げたとされています。築城から400年余り経っても清正の偉大さが感じられる史跡です。

旧二之丸東二之門



 清正石の反対側には,創建当初から残る旧二之丸東二之門[国重文]があります。本来は二之丸の東面中央に設けられていた門で東鉄門(ひがしくろがねもん)といいましたが,愛知県体育館が建築されたため,現在は移築されています。平成22年から24年にかけて解体修理され,きれいな門になっています。見学の際にこういう門に着目することができるようになれば,なかなかのものだと思います。

本丸御殿



 旧東二之門から戻り,復元された本丸御殿を訪れます。平成25年に玄関と表書院が公開され,平成30年にはすべての工事が完成しました。本丸御殿は戦災で焼失してしまいましたが,当時の写真や図面などが残されていたために,ほぼ忠実に再現していくことが可能なのだそうです。





 新しさが残る玄関を抜け,表書院に進みます。復元された部屋はそれぞれ格式があり,天井の高さの違いなどでそれがわかるそうです。各部屋の壁や襖絵などは,金色にほどこされていて豪奢な様子が伝わってきます。こんな部屋に通されたら,確かにそれだけで参ってしまうかもしれません。表書院の各部屋は1つ1つの部屋の作りが微妙にちがっていておもしろく,ボランティアによる丁寧な解説で楽しむことができます。

表二之門



 本丸御殿から南に進むと,表二之門[国重文]から外に出ることになります。本丸大手門で,当時も今も天守閣へのメインゲートになります。創建当時から残っている門の中では,一番多くの人に利用されています。創建されたのは天守閣が作られてからしばらく時間が経ってからになります。

清正公石曳きの像



 表二之門から外に出て,右方向を見ると桜並木が広がります。ここは春には桜の名所として多くの人が訪れます。門を出て左方向に進み,二の丸方向に進んでいきます。
 二ノ丸に向かう途中には大きな清正公石曳きの像があります。名古屋城の普請の際には,清正は自らが巨石の上に乗って鼓舞していたということで,そのときの様子が像になっています。名古屋城築城にあたっては清正の偉業が大きい様子が伝わります。

東南隅櫓



 石曳きの像から反対側を見ると,創建当時からの櫓の1つである東南隅櫓[国重文]があります。方向から別名は辰巳(たつみ)櫓と呼ばれていました。
 この櫓の前の広場では,一躍有名となった名古屋おもてなし武将隊の演武がとり行われていて,時間になると多くの人でにぎわいます。現在は武将6人と陣笠隊4人で構成されているということで,一度見てみるとおもしろいです。今や武将隊は色々な街に登場してしまっていますが,元々は名古屋が元祖の武将隊のふるさとでしょう。

梅林



 広場の前から南に進んだところに,梅林があります。3月上旬頃になると,梅の花を見に多くの方が訪れます。

青松葉事件の碑



 梅林を東に抜けたところに青松葉事件の遺跡の碑があります。青松葉事件は大政奉還直後の慶応4年(1868年),佐幕派と尊王攘夷派の対立から生まれた尾張における佐幕派の弾圧事件です。この際に処刑された渡辺在綱の家が「青松葉」と言われていたことに由来するものです。

那古野城跡



 ここから少し北に那古野城跡の碑があります。現在の名古屋城が建設される前に建てられていた城で,当初は今川氏の城だったようです。織田信長の父の信秀が1538年にこの城を奪い,一時期居城していましたが、1542年には南の古渡城を築城してそちらに移ったため,こちらの城は信長が住んでいたようです。信長が清須にうつったあとの1555年以降,しばらく経ってから廃城となりましたが,信長の天下統一のルーツとなる城です。もしかしたら家康がここに名古屋城を築くことにしたのも,信長の大出世にあやかろうとしたのかもしれません。碑は残念ながら戦争で被害をうけて,文字が判読できなくなってしまっています。

二之丸庭園



 那古野城跡に隣接して二之丸庭園[国名勝]の入口があります。現存する数少ない大名庭園の1つで,四季折々の自然を楽しむことができる名古屋市民の憩いの場になっていますが,特に秋の紅葉が有名です。枯山水回遊式,高い築山が特徴的な庭ということで,のんびり歩いて楽しむにはよい庭園でしょう。



 二之丸庭園の中には,二の丸茶亭が設けられています。有料ですが,名古屋城を見ながらちょっと一服というのもいい心意気でしょう。戦争で焼けた金シャチの残骸を利用して作られた金の茶釜がここの名物になっています。



 二之丸庭園から西の堀のところに出ると,埋御門の跡の碑が建っています。埋御門は緊急時に藩主が外に脱出するために設けられた門です。

南蛮たたき鉄砲狭間



 堀に沿って北に進むと,堀の北側を見渡せる位置に出ます。ここからは名城公園の北園の様子がよく見えます。ここに南蛮たたき鉄砲狭間の遺構があります。石灰や赤土などをかためて作ってあるので頑丈で,今までずっと残っています。ここから鉄砲で射撃して,北方向から来る敵を迎え撃てるようにしたのでしょう。

二之丸東庭園



 二之丸庭園の東側に進むと,二之丸東庭園が広がります。元々は現在の二之丸庭園と一体になっていたようで,大きな池を設けて,六つもの茶席を設けるなど大変豪華な庭園だったようです。尾張徳川家の城主は,ほとんどが二之丸にて過ごしていたということですから,まさに殿様がこの庭園を散策したりして楽しんでいた様子が思い浮かべられます。東庭園は明治時代に陸軍の兵舎などが設けられましたが,その後発掘作業も行われ,茶亭の跡などを見ることもできます。

愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)
二の丸1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 名古屋城の東門から出て,すぐに右手にあるのが愛知県体育館です。旧二の丸跡に1964年に建設された総合体育施設で,毎年大相撲の名古屋場所が行われることでも知られています。スポーツだけでなく,各種イベントやコンサートなどの行事も行われています。2018年からは名古屋ダイヤモンドドルフィンズ株式会社がネーミングライツを獲得し,ドルフィンズアリーナの愛称名が設けられています。

二之丸大手二之門



 愛知県体育館の奥に進むと,名古屋城の創建当初から残っている門の1つである二之丸大手二之門[国重文]があります。作りとしては中にある重要文化財の門と同じような作りをしていますが,こちらの門は名古屋城に入場しなくても見ることができるので,ジョギングする人など多くの人が通過していくなど,生活に密着している感じがします。

金シャチ横丁(宗春ゾーン)
[公式HP(外部リンク→)]





 愛知県体育館から外堀の外に出て右折したところには金シャチ横丁の宗春ゾーンがあります。尾張藩主の徳川宗春は,当時将軍徳川吉宗の質素倹約の政策に反し,民衆が喜ぶ政策を行ったといわれ,その先鋭的な政策にちなんで宗春ゾーンでは名古屋の新進気鋭の店舗が集結しています。オリジナルのメニューもあって,違った名古屋のグルメを楽しむことができる一角になっています。

名古屋市役所本庁舎
三の丸3-1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 金シャチ横丁宗春ゾーンから南下していくと地下鉄市役所駅があります。ここから横断歩道を渡って南東側に出ると,特徴的な2つの建物が見えます。
 手前になるのが名古屋市役所本庁舎[国重文]です。1931年に昭和天皇即位の記念事業として建築され,和洋折衷の帝冠方式で,鉄筋コンクリート作り。高さ53mの屋根に二重の屋根を付した姿はまさに現代の名古屋城ともいうべき姿で,2014年に国の重要文化財となりました。内部も当時のままの由緒ある雰囲気が残されており,時間をかけて回っても興味深いです。

愛知県庁本庁舎
三の丸3-1-2 [公式HP(外部リンク)→]



 名古屋市役所本庁舎の南側に立つのは,愛知県庁本庁舎[国重文]です。名古屋市役所本庁舎と同様に,2014年に重要文化財に指定されました。こちらは1938年の建設で,鉄筋コンクリートの近代建築の上に、城の櫓の頭部をのせたデザインです。外壁はタイル張りで,これは愛知県が全国有数の陶磁器どころであることをアピールしたものだそうです。
 市役所や県庁が建てられた当時は,昭和初期のいわゆる国威発揚が必要とされた時期で,洋風の本体に瓦屋根を載せた「帝冠方式」の建物が各地に建築されました。市役所や県庁の庁舎はその典型例と言えるものになっています。

ゴール:地下鉄・市役所駅

 昔ながらの名古屋城とついでに現在の名古屋城というべき庁舎も見学したところで,市役所前から地下鉄名城線の市役所駅に向かいゴールとなります。



【おまけ】桜の名古屋城 [2015年3月]

 3月末,桜の季節に名古屋城を再訪問しました。桜の名所としても知られる名古屋城は,この時期になるとまた違った風景でした。



 正門前の加藤清正像と能楽堂前です。能楽堂前の桜が見ごろです。





 正門前のサクラの様子。正門前の道路まで張り出してきて豪快です。この時期は名古屋城は人がとても多いです。



 入ってすぐの広場の南側が一番サクラが豪快に見えるところです。ここは夜桜も楽しむことができます。



 天守礎石の付近。桜が満開だと大分イメージが違います。





 天守と桜です。両方あると美しさが際立ちますね。



 表二の門・南東隅櫓の2つの重要文化財と右側のサクラ。



 南東隅櫓の南側の細くなっている鵜の首の部分から堀のサクラを見た様子。両側から流れ落ちるみたいで,幻想的な風景です。



 石垣と桜。こういった風景は名古屋では名古屋城ならではのものですね。



 東側から見たお城と桜です。このアングルもなかなかです。



 二ノ丸東庭園も桜があると大分華やかな感じがしますね。



 東門から出た付近です。右側のサクラが出迎えてくれているようですね。



 東門から出たところの石垣のサクラです。この桜はライトアップされることでも有名です。

名古屋市中区 / 次:栄キタコース→

写真使用数:62

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>