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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市港区:南陽西コースNAN-YO WEST

2015年4月探訪。2015年12月8日作成

【コース】 距離:約7.9km
 南陽地区の西側に当たる福田・福春・西福田学区をめぐります。福田新田と茶屋新田の史跡と戸田川緑地があり,住宅開発も進んでいる地区です。

市バス・南陽交通広場バス停〜イオンモール名古屋茶屋〜秋葉神社〜南陽公設市場〜山神社〜五反野神明社〜南陽神社〜春田野神明社〜戸田川緑地・農業文化園〜熱田社〜茶屋後神明社〜浄恩寺〜御鍬神社〜市バス・新西福橋バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:市バス・南陽交通広場バス停



 今回のスタートは,南陽地区の市バスのターミナルになっている南陽交通広場バス停です。高畑14,高畑15系統で東山線の高畑駅から約30分,東海11,東海12系統で名港線の東海通駅から約30分です。各系統ともおよそ1時間に1本(東海12系統のみ1時間に2本)の運転です。三重交通の高速バスが栄から直通運転されており,栄から40分,500円で来ることもできます。三重交通のバス停はイオンモール名古屋茶屋です。

イオンモール名古屋茶屋
西茶屋2-11 [公式HP(外部リンク)→]





 南陽交通広場の前には,イオンモール名古屋茶屋があります。2014年6月に南陽地区にオープンし,敷地面積は18.6万平方メートルと広大な商業施設です。ショップのフロアは3階建てで,ファッションや雑貨などの約200もの各種専門店が入り充実しています。また1階の交通広場南側には,屋外のレストラン街であるレストランガーデンがあって飲食店が並び,3階にもフードコートが設けられています。建物西側には1〜3階までイオンスタイルのお店が入り,4階には映画館もある総合ショッピングセンターで,1日楽しむこともできます。ウォーキングが終わった後にじっくり時間をとるのもいいでしょう。

秋葉神社
秋葉3-137



 南陽交通広場からレストランガーデンをぬけて建物に沿って進みモールの西側に出ます。左折して,駐車場の間の道を通り,その先の信号を右折して300mほど進み,2本目の筋を右折して200m強進むと右手に秋葉神社があります。ここの秋葉という地名の由来の神社で,火除けの神をまつっています。この付近は寛文3年から7年(1663〜69)に,名古屋の商人で知られる尾州茶屋家の茶屋長意によって開発された茶屋新田に当たり,地名にも残されています。現在はこの付近の道路整備のために工事中です。



 秋葉神社の北には,瑞雲寺(曹洞宗)があります。明治13年(1880年)の建立です。



 また,瑞雲寺の先の筋を右に入った先には,善通寺(真宗大谷派)があります。ここは大正2年(1913年)の建立です。以前は田園風景がずっと広がっていたこの付近も,徐々に住宅が増え始めています。

南陽公設市場
秋葉1-130-4



 瑞雲寺から100m進んだ少し広い筋を右折し,そのまま400m弱進んだ2筋目の信号のところを左折します。400mほど北上すると,左手に南陽公設市場があります。昭和56年(1981年)に開設され,昔ながらの市場の雰囲気で,地域の住民の買い物の場所となっています。食料品などとともに各種店舗が入っていて便利ですが,少し空き店舗も目立ってきました。公設市場の西側には,秋葉公園があります。西の南陽台住宅が開発されて,子供連れも目立っています。



 公設市場から北に進んだところには南陽図書館があります。東には南陽東中学校もあり,一種の文教地区になっています。

山神社
知多2-2406



 南陽図書館からそのまま北に150mほど進み,突当りを左折して200m弱進むと,右手に山神社があります。瀬戸内海大三島の大山祇神社の祭神をまつったもので,昭和19年(1944年)に戦争で被害にあい再建されましたが,現在の建物は昭和60年(1985年)に遷宮したものです。この付近の知多という地名は,開拓の際に知多半島からの移住者が多かったために地名になったといいます。毎年なごや祭りにも参加している知多神楽が有名で,安政6年(1859年)以前の作と言われています。知多半島は神楽が盛んで,その流れを引き継いでいるものと考えられています。

七反野神明社
七反野2-1106





 山神社からそのまま200m西に進み,2つ目の十字路を左に曲がったところに七反野神明社があります。寛永17年(1640年)に鬼頭勘兵衛景義によって福田新田が開発された際に,海岸堤防の北側に勧請・創建され,福田新田の総鎮守として国常立命をまつります。景義は神社祭祀の護持のため,宮田七反歩を神社に付属させたため,七反野の地名が生じたといいます。昭和19年(1944年)に空襲により全焼し,戦後再建されました。



 七反野神明社の参道から南に出て,1つ先の交差点を右折したところに七反野地蔵堂があります。鬼頭勘兵衛景義が福田新田を開拓した際,庄内川と戸田川から伸ばした堤防がこの地で合流し,堤防が締め切られました。工事による犠牲者も多かったことから,その冥福と堤防が切れないようにという願いから地蔵堂が建立されました。境内には福田新田締め切りの地の碑が立てられ,保存樹のクロガネモチが生えています。

南陽神社
春田野3-202



 そのまま200m強西に進んだ先の「南陽農協前」交差点を越え,その先の筋を右に曲がると,南陽神社があります。大正12年(1923年)に靖国神社から分霊を勧請し,南陽村民の日清戦争以来の戦死者・戦病死者をまつったもので,当日は南陽村の全村民が盛大な鎮座祭を行ったといいます。当時は南陽鎮魂社といいましたが,昭和30年(1955年)に現在の社名に変更されました。毎年5月10日と10月10日に例祭が行われます。また,境内には伊勢湾台風の慰霊碑があり,9月26日に慰霊祭が行われます。南陽町の役場がかつてこの地に置かれ,役場跡の碑が立っています。



 南陽神社の裏には,鬼頭景義・勘兵衛宅跡があります。鬼頭景義はここ福田新田をはじめ,寛永8年(1631年)から明暦3年(1657年)にかけて尾張,美濃の2万2千石にも及ぶ新田開発を行ったことで知られます。この地には景義直系の子孫が住み,代々勘兵衛を名乗ったことから勘兵衛屋敷と呼ばれました。昭和19年(1944年)の空襲で被害を受け,残った長屋門は木立に囲まれ「かんべえの森」とも呼ばれましたが,昭和41年(1966年)に現在地に門が移築修理されました。門の前には明治天皇福田行在跡があります。明治天皇が明治元年(1868年),東京へ御東幸の際や京都へ御還幸の際,および明治2年(1869年)に東京へ遷都する際にこの地で休憩されたといい,明治13年(1880年)に京都へ御巡幸の際にも鬼頭家に立ち寄られたといいます。その際に,山田庄次郎なるものから,泥亀5匹をお買い上げになったといいます。

春田野神明社
春田野3-801



 南陽神社の社殿の前の道を西に200mほど進み,4本目の筋を右に曲がり,次の筋を左に曲がったところに春田野神明社があります。寛永17年(1640年)の福田新田開拓の際に,鬼頭勘兵衛景義が伊勢神宮の分霊を勧請して創建したといい,これによって災難が相次いだ工事も,不思議に完成したといいます。以来,福田新田の産土神として崇敬を受け,東海道にも近かったことから旅行中の安全祈願をする人も多く,近郷では由緒ある神社と考えられました。昭和20年(1945年)の戦災と,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で被害を受け,平成元年(1989年)に区画整理事業が行われ,境内を拡張して現在の姿になりました。



 春田野神明社の左側の道を進み,突当りを左折して,さらに約100m先の突当りを右折し,その先の「南陽支所」交差点を左折すると,先には南陽支所があります。南陽地区の行政の中心地になっています。

戸田川緑地・農業文化園
春田野2-3204 [公式HP(外部リンク)→]



 「南陽支所」交差点に戻って横断歩道で北側に渡り,西に戻って約100m進むと戸田川緑地があります。平成元年(1989年)に開園し,名前の通り戸田川の両岸に広がる公園で,中川区と港区にまたがっています。この付近は戸田川緑地の南地区に当たります。





 入り口には戸田川に設けられた石造りの樋門が再現され出迎えてくれます。駐車場を抜けた先には陽だまり館があり,南陽地区の地元の季節の果物やお米などの農産物が販売されています。



 右手に進んだ先には農業文化園があります。メインの施設である農業科学館では,昔の農業で使った農具が展示されているほか,世界の農業の様子を伝えるシアター,昆虫標本が6000点余りある昆虫標本室があり,2階のガーデンでは野菜も育てられています。



 その北のフラワーセンターでは,四季折々の花を楽しめる四季の花壇や,シダの森,サボテン畑など個性的な植物も楽しめます。



 その北にはにじ色農場があり,花や野菜が栽培されていて収穫体験や即売会などのイベントも行われます。北には体験水田や農園があり,噴水や水車小屋がある「催し物広場」もあって多くのイベントで楽しむことができます。





 農業文化園の西側には,とだがわこどもランド[公式HP(外部リンク→)]があります。1.7haの敷地にたくさんの大型木製遊具や水遊びゾーンなど楽しめる空間がたくさんあり,子供連れで大変賑わいます。ゴーカートやサイクルモノレールなどの有料施設もあります。屋内にはホールや調理室,多目的室などがあり,子供向けのイベントも行われます。子供たちに人気のスポットになっています。
 さらにその北には,バーベキューが楽しめるピクニック広場があり,その北の中央地区には子どもの遊具があるほか,戸田川の生態を学ぶことのできるとだがわ生態園が平成20年にオープンしました。

熱田社
西福田3



 「南陽支所」交差点に再び戻り,南に150m進み突当りを右折して300mほど戸田川の橋を渡って進むと,左手に熱田社があります。戸田川の西に当たるこの付近は寛永20年(1643年)に鬼頭勘兵衛景義により開発された西福田新田に当たりますが,その東ノ割の氏神として明治20年(1887年)に鎮座しました。境内東には観音堂があり,円空仏がまつられています。

阿弥陀寺
新茶屋5-1017



 西にさらに400m弱進み,広い道に合流した次の細い筋を左折します。そのまま約250m進んで3筋目を右折し,さらに次の十字路を左折し200mほど進むと左手に阿弥陀寺(西山浄土宗)があります。明治20年(1887年)頃に阿弥陀堂と称したといい,法然上人と親鸞上人を祀っています。昭和39年(1964年)に道路の拡張にともなって移転,新築しました。入り口にお地蔵さんがあり,素朴な雰囲気のお寺です。

延命地蔵尊
新茶屋5-3107



 阿弥陀寺の先の筋を右折し,300m弱進んだ突当りを右折すると,少し先の左手に延命地蔵尊があります。宝暦13年(1763年)の暴風雨の際にこの地に流れ着き,村人たちが福田川の堤防にお堂を建てて安置したのが始まりで,通称「高地蔵」と呼ばれます。この像は,貞享5年(1688年)に名古屋八事山を開山した天端円照大和尚の自作と呼ばれ,地蔵尊としては珍しく腰掛けた姿をしているといいます。

茶屋後(ちゃやのち)神明社
新茶屋5-1809



 延命地蔵尊からそのまま北に250mほど進み,突当りを左折して50mほど進むと右手に茶屋後神明社があります。延宝5年(1677年)に茶屋後新田を開発した茶屋長意が,延宝7年(1679年)に築堤に成功したのちに,新田開発の安定を願って三十番神をまつったものです。三十番神は日蓮宗で30日(旧暦)を日々安寧に生活できる守り神になっているという信仰です。明治初年には神仏分離にともなって三十番神を移築して伊勢神宮の分霊を勧請しました。昭和46年(1971年)の遷宮式の機会に育成が進められているのが茶屋後男獅子です。男獅子は神楽に付随した獅子舞から派生して生まれた男性的芸能で,戦前までは尾張西南部の各地で行われました。茶屋後の男獅子は,現在でも祭りなどのイベントで演じられています。



 境内には,関戸家頌徳碑があります。文化8年(1811年)から明治初年にかけて,ここ茶屋後新田は関戸家の所有となりましたが,低地で排水が悪く冠水の被害を毎年のように受けていたことから,地主の関戸守彦は私財をなげうって樋門の改修や排水機の設置を行い,昭和9年(1934年)に亡くなるまで農民とともに農業振興に努力しました。また昭和21年(1946年)に自作農創設特別措置法が施行させると,子息の有彦は率先して小作農に農地を安価で分譲したといいます。このような関戸家の恩情に対して茶屋後新田の人々が感謝の気持ちを込めて建立したのがこの頌徳碑です。
 

下中神明社
西福田4-1309



 茶屋後神明社の左側の道を北上し,200m先の突当りを右折し,さらに200m先の2本目の筋を左折すると,少し先に下中神明社があります。明治11年(1879年)に五穀豊穣村中安全を願って鎮座したといい,その後大正2年(1913年)に社殿が造営されました。その後,伊勢湾台風などにより老朽化したため,現在の建物は昭和57年(1982年)に新築されたものです。

浄恩寺
西福田4-1208





 下中神明社から先に進むと,左手に浄恩寺(真宗大谷派)があります。寛永20年(1643年)(享保元年(1716年)という説もある)に,中村区稲葉地の広讃寺から分寺して創建され,港区内では最古の寺と言われています。現在の本堂は濃尾地震で倒壊して再建されたもので,堂内には阿弥陀如来像と聖徳太子像が安置されています。中でも聖徳太子像は御自作とも伝承され,往古はあま市の円周寺に所有したところを縁あって移されたもので,4月1日の御開帳の際には露天商が立ち並ぶほどの繁盛だったといいます。境内の庫裡の前には名古屋市保存樹のイブキがあり,高さ7mでイブキとしては市内最大のものです。伊勢湾台風にも耐えて,風格を備えた名木です。

御鍬(おくわ)神社
西福田5



 浄恩寺からさらに進むと,新西福橋バス停に到着します。ここを左折して,「新西福橋東」交差点で横断歩道を渡り,1筋戻って西福田コミュニティセンターの方に向かうと,少し先に御鍬神社があります。この付近は寛文5年(1665年)に開発が始まり,貞享元年(1684年)に検地が行われた西福田新田に当たりますが,新田の干拓後,不作が続いたので福田川を開削し,戸田川の改修を行いました。その後に工事の安全と豊作を祈願して御鍬様を祀ったのがこの神社だといいます。



 御鍬神社の向かいには西福田コミュニティセンターがあります。港区のこの付近はまだまだ田園風景が広がるのどかな場所です。

ゴール:市バス・新西福橋バス停

 新西福橋バス停まで戻ってゴールになります。幹神宮1系統,東海12系統で名港線・東海通駅まで約25分で,1時間に3本程度運行です。高畑16系統で東山線・高畑駅まで約25分で,1時間に1本程度運行です。JR春田駅に行く巡回バスもあります。

写真使用数:34

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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