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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市北区:川中三郷コースKAWANAKA SANGO

2015年1月探訪。2015年3月10日作成
2015年9月11日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約5.4km
 上飯田駅をスタートし,辻町を安井地区の寺社をめぐります。その後,かつて矢田川と庄内川に囲まれていた川中三郷の史跡をめぐります。

地下鉄・上飯田駅〜黒川樋門〜羊神社〜修善寺〜別小江神社〜清学寺〜山神社・お福稲荷社〜六所神社〜成願寺〜天神社〜乗円寺〜神明社〜聖徳寺〜八龍社〜市バス・愛工前バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・上飯田駅



 今回のスタートは地下鉄上飯田線の上飯田駅です。名城線の平安通駅で乗り換えて,1駅で到着します。名古屋駅から幹名駅1系統など,バスを利用して来ることもできます。今回は,上飯田駅の1番出口を出て北に進んでいきます。

黒川樋門
辻町字古新田



 北に200mほど進むと,左手には前回のコースで説明した御用水跡街園の終点が見えてきます。ここを川沿いに右に進むと,すぐに名古屋市都市景観重要建築物に指定されている黒川樋門があります。黒川は1877年(明治10年)に御用水に平行して開削されましたが,この水門は庄内川から黒川に水を引くために作られ,現在の水門は1980年(昭和55年)に復元されました。この付近にはかつては「天然プール」と呼ばれる池があり,周辺の用水に分水しており,水遊びや魚釣りなどに興じる子どもの憩いの場でしたが,昭和52年(1977年)に樋門の奥の三階橋ポンプ場の建設により姿を消しました。黒川はこの北の矢田川の下を立体交差してくぐって庄内川から取水しており,伏越という珍しい川の立体交差になっています。この伏越は御用水が開削された後,延宝4年(1676年)に設けられました。御用水が設けられた寛文3年(1663年)の当初は庄内川と矢田川の水を合わせて取水しましたが,矢田川は瀬戸の陶土が多い地形を流れるため流砂が多く,土砂の堆積がひんぱんにおきたため,現在の形になったとのことです。明治10年(1877年)の黒川開削の際には舟の通行が可能なように改良され,その後,三階ポンプ所建設の際に改築されて,今は舟は通行できないとのことです。

羊神社
辻町5-26 [公式HP(外部リンク)→]





 黒川樋門が見える地点の次の信号を左折し,約300m進んで「新堀町」の交差点を過ぎた先の3本目の筋を左に入ります。ここから約100m進むと,右手に羊神社があります。平安時代の『延喜式』にも「山田郡羊神社」とある格式高い神社で,江戸時代は神明社といいました。天保9年(1838年)に再建された本殿も残る由緒ある神社です。所在地である「辻町」は,この神社の羊が転じたものと伝えられ,この付近の地名の由緒にもなっています。未(ひつじ)の干支の正月には,例年にも増して多くの参拝者を集めることで有名です。

修善寺
辻町5-30



 羊神社のすぐ西に修善寺(曹洞宗)があります。如法山と号し,この地を支配していた浅井右近源善長により文安元年(1444年)に創建されたと伝わる古刹です。本尊の薬師如来は弘仁6年(815年)の空海の作と伝えられ,辻薬師または厄除薬師と呼ばれて地域にしたわれています。特徴ある山門は北区の久国寺から移したものといわれ,一間薬医門,桟瓦葺で17世紀後半頃のものと考えられています。境内ではほほえみの六地蔵と呼ばれるかわいらしいお地蔵さんが迎えてくれます。

別小江神社
安井4-14-4 [公式HP(外部リンク)→]

 修善寺の先を右折し,さらに信号を左折して約300m進むと右手にアピタが見えてきます。ここのは明智光秀と秀吉との戦いで秀吉の影武者として活躍したという犬飼秀長が,戦いで切り落とされた腕を埋めたという腕塚があったそうです。







 ここの「辻町」の交差点から西へ2つ目の交差点を右に曲ると,別小江神社があります。創建は不詳ですが,延喜式神名帳に「山田郡別小江神社」とある式内社で,かつては300m北東の千本杉という場所にありましたが,天正12年(1584年)に織田信雄によって現在地に遷座しました。現在の境内は戦災で失われたのち昭和41年(1966年)に再興されたもので,10月10日から3日間大祭が行われます。境内には石橋に使われていたと思われる石や,「荻野村道路元標」とある元標がある。荻野村は昭和8年(1933年)に合併する前にこの付近に存在した村のことです。本殿の右手には御嶽神社があり,御嶽山を開山した覚明霊神の碑が立てられています。また,その右には地租改正の際に税の軽減を求めて嘆願し,のちに荻野村長として功績をあげたという稲垣安忠の碑があります。

清学寺
安井4-3-24



 別小江神社の入口から西へ進み,突き当りを左へ,さらに2本目の突き当りを右に進むと,右手に清学寺(曹洞宗)があります。万栄山と号し,「西春日井郡志」によると天保年間(1644〜48年)に西区巾下の奈良屋源右衛門が創建したといいます。境内には,鎌倉時代に承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇方として活躍した山田兼継の母が,子どもの帰りを待って毎日祈っていたという日待地蔵があります。

山神社・お福稲荷社
安井4-3-24



 清学寺の先2本目のバス通を右折し,さらに100m進んだ信号の次の筋を左に曲がります。そのまま200m進んで,3本目の筋を左に曲がったところに山神社・お福稲荷社があります。過去にこの南西には安井城があり,天正年間(1573〜92年)にこの安井を支配していた浅野長勝が築き,東西約160m,南北約150mに及ぶ当時としては大きな館と伝えられます。この神社はその鬼門除けとして,同時期に設けられたと伝わります。浅野長勝の子孫はその後婿養子の長政が秀吉に仕えて五奉行の筆頭となり,子孫は赤穂・和歌山・広島の領主となりました。



 また,お福稲荷社は,かつては縁起を求めて多くの参拝者で賑わったそうですが,今は静かな神社です。神社の森がありますが,昭和初期まではこの付近は,このようなうっそうとした森で覆われていたと言いますから想像できません。境内の白龍社は,その昭和初期に設けられたものです。例祭が毎年11月7日に行われています。

庄内用水



 ここから北に少し進むと,庄内用水を渡ります。この用水は穀倉地帯であった名古屋北部から中・南部に広がる田に水を供給し,名古屋の豊かな農業生産を支えました。用水の原型は元亀・天正年間(1570〜92)までさかのぼりますが,今の姿になったのは,明治10年(1877年)に黒川が開削されたときです。三階橋の分岐点で御用水や黒川と別れ,当時の矢田川に沿って用水が設けられました。現在は宅地化で農地がほとんどなくなったため,遊歩道として市民の憩いの場になっています。この東側にはかつて小僧庵と呼ばれる萩の名所があったといいます。横井也有をはじめこの地に遊んだ文人が,この小僧庵の萩の俳句を残しています。かつて,この地が萩野村と言われたのも,この小僧庵の萩が名前の由来になっています。

六所神社
安井2-14-32



 庄内用水から北に進んだ付近から川中三郷と呼ばれ,かつては庄内川と矢田川にはさまれた地域になります。この付近の矢田川は,現在は庄内川に沿うように流れていますが,昔は庄内用水に沿うように流れていました。しかし,川にはさまれ洪水の被害も多かったことから,昭和5年(1930年)に矢田川の付け替え工事が始まり,同7年(1932年)に矢田川が現在の流れになりました。
 用水から北に100m進んだ専門学校の手前の交差点を右折し,約200m進んだ左手に成願寺公園があり,その奥に六所神社があります。この付近の成願寺村の村社で,元禄2年(1689年)に社殿を再興したといいます。昭和20年の空襲で全焼しましたが,境内の石造物には以前のものもあり,宝暦12年(1762年)奉納されたという燈明台も残されています。

成願寺
成願寺2-3-28



 六所神社の右の道を道なりに100m進むと,右手の堤防を上がったところに矢田川と庄内川を渡るふれあい橋の人道橋があります。天気のよい日は眺望がきくのどかな風景が広がります。





 さらに100m進んだ1つ目の筋を左に曲ると,すぐに近代的な建物が特徴の成願寺(天台宗)があります。天平17年(745年)の行基開基という寺伝がある由緒ある寺院で,この地域を支配した安食・山田一族の菩提寺で,もと安食庄を支配した安食重頼(1111?〜1176)の法号にちなんで常観寺といい,その後,山田重忠が再建した際に現在の寺号になりました。昭和8年(1933年)に矢田川の改修工事にともなって現在地に移転し,平成21年(2009年)には本堂を改築してガラス張りの近代的な姿に生まれ変わりました。本尊の木像十一面観世音菩薩立像[市文化]は行基作の寺伝を持ちますが,実際は平安時代作と考えられています。しかし,市内では最も古い仏像の1つとして知られます。その他,山田重忠像や江戸初期の木像大黒天像などの文化財も所有しています。

(中切)天神社
中切町4-26



 成願寺から先の分岐を左へ,続く信号を右に曲り西へ400m進むと,「中切町4」の交差点です。ここで国道41号線を渡って直進すると三郷水路の道に入ります。寛政4年(1792年)に開削された水路で,この地域の農業用水になっており,排水にも役立っていました。昭和5年(1930年)の矢田川の付け替え工事で水路も大幅につけ変わり,やがて田畑の減少により水路としての役割を終え,平成5年(1998年)に暗渠となりました。住宅地の広がる現在を見ると,過去の田野の様子は想像できません。





 約200m進むと,左手に(中切)天神社があります。周囲より高い山になっていますが,これはこの神社が昔は矢田川の堤防の上にあったからです。祭神は菅原道真の学問の神様なのですが,存在が知られておらずお参りする人は少ないため,ゆっくりと物思いにふけるには最適でしょう。

乗円寺
中切町2-61





 天神社の次の信号のある交差点を右折して100mほど進むと左手に乗円寺(曹洞宗)が見えてきます。白馬山と号し,創建は不詳ですが,開基した僧乗円の名前を寺号にしたといい,元は天台宗でした。慶長年間(1595〜1615年)に再興されて中区の永安寺の末寺となり曹洞宗になったといいます。境内には矢田川が氾濫した際に流れ着いた祠がまつられています。

(中切)神明社
中切町2-21





 右折した信号まで戻り,そのまま直進方向に西へ約100m進むと(中切)神明社があります。天神社と同様,矢田川の堤防上にあったため,一段高い位置に神社があり,境内から北区の住宅街を見下ろすことができます。創建は不詳ですが,安食重頼の崇拝を受けたという古社です。境内の祠は矢田川が洪水を起こした際に村に両着したものをまつったといわれています。古くから矢田川や庄内川の水害と戦ってきた人たちに思いをはせて拝観したいものです。

聖徳寺
福徳町2-30 [公式HP(外部リンク)→]



 神明社から西へまっすぐ三郷用水跡の道を約1000m進むと,左手に聖徳寺(天台宗)があります。普門山と号し,春日井市の密蔵院の末寺で,治承年間(1177〜81年)にこの地域を支配した安食重頼が寺領を寄進し創建したといい,重頼像が寺宝として残されています。なお,夫人の像は洪水で流され,のちに甚目寺に漂着して寺の釈迦堂に安置されています。かつては円光寺吉祥院といいました。



 境内に入って本堂の左に太子殿があり,33年に一度開帳される寺の名前の由来にもなっている秘仏の聖徳太子像が安置されています。江戸の元禄期頃までに改号されたと考えられています。また,境内にあるムクノキは聖徳太子が身を隠されたという寺伝があり,現在でも庄内川氾濫の際には,避難路になっており,かつては舟も常備されたそうです。寺宝の紙本白描絵因果経[国重文,名古屋市博物館寄託]は釈迦の伝記を経文と絵で示したもので,奈良時代と鎌倉時代の作品が多いなか,平安時代末の12世紀後期作と考えられている貴重なものです。

八龍社
福徳町3-8





 聖徳寺の手前の交差点を来た方からみて左に進んで南下し,約50m進んだ最初の交差点を左に曲がって約50m進むと,八龍社があります。神明社などと同様,矢田川の堤防上にかつてあったため一段高い位置にあり,本殿には25段の階段を上がって行く必要があります。八龍社も遷宮棟札には寛永9年(1632年)と記されている古い神社で,水を司る龍神を祀っていることから,水害が起きないように願いをこめて建立された神社と考えられます。今でも水害の際の避難場所として活用できそうです。本殿東側には御嶽講で知られる明寛行者の碑があり,この付近の御嶽講の信仰の様子もうかがえます。

ゴール:市バス・愛工前バス停

 さらに進んで次の交差点を右折すると,約100mで「愛工前」の交差点とバス停に到着します。交差点の南から名駅13系統で名古屋駅と栄南側バス停から名駅13系統で名古屋駅まで約25分,西側バス停から栄13系統で栄まで約25分です。本数があまり多くないので,時間を調べておくといいでしょう。

写真使用数:29

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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