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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市北区:黒川コースKUROKAWA

2015年1月探訪。2015年3月10日作成
4月1日加筆

2015年9月11日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約5.7km
 尼ケ坂駅から旧街道の史跡をめぐって北区役所へ。その北の寺社をめぐって,その後桜で知られる御用水跡街園を抜けて上飯田駅に向かいます。

名鉄・尼ケ坂駅〜豪潮寺(不動院)〜普光寺〜久国寺〜八王子神社〜解脱寺〜ネックス・プラザ〜綿神社〜安栄寺〜児子八幡社〜御用水跡街園〜地下鉄・上飯田駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・尼ヶ坂駅

 今回のスタートは名鉄瀬戸線の尼ケ坂駅です。始発の栄町駅からおよそ5分で到着。普通列車のみの停車ですので注意してください。尼ケ坂駅北側の「尼ケ坂駅北」交差点からスタートしましょう。

豪潮寺(不動院)
大杉3-15-17



 北に向かって1本目の筋を左に曲がります。この筋は「御成道」と呼ばれ,元禄時代に二代藩主徳川光友がお城と大曽根の下屋敷を結ぶために作られた道で,光友死後も城北を東西に貫く幹線道路として栄えました。明治時代には現在の名城公園に設けられた鎮台から,小幡ヶ原に設けられた射撃場まで多くの兵隊が行進したため「兵隊道」とも呼ばれました。この街道沿いは寺が多く,かつてメインストリートだったことがしのばれます。
 左に曲がって約200m進むと右手に不動院があります。一願山と号し,名僧として知られる豪潮寛海(ごうちょうかんかい,1749〜1835)の終焉の地として知られるため,豪潮寺と呼ばれます。豪潮については前回の長栄寺の項でも述べましたが,熊本県出身で藩主の斉朝の病気を加持祈祷で治したことで知られます。没後150年に豪潮をしのんでこの寺が建立されました。

普光寺(しんこうじ)
大杉3-12-8





 不動院の先の交差点を右に曲って少し進むと,普光寺(曹洞宗)があります。明照山と号し,立派な山門,仁王像が目を引く建物です。天正5年(1577年)に御器所の龍興寺の末寺として建立されました。嘉永5年(1852年)に宮城県の塩釜明神を勧請したことから,塩釜様とも呼ばれるとのこと。境内には平成15年(2003年)に建立された北大仏が目を引き,この付近の隠れた名所になっています。また,弘法地蔵は元々下街道と御成道の交差点付近にあった弘法井戸付近にあったものがやや西の城東町に移り,その後昭和63年に普光寺に移ったもので,眼病に効果があるそうです。

久国寺
大杉3-2-7



 御成道に戻り,そのまま西へ100mほど進むと久国寺(曹洞宗)があります。慶長年間(1596〜1615年)に徳川家康の守護仏を三河の法蔵寺から貰い受けて創建され,寛文3年(1662年)に現在地に移され,名古屋城の北東の鬼門除けの寺とされました。名古屋城本丸の天長峰の名前をとって天長山と号しました。



 印象的なのは,入ってすぐ右手の梵鐘です。芸術家の岡本太郎氏によって作られた「歓喜の鐘」と呼ばれるもので,巨大な角が生えている独特の梵鐘は,「芸術は爆発だ」で知られる氏らしい作品です。毎年,おおみそかなどには実際につかれるそうです。境内には尾張の俳人として知られる榎本馬州(1701〜64)の供養塔があります。別名白梵庵ともいい,芭蕉の「奥の細道」の跡をたどって「奥羽衣」を著したことでも知られています。



 そのまま100mほど進むと,「稲置街道と御成道の辻」の案内板が建てられています。稲置街道は,元和元年(1615年)に尾張藩が木曽の地を拝領し,名古屋と木曽を結ぶ木曽街道が整備されたのが整備の始まりで,木曽街道は中山道の伏見宿(現在の岐阜県御嵩町)につながる街道として整備され,参勤交代の際にも利用されました。稲置街道はその後,犬山城主の成瀬家が名古屋城下との連絡のために整備した街道で,鵜沼宿(岐阜県各務原市)とを結んでいます。稲置という名前は,途中にあった村(現・犬山市)の名前が由来のようです。

八王子神社(春日神社)
清水2-15



 稲置街道を北に進むと約100mで八王子神社(春日神社)が見えてきます。もともとは名古屋城のある那古野の庄にあり,名古屋城を築城する際の慶長15年(1610年)に遷座しました。古来より子どもの守り神として知られて『尾張名陽図絵』にも掲載され,人形からくりの石橋車という山車と沿道に華やかな神灯が飾られている様子が『尾張年中行事絵抄』に載っています。現在は春日神社が合祀されています。境内には明治天皇小休所の碑が建てられており,これは明治13年(1880年)に明治天皇が中山道を経由して京都に巡幸された際に立てられたものです。また,本殿左奥の手水鉢は名古屋城築城時の落とし石を利用したものと言われます。



 八王子神社からさらに進んでいくと約50メートル進んだところに清水街園があり,ここには稲置街道の石碑が建てられています。この付近のゆるやかにカーブする道は,かつての街道であったことを物語っています。

杉ノ宮神社
中杉町1-18



 先に進んだ「清水5南」の信号を右折し,約150m進んだ「大杉小西」の交差点を左折して100m強進むと,左手に杉ノ宮神社があります。寛永7年(1630年)に創建された神明社に,明治39年(1906年)に今の清水小学校の地にあった八幡社が合祀されて現在の姿になりました。境内には,この西の稲置街道にかつてあった西行橋の石材を用いた碑が立てられています。西行橋で子どもを捨てると長生きするという風習があり,橋のそばで子どもを捨て,しばらくしたら拾うという風習が『尾張名陽図絵』に残されています。

解脱寺
清水2-12-2



 「清水5南」の交差点に戻り,さらに西に100mほど進むと左手に解脱寺が見えてきます。このルートでは寺の裏側に出るので,南側に回り込んでください。楞枷山と号し,明暦3年(1657年)に犬山城主の成瀬正虎が薬師堂を再建して中区栄の白林寺の末寺としました。境内に「粟稗にとぼしくもあらず草の庵」という松尾芭蕉の句碑「粟稗塚」があります。貞享5年(1688年)にここに仮住まいした竹葉軒長虹(ちくようけんちょうこう)に詠んだもので,文政5年(1822年)に土地の俳人によって碑が立てられました。その後,戦災で裏の建立者の文字が剥落し,新たにその名を記した副碑が立てられています。



 国道41号線側に出たところには,芭蕉歌仙興行の地の案内板があります。貞享5年(1688年)にこの地で芭蕉が興行した様子を伝えています。1688年というと,奥の細道の旅が始まる前年で,芭蕉が各地を訪ね歩いた時期になります。俳句という文化を広めるために熱心に活動していたのでしょう。

ネックスプラザ:名古屋高速道路広報資料センター
清水4-17-30 [公式HP(外部リンク)→]



 解脱寺の先の「清水4」の交差点で国道41号線を横断歩道で渡って約300m北上すると北区役所があります。地図や観光情報などを集めるのに利用しましょう。





 そのすぐ北側にネックス・プラザ(名古屋高速道路広報資料センター)があります。名古屋高速道路の資料館で,道路の歴史や建設過程が展示されているほか,管理・管制などの仕事が紹介されています。クイズコーナーもあり,子ども連れでも楽しむことができる施設として人気があるようです。

北清水親水広場(旧黒川船着場)
金作町5



 ネックス・プラザからさらに北に進み,次の「北消防署南」交差点で横断歩道を渡って堀川の東を見ると,北清水親水広場があります。ここは昔,黒川の船着き場があった場所です。黒川は犬山から名古屋を経由して熱田までの水運を確立するために,明治10年(1877年)に開削されました。川の名前は改修にかかわった技師の黒川治愿(はるよし)に由来します。鉄道が発達する前の当時は船が大量輸送を実現する交通で,このころは熱田から四日市を経由して横浜まで定期航路が始まり,熱田から内陸への交通路の確保が求められました。そこで行われたのが黒川の開削と熱田波止場の築造です。その後明治19年(1886年)に犬山と名古屋を結ぶ定期船が運行され,この親水広場のあったところに北清水の船着き場が設けられました。ここは陸路の稲置街道が通り,陸路と海路の交差点として大いににぎわったようです。その後,乗合馬車や鉄道が開通して,大正13年(1924年)まで38年間運行されました。この親水広場を含む堀川の両岸は桜の名所として知られ,春には多くの花見客で賑わいます。

綿神社
元志賀町2-52





 川を渡って国道41号線を北上し,約400m進んだ「黒川本通3」の交差点で左折して50m強進むと右手に綿神社が見えてきます。弥生時代に渡来人が訪れて創建したと伝わり,平安初期の『延喜式』にも「山田郡綿神社」と記されている古社で,玉依比売命(たまよりひめのみこと)ら3柱がまつられています。社名の由来は,祀られている玉依比売命が海神の綿津見神の娘であることに由来しているそうで,綿は海の当て字で用いられたものです。このことからこの付近の志賀の地が,太古は入り江であったと考えられます。戦国時代には志賀の地に屋敷を構えた織田家の家老の平手政秀が,信長の奇行がおさまるようにと荒廃した社殿を改築し,鏡と手彫りの狛犬を奉納したといいます。志賀コースで彼の邸宅跡を訪ねましたが,ここ一帯が彼の領地だったのでしょう。戦災にあいましたが,昭和45年(1970年)に再建された現在に至ります。境内の末社に四十八祖社があり,これは平手政秀が切腹した際,殉死した四十八名の武士をまつったものです。



 綿神社の境内に入って右手前には霊源寺(曹洞宗)があります。元は千種区古井にある光正院の末寺でしたが,宝暦10年(1760年)に今の寺号になります。戦災で山門,本尊が焼失し,現在まで戦前から残されているものは寺を開いた穀物問屋鵜飼屋とその妻の墓碑や山門前の碑のみです。

安栄寺
志賀町1-67







 「黒川本通3」の交差点に戻って再び国道41号線を渡って東へ300m進んだ「志賀町2」の交差点で右手前方向に100m進むと,右手に安栄寺(曹洞宗)があります。大聖山と号し,慶長19年(1614年)に大須の萬松寺の末寺として建立され,名古屋城の鬼門除けの寺として,場内から大聖不動明王が移されています。境内に入った左手に六地蔵石仏[市文化]があります。元々,志賀公園付近にあった揚戸墓地にありましたが,市街地化の進展で現在地に移されたといいます。像には大永7年(1527年)の銘文があり,これは県下では最も古い六地蔵になります。
 境内墓地には,「金牛岡」と書かれた碑があります。これはこの付近に住んでいた石のコレクターである源吉をしのんで建てられたもので,無欲・無心で一念に好きなものに夢中になり,人々から愛されていた人物だったことがうかがえます。集めた珍しい石を高い値段で買いたいと申し込んでも,彼は一つとして売ることはなかったといい,趣味に没頭したとのことです。

児子八幡社
志賀町1-65





 安栄寺の先,すぐのところに児子八幡社があります。八幡社,児子社,天神社の三社があり,もともと八幡社と児子社は志賀公園の近くにありましたが,明治7年(1874年)に天神社のあったこの地に移されました。子どもの守り神としても名高く,夜泣きをする子どもに困ったら,お参りすると泣き止むという伝説があります。代々の尾張藩主もここで夜泣きの癇癪虫を封じる虫封じを授かり,江戸時代には神殿で神楽も上演されるなど賑わったとのことです。

御用水跡街園



 児子八幡社から南に進み2つ目の筋まで進みます。ここを右に進むと,川に飛び込んで子どもを救ったという飛び込み地蔵と呼ばれる地蔵があります。
 ここで左への筋を史跡散策路の案内板に従って進むと,約50mで広い通りに出ます。約50m南にある志賀橋の交差点を東に渡り,そのまま環状線を東に50m進み黒川を渡り,次の信号を左に曲がって黒川の右側の道を約50m進むと,桜の名所として有名な御用水跡街園の入口があります。
 散策路の元になっている御用水は,寛文3年(1663年)に庄内川の水を名古屋城の内堀に引き入れるために設けられたもので,名古屋の市街の拡大に伴う湧水の減少などのため飲料水を確保する目的で開削され,辻村用水ともいいました。この用水は名古屋城内を通って堀川に達していました。明治になると,名産の名古屋友禅の染色の際にもこの用水が使われたと言い,現在も春のイベントなどの際に友禅流しが行われています。戦後になると用水の水質が悪化したため,昭和47年(1972年)に埋め立てがはじまり,2年後に現在の散策路が完成しました。現在,黒川沿いのこの道は桜の名所として知られ,都会のオアシスとなっています。この街園の遊歩道が約1.6km続くので進んでいきましょう。



 約800m進んだところで瑠璃光橋があります。羽ばたく鳥と子どもの像がある特徴的な橋で,御用水跡街園の遊歩道でもハイライトの部分になります。以前から瑠璃光町と北の辻町とを結ぶ大切な橋であったそうです。瑠璃光橋の名前の由来は,この南にある成福寺にあった瑠璃光如来に由来します。橋の近くには,この近くに繊維工場が多かった様子を伝える案内板があります。
 さらに約800m進んだ終点の夫婦橋付近には,御用水の松が残されています。御用水が設けられた当初,両岸には松並木が設けられていました。これは,御用水の水が干上がらないようにするための日除けの意味と,有事の際にこの御用水が逃げ出すための抜け道になっていたためと言われています。松並木は第2次世界大戦時に航空燃料の松根油をとるために伐採されてしまい,ここにあるのがその名残の松になります。

ゴール:地下鉄・上飯田駅

 御用水跡街園の終点で右に曲って約200m進むと,ゴールの上飯田駅に到着します。上飯田駅からは地下鉄上飯田線で名城線の平安通駅に出られるほか,駅前のバスターミナルから名古屋駅,栄などにバスも運転されています。

【再訪問】桜の御用水跡街園 [4/1追加掲載]

 黒川駅から御用水跡街園にかけての道を桜の時期に再訪問しました。この時期は,黒川沿いにずらりと桜並木が立ち並びます。



 北清水親水公園広場付近です。桜並木におおわれます。







 ここからはコースで訪ねたコースになります。川沿いに桜がぎっしりしている様子がよくわかります。





 桜並木がずっとずっと続きます。その眺めは圧巻です。













 ゴールです。桜いっぱいの黒川を楽しむことができました。

写真使用数:39

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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