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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市東区:矢田コースYADA

2015年2月探訪。2015年4月8日作成
2015年8月29日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約7.2km
 区最東部の砂田橋駅から,矢田川,長母寺と旧瀬戸街道をめぐったのち,近代的な施設が立ち並ぶ大幸南地区を経て,古出来町に向かいます。

地下鉄・砂田橋駅〜大幸東団地〜矢田川河川敷〜長母寺〜東ふれあい広場〜旧瀬戸街道〜カルポート東〜ナゴヤドーム〜六所神社〜東界寺〜市バス・古出来町バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:砂田橋駅



 地下鉄名城線の砂田橋駅からスタートします。地下鉄名城線で栄駅からおよそ17分で行くことができます。砂田橋駅の3番出口から出てスタートします。

大幸東団地
砂田橋3-2



 砂田橋駅3番出口を出て東に進んでいくと,目の前に名古屋中学・高等学校があります。明治20年(1887年)にF.C.クラインによって創設された「名古屋英和学校」を前身とする伝統的なプロテスタント・キリスト教主義の男子校で,レンガ造りの校舎が印象的です。





 約400m進むと,左手にURの大幸東団地があります。昭和53〜56年にかけて,もともと工場があった場所に建築され,東区で最大の団地群を形成しています。団地に入ったところに小さな商店街があり,利便性の高さをうかがわせます。大幸という地名は,この付近は鳥獣が多く山の幸が多かったため,戦国時代以降この名前で呼ばれたという説があります。この団地を北に抜けて矢田川沿いに進んでいきます。

矢田川河川敷
大幸3







 大幸東団地を300m進み北に抜けていくと,やがて矢田川に突き当たります。道路を渡って矢田川の河川敷に出たら左に曲がって西に進んでいきます。矢田川は瀬戸市の海上の森と猿投山を水源に持ち,ほぼ西に流れてこの先の西区で庄内川に合流しています。川の名前の由来は「山田」から省略したものと言われます。この付近の河川敷はよく整備されていて,ウォーキングやサイクリングを楽しむことができます。約600m進んで,宮前橋とゆとりーとラインの高架をくぐると,大きな河川敷公園に出ます。この付近はかつて,1600年代後半から尾張藩の射撃訓練場がおかれていた矢田河原であることでも知られています。4月から7月までの間,様々な火器が試させ,軍事の備えをしていたとのことです。



 河川敷公園のトイレの先にある堤防の階段を上がり少し進んだところには大幸八幡社があります。社殿によると宝暦2年(1752年)創建で大幸地区の産土神としてあつい信仰をうけています。境内には明治24年(1891年)に発生した濃尾地震の際に,多数の救援を得て復興した感謝を表す碑が建てられています。



 この先,さらに矢田川沿いのウォーキングを楽しみながら進んで名鉄瀬戸線,矢田川橋をくぐって約700m進んで堤防の階段を上がり,長母寺の方に進みます。

長母寺
矢田3-13-71



 堤防の階段を上がって右手を見ると,木ヶ崎公園のテニスコートがあります。コートの横を通りさらに進むと長母寺(臨済宗東福寺派)があります。霊鷲山と号し,治承3年(1179年)に北区山田の庄を本拠地とし承久の乱(1221年)にて後鳥羽上皇側について奮闘した山田重忠が創建しました。なお,重忠はこの他にも長父寺,長兄寺を建立しており,長兄寺は小幡駅の北に長慶寺として残っています。その後荒廃した寺が無住国師を開山として再建され,この際に天台宗から臨済宗に改められました。無住は,以後50年をここに過ごし,この地で「沙石集」などを著しました。また,この付近の民衆教化につとめ,味鋺村(北区)の住民に万歳を教えたと伝えられ,これが今に伝わる尾張万歳になったといわれ,長母寺の寺領であった知多半島北部にも広まったといいます。その後,室町時代には足利直義の祈願所となったため,将軍の足利尊氏からも寺領の寄進をうけ繁栄しましたが,その後衰退し,天和2年(1682年)に尾張二代藩主徳川光友の命により雪渓恵恭によって再興されました。明和4年(1767年)に矢田川の大水害によって川の付け替えが行われるまでは,矢田川は大きくカーブして長母寺の南側を流れていたといいます。入ったところにある山門[国登録]は18世紀後半の創建と推定され,桁行4.8mという規模の大きい薬医門で,雰囲気にマッチした姿を見せています。



 境内に入ると正面に本堂[国登録]があります。濃尾地震後の明治27年(1894年)に再建されたもので,臨済宗本堂としての伝統が重んじられ,同じく静かな雰囲気にマッチしています。本堂前には無住伝説のある桧の芽といわれる寄生木があります。これは,無住国師が亡くなる際,「これから行く世に極楽があれば,この寺に桧の芽を生やそう」といっていたのが,その後境内の木々に桧の芽が生えてきて,極楽が存在する証として大切にされてきたものです。



 本堂東側には庫裡[国登録]があります。文政11年(1828年)に再建されたもので,禅宗様式の特徴をよく示しているとのこと。桁行9間梁間5間の雄大な規模を持ち,創建年代がわかる庫裡として貴重なものです。また,長母寺は無住国師に関する文化財が豊富で,開山堂に安置されている無住自作との伝承もある木造無住和尚坐像[国重文]や,鎌倉時代の無住道暁筆文書[国重文]3点などがあります。



 また境内には,北区にあった料亭「十州楼」から寄贈された,もともとは岐阜県揖斐川町にあったという「さざれ石」が置かれています。









 長母寺から境内の階段を下りて進んだところに木ヶ崎公園があります。東区の中でも隠れた桜の名所として知られ,春になると公園を一面の桜が覆います。木ヶ崎公園の中を南に抜けてそのまま進むと,名鉄瀬戸線の線路に突き当たります。この付近も線路沿いに桜並木が並び,絵になる風景です。

東ふれあい広場(矢田公会堂跡)
矢田4-21-100



 進んだ目の前の踏切を渡り,細い道をさらに200mほど道なりに進んだ2つ目の細い筋を右に入り,さらに道なりに50mほど進むと,漸東寺(臨済宗妙心寺派)があります。鳳来山と号し,天文13年(1544年)に矢田川が決壊した時に流れ着いたといわれる本堂横の薬師堂の薬師如来が知られています。



 漸東寺の西側に隣接して,東ふれあい広場があります。もともとここには,明治20年(1887年)頃に地域で建てられた矢田公会堂がありました。昭和12年(1937年)に建てなおされ,昭和22年から32年までは東区矢田出張所として使われました。その後,昭和62年(1987年)に現在の東ふれあい広場となりました。地域の交流の場として様々なイベントが行われています。

矢田商店街(旧瀬戸街道)
矢田1 および 矢田2 



 東ふれあい広場からさらに約100m西に進み,次の信号を右に曲がって約100m進むと,名鉄瀬戸線の高架の前に白山神社があります。矢田地区で昔から信仰あつかった神社です。



 引き返して南に約300m進んだ2つ目の信号を右に曲がったところが旧瀬戸街道になります。大曽根で分岐して尾張旭市を通って瀬戸市まで通じている街道で,江戸時代には尾張藩主が定光寺参りに通ったとされます。明治時代には小幡の演習場まで行く道ということで,兵隊道とも呼ばれていました。街道を進んで次の信号を越えると矢田商店街があり古い商店が立ち並んでいます。白山神社の例祭の際には,この付近もお祭りモードで盛り上がります。

カルポート東
大幸南1-1-10

 旧瀬戸街道に入ってから2つ目の信号を左折します。なお,この先には平成15年(2003年)に名古屋立てこもり爆破事件の舞台となったビルがあります。さらに大曽根駅5番出口のところを左折して,約200m進むとショッピングセンターの「メッツ大曽根」があります。平成14年(2002年)にオープンし,スーパーや電器店,レストランなどが入居しています。



 さらに500m進んだ「大幸1」交差点(ナゴヤドーム前矢田駅1番出口のところ)で右折すると,すぐにカルポート東があります。東スポーツセンター,東図書館,東文化小劇場,市民ギャラリー矢田の4施設がまとまった東区の複合文化施設になります。名前の由来は,カルチャー・スポーツ・アートを組み合わせて,その港(ポート)にしたいとの願いからだそうです。

ナゴヤドーム
大幸南1-1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 カルポート東を越えた先の右手にイオンモールナゴヤドーム前があります。もともとは日本たばこ産業の名古屋工場でしたが,その跡地を利用して平成18年(2006年)に開業しました。180の専門店と2800台の駐車場を備えた名古屋市内でも大きなショッピングモールの1つです。



 そのまま先に進んだ右手にナゴヤドームがあります。言うまでもなく名古屋が誇る中日ドラゴンズの本拠地球場で,収容客数は約4万人にのぼります。元々三菱重工業名古屋工場があったこの地に平成9年(1997年)に作られ,中川区露橋にあったナゴヤ球場から本拠地が移転されました。野球の試合の他にも各種コンサートなどのイベントも盛んに行われます。

六所神社
矢田南1-6-37







 ナゴヤドーム前にある「ナゴヤドーム前」交差点で高架の矢田南デッキにあがり,そのまま西に進みます。終点の「ナゴヤドーム西」交差点を左に曲がります。この外環状線の歩道付近も桜の名所として知られます。





 そのまま南に200m強進むと,右手に六所神社があります。創建は不明ですが,建久年間(1190〜99年)という伝えがあり,江戸時代の寛文年間(1661〜73年)に『六所大明神』として記載されている神社です。安産の神様として信仰を集めています。毎年2月26日に行われる大祭のカッチン玉祭が有名で,へその緒をかたどったカッチン玉と言われる飴が売り出され,安産や生育祈願が行われ,100近い露店が出店してにぎわいます。また,境内の六所龍神社は,毎年中日ドラゴンズの選手が戦勝祈願に訪れることで有名です。

東界寺
出来町3-1-25





 「六所神社」交差点から,400mほど南に進んだ「古出来町」交差点のさらに1本南の通りに入って,100m弱進むと,出来町天王祭王義之車[市民俗]の山車蔵があります。毎年6月の出来町天王祭と、秋の山車揃えのときに山車蔵から出されます。さらに200mほど進むと同じく出来町天王祭の河水車[市民俗]の山車蔵があります。この付近は城下の東辺に当たり,当初は古町屋といいましたが,寛文年間(1661〜73年)に家が建ち始めたことから出来町となり,その後西側にも町屋が立ち始めたことから新出来となり,それに対してこの付近は古出来と呼ばれるようになりました。



 さらに50mほど進んだJR中央線の手前の道を右に曲がり,そのまま出来町通の横断歩道を渡り右に進みます。するとすぐに東界寺(真言宗豊山派)があります。享保13年(1728年)に尾張徳川家第六代綱友の実母泉光院によって,実父の菩提をとむらうために創建されました。本尊の薬師如来は運慶作といい,耳の病に霊験があります。名古屋二十一大師霊場の第7番札所となっています。

ゴール:基幹バス・古出来町バス停

 そのまま約200m直進すれば,ゴールの基幹バスの古出来町バス停があります。基幹バスは本数が多いのでバスの時間を気にする必要はあまりありません。栄まで約25分,名古屋駅まで約30分で戻ることができます。

写真使用数:34

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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