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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市東区:徳川園コースTOKUGAWA-EN(PARK)

2015年1月探訪。2015年4月7日作成
2015年8月29日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約5.6km
 東大手駅から名古屋台地北端の坂道を訪ねながら名鉄瀬戸線南側の史跡をめぐります。最後は国宝を多く所蔵する人気の徳川美術館を訪ねます。

名鉄・東大手駅〜七尾天神社〜首塚社〜蓮池弁天〜長久寺〜尼ケ坂公園〜片山神社〜了義院〜関貞寺〜片山八幡神社〜徳川園・蓬左文庫・徳川美術館〜殉職者慰霊碑〜JR・大曽根駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・東大手駅



 名鉄瀬戸線の東大手駅が今回のスタートです。ターミナルの栄町駅からは1駅で急行なども停車します。地下鉄を利用する場合は.名城線の市役所駅から東へ約300mです。ドニチエコきっぷなどの乗車券を利用している場合は,この方がいいかもしれません。

七尾天神社
白壁2-8-19 [公式HP(外部リンク)→]



 東大手駅の東大手とは東大手門に当たり,駅のそばには外堀が残っています。かつては,瀬戸電と呼ばれた名鉄瀬戸線が走り,お堀列車と呼ばれていました。駅の西にある清水橋も堀を渡る橋で趣があります。駅から堀と明和高校にはさまれた道を北上します。この付近はかつて白いからたちである枳殻(きこく)が植えられていたことから,枳殻坂と呼ばれていたそうですが,これらは城を警護するためのバリケードの役割も果たしたそうです。また,この先の堀のところにこんもり茂った森が見えますが,これは安土といわれる城壁になっています。





 明和高校の裏の道に右折し,観音院(西山浄土宗)を越えて約200m進みます。次の筋を右に曲がり,続いて左に曲がると,左手に七尾天神社があります。亀尾天満宮とも呼ばれる菅原道真を祭神とする神社で,文亀年間(1501〜04年)に七尾の亀が菅原道真の木像を運んできたことから建てられたという伝説があり,社名の由来になっています。その後,永正年間(1504〜21年)に社殿を造営し,元和年間(1617年〜)に藩主義直が拝殿を建て,のちに成瀬家の祈願所にもなりました。残念ながら明治42年の火災で木像や宝物を失っています。境内には,ここの神社の伝説にも出てくる七尾の亀の像があります。亀の背中に願い事を書いて載せると,願い事がかなうのだとか。また学問の神様としても崇敬があつい神社になっています。

首塚社
北区大杉1-15-2



 七尾天神社から進んで,次の右に入る筋を進み,次の筋を左に進みます。さらに約80m進んだ次の道を左に曲がると,清水坂の下り坂になります。これまでは名古屋台地の上だったのですが,この坂を下ると台地の下になります。このコースはずっと台地の縁(へり)を歩いていくことになります。


 清水坂を下って道なりにすすんで国道41号線を左手の横断歩道で渡ります。そのまま清水坂からの道を直進するように進む道に入り,約300メートル進んだ突き当りを左に曲がって100m進むと,右手に首塚社が見えてきます。徳川家康の家老の竹腰家にかくまわれていた山伏が,大みそかの晩に外出して首をはねられ,それをまつった山伏塚とも,托鉢に来た虚無僧が門前で首をはねられたために作られた首塚ともいいます。現在は眼病に効く神社として信仰されています。

蓮池弁財天
北区大杉1-14



 首塚社の先2つ目を右折して,少し進むと右手の公園の前に蓮池弁財天があります。江戸時代にこの北の志水町に蓮の花が咲く大きな池があり,そこにまつられていた弁財天だったそうです。池自体は寛文年間(1661〜1672年)に埋め立てられてしまいましたが,この弁財天は地域によってずっと大切にされてきました。祠の脇には加藤清正が小牧の岩崎山などから名古屋城築城の際の石材を運ぶときにつけたといわれる手形を模して彫った石が安置されています。

長久寺
白壁3-24-47



 公園の先を右に進み,約200m道なりに上り坂を進んだ金城学院中学校の先のところを左折します。すると中学校の前に長久寺貝塚の案内板が立っています。明治38年(1905年)に発見された縄文時代の貝塚で,縄文中期の土器や磨製石斧などが出土し,その後昭和6年(1931年)には縄文早期の土器も採集されました。現在は校舎改築などもあり貝塚は消失してしまいましたが,確認された名古屋台地最奥の貝塚になっています。



 そのまま約100m進んだ次の信号を左折すると,約50mで長久寺(真言宗智山派)が見えてきます。東岳山と号し,清須の城主であった松平忠吉が,旧領の武蔵の忍城下にあった祈願所を慶長6年(1601年)に清須に移し,慶長15年(1610年)に名古屋開府の際に現在地に移されました。現在は名古屋21大師第6番札所,東海36不動尊霊場第7番札所にもなっており,訪れる人が多いようです。入口の表門は清須から移したとされる荘厳な薬医門になっています。



 境内に入ると,清須移築後まもなく建てられたという本殿があり,小さいながらも上品な雰囲気です。また,本殿前庭に見える庚申塔[市文化]は寛文8年(1668年)に武家から寄進されて建立されたもので,この当時の庚申信仰についての名残を示すものとして貴重なものです。また,境内には,名古屋の八高の教授もつとめた歌人の石井直三郎の歌碑や,名古屋の儒学者として知られ明治初期に藩校明倫堂の教授としても知られる細野要斎の邸宅跡があります。

延命閣地蔵院
北区大杉1-25-15



 長久寺の北東にある「芳野2」の交差点からさらに北に100メートル進み,2つ目の左に入る筋を進んで50メートル進んだ右に入る筋を入るとすぐに延命閣地蔵院があります。蔵王山と号し,長久寺の門前の六地蔵をまつったのが始まりとされます。この辺りによく出現した辻斬りにあった霊を弔うために設けられました。

尼ケ坂公園
北区大杉1-26



 道を進んだ左手に尼ケ坂公園があり,向こう側に見えるのが尼ケ坂です。尼ケ坂と隣の坊ヶ坂は,江戸時代の「権現小町」と呼ばれる美人の村娘と,高位の青年武士との悲話が名前の由来になっています。2人は身分の違いから結ばれず,娘は尼になって尼ケ坂で首をつり,その子どもは母を探して坊ヶ坂で死んでしまったという悲しい話が伝わっています。薄暗い坂は化け物が出るといわれ,昔は辻斬りも多く出たことから,心霊スポットにもなっているようです。



 公園の奥には名鉄瀬戸線の尼ケ坂駅があります。この付近は名古屋市内にありながら,静かな雰囲気をしています。

片山神社
芳野2-8-28



 尼ケ坂駅から線路の南側を線路沿いに100m東に進むと,坊ヶ坂があります。尼ケ坂と並んで,母を探した子どもがここで死んでしまった伝説があります。尼ケ坂に比べて道が細く,昔ながらの雰囲気が残っています。昼間でも薄暗く,心霊スポット感があります。



 この坊ヶ坂を上っていくと,右手に片山神社があります。和銅2年(709年)(天武朝期(672〜86年)という説もある)創建と伝わる古い歴史を持ち,平安時代の延喜式に載る「山田郡片山神社」に当たるといわれる格式高い神社です。祭神は6世紀の天皇である安閑天皇ら2神で,天皇の御生母が尾張連の祖の媛であったところから,この地に祀られたということです。何度も社殿が修繕された記録があり,長い歴史を今に伝えています。



 社叢はうっそうとしていて,昔から蔵王の森と呼ばれていました。かつては規模も大きく,特に北向きの段丘崖には広くムクノキが生い茂っていたといいますが,規模も縮小し宅地化も進んできました。しかし,現在も境内は名古屋市の緑地保全地区になっていて,ムクノキ,イチョウの保存樹が見られます。また,片山神社が位置する名古屋台地北端は,広く縄文から弥生期の遺跡がみつかり,片山神社遺跡として知られています。昭和61年(1986年)の宅地造成にともなう発掘で,弥生前期にこの付近に集落があったことが確実になり,この付近の農耕集落形成を考える上でも大切な成果だそうです。

本覚寺
徳川2-16-16 [公式HP(外部リンク)→]



 片山神社から東に進み,市立工芸高の前を右に曲がり,続いて左に進んで高校の前の道を進んでいきます。約600m進んで,「徳川二丁目の交差点で国道19号線を渡ってそのまま左に曲がり,約150m進むと近代的な建物の本覚寺(日蓮宗)があります。照瑞山と号し,はじめ清須にあって本法寺と称し,寛永年間(1624〜44年)に大曽根坂上に移ります。まもなく廃寺になりますが,その後正保5年(1648年)に惠性院日相が再興して現在の寺号に改めました。六代藩主継友がこの寺の鬼子母神を崇敬し厨子などを寄進したと言います。寺宝には日蓮上人木像があり,これは家の天井で読経している尊像が発見されて,この寺に安置されたという逸話が残っています。

了義院
徳川2-17-30



 本覚寺から進んで次の筋を右に曲がり,さらに続いて右へ,続けて2本目の筋を左に進むと,すぐに了義院(日蓮宗)があります。妙見山と号し,もと清須にあって名古屋に移ったのち廃れましたが,天明4年(1784年)に兵庫県の妙見山から尊像を移して再興され,天明6年(1786年)に現在の山号になったといいます。尾張名所図絵にもかかれた名所だそうです。



 境内には,芭蕉由来の三日月塚があります。芭蕉五十回忌の寛保3年(1743年)に建立され,「有とあるたとへにも似ず三日の月」の句と「笈(おいずる)日記」の句形が刻まれています。戦災で破損したのを修復した痛々しい原碑が案内板の後ろにあり,そばには昭和24年(1949年)の新しい碑も立てられています。



 了義院の向かい,右折する筋に入ったところには瑞忍寺(真宗大谷派)があります。『尾張名陽図絵』に近くの百姓が掘り出した薬師仏を安置して建てられた寺という話が残されています。

関貞寺
徳川2-17-26



 了義院から少し進むと,関貞寺(曹洞宗)があります。寛永7年(1630年)に建立され,今は建物に隔てられて何も見えませんが,かつては名古屋台地のへりに立っていて,美濃,越前など7つの国が一か所で見えたため,七州閣とも称せられ,名古屋三景の1つとして知られる絶景の場所でした。明治期にかの伊藤博文も桂太郎らとともにここを訪れて景色を楽しんだとか。その時に伊藤博文が読んだという漢詩が残されています。

片山八幡神社
徳川2-13-26





 関貞寺の先の突き当りを右に進み,次の道を左に進むとすぐに片山八幡神社があります。社伝によると,6世紀の継体天皇時代に建立され,元々は「八幡社」といいました。後に「延喜式」に掲載されている「片山神社」についての論争で,片山神社と争いの中で現在の名前に変わったと推定されています。
 元禄8年(1695年)に藩主の徳川光友が社殿を復興し,その後は名古屋の鬼門除けの神社として篤い崇敬を受けました。大正時代になって,電車軌道が境内を貫通するようになり,境内地がせばめられたということです。境内の建物は戦災で焼けたため,昭和になって建て替えられたもので,その際に周囲の神社も合祀されました。

日本福音ルーテル復活教会
徳川町2303 [公式HP(外部リンク)→]



 片山八幡神社のそばの「徳川町」交差点から300メートル弱進むと「徳川園」交差点があります。ここを左に曲がって北に少し進むと日本福音ルーテル復活教会[国登録]があります。1928年「大曽根講義所」として開始され,その後「大曽根教会」となりました。戦災で戦前の建物は失われましたが,1953年に再建されています。明快な教会風の建物が印象的です。

徳川園 [一部有料施設]
徳川園1001 [公式HP(外部リンク)→]



 「徳川園」交差点まで戻りそのまま南に進むと,約200mで徳川園の黒門[国登録]が見えてきます。徳川園は元禄8年(1695年)に尾張第2代藩主の徳川光友の御隠居所として設けられた大曽根屋敷の跡に設けられた日本庭園です。屋敷の当時の敷地は13万坪(44ヘクタール)にも及びました。黒門は明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で総けやき造りの堂々とした三間薬医門です。連続する脇長屋,塀,および脇長屋の東北側にある釣瓶井戸[ともに国登録]とともに戦災の影響も免れた武家屋敷の遺構を伝える貴重なものになっています。脇長屋は現在,徳川園の管理事務所になっています。



 黒門から中に入ると,左手に徳川園の庭園入口,右手に蓬左文庫,正面に徳川美術館があります。徳川園は昭和6年(1931年)に十九代当主義親から邸宅の寄付を受けた名古屋市が整備改修を行い,昭和20年(1945年)の戦災で大部分が焼けたのちは一般的な公園となっていましたが,平成16年(2004年)に本格的な日本庭園にリニューアルしました。庭園の入口には蘇山荘[国登録]があり,国の登録文化財で喫茶や食事が楽しめます。



 庭園内に入ると,少し進んだ左手に龍門の滝があります。東京新宿にあった戸山屋敷の滝を再現したもので,上流から滝にさしかかると急に水量が増える仕組みになっています。



 中央にある龍仙湖は,池泉回遊式庭園の中心で伊勢湾に見立てています。飛び石や砂嘴などが配され,豊かな自然を表現しています。



 湖の東側には,現存する大名庭園にも見られる中国杭州の景勝地西湖をイメージした堤防があり,異国情緒を取り入れています。



 湖のほとりには,光友の諡號「瑞龍院」の名前をつけられた瑞龍亭という茶室が設けられており,眺めを楽しみながらお茶を楽しむことができます。





 滝から虎仙橋をくぐって虎の尾といわれる山水画の川の流れをイメージした渓流の横を進むと,新緑や紅葉の時期は非常に見事な景色を楽しめます。この川は木曽山脈から流れ出す木曽川が伊勢湾に流れ込む,尾張地方の豊かな自然を表現しているそうです。



 水源に当たる場所には落差6mに及ぶ三段の滝になっている大曽根の瀧があります。この背後の山は龍泉湖から標高差11mになり,徳川園で一番高い場所になります。





 その他,牡丹園や菖蒲園なども設けられており,季節に応じて様々な庭園の姿を感じることができます。月ごとにおすすめの花などの案内も配布されています。じっくり時間をかけて過ごしたいものです。

名古屋市蓬左文庫 [一部有料施設]
徳川町1001 [公式HP(外部リンク)→]



 徳川園の庭園入口の前には名古屋市蓬左文庫の旧書庫[国登録]があります。「蓬左」とは,熱田(蓬莱)の宮の左にある町ということで,名古屋を意味しています。元和元年(1616年)に徳川家康が死去した際に,尾張徳川家初代の徳川義直にゆずられた駿河御譲本をもとに名古屋城に設けられた文庫を起源にしており,その後歴代藩主により本の収集がはかられ,江戸時代を通じて屈指の大名文庫となりました。明治維新で約3分の1が流出しましたが,残された蔵書などをもとに多彩な資料が残されており,『続日本紀』『河内本源氏物語』『侍中群要』『斎民要術』『論語集解』[いずれも国重文]などの鎌倉時代の書籍や,『太平聖恵方』『高麗史節要』[いずれも国重文]などの中国・朝鮮の古典籍などがあり,江戸文学書や浮世絵のコレクターとして知られる尾崎久弥のコレクションなども含めて,現在11万冊の蔵書を誇ります。庭園前の旧書庫は昭和58年(1983年)まで書庫として用いられていた建物で,『河内本源氏物語』など代表的書籍の紹介の他,奥には閲覧室があり15000冊の参考図書を自由に利用できます。左側の展示室は徳川美術館とつながっており,こちらは徳川美術館の入館料を払って見学しますが,様々な企画展が行われています。昭和25年(1950年)に名古屋市に所有がうつり,現在は立場としては瑞穂区の名古屋市博物館の分館になっています。

徳川美術館 [有料施設]
徳川町1017 [公式HP(外部リンク)→]



 蓬左文庫に隣接して,徳川美術館があります。徳川家康の遺品(駿河御分物)をはじめ,尾張徳川家代々の遺愛品である「大名道具」1万点余りをはじめ,『源氏物語絵巻』,初音の調度婚礼用品,太刀5刀・短刀2刀[ともに国宝]をはじめ,重要文化財59件,重要美術品46件などの非常に多くの文化財を保有しています。昭和6年(1931年)に侯爵であった徳川義親の寄付により創立された財団法人徳川黎明会が昭和10年(1935年)に開館させた私設美術館で,日本で最も古い時期の私設美術館になります。第1〜第5までの常設展示室では,各室が二の丸御殿や能舞台など実際に使われた様子を再現して展示する空間復元方式による展示が行われ,大名道具の使われ方が実感できるように工夫され,近世大名の生活に思いをはせることができます。また,第6展示室では,徳川美術館の誇る至宝である国宝「源氏物語絵巻」について学べ,第7〜9展示室では時期に応じて様々な企画展が開催され,隣接する蓬左文庫の展示と合わせて何度訪れても楽しめるようになっています。第7〜9室がおさまっている徳川美術館本館とそれに隣接する南収蔵庫[ともに国登録]は,昭和10年(1935年)に美術館が開館した時から残されている建物で,本館は城壁を思わせる外壁に緑の屋根を配するというこの時期によく見られる帝冠方式になっており,美術館の南側の道路から外観を見ることができます。またビデオライブラリーやミュージアムショップも充実しています。また,第9展示室から入口に戻る途中の庭には,明治期の山の茶屋[国登録],大正期の心空庵及び餘芳軒,およびその東屋[ともに国登録]が移築されており,落ち着いた和風近代建築でゆったりと時間を過ごすのもいいでしょう。

大曽根殉職者慰霊碑
東大曽根町46-6付近



 徳川園の黒門から出て徳川園を回り込むように2回左に曲がります。途中,徳川美術館の本館と南収蔵庫の外観を見ることができます。約300m進んで広いバス通りに出たら左に曲がり約500m,「東大曽根町」の交差点を越えて進むと,左手に大曽根温泉湯の城というスーパー銭湯があります。ウォーキングで汗をかいたらここを利用してもいいでしょう。



 「東大曽根町」の交差点に戻り,通りを渡って約200m,JR中央線に突き当たる手前の交差点まで進んだら左に曲がります。そのままJRの線路沿いに100mほど進むと第2次世界大戦の空襲で殉職した駅員30名の慰霊碑があります。昭和20年(1945年)の空襲で多くの駅員が犠牲になりましたが,その際にプラットホームにいた100名の乗客は助役の判断で臨時列車に乗せ,全員無事だったといいます。

ゴール:大曽根駅

 そのまま進めばすぐにJR中央線の大曽根駅南口に到着します。ここからJRで名古屋駅まで4駅です。名鉄や地下鉄名城線を利用する場合は,さらに北に400mほど進んでください。


【再訪問】季節の徳川園

桜の時期の徳川園 [3月末撮影]



 黒門前の桜並木の様子です。なにやら撮影が行われていました。周辺の武家屋敷のおもかげがある雰囲気ととてもマッチしていました。



 黒門から中にはいった蓬左文庫前付近。トウカイザクラが見事に咲いていました。



 徳川園前のシダレザクラは,少し時期が早かったようで,まだつぼみの状態でした。

写真使用数:42

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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